温又柔さん 「国語」から旅立って

読者のみなさんへ

あなたには、この文章が読めます。

なんの苦もなく意味が呑み込めます。

声に出して読みあげることだってたやすくできることでしょう。

それどころか、私が書いたとおりにそっくりと書き写すこともできるはずです。

さて、あなたはこの文章が日本語だと意識しましたか?

私は小説家です。

名まえは、温又柔。

おんゆうじゅう、と読みます。

日々、小説やエッセイを書いたりしています。

今でこそ、ほかのどんな言葉よりもずっと、私は日本語が得意です。けれども私は、はじめからずっと、日本語だけをしゃべっていたのではありません。

赤ん坊の頃の私は、両親をはじめ、近くで暮らしていた伯父や叔母、いとこたち、それに町の人たちが話す中国語や台湾語と呼ばれる言葉が飛び交う環境の中にいました。
やがて私が三歳になるかならない頃に、父と母は私をつれて、それまで住んでいた台湾から日本の東京に移り住む準備をはじめます。

あるとき、東京の町を家族そろって散歩していたら、あんよがじょうずね、といった調子で一人の老婦人が私たちに話しかけてきました。彼女は私にほほ笑みかけると、いくつ? とたずねました。きょとんとする私の代わりに父が答えます。

コノコハ、ニサイデス。

やさしそうな老婦人が立ち去ってから、ニサイは二歳という意味なんだよ、と中国語(あるいは台湾語)で父は母と私に教えてくれます。

その頃は母だけでなく、私もまた、中国語(と台湾語)のほうがずっと得意でした。

ニサイ、という響きは二歳の私をよっぽど魅了したらしく、日本のひとからほほ笑みかけられると、ニサイ、と自分からすすんで言うようになりました。

ニサイ、は私がうまれてはじめて覚えた日本語だったのです。
もちろん私は永遠にニサイではありません。

たちまち三歳になり、五歳になり七歳になり十一歳になり十三歳になるにつれ、私の日本語はどんどん上達してゆきました。

さて。

今日も私は、小説を構想するために、エッセイを仕上げるために、PCとむきあっています。

私の目の前のモニタ画面に浮かぶのは、ひらがな、カタカナ、漢字。

自分のつかっているこの言葉が、“日本語である”という事実を、私はいつもちゃんと思いだそうと努めています。

そうしないと、はじめからこの言葉だけを、日本語のみを、自分は聞いたりしゃべったり読んだり書いてきたのだと錯覚してしまいそうになるからです。

まわりにいた大人たちの声をとおして中国語や台湾語をたっぷりと聴き、自分自身もしゃべっていた頃のことを、私は“なかったこと”にはしたくありません。

そう、ニサイになるまでの自分のこともきちんと大切にしながら、この言葉、日本語を話し、書いてゆきたいと私は思っているのです。

「国語」から旅立って、と題したこの連載では、どうして私がこんなふうに感じ、思い、考えるようになったのか書いてゆくつもりです……はじまりは、私が小学一年生のときの「国語」の教室から!

どうぞ、おつきあいくださいませ!

2018年9月 温又柔

温又柔 撮影 ©朝岡英輔

温又柔
(おん・ゆうじゅうWenYuju)

1980年、台北市生まれ。小説家。3歳から日本に在住。法政大学大学院・国際文化専攻修士課程修了。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞し、作家デビュー。両親はともに台湾人で、日本語、台湾語、中国語の飛び交う家庭に育つ。創作は日本語で行う。著作に、『たった一つの、私のものではない名前 my dear country』(Happa-no-Kofu, 2009年)、『来福の家』(集英社、2011年、のち白水社、2016年)、『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年)、『空港時光』(河出書房新社、2018年)、『台湾生まれ 日本語育ち 増補版』(白水社、2018年)など。

2018年10月1日より
連載スタートです!!
毎月1日に更新されます。
楽しみにお待ちください。

illustration:100%ORANGE/及川賢治