保育のまなざし

子どもをまるごととらえる現象学の視点

子どもは同年齢であっても、同じ子どもでさえも、そのつどのあり方は異なっている。保育の現場で役立つ、子どもが生きている状況に即して捉える現象学の見方を、先生方が自分の経験に照らして理解できるよう、具体的なエピソードでわかりやすく解説。



保育のまなざし はじめに(一部)


課題と方法   中田基昭


本書は、幼稚園における子どもたちのあり方を、日常的に繰り返されている彼らの現実的で具体的な保育場面で生じていることに基づいて、明らかにすることをめざしている。以下の各章では、ある幼稚園で生じている出来事を事例として取り挙げ、それぞれの事例で生じていることを、哲学の一領域である現象学の観点から探っている。すなわち本書は、現象学における人間の捉え方を理論的背景とした、事例研究である。本書の各章の著者は、それぞれ一年半にわたり、定期的にある幼稚園のある保育者のクラスでビデオ撮影をしながら、参与観察を行なった。

本書が事例研究という方法論を採用したのは、平均的で一般的な成果をめざす従来の研究では十分に捉えることのできない、一人ひとりの子どものあり方を明らかにすることがこの方法においては可能となるからである。たしかに、一般的な発達心理学に依拠すれば、平均的な子どもの発達水準を知ることはできるであろう。しかし実際には、同じ年齢であっても、また同じ子どもであってさえも、子どものそのつどのあり方はかなり異なっている。それゆえ教育実践の現場では、子どものそのつどの状態を、その子どもが生きている状況に即して捉える必要があり、個々の子どもの個別的なあり方が重視されている。発達心理学によって示された平均的な子どもの姿は、個々の子どもを捉える際の大まかな目安にはなるかもしれないが、こうした目安からは、当の子どものその時々の現実的で具体的なあり方は捉えられないのである。こうしたことから、本書では、子ども一人ひとりの中でその時々に生じていることを、事例研究として解明していく。

このような現実的で具体的な、個々の教育実践にとって意義をそなえている事例研究をするにあたり、本書においては、現象学を理論的背景としている。というのは、現象学で思索されるのは、「意識の諸現象や諸様態や諸形態」(Binswanger, 1947, S.21/ 22頁以下)だからである。つまり、現象学は、人間の意識の中で生じていることを解明する学問だからである。

現象学に基づいて現実的で具体的な一人ひとりの様態や形態に即して人間のあり方を解明することができるのは、本書でもしばしば引用されるフランスの現象学者であるメルロ-ポンティによれば、そもそも現象学は次のような学問だからである。すなわち、現象学に基づいて人間を研究する際には、人間という研究「対象を〔それが〕生まれたままの状態で、その対象がかつて包まれていた意味の雰囲気と共に、その対象を生きる者にそれが現われるままの姿で捉える」ために、「その雰囲気の中に自らすべり込み、散乱した諸事実……の背後に……主体の全存在を……見いだそうとする」(Merleau-Ponty, 1945, pp.140-141/ 205頁)ことが課題となるからである。このことを幼児教育研究の場合におきかえれば、そのあり方が研究対象となっている当の子どもにとって、その時々の他者関係や状況や出来事等がどのように現われているのかということを、それらの現われのままに捉えることが課題となる、ということになる。それゆえ、現象学に基づいて子どもを捉えるならば、その子どもを取り巻いている雰囲気の中に自らも入り込むことで、その子どもにとってその時々に生じているすべての現われを、その子どもの全存在もろともに捉えることができることになる。つまり研究する者自身も、当の子どもを取り巻いている雰囲気の中に入り込みながら、さまざまな諸事実の背後にあるがゆえに、現象学に依拠するまでは隠されていた、当の子どもの中で生じていることを明らかにすることができるのである。

しかし一方で、個別的な子どものあり方を捉えるために、いわゆる一般的な子どものあり方を完全に無視することは許されない、ということも否定されえないであろう。というのは、ある特定の子どもとその子どもにおいて生じていること、およびそこから導かれる何らかの解釈が、他の保育実践と全く共通点を見出せないならば、そうした保育研究は学問として成立しえないからである。こうした懸念から、個別的な研究の典型である事例研究においても、やはり何らかの一般性が求められざるをえないのである。

このことを現象学的精神病理学者である木村は、「具体の底に一般を見、……個別が一般を含む……立場に立たぬ限り、……人間的現象を的確に把握……できぬ」(木村 1975、115頁)と表現している。つまり木村は、個別が何らかの意味で一般的なことを含んでいなければ、人間に関わる現象を本当に理解することができない、とみなしている。

では、木村によれば、個別が一般的なものを含むということがどのようにして可能となるのだろうか。この可能性を実現するために、木村は独特の見解を示している。つまり、「個の中に深く沈潜することによって個別化の極限において個を超える」(同所)、と。ある特定の人間の中に深く沈潜することによって、その人間に個別的な事柄を超えることができる場合には、個別化の極限に何らかの本質が見出されうるようになる、個別の極限にまで入り込むことで、むしろ人間の本質に関わる普遍的なものが見えてくる、ということを木村は示しているのである。本書も、個別的な事例に基づきつつも、個別的な事例の根底にある本質的なものを、現実の個々の保育を支えている普遍性として明らかにしたい。そして、こうした普遍性にいかにして迫るかについては、各章でそれらの章の課題と方法に即して明らかにしていきたい。
・・・・・・

 
はじめに─課題と方法 (中田基昭)

謝 辞

第1章 真似の多様性 (篠瀬はるか・中田基昭)

はじめに
第1節 真似と模倣
第2節 おぎない合う呼応と真似
第3節 真似と自己触発
第4節 真似における豊かなあり方
第5節 相互承認を導く真似のあり方
おわりに

第2章 子どもの活き活きとしたあり方の本質 (鈴木志織・中田基昭)

はじめに
第1節 現実の人間のあり方における本質の凝縮
第2節 生き物に触れることの意義
第3節 探索行動と遊び
第4節 雰囲気と子どもの活動
第5節 一つの身体への組織化
第6節 相互浸蝕とおぎない合う呼応
第7節 可能性の実現に基づく充実感
おわりに

第3章 まどろんでいる意識 (加藤優花・中田基昭)

はじめに
第1節 現象学に基づく事例研究の意義
第2節 お決まりの活動
第3節 身体運動に伴う自己触発
第4節 触感覚と運動感覚による自己触発
第5節 ファントムと時間客観
第6節 保育者の声の志向性と一対一の対話
おわりに

引用文献
索 引

装幀=新曜社デザイン室

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