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A5判並製248頁

定価:本体2800円+税

発売日 2019年1月28日

ISBN 978-4-7885-1607-6





高田 明 著

相互行為の人類学
──「心」と「文化」が出会う場所



 日常的な相互行為における「意味のやりとり」を丹念に分析することで、心理学、人類学いずれとも異なる視点から「心」と「文化」をとらえなおし、二つの分野を架橋する「相互行為の人類学」。具体的な研究例をとおして、その手法と魅力を伝える入門書。


相互行為の人類学 目次

相互行為の人類学 はしがき

ためし読み




相互行為の人類学 目次

 はしがき

第1章 相互行為の人類学への招待
 第 1節 はじめに
 第 2節 人類学と心理学の関わり
 第 3節 内容の概要
 第 4節 本書の成り立ちについて

第2章 理論と方法
 第 1節 人類学における 4つのアプローチ
 第 2節 文化人類学・言語人類学の特徴
    1 社会・文化の研究を行う
    2 フィールドワークを通じた参与観察を主たる研究手法とする
    3 実践者の視点から社会・文化を理解することを目指す
 第 3節 相互行為の人類学の射程と手法
    1 特徴づけを正当化する 2つの解決策
    2 相互行為の人類学で用いられる記号
    3 基本的な分析概念
 第 4節 まとめ
 ■第 2章についてのQ&A

第3章 社会的認知
 第 1節 民俗分類
    1 分類は文化である
    2 東アフリカの牧畜民ボディの色・模様分類
 第 2節 在来知への相互行為論的アプローチ
    1 在来知をめぐる諸問題
    2 グイ/ガナの生活様式
    3 グイ/ガナの道探索実践
    4 ブッシュで道を見つける
 第 3節 まとめ
 ■第 3章についてのQ&A

第4章 他者理解
 第 1節 人類学者の懊悩:他者の理解は可能か?
 第 2節 懐疑主義を超えて
    1 カラハリ論争と先住民運動
    2 大型類人猿と基本的人権
    3 根本的経験論と相互行為論的アプローチ
 第 3節 グイ/ガナの道案内における相互理解の達成
    1 ランドマークとしての樹木
    2 スタンス,同意,相互理解
 第 4節 人 ―チンパンジー間相互行為における相互理解の構成
    1 チンパンジーの認知的能力,コミュニケーションの特徴
    2 飼育下における人 ―チンパンジー間相互行為
    3 チンパンジーの社会再考
 第 5節 まとめ
 ■第 4章についてのQ&A

第5章 発達と社会化
 第 1節 養育者 ―乳児間相互行為における社会システムの形成
    1 リズムと調節の共有(誕生~)
    2 注意の共有( 2カ月ごろ~)
    3 記憶の共有( 8カ月ごろ~)
    4 シンボルの共有(14カ月ごろ~)
 第 2節 社会化に対する相互行為の人類学的アプローチ
    1 行動の相互調整における文化的基盤
    2 養育の複合的文脈
    3 養育活動におけるリズムの共同的な創造
    4 共同的音楽性と発話共同体
    5 養育者 ―子ども間相互行為における「文化」再考
 第 3節 誕生前の言語的社会化
    1 妊娠をめぐる家族コミュニケーション
    2 家族コミュニケーションの資源としての妊婦の身体感覚
    3 妊娠期における家族関係の再編
 第 4節 まとめ
 ■第 5章についてのQ&A

第6章 言語とコミュニケーション
 第 1節 文化相対主義の隆盛

 第 2節 相互行為の人類学における言語とコミュニケーション
 第 3節 米国における依存性ジレンマ(Ochs & Izquierdo 2009)
 第 4節 「思いやり」の実践
    1 養育者による行為指示:直接 ―間接性の次元
    2 養育者の行為指示に対する子どもの応答
    3 日本の養育者 ―子ども間相互行為における文化的な特徴の再検討
 第 5節 まとめ
 ■第 6章についてのQ&A

第7章 感情
 第 1節 小説における感情
 第 2節 感情研究における 4つのアプローチ
 第 3節 間主観性(intersubjectivity)の基盤としての感情
    1 初期音声コミュニケーションの研究
    2 初期音声コミュニケーションにおける音楽性
    3 サオ・カム(“あやす方法”)
    4 IDSの詩化
    5 初期音声コミュニケーションと感情
 第 4節 会話に用いられる感情語彙
    1 東アジアにおける「恥」の文化
    2 日本語のCCIにおける「恥ずかしい」
    3 「恥」の文化論再考
 第 5節 まとめ
 ■第 7章についてのQ&A

第8章 結論にかえて
 第 1節 各章のまとめ
 第 2節 心的カテゴリーの脱構築
 第 3節 文化的実践,慣習,社会制度
 第 4節 フィールドワークの魅惑
 第 5節 おわりに

 引用文献
 人名索引
 事項索引

装幀:新曜社デザイン室
装画:高田 明


相互行為の人類学 はしがき

 南部アフリカの真ん中に大きく広がるカラハリ砂漠。日中はちりちりと熱いカラハリの砂は,夜になると冷気を吸い込んで心地よい。この砂の上で人生の大半を過ごすサンのもとで,私は1990年代後半から人類学的な調査をおこなってきた。

 サンは,南部アフリカの狩猟採集民として知られる。もっとも現在では,狩猟採集民というカテゴリーが彼ら・彼女らについて語るうえで適切かどうかが問われるようになっている。実際,サンはいくつもの地域・言語集団からなり,その多くは現状ではほとんど狩猟採集活動をおこなっていない。私が調査をおこなってきたグイ,ガナ,クン,アコエといった地域・言語集団の社会も,その内容や程度の違いはあれ,急速な変化や再編の渦中にあることは論を俟たない。さらに最近の人類学では,狩猟採集,牧畜,農耕といった生産モードの違いに依拠して人間性を語る議論にはすべて本質主義というレッテルを貼り,これを拒絶する動きが優勢である。

 だが,日本や欧米の街中に生きる私たちと比べたならば,サンの人々がいまも太陽の運行や月の満ち欠け,それとともに移ろう野生の動植物とはるかに密接に関わりながら過ごしていることは疑いない。サンの人々と暮らすなかで,私はこの関係の内実に思いをめぐらすようになってきた。

 私が現在勤めているのは,京都大学のアジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)という大学院である。この大学院の前身(当時は人間・環境学研究科の一部だった)を修了し, 2年間の研究員生活を経て,古巣に奉職するようになった。

 人類学に「転向」する前,私は心理学を専攻し,関西で発達相談員の見習いとして,乳幼児の発達の診断や療育に携わっていた。そのせいかサンのもとに赴きはじめると,まずサンと日本の乳幼児の違いに目が向いた。いま見直すとたいへん未熟な私の博士予備論文(修士論文に相当)には,次のような記述がある。(1)サンの乳児は首が座る,膝を崩さずに体重を支える,といった姿勢・運動発達を示す指標を達成する月齢が早い。(2)また,乳幼児は早くから子ども同士でさかんに身振りなどを用いた非言語性のコミュニケーションをおこなう。ひんぱんにおこなわれる踊りや密接な接触はこうしたコミュニケーションの場を提供している。(3)いっぽうで,幼い子どもたちは言語を理解するのに十分な年齢に達しても,日常生活ではそれほど多く言葉を発していないようにみえる。

 (3)については,私の現地語についての理解の不足,それにともなうラポールのとり方のまずさの影響が疑われた。そこで乳幼児の言語に関わる調査は,より緊密な関係ができるまでやらないことにした。

 それから約20年経ち,幸いにも,私はいまもほぼ毎年のように南部アフリカにフィールドワークに赴くことができている。おかげでサンの人々との関係はずいぶんと密になった。ところが,上述したような,領域に分けて発達を理解しようとするモチベーションは雲散してしまった。少し言葉を補おう。こうした議論では,子どもの側に属する「能力」の存在を前提としている。だが,現在の私はそうした個人主義的な能力観にさまざまな疑問をもっていて,そこから先に足を踏み出せないでいる。

 代わって私は,サンの子どもとその周囲の人々が日常的におこなう行為の機微を丹念に分析していくことに魅了されるようになった。一つひとつの行為がどのような環境的・身体的・社会的な資源を利用しておこなわれ,どんな文脈を形づくるのかを,できるだけその相互行為に参加している人々の視点によりそいながら解きほぐしていくのである。本書で相互行為の人類学と呼んでいるアプローチだ。心理学の世界で繰り広げられている日進月歩の議論に貢献するためには迂遠な道だろう。そのいっぽうで,サンの子どもたちの日常生活においてリアリティを構成する「意味」の振る舞いをとらえ,さらには冒頭で述べたような,子どもたちの生活とそれをとりまくユニークな環境の関係を理解するためには,かなり有効な手法ではないか,とも思う。

 本書は,このアプローチの特徴とおもしろさを,初学者にもわかりやすく伝えることをねらって執筆したものである。執筆にあたっては,コピーライトなどの都合もあって,執筆者自身のフィールドワークにもとづくデータを多用することになった。したがって,相互行為の人類学が報告してきた研究の成果を網羅的に示したものではない。しかしながら,地に足の着いた事例の丹念な分析は,凡百の抽象的な比較や考察を凌駕するというのが人類学のもっとも基本的な教えの一つである。また筆者自身のデータを用いることで,本書はいきおい,私の研究者としての曲がりくねった自己形成の変遷を反映するものになったと思う。本書のどの部分でもいい。同じような疾風怒濤の渦中にある方々が,まだはっきりしたかたちをとっていない「何か」を見つめ直すきっかけとなれば,これに勝る幸せはない。

 ASAFASでは,5 年一貫の博士課程のうち 1~ 2年間はアジアやアフリカのさまざまな地域でのフィールドワークについやす。したがって広義の「異文化」の研究は必須だ。研究科全体では150人ほどの大学院生が,それぞれのフィールド経験を理解し,人に伝えようと日々苦悶している。国や研究科の枠組みを超えた交流も盛んである。たとえば,留学や訪問研究というかたちでASAFASと海外の研究機関を行き来する人の数はじつに多いし,文学研究科の板倉昭二さんや教育学研究科の明和政子さんと共同運営している赤ちゃん研究員制度〈https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~sitakura/infant_scientist.html〉は大きな成果をあげてきている。

 もっとも上述の大学院生のなかで,心と文化の関係にまつわる問題に取り組もうという者は,いまのところかなりの少数派である。研究分野が確立する歴史において,科学的な手続きを採用して「心」の内実を再定式化しようとする心理学と,いままさに生きている人々に注目して「文化」の全体を理解しようとする人類学や地域研究との間では,異なる問題系が発展し,住人の棲み分けがなされてきたことが影響しているのだろう。しかしながら,これらの研究分野の境界は,その成り立ちの初期にはいまほど確固たるものではなかった。自らの五感を総動員してこの高くそびえ立つ境界に向き合い,その両側をもっと自由に行き来できる道をつくりたい。まだ妄想の域を出られていない試みではあるが,一緒に取り組んでくれる人が増えてくれれば,と思う。