戻る


四六判並製280頁+口絵2頁

定価:本体2600円+税

発売日 2019年3月1日

ISBN 978-4-7885-1602-1





秋山道彦 著

生命の発達学
──自己理解と人生選択のために



 発達学とは、発達心理学や老年学をこえ、生涯の変化を進化学の原則にのっとって理解しようとする新しい学である。人の成長と発達に関する多くの研究成果から自己理解や進路選択に役立つトピックを厳選、若い人々に向けてやさしくかつ体系的に語る。


生命の発達学 目次

生命の発達学 はじめに

ためし読み




生命の発達学 目次

はじめに

第1章 成長と発達についての知識はどのように変化してきたか
  1 科学的知識とはなんだろうか
  2 発達とはなんだろうか
  3 発達の仮説は神話のなかにもあるのだろうか
  4 ギリシャの自然哲学者は発達をどうみていたか
  5 自然科学者からの影響とはなにか
  6 啓蒙時代の思想家たち
  7 ラマルクの進化学とはなにか
  8 ダーウィンの自然選択説とはなにか
  9 メンデルの遺伝学仮説はダーウィンに伝わったか
   コラム 憶測の域をでない考察

第2章 現在の発達学の主要な仮説
  1 パブロフの貢献はなにか
  2 フロイト、ユング、エリクソンの独創性はどこにあるか
   コラム 「性的存在」仮説の受け入れ
  3 ピアジェの仮説は進化学的か
  4 ヴィゴツキー理論
  5 チョムスキーの登場
  6 ローレンツ、ティンバーゲン、E・O・ウィルソン
  7 ウォディントンのエピジェネティックス
  8 性役割の発達は社会学習によるのか
  9 生涯発達心理学はいつ登場したか
  10 ヒトゲノム計画の実現でなにがわかったか
  11 エピジェネティックスの再登場はなにを意味するか
  12 歴史的存在としての「私」の形成とはなにか
  13 まとめ
   コラム ダーウィン進化学をこえるのは可能か

第3章 受精卵の成長と発達
  1 受精卵の発達を説明する仮説
  2 胎児プログラミングとはなにか
  3 精子にはどんな特徴があるか
  4 受精卵とはなんだろうか
  5 性器の形成はいつおこるか─8週目から16週目
  6 刺激への応答─17週目から誕生まで
  7 胎内環境の影響
  8 胎児プログラミング仮説のマウスによる検証
  9 まとめ

第4章 赤ちゃんの成長と発達
  1 運動能力はいかに発達するか
  2 自分は自分だという意識はいつできるか
  3 赤ちゃんはなにを見たいか
  4 赤ちゃんは物の統一性を理解できるのだろうか
  5 赤ちゃんは足し算引き算ができるのだろうか
  6 聴覚はどのくらい発達しているのだろうか
  7 赤ちゃんの愛着行動はいかに発達するか
  8 言語の獲得はいかにしておこるか
  9 まとめ

第5章 知能の発達学
  1 最初の2年間になにが構成されるか─感覚運動期
  2 知能の起源はなにか─目的と手段関係の構成
  3 象徴機能の成立
  4 物の永続性とはなにか
  5 模倣はいつできるようになるか
  6 2歳から5歳までになにができるようになるか─象徴期・前操作期
  7 6歳から11歳までになにができるようになるか─具体的操作期
  8 12歳以後、なにができるようになるか─形式的操作の段階
   コラム ピアジェ理論の精髄
  9 まとめ

第6章 愛情の発達学
  1 受精前後になにがおこるのか
  2 受精卵の成長
  3 個人の愛情の発達
   コラム 白雪姫
  4 個人をこえた愛情とその破たん
  5 まとめ

第7章 配偶者選択と職業生活の発達学
  1 配偶者選択
  2 職業生活の発達学
  3 まとめ

第8章 老化と死の発達学
  1 老化の実証的研究
  2 死にゆく過程の発達学
  3 悲嘆の作業
  4 まとめ

第9章 これまでの学びをまとめる

あとがき

参考文献
索引


生命の発達学 はじめに

  本書では、大学へ行く前の若い読者にむけて、人間の成長と発達のすがたをできるかぎりやさしく解説する。私は長年アメリカの大学で発達心理学を教え、専門的な発達の本(『発達科学入門』東京大学出版会)に執筆している退官教授だが、学術用語を使わずに、発達学の成果のエッセンスを伝え、願わくば何人かであっても読者を発達学へといざなうことができればと考えている。発達学とは、一般には生きものの変化をあつかう学問であって、人間についていえば、従来の子どもの心理学、発達心理学、老年学をふくむだけでなく、それをこえて、生涯の変化を、種の変化を説明する進化学の原則にのっとって理解しようとする新しい学である。さらに本書は、人間の変化を生命としての側面と文化歴史的な側面の両方から理解することを目的としている。その精神の表現としては「生命の発達学」が適切である。

 これから述べていくのは人間の発達学であるから、われわれにとってもっとも不可思議な時期が強調される。「物心がついたころ」という表現はふつう小学校入学の前後をさし、それ以前のできごとは、覚えていたとしても記憶はおぼろげである。受精卵のころから「物心がついたころ」までの発達のありようは、誰にとっても興味をそそる。そしてこの期間の発達は、最近になってようやくそのすがたが明らかになってきた。そうした知識を若い読者に伝え、自己理解と自分さがしの手助けをし、さらには将来の進路選択にも役立つように、ひとりひとりの子どもが成長し発達するすがたを語る。

 60年ほど前のこと、私が小学校4年生になったとき、担任の岩本富貴栄先生に出会った。その後の3年間の授業では、その脱線した部分が私の記憶にはっきりと残っている。現在のトヨタグループの創始者、豊田佐吉の伝記の授業があった。佐吉は母親が織り仕事をするそばにいて、それを年がら年中じっと観察する「変な男の子」であったが、のちに自動織機の発明につながった。幼児の行動は世間からみると変わっていたが、少々変わっていても気にすることはない、と先生が話されたことを記憶している。世界地図の授業では、ウェゲナーの大陸漂移説がでてきて、この説は嘲笑の的であるけれども、新しい考え方はいつも嘲笑の的となる、との先生のコメントがあった。そのコメントからおよそ10年で、地殻プレートの移動が確認され、いまや大陸漂移の事実はすべてのひとが受け入れるところとなった。理科の実験授業では、水の電気分解で水素と酸素をつくりそれに火をかざし、水素は爆発的なエネルギーを発生すること、これを利用すればエネルギー問題の解決になることを学んだ。日本史の遣唐使の授業では、そのころの留学生は死を覚悟して中国に渡った、渡ったひとの半分が病気や遭難で死んでしまうのだ、知識の獲得のためには死をいとわない、との先生の声が聞こえてくる。最後に哲学とはなにかの授業があって、目の前に花瓶が見えたとする、本当にそこに花瓶があるのだろうか、錯覚かもしれないし、夢かもしれない、認識の根幹を問うのが、哲学であると教えられた。

 こういった授業は、今の小学6年生にもすぐに理解されるだろう。大陸漂移は東日本大震災でまさに実感するところとなった。ましてや子どもの成長と発達は、すべて自分の体と心の変化にかんするものなので、どんな発達学の知識でも実感できるはずである。小学6年生よりもずっと幼い5歳の子どもであっても、興味のあることならおとな顔負けの知識をもっている。たとえば怪獣の知識が親よりも深い幼稚園児は多い。怪獣の知識ではなく、人間の発達の知識ではどうだろうか。5歳くらいの子どもの語る物語には発達の深遠な知識にふれるものがある。12歳の子どもは、体と心にかんする科学的知識に接するとき、それが自分にあてはまるかどうかを考えるであろう。知識が自分の理解に役立つならば、そしてそれが自分の将来を切り開くのに役立つならば、その知識を自分のものにするであろう。本書では数限りなくある研究の成果のうち、若いひとたちが興味を示し、その成果を知ることにより、自分さがしや将来設計に役立つであろう発達学の成果を選択し、それらを小学校高学年なら理解できる、その程度のやさしさで、紹介したい。

 本書の主な読者を若いひとたちと想定しているので、成人までの子どもたちの成長と発達を主にあつかうが、老化と死の発達学についても簡潔に描く。成長と発達は死を前提としている。自分自身の命には限りがあるけれども、自分の祖先をたどってみると、地球上に命が生まれたときにたどり着く。それは38億年前のこととされている。どうして自分が生きているかといえば、無限に近い数の祖先が命をつなげてきた結果である。その営みを今度は自分がする。自分は成長発達して先祖の死を乗り越えていく。学校の勉強も友だちづくりも、成長発達の糧となる。自分の体のなかには、この成長と発達がどんどん進行する力と同時に、死へむかう力もある。若いときには成長が優勢で、年をとると死へむかう力が優勢になって故障がでてくる。高校生とその祖父母を見れば、誰でも生と死のむかいあわせを納得する。また日常会話で、たとえば「死んでしまったひとのために自分は今この仕事をしている」という話はめずらしくない。死病の宣告を受けた若いひとが「死ぬまでにこれだけの本は読んでおきたい」と思うのもよく聞く話である。このように、成長と発達は他人の死や自分の死と深いかかわりをもっている。

 最後の章では、この本でなにを学んだのか、学んだことは互いにどんなふうに関係づけられるのか、学んだことはどれだけ日常生活で役に立つのかなどを論じる。発達心理学の領域をこえて、発達学と進化学まで議論をひろげ、発達学の重要なテーマについて論じる。具体的には、自分で自分を理解するのは可能かどうか、なにをもって自分を理解したといえるのか、自分にはどんな変化がおこっているのか、赤ちゃんはどれだけ自分のことを理解できるのか、職業選択のさいに自分の理解が必要かどうか、どうやって職業選択をするのか、好きなひとができるとはどういうことなのか、どんなふうにして好きなひとを決めるのか、愛着の発達は人類愛の発達に結びつくのか、を論じる。そうした議論は、若い読者の将来の進路選択時に役立つはずである。将来学者や研究者になろうとするひとばかりでなく、胎児の成長をみまもる産科医、子どもの発達をみまもる小児科医、助産師、保育士、小中高の教師、看護師、母親父親になろうとするひとたちに役立つことを期待している。

 最初に書いたように、本書の著者はアメリカの大学の退官教授である。発達心理学という分野で長年大学生、大学院生を教えてきた。20代の後半にイリノイ大学に大学院生として留学した秋学期の最初の授業で、指導教官のマックヴィッカー・ハント教授は、進化理論の要約をブリタニカ百科事典で読んできなさい、と言われた。その後は胎生学の歴史にはいり、ピアジェの『知能の誕生』へと授業が進んでいった。これは日本でそれまで受けた授業からみると革命的であった。それ以来、文化の違いからくる数々の適応障害を乗り越えて卒業し、以後オクラホマ大学とミシガン大学で発達心理学を教え、65歳で退官した。授業歴は30年以上になる。学生は18歳から70歳までの年齢幅があり、女子生徒が男子生徒の2倍くらいの比率で、この30年間ほとんど変化がなかった。乳児心理学だけは女子生徒が5倍くらいであった。これから紹介する研究の成果の8割方は、授業で学生に話したものである。残りは退官後にミシガン大学で進化医学、女性学、生物心理学、発達生物学、歴史学などの授業に出て学んだ成果である。日本語での最近の著作のテーマは、巻末にあるように、理論発達心理学、進化学、知恵の発達、性差の発達などである。全体としての本の内容は、アメリカの大学で教えたものからみると標準でありながら、その枠組みは進化学である。ひとことで言うならば、自分の人生の道を常に選択しながら、自分をつくっていく過程の記述である。

 本書では、発達についての仮説を歴史的に展望したあとは、受精卵からはじまり赤ちゃんの話へと移り、われわれの記憶にないころの発達の話をする。次に、主として若いころの知性と愛情の発達を話し、そのあとはおとなの発達と老化の話となる。おとなの発達では、職業生活と好きなひとを選ぶときの話となる。老化の話では、老化の原理と好きなひとを失ったあとにおこる悲しみと嘆きの話をして、最後に死にゆくときの話でしめくくる。

 日本の読者には異質に感じられる箇所があるとすれば、それは私のアメリカでの生活経験の長さによる。ひとは文化歴史的存在であり、当然その国の文化歴史的状況に適応しなければならない。40余年の適応の結果、私の知識のありようは読者のそれとは多少異なるところがあるだろう。異文化に住むひとたちが異質な情報に接することによって、さらなる発達がうながされる、というのも、この本のメッセージである。もし読者から異質な問いが発せられるのであれば、その受け手はそれに刺激されて、さらなる発達をするであろう。そうした相互刺激の活動をとおして、私はお互いの心の発達に寄与したい。