戻る

日本発達心理学会 編/藤野 博・東條吉邦 責任編集

自閉スペクトラムの発達科学
――発達科学ハンドブック10


A5判上製304頁

定価:本体3200円+税

発売日 18.03.28

978-4-7885-1576-5




◆「発達の多様性」として自閉症を捉え直す

 いま自閉症の概念は大きく変わりつつあり、医学的な症状としてだけでなく神経発達の多様性の問題として考える視点が注目されています。しかし「自閉症」から発達の多様性と連続性を表す「自閉スペクトラム症」に名称が変わったものの、国際的な研究動向をみても、その観点からの検討は緒についたばかりといえます。これまで治療や行動修正の対象になる病理現象として捉えられてきた自閉症を、発達の多様性の具体的な現れという視点で捉え直し、心理学、医学、支援者、当事者など多様な立場から、基礎研究と臨床研究、また萌芽的な研究や試みも含め最先端の知見を展望し、新たな方向性を探求する一冊です。


自閉スペクトラムの発達科学 目次

自閉スペクトラムの発達科学 序章

ためし読み

◆発達科学ハンドブックシリーズ


自閉スペクトラムの発達科学─目次

『発達科学ハンドブック』発刊にあたって

序 章 自閉スペクトラムの発達科学 ―――― 藤野 博

 第1節 自閉症概念の変遷と発達科学
 第2節 自閉スペクトラムの人たちの発達の問題
 第3節 本巻の趣旨と構成 

第Ⅰ部 自閉スペクトラムに関する基礎的研究

第1章 初期発達―――――― 神尾陽子
 第1節 自閉スペクトラムの初期の発達特徴
 第2節 ASDの早期発見および早期診断
 第3節 DSM‐5における新しいASDの定義

第2章 生涯発達――――――――― 本田秀夫
 第1節 幼児期から成人期までのフォローアップ例にみる発達経過
 第2節 ASの生涯発達を検討する際の視点の整理
 第3節 AS特有の発達の道筋および環境要因による精神的変調

第3章 社会脳と自閉スペクトラム ―――― 千住 淳
 第1節 社会脳研究とは何か 
 第2節 社会脳の能力と運用 
 第3節 社会脳の初期発達と自閉スペクトラム 
 第4節 社会脳の多様性と自閉スペクトラム 

第4章 情動――ユニークなスタイル:
     自動的処理と意識的処理  ――――――――― 別府 哲

 第1節 情動理解 
 第2節 情動の障害の理解と支援 

第5章 活動・興味の限局性と常同的行動 ― 金生由紀子
 第1節 ASDにおけるRRB 
 第2節 強迫症における強迫症状 
 第3節 ASDとOCD 
 第4節 RRBの脳科学 

第6章 遺伝・環境・エピジェネティクスと
     自閉スペクトラム症 ―――― 堀越隆伸・土屋賢治

 第1節 ASDと遺伝因子 
 第2節 ASDと環境因子 
 第3節 ASDとエピジェネティクス 
 第4節 おわりに 7

第7章 発達環境と自閉スペクトラム症 ―――― 東條吉邦
 第1節 環境要因は自閉スペクトラム症の発症に関係するのか 
 第2節 生得的脳障害説の問題点 
 第3節 乳幼児の発達研究からみた生育環境の影響 
 第4節 自閉スペクトラム症の急増の実際 
 第5節 文化的環境の変化と自閉スペクトラム症 
 第6節 発症の予防と症状の改善を目指して 


第Ⅱ部 社会的コミュニケーションの発達

第8章 表情認知と視線認知  ――― 菊池由葵子
 第1節 顔認知の発達 
 第2節 表情認知の発達 
 第3節 視線認知の発達 
 第4節 表情×視線研究 

第9章 「心の理論」仮説の有効性と課題  ――― 内藤美加
 第1節 「心の理論」仮説とその有効性 
 第2節 ポスト心の理論仮説――共同注意とそれに関連する障害 
 第3節 脳科学からの理論的,実証的な証拠 

第10章 心の理論の非定型発達  ――――― 藤野 博
 第1節 自閉スペクトラム症(ASD)と心の理論 
 第2節 ASD児における心の理論の非定型的な発達 
 第3節 心の理論の発達の多様性――聴覚障害との比較
 第4節 ASDにおける心の理論の発達支援 

第11章 自閉スペクトラムと語彙学習  ――― 明地洋典
 第1節 語彙学習における社会的・非社会的手がかり 
 第2節 自閉スペクトラムと語彙学習時の手がかり 

第12章 語用と会話の問題  ―――― 大井 学
 第1節 ASDの「字義通り理解」 
 第2節 会話分析による語用障害の析出と補償 

第13章 自閉スペクトラムの社会性・コミュニケーション発達の独自性:
      他の発達障害との比較  ――――― 浅田晃佑

 第1節 自閉スペクトラムにおける社会性・コミュニケーションの特徴 
 第2節 他の発達障害における自閉スペクトラム症状 
 第3節 他の発達障害における社会性・コミュニケーションの多様性 

第14章 プロソディからの感情認知  ― 三浦優生
 第1節 プロソディの機能 
 第2節 音声や育児語への選好 
 第3節 優れた音の知覚 
 第4節 社会語用論的機能を果たすプロソディ 
 第5節 プロソディの評価と支援に向けて 

第15章 自閉スペクトラム児者同士の共感  ―― 米田英嗣
 第1節 自閉スペクトラム症をもつ児童および成人の共感 
 第2節 自閉スペクトラム症をもつ児童および成人の共感と向社会行動 
 第3節 自閉スペクトラム者同士の理解はどこまで可能か? 
 第4節 自閉スペクトラム児者同士の共感における仮説モデル 

第Ⅲ部 アセスメントと支援

第16章 ASDの診断的アセスメント  ――― 黒田美保
 第1節 ASDのスクリーニングのためのアセスメント・ツール 
 第2節 診断・評価のアセスメント 

第17章 自閉スペクトラム症の支援につなげるアセスメント―――――――― 萩原 拓
 第1節 適応行動のアセスメント 
 第2節 感覚処理特性のアセスメント 
 第3節 アセスメントから支援への留意点 

第18章 子育て支援  ―― 尾崎康子
 第1節 ASDの子育てを取り巻く状況 
 第2節 ASDの子育て支援 

第19章 療育と地域支援  ――――― 日戸由刈
 第1節 ASDの療育の歴史 
 第2節 高機能の人たちへの療育の可能性 
 第3節 ライフステージを通じた療育の効果検証 

第20章 余暇活動支援  ――――― 加藤浩平
 第1節 はじめに 
 第2節 余暇・余暇活動とは 
 第3節 ASD児者の余暇・趣味の活動への支援に関する研究 
 第4節 テーブルトーク・ロールプレイングゲーム(TRPG)を用いた
      余暇活動支援について 
 第5節 おわりに――生涯発達から考える余暇活動支援 

第21章 不安・うつへの支援  ――――― 石川信一
 第1節 ASDの二次的障害としての不安と抑うつ 
 第2節 認知行動療法の視点から 

第22章 オキシトシンによる治療研究  ―――――― 棟居俊夫
 第1節 治療の効果を判定する 
 第2節 自閉スペクトラム症 
 第3節 オキシトシン 
 第4節 自閉スペクトラム症に対するオキシトシンの有効性の研究 

第23章 自閉スペクトラム症児の成長につきあって:
     母親の立場から,専門家の立場から  ―――― 高橋和子

 第1節 振り返って,成人になったときに何を学んでおくのが大切か 
 第2節 幼少期から育てておくのが効果的な能力とは何か 

第24章 当事者の視点から  ――――― 落合みどり
 第1節 筆者の経験から 
 第2節 適切な支援の必要性と支援者への要望 

人名索引 
事項索引 
編者・執筆者紹介 

装丁 桂川 潤




序章 自閉スペクトラムの発達科学

藤野 博

第1節 自閉症概念の変遷と発達科学

 自閉症は1943年にカナー(Kanner, L.)によって最初の症例が報告され,精神医学的な疾患として位置づけられた。いわゆるカナー型の自閉症は知的障害をともなうことが多く,医学的な診断を受けたうえで特別支援教育や療育の対象となる。その発達に関する研究は障害児者の心理という枠組みの中で行われ,通常の発達の基準や段階に照らし,どのように外れているか,どの程度遅れているか,がもっぱらの関心事であった。

 自閉症の人たちの中で,特定の分野で特異的な才能を示す人がまれにいる。一度短時間見ただけで細部まで精密な画像として再現できるいわゆる映像記憶や飛び抜けた音楽的能力,また任意の年月日を示すと,たちどころに何曜日か当てられるカレンダー計算などである。それらの優れた能力を示す状態は「サヴァン症候群」と呼ばれ,その名のとおり一種の病理的現象として位置づけられている。日常生活能力が獲得されていくにつれ,その「症状」は消えていく場合もあるが,優れた能力の向上(熟達化)と社会的コミュニケーション能力の向上とが平行して起きる場合もあるという。

 そのような病理的現象としての自閉症概念は近年大きく変わりつつある。それはウィングらによる英国における大規模な実態調査(Wing & Gould, 1979),およびアスペルガー(Asperger, H.)の論文の再評価と知的障害のない自閉症への注目(Wing, 1981)に端を発する。そして連続体を意味する「スペクトラム」の概念がウィングによって提唱された。このような背景のもとに,精神医学の国際的な診断基準であるDSMでは,第4版までは自閉性障害(自閉症),アスペルガー障害(アスペルガー症候群[1]),レット症候群,特定不能の広汎性発達障害(PDD‐NOS)などを含む「広汎性発達障害」という包括的なカテゴリーが設けられていたが,最新版である第5版では,「自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害(autism spectrum disorder:ASD)」に名称が変わり,下位分類もされなくなった。かつて診断し分けられていた自閉性障害とアスペルガー障害には自閉症状の点で違いはなく,分類の根拠はないという認識に今日ではなっている。ちなみに,「高機能自閉症」という用語もあるが,それは正式な診断名ではなく,知的障害をともなわない自閉症であることを示すために便宜的に使われてきた。

 そして,バロン=コーエンらはその考えに基づき,自閉スペクトラム指数(AQ)のチェックリストを開発し,一般の人たちに自閉特性がさまざまな程度で幅広く分布していることを示した(Baron‐Cohen et al., 2001)。こうした動きの中で,自閉症研究の先進国である英国などでは,autism spectrum condition(ASC),すなわち「自閉スペクトラム状態」という用語が使われるようになった(Baron‐Cohen et al., 2009;Wing et al., 2011)。自閉症的な諸状態を “conditions" と最初に表現したのもウィング(Wing, 1981)のようである。つまり,ウィングは「スペクトラム」を「諸状態」を意味する表現として用いたと思われる[2]。

 バロン=コーエンほか(Baron‐Cohen et al., 2009)はASCについて,医学的に診断される障害としてだけでなく,ある領域では認知的な強みをもつ状態であると述べており,障害として診断される状態と一般人口において連続的に分布している自閉特性の間に明確な境目はないとしている。診断は自閉特性が日常生活機能を著しく妨げるかどうかという臨床的な判断によって決定される。つまり,ASDとして診断される人たちはASCのバリエーションのうち,自閉特性をより強く示し,日常生活機能に支障をきたしているケースということになる。また,ハッペ(Happ¥外字(8094), 1999)も自閉特性を障害としてみるか認知スタイルとしてみるか,という問題提起をしている。

 ここでいう自閉スペクトラムの「状態(condition)」とは,医学的に診断される「障害」と同義ではなく「特性(trait)」を意味する。「スペクトラム」とは発達の多様性と連続性を表す概念であり,病理モデルから発達モデルへのパラダイム・シフトが起こったともいえる。ASC/ASDの対になる概念は「健常(normal)」ではなく「定型(neurotypical)」である。このような見方は「神経多様性(neurodiversity)」の概念として今日展開されつつある。この概念はASD当事者により発案された(Singer, 1999)。神経多様性の考え方は病理学的な立場に立たない。そして自閉スペクトラムを「病」でなく個人のアイデンティティを構成する部分であり,必ずしも治療がなされる必要はないと考える(Fenton & Krahn, 2007)。自閉スペクトラム自体が治療の対象になるわけでなく,その特性と環境が要求するものとの不適合から二次障害をきたし,不適応や精神症状を示している人たちに医学的治療が必要になるということである。

 千住は本巻第3章において「ASDは『ヒトの脳機能発達における多様性のうち,社会環境への適応に困難さを引き起こす状態』としてとらえることができる。このとらえ方のうち,『ヒトの脳機能発達における多様性』について主に研究しているのが脳科学をはじめとした基礎科学であり,『社会環境への適応に困難さを引き起こす状態』を主に研究,介入しているのが精神医学や臨床心理学をはじめとした臨床研究である」(p.43)とまとめている。自閉スペクトラムの発達科学に関する端的な説明といえる。