ヒュー・カニンガム 著/北本正章 訳 概説子ども観の社会史
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四六判上製432頁 定価:本体5000円+税 発売日 13.11.3 ISBN 978-4-7885-1361-7 ![]() |
◆アリエスの社会史を超える子どもの実態◆ 子どもは大人社会を映し出す鏡とされるために、子ども自身の歴史は書かれたことがありません。本書はアリエス「子どもの誕生」が巻き起こした論争をふまえてヨーロッパのルネッサンスから現代までの子ども観の変遷(ロック、ルソーからフロイトまで)を、人口、医療、育児、家族、学校、労働等の実態と照らし合わせながら、壮大なスケールで描きます。とくに子どもの虐待・遺棄・酷使に対抗して様々な保護・救済策が立てられ、現在の福祉国家へつながったこと、親の愛や子どもの死への悲しみは今も昔も変わりないことを強調しています。普遍的な子ども理解を導く待望の概説書です。著者はイギリス児童福祉学の大家、訳者は青山学院大学文学部教授(教育史)。
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概説子ども観の社会史 目次 本書の初版〔一九九五年〕以降、西洋世界ですでに高まっていた子ども期についての懸念は、この一〇年でさらに高まりました。貧困状態の子ども、家庭や施設での子どもの虐待、新しい情報メディアの悪影響、さらには(もはや安全ではなくなった)家庭と学校の外で子どもが遭遇する危険な出来事など、懸念は多岐に及びます。こうした懸念に対して、各国政府はいくつか対処しようとしています。たとえばイギリスでは、歴史上初めて「子ども省」(Ministry for Children)を設けました。さらに広範なものとして、一九八九年に国連で開催された「子どもの権利に関する代表者会議」の推進を反映して、子どもは多くを語らないが、彼らが語るべき事柄は大人が語るよりも重要かもしれないという認識も広まっています。
歴史家の研究課題は、多くの点でこうした懸念や革新を反映します。歴史研究の目的は、現代の関心事と発展に歴史的な文脈を与えることにあるからです。貧困統計において、いつも子どもは大きな位置を占めていたのか? 子どもへの性的虐待は目新しい現象なのか、それともこれまでいつもおこなわれていたのか? 大人たちは、初期のメディア革新が子どもに及ぼす悪影響に、どのような公的対策を講じたのか? 子どもの権利という観念は、歴史のなかでどのように発展してきたのか? わたしは、この第二版を準備するなかで、新たに書き加えるべきこうした論点を明らかにしようとしました。その大部分は、子どもとその家族の親密圏と、国家やボランタリー組織の公共圏の境界における子どもとその家族に関係しています。
本書は、遺棄され、里親に育てられ、法律や秩序から振るい落とされた子どもに焦点をおいています。各機関がどのように牽引役を果たしたかということだけでなく、特定の時期と状況におかれた子どもがどのようにして子どもになったのかを捉え直すことも本書のテーマです。このように、子どもであることの経験を重視するのは、子ども期を多くの点でいまだ未完成な人生段階と特徴づけるよりもむしろ自叙伝やその他の証拠資料を使いながらさらに踏み込んで、子どもが自己認識を構築するなかで、子ども期が、いつから、どのように影響力をもつと見なされたかを明らかにするためです。
西洋社会の子どもの経験と、子ども期の観念に関する研究にこうした新しい力点をおくことは、ある重要な問題を浮かび上がらせますが、それについては本書では少ししか触れていません。その問題とは、「西洋社会」の境界線とは何か、すなわち西洋社会の観念と慣行は、それ以外の社会と比較してどのような独自性があるかという問題です。西洋社会の子ども期と非常によく似た観念をそれ以外の社会で見いだすのは、もちろん不可能ではありません。しかし、西洋の独自性は一八世紀に子ども期の鍵となる概念が発展したという事実にあります。それと時を同じくして西洋社会が地球上の諸地域にますます大きな影響を及ぼし始めました。もし世界がある程度まで(もちろん決して全面的にではありませんが)子ども期についての西洋的な観念の継承者だとするなら、それは西洋社会が、子ども期の観念と、ときに生身の子どもたちも輸出し、それを帝国主義時代の取引品目の一部としたからです。
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