上田誠二(かみた せいじ) 著 音楽はいかに現代社会をデザインしたか
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A5判408頁 定価:本体4200円+税 発売日 10.06.30 ISBN 978-4-7885-1200-9 |
◆たかが歌、たかが音楽では全くありません!◆ 近代国家の形成期において教育と音楽の果たしてきた役割については、既にい くつかの研究成果が出ています。が、一九二〇~五〇年代の戦前・戦中・戦後 については、まだあまり研究が進んでいません。本書は、大正デモクラシーか らファシズム、総力戦体制を経て戦後民主主義までの波乱に富んだ時期に、教 育、特に音楽がどのように社会をデザインしてきたかを、学校音楽から白秋・ 耕筰の国民歌謡、中山晋平などの流行歌まで具体的にたどります。また総力戦 下の絶対音感保持者(盲人)の利用、中山晋平「東京音頭」の「建国音頭」か ら戦後の「憲法音頭」への変容など、興味深い事例を取り上げて、音楽(メロ ディ・和声・リズム)がもった社会的意味を多面的に明らかにします。 ![]() | |
◆音楽はいかに現代社会をデザインしたか――目次 まえがき 明治維新政府が富国強兵・地租改正とならび、教育の普及に力を注いでいたことは周知のことであろう。維新政府は一八七一年(明治四)七月一八日、廃藩置県の直後に文部省を設置した。同省は近代学校制度確立の準備を進め、一八七二年八月三日、教育に関する日本初の基本法令である「学制」を頒布した。この前日には、学制に先立って、その前文といえる「学事奨励ニ関スル被仰出書」が公布される。そこには「必ず邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」という、国民皆学の方針が明記されている。小学校には男女すべての子どもを就学させ、それを怠ることは「父兄の越度」であるとの注意が示されたのであった。 以来、教育は国家の管理下に置かれ現在にいたっている。明治政府が教育を近代国民国家形成の要に据えたように、大正・昭和戦前・戦中・戦後、高度成長期・低成長期およびそれ以降の現在に至るまで、ときの政府・政権党は教育にさまざまな国家的な課題を担わせてきた。そして、そうした教育課題の大きさゆえに、文部省(現文部科学省)のみで教育の方向性を定めることが困難となり、日本の教育はいわゆる諮問行政の形を採用してきたのである。戦中であれば軍部、高度成長期であれば経済界の意向が教育に強く反映されてきた理由のひとつはそこにある。戦中には総力戦を支える人的資源の確保に、高度成長期には経済成長を支える人的能力の開発に国家の主要な教育課題が置かれたのであった。そのことは、日本の教育が政治的な統制や経済政策に少なからず従属させられてきたことを意味している。 とはいえ、総力戦遂行や経済成長という国家的な課題、すなわち国家「発展」の設計図とでもいうべき〝国家デザイン”を実現するためには、言うまでもなく、その国家を下支えする社会の設計図が必要となってくる。つまり、より親密に当該期の社会の現実と向き合い問題点を見究め、その上で各教科の内容を改編していくなど、密な現場性、高度な専門性を不可欠とする社会「改造」の設計図とでもいうべき〝社会デザイン”が重要となる。明治期が国家形成のための教育=国家デザインに多くの労力が割かれた時期であるのに対して、大正期以降とりわけ第一次世界大戦後以降の時期は本論で述べるとおり、社会形成のための教育=社会デザインが脚光を浴びていったのである。 そうした社会デザインに、官民を問わず多くの教育者・文化人が関わった。当該期文部省の諮問機関の一員として、または文部省委嘱の研究者として社会デザインに関わる者もいれば、在野でそれを真っ向から批判するようなデザインを提起する者も数多く存在した。他方、地域社会にあって独自の社会デザインが構想され、それが学校や社会教育の現場で実践されていく動きもみられた。 このように多様なデザインの競い合いがみられた背景には、子どもとはいかなる存在でいかなる教育が必要か、労働者の権利とは何か、彼ら彼女たちにはいかなる教育が必要か、地域社会はいかにして発展しいかにして自律性を担保すべきか、それにはいかなる教育が必要かなどを問うことを通して、子どもや労働者、地域が「発見」され、総じて社会が「発見」され問題化されていくという一九二〇―三〇年代の時代的な特徴があった。それは、明治期とは異なる新たな傾向であり、後述するように、国家主導型の日本の「近代」化過程とは異なる、現在まで通底する社会の編成替えを背景とした日本の「現代」化の特徴である。 そうした、一般的にいえば大正デモクラシーから昭和恐慌・ファシズムへといたる時期の、いわば「社会問題」の噴出状況は、新聞・雑誌などマスコミによって喧伝された。社会問題が「情報」として、大量生産・大量販売を基調としたメディアによって全国各地に普及していったのである。まさにそれは現代社会=大衆社会の端緒的な現象といえる。 重要なことは、現代社会=大衆社会における社会デザインの描き手である教育者や文化人たちが決して国家デザインの受け売りにはならず、自らの固有な願望や使命感から社会と積極的に向き合うことを通じて国家デザインを下支えする場合もあれば、むしろそれと齟齬する局面をも有していたことである。本書がこれから解明しようとしているのは、まさにそうした社会デザインと国家デザインの緊張関係の歴史である。 現代社会=大衆社会のカタチを読み解く方法は数多くある。経済学・政治学・社会学などは鋭利な分析枠組みをもつ。しかし本書はそのような方法をとらない。一九二〇―五〇年代という日本における現代社会=大衆社会の形成と再編の時期にあって、換言するなら大正デモクラシーからファシズムへ、総力戦体制から戦後民主主義へといたる時期にあって、真正面から大衆の生活と向き合った教育者・文化人など文化エリートたちの思想と活動、その変遷を、戦前・戦中・戦後の連続と断絶に留意しながら丁寧に追いたい。こうしたドブさらい的な歴史学の方法にこそ、現在における子ども・労働者・地域をめぐる教育学的な諸問題=社会デザインをめぐる諸問題を解く、小さいながらも確かな手がかりがあると考えるからである。 そこで本書が分析対象とするのは、奇異に思われるかもしれないが、音楽という技法によって、あるいは文芸という技法によって描かれた一九二〇―五〇年代における社会デザイン=社会形成のための教育である。このように〝文化史”を対象とすることによってこそ、これまでの歴史学や教育学などが十分にすくい上げられなかった大衆の秩序意識あるいは社会意識のあり方が解明でき、ひいてはそうした意識の創出に関わってきた教育の本質すなわち、現在までつながる教育の矛盾と可能性が浮き彫りとなる、そう筆者は考えている。 現在の社会を覆う新自由主義は福祉国家という性格を軽んじ、小さくて強い政府と階層化され相互に分断された個人をつくりだしてきたといえる。また、企業の論理や市場原理が人びとの行動を経済化し、従来の社会(公共性・共同性)は稀薄化し、地域社会のまとまり・地域コミュニティは形骸化してきた。そこでは教育に対し、「能力」を身につけ「競争」に勝って「自立」できる人間=「強い個人」を育てることを求めているようにみえる。 こうした消費社会における、いわば生き残り術を獲得するための教育の問題点を見究め、いかにして時代の欲望に流されない永続性・不死性をもつ「文化としての教育」を構想していくか、それがいま教育には求められていよう。本書はその糸口を現代史のなかに探る。 |