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四六判並製288頁

定価:本体2800円+税

発売日 2018年10月5日

ISBN 978-4-7885-1598-7





原田広美 著

漱石の〈夢とトラウマ〉
──母に愛された家なき子



漱石作品を「夢分析」のように読む

 「私はフロイトが患者の夢を聞くようにして漱石を読んだ」という心理療法家の著者が、『猫』から『夢十夜』『こころ』そして『明暗』までの主要作品を取り上げ、漱石の深層心理を「独特の手法」で分析します。それは、小説の登場人物たちの、生い立ちからもたらされた「トラウマ」を、「冒険(投企)」を通していかに克服し、自分の「夢」を実現していくか、その過程を丹念に分析していくものですが、そこに漱石自身も参加させて、自身の「トラウマ」の結果である胃潰瘍、神経衰弱などを、漱石が文学の「創作」を通じていかに解放(治癒)していったかを、作品分析とからめて辿っていきます。そこには作中人物とともに苦しむ漱石の姿がよく描かれていて、新たな魅力と希望をあたえます。数多ある漱石論に一石を投じる意欲作といえましょう。


漱石の〈夢とトラウマ〉 目次

漱石の〈夢とトラウマ〉 はじめに(一部抜粋)

ためし読み




漱石の〈夢とトラウマ〉 目次

はじめに

第一章 『吾輩は猫である』を書くまで
 その1 「夢」の抑圧
 「夢」の抑圧と神経衰弱  「夢」の発掘
 その2 「夢」の生成
 正岡子規  町人気質  失恋事件  大塚楠緒子  鏡子との結婚  ロンドンでの漱石  帰国後の漱石  『吾輩は 猫である』を書くまで

第二章 『坊っちゃん』の「家族の負け組」
 家族の「負け組」  赤シャツ  漱石の生家  生家の力学
 「抑圧」の回復

第三章 『草枕』の「嬢様たちの自己実現」
 身投げ  非人情と余技  憐れと「抑圧」  反抗と依存
 解放と癒し  嬢様たちの母子関係  嬢様たちの自己実現

第四章 『夢十夜』の「夢とトラウマ」
 第一夜  第二夜  第三夜  第四夜  第五夜  第六夜
 第七夜  第八夜  第九夜  第十夜

第五章 『三四郎』の「無意識の偽善」
 「無意識の偽善者」たち  美禰子と野々宮  平塚らいてふの視点から
 三四郎と美禰子  広田(先生)の「夢」

第六章 『それから』の「自分の自然」
 代助の「抑圧」  代助の自己実現  三千代の喪失  平岡と代助

第七章 『門』の「罪悪感」「死の影」
 「死の影」と「」  宗助と御米の「罪悪感」  「夢」の生成 「」の二重性  『門』脱稿後の「修善寺の大患」

第八章 『彼岸過迄』の「癒着」「嫉妬」
 「冒険」の挫折  「死の影」と「癒着」  「癒着」と「嫉妬」
 市蔵の「母子癒着」  市蔵が癒されるには  叔父の松本と、市蔵の旅

第九章 『行人』の「疑心暗鬼」と「死への欲求」
 一郎の「疑心暗鬼」  三沢の「負け組」同盟  直の「死への欲求」  一郎の「自分の自然」  作画と津田清楓  Hさんとの「癒し」の旅

第十章 『こころ』の「死へのナルシシズム」
 「人間不信」と「死」  Kの深層  先生の深層  先生とK
 先生の「罪悪感」  先生の「死」

第十一章 『道草』の「夫婦間の溝」
 夫婦の  鏡子の「」  漱石と養父母
 『道草』から『明暗』へ

第十二章 『明暗』の「未完」
 偶然と小林  小林と津田  津田と延  清子と津田
 「未完」と「則天去私」  「未完」部分の可能性

主要参考文献
装幀・新曜社装幀室


漱石の〈夢とトラウマ〉 はじめに(一部抜粋)

  私は「フロイトが患者の夢を聞くようにして」漱石を読んだ。テクスト論の時代を経たと言えども、やはり作品は、作者の深層を映している。だから私は、作品から漱石の深層を読み解くようにして漱石を読んだ。その理由として、十代の頃に初めて私が漱石に触れて強い感銘を受けた作品は『こころ』であったが、その後、心理療法家としての私が、評論の対象として、初めに関心を寄せた漱石の作品は『夢十夜』であったということもある。漱石の深層心理に触れてみたくなったのだ。

 振り返れば、『夢十夜』についてのこのような発想を最初に私に与えたのは、十代の頃に読んだ江藤淳の「『夢十夜』で露呈された漱石の低音部」などという記述であったと思う。また、私は精神分析医ではないが、心理療法家として、「夢」について関心を寄せてきた。しかし、私は漱石に会っていないので、漱石の深層に近づこうとする過程で、漱石の「成育歴」や「神経衰弱」の経緯について、また「心身一如」の視点をも取り入れたいがために、漱石の身体症状であった「胃潰瘍」や「痔」の病歴について、そして漱石の「人生」と「創作物」全般について、できるだけ把握したいと考えた。この時点で、私の評論の対象としての関心も、漱石の作品全般へ拡大した。

 漱石については、従来から諸先輩方の研究が多くあり、他の作家に比較して、格段に恵まれた資料が整っている。こうした条件の整った漱石についてであればこそ、私の方法が可能であったと思っている。また、漱石や漱石文学についての研究や評論が絶えずにきたのは、漱石を愛読する者が、現代に至るまで絶えることなく存続し、さらにそれを考察することが、明治以降の近代化を経験し、旧来から持続する日本文化との狭間のなかで、「個」を生きなければならなくなった私たちに、広く長く必要であり続けてきたからなのだと思う。

 漱石を作品以外から知る上では、本人による日記や書簡や覚書きなどがあるが、親族や周囲の方々が残した記録とともに、特にによる『増補改定/漱石研究年表』には大いに助けられた。この本によって、漱石の「創作」と、身近な出来事および精神・肉体の病歴(不調)との関係を総合的に捉えることができた。

 また初めは、江藤の著作によって漱石の青春期の恋愛についての関心を得た私に、大塚についての視点を大きく開いてくれたのは、前述の荒の書物とともに、小坂晋の『漱石の愛と文学』であった。

 漱石の「創作」に影を落としているのは、当然のことながら漱石という「個」による幼年期からのすべての体験の総和である。そして、そのなかで形成された感情の「抑圧」や「トラウマ」(これらは誰の中にも各々に存在する)が、作品全体についての発想や、登場人物たちの思考・行動パターンを少なからず左右することにもなる。恋愛体験それ自体についても、そのような要因が自ずから反映されているというのが私の立場だが、大塚楠緒子に象徴される、結ばれることなく、いわば「幻想のマドンナ」と化した恋愛対象との漱石の心象的な体験は、漱石文学を読み解く上で、興味深い軸の一つであることは確かであろう。そして最近の著作で、大塚楠緒子関連の資料を補い、私論への推測をより明確化することができたのは、河内一郎の『漱石のマドンナ』によってであった。

 さらに、柄谷行人の「とくに『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』などを読むと、なにか小説の主題が二重に分裂しており、はなはだしいばあいには、それらが別個に無関係に展開されている、といった感を禁じえない。(中略)漱石がいかに技巧的に習熟し練達した書き手であったとしても避けえなかったにちがいない内在的な条件があると考えるべきである」(「意識と自然」)という指摘は、「漱石が生育歴の中で培ったトラウマによる深層の抑圧と、創作姿勢および創作物との関係」を考察しようとする私の基本的な考え方に、一致すると言えよう。つまり、そこで指摘された「避けえなかったにちがいない内在的な条件」とは、私の方法論では「漱石が生育歴の中で培ったトラウマによる深層の抑圧」ということになる。

 また特に、T・S・エリオットが『ハムレット』論に書いた「われわれはシェークスピアが、彼の手にあまる問題を扱おうとしたと結論するしかない」からインスパイヤーされた形で、柄谷が「やはり漱石も『彼の手にあまる問題を扱おうとしたと結論する』ことができると私は思う」(「意識と自然」)と書いたことについては、さらに下記のことと関連して興味深い点であると考えている。

 それはダミアン・フラナガンが指摘した、題名そのものを漱石の弟子の小宮豊隆と森田草平が、ニーチェの『ツァラトゥストラ』(ドイツ語原典)から無造作にとったという『門』の作中で、漱石が用いた『ツァラトゥストラ』の英語版(トマス・コモン訳)に見られる「冒険者」(アドヴェンチュアラー)(ルビ=漱石)という語から、漱石をとらえようとする試みである。私は、本書の原稿をあらかた書き上げてからフラナガンの著作を読んだ。しかし、私も『門』を考察して以降、この「冒険者」(アドヴェンチュアラー)という語が気にかかり、それを手がかりにして、漱石のその後の作品を追ったと言っても過言ではない。

 ただし、私が『門』以降に意識した「冒険」の意味は、フラナガンが『日本人が知らない夏目漱石』で指摘した─『ツァラトゥストラ』のなかで、「門」(永劫回帰への門)という語が登場する第三部冒頭の、二段落目に見られる─Sucher(探究者、捜索者)およびVersucher(試みる者、挑戦する者)もさることながら、ニーチェの次著『善悪の彼岸』冒頭の、Wagnisse(冒険、リスク)の方が、より近いかもしれない。ちなみにニーチェは、advencherに対応するドイツ語であるAbenteuerを用いたわけではなかった。そして、漱石が英語版の『ツァラトゥストラ』(トマス・コンモン訳)は所蔵していたが、英語版・独語版とも『善悪の彼岸』は所蔵していなかったことも付け加えておきたい。

 いずれにせよ、『門』に現われた「冒険者」(アドヴェンチュアラー)という語が、ニーチェ由来であったことをフラナガンの著作によって気づかされた私だが、ニーチェこそが、『行人』の一郎が言う「死ぬか、気が違うか、宗教にるか」の間に抵触する領域を模索した人であったと言えるだろう。そして、その三つの選択肢を筆者の私見により順に置き換えれば、「生の衝動から発する創造性」をいわば「死の方向」へと去勢するいの虚無的なニヒリスムへの警告と、実際的な精神の病の発症と、もはやキリスト教の教義だけでは「生」の基盤を担い切れなくなった当時の自ら(人々)の苦悩、ということになる。

 誰のなかにも数えきれないほどの「トラウマ」による「抑圧」があるというのが私の見地ではあるが、とりわけ精神の病と隣接していたニーチェや、たびたび「神経衰弱」に悩まされた漱石は、特に重たい「抑圧」を深層に抱えて追い詰められがちであったために、人生の多くの時間を費やしてその深層を模索し、病から逃れるための努力をするべき必然を持った者たちではなかったか。

 漱石は、『門』で「冒険者」(アドヴェンチュアラー)という語を用いた。そして、『門』脱稿後の「修善寺の大患(胃潰瘍の悪化による三十分の仮死)」以降、自らの身体状況としての「死」との隣接と、『門』では子供が育たないというストーリー展開になったことに象徴される、クリエイション上の「死の影」からの脱出を試みようとした結果、次の小説『彼岸過迄』以降、作品中に「冒険」の要素をより意識的に取り込むことになったのではないかと思われる。『こころ』では、「冒険」の要素が少ないために、Kと先生の「死」が、子供が授からない「死の影」とともに現れたように思われるが、その作中にあった小さな「冒険」は、主人公が初めて結婚の申し込みを妻になる人の親にしたことではないだろうか。またKが、養家を飛び出して学問に精進したのも「冒険」であっただろう。

 それらは、柄谷が指摘した「やはり漱石も『彼の手にあまる問題を扱おうとした』……」という「冒険」である。そして、私たち各々の「個」の生存につきまとう「手にあまる問題」に、大きくとらえれば初期から作品を追うごとに、順を追うようにして、「冒険的」に肉迫して行こうとした漱石の作風、またそうした執筆態度を携えて積み重ねた創作経緯そのものに、「類いまれ」な性質を感じることこそが、漱石が読み継がれてきた最大の理由ではないかと思われる。

 ともあれ行き詰まった状況から脱出しようとする時に、言い換えれば創造的に自己を乗り越えていかなければならないような時に、「(リスクを取った)冒険」が必要になることがある。ただし、これは「個」の側からの欲求である。そして、これを「個」を取り囲む社会の側からいえば、「冒険」を抑圧しがちな「社会機構」は、あらかじめそのなかの被抑圧者をなお「抑圧」する方向へ作動するし、安全を第一義としながらも、疲弊・硬直して活力を失い、「死の方向」へ傾きがちになるのではないか。