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森岡正芳 著

物語としての面接 新装版
――ミメーシスと自己の変容


四六判並製296頁

定価:本体2900円+税

発売日 17.7.10

ISBN 978-4-7885-1533-8




◆面接がなぜ有効なのか?
 心理カウンセリングを求めてくる人々は、言葉にできないような体験/出来事を抱えています。カウンセラーは彼らに向き合いながら、語られる言葉、身体の動きや表情に反応します。共同の作業から新しい理解、物語が生まれてゆくのです。とかく事例の報告と名人芸的な解釈に終始しがちな心理臨床ですが、ミメーシス(なぞること、まねること)という概念を手がかりにその在り方を考察した本書は、カウンセラーや患者の方々が、自身の経験を掘り下げる案内ともなるでしょう。品切れだった名著を、新装して、再刊します。

物語としての面接 新装版 目次

物語としての面接 新装版 序文

ためし読み

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物語としての面接 新装版 目次
序 文

序章 経験と等価なことばを求めて

 第1節 経験と等価となることばを探したい
  はじめに
  1 変化と課程の記述
  2 自己語りが科学となるだろうか
 第2節 出来事の再現と表象化
  1 出来事を語るということ
  2 時間の固定化・空間化
  3 心的現実の論理
 第3節 臨床面接法・聴取法の特性
  1 言語活動における同時性の次元
  2 保護された自由な空間の保証
  3 一次課程を聴く耳
  4 経験についての内的照合
  5 筋立てて聴く
  6 臨床的聴取における問題
 第4節 ミメーシス概念の導入
  1 アリストテレス『詩学』におけるミメーシス
  2 ミメーシス概念の深化
  3 ミメーシスと臨床聴取場面

第1章 面接の場における身体

 第1節 遊び,そして体験の変形
  1 遊び
  2 遊びと心的表象の形成
  3 遊ぶこととミメーシス
 第2節 場面感覚をミメーシスするトーヌス
  1 面接の場での緊張の変化
  2 トーヌスの概念
  3 自己感の構成とトーヌス
 第3節 場面感覚をミメーシスする「声」
  1 発話を支えるトーヌス
  2 発話におけるイントネーション
  3 他者のことばとの緊張関係

第2章 なぞるということ

 第1節 「なぞる」という方法
  1 感覚経験の多面的な照合活動
  2 学校教育場面での関係育成
  3 「なぞる」ということ
  4  発話と引用の効果
 第2節 非人称性の視点
  1 「クライエント中心」の意味
  2 クライエントによって経験されたカウンセリング
  3 カウンセラーの「非人称性」という特徴について
  4 セラピストの態度としての三条件と「非人称性」
 第3節 負の受容力について
  1 ビオンとキーツ
  2 「負の受容力」と心理援助者の態度
  3 自己の真実への接近

第3章 夢として聴く(方法)

 第1節 夢の仕事から見た聴取課程
  1 聴取における意味の構成
  2 夢による変形課程
  3 「お話療法」
 第2節 物語による統合的形象化
  1 症状の物語
  2 構成的聴取

第4章 物語と自己の構成

 第1節 物語自己の導入
  1 方法としての物語
  2 物語としての自己概念
  3 物語的接近法の有効性
 第2節 語り直しによる自己の受容
  1 物語と臨床場面
  2 聴覚統合による出来事の変形

結びにかえて

文献
索引


物語としての面接 新装版 序文

 京都大学大学院教授・医博 山中康裕

 本書は、森岡正芳氏が、わが京都大学大学院教育学研究科に提出され、平成一一年一二月一五日の審査を通過した博士論文を骨子としている。その後さらに研鑽を加え、かつ幅広い読者にも読みやすいものとされたものである。たまたまその審査の際、私がその主査を努めたので、本序文を書く栄を担うこととなったものであろう。

 もとより、氏は京都大学文学部および京都大学大学院教育学研究科の出身であり、河合隼雄教授をはじめ筆者らの薫陶を受けられ、その後、天理大学、奈良女子大学などで教鞭を執られるかたわら、独自の研鑽の結果、本書をものされたものであり、氏の独創的な見解が随所に表れているものと言えよう。

 さて、本書で出発点となっているのは、「出来事や行動や関係が、面接の場で再現されることにより、それらの出来事や関係の表象が新たな経験として構成され、その作業を通じて問題解決へと向かうことができる」という臨床的事実なのである。出来事や関係の表象は、それらが否定的な感情に彩られる場合、おいそれとは言葉になりにくい。まず、さまざまな要素が圧縮され無時間的に存在する出来事の表象という性質について、言葉による「再現表象化」に伴って生じる問題点を議論している。言語活動のもつ継起性という特性は「説明」の言葉のように直線的時間が強調されると、勾配性が優位の感情体験や、同時に複数の要素が絡む体験を再現表象するのには不利である。臨床の場は、多数の要素を同時に聞き取る時間でもある。この場で面接者は、そのような体験の性質を損なうことなく、経験と等価であるような言葉を工夫する。再現表象化は同時に新たな経験となる言語活動の意味生成の働きを生かそうとする。

 そこでまず、臨床聴取法の特性について、「保護された自由な空間の保障」「一次過程を聴く」「今ここで生じている経験についてのカウンセラー自身の内的照合」「筋立てて聴く」の四点にわたって論じていく。無論、これらの留意点は立場を越えて重なっている。これらを包括的にとらえ、技法的に洗練させていく努力が希求されるわけである。また、同時に多方向の注意を用いるには、それを支える総合的な構えも必要となる。そこで著者は、「ミメーシス」という概念を導入してくるのである。「ミメーシス」とは、アリストテレスが、『詩学』において深めた概念である。これは単なる模倣ではなく、制作行為(ポイエーシス)と結び付いて対象を積極的に構成し再現するプロセスを含む。ウェイドレやリクールは、美学や文学理論の立場からこの概念を復活させたのであった。ミメーシス概念においては、受容者と対象との間に生じる交流・一体化機能、その間に生じる多重のテクスト構成の働きがさらに強調される。ミメーシスはモデルをまねつつ、対象に意味を与え、生気あらしめる創造行為となるのである。そして、聴取法の特徴について、土居の「ストーリとして聞く」などの方法が問題とされ、更に、最近とみに問題とされている、サービンやブルーナーなどの物語的接近法(ナラティブ・アプローチ)が取り上げられる。ミメーシス概念が導入されることによって、物語の筋立てが可能となることが示されるのである。そこから、以下のような諸問題が取り上げられ、事例のエピソードを交えて、次々と明らかにされていく。

 まず、エリクソンの「出来事を再現表象化する構成遊びにミメーシス活動の本質をみる」ことからはじめ、次いで、臨床的聴取における「語る-聴く」の関係の中で生ずるミメーシス活動は適度な行動のリズムを生み出す、ということを明らかにする。そして、「なぞる」「まねる」という面接者の態度の醸し出す場の中で、断片は断片として、未完のものは未完のままに抱えることのできる「負の受容力」と「その場の経験についての面接者の自己内照合活動」を問題とする。その際、面接者は非人称的な姿としてあらわれる。そこで述べられた着眼点は、臨床場面だけではなく、学校教育場面などの小集団の対人関係育成にも有効であることが示されてゆく。さらに、ミメーシスの主要な活動として、継起的に生じている事象から統合的な形象を抽出する働きが指摘される。そして、ミメーシスによる産出活動が一つの形をなしたものとして物語をとらえ直す。次いで、物語的-構成的聴取の中では、語り手は作者であると同時に、主人公でもあること。さらに、自己を語り直すことによって、自分自身の物語を主体として生きること、セラピーの基本目標である「自己受容」がこのように再定義されることが明らかにされる。かくして、物語性と身体性、時間性と関係性の交差する点にたどり着くのである。そして、臨床的面接聴取にかかわるさまざまな理論、技法的立場からの留意点が、ミメーシスを導入することで包括され、補完されることが示される。また、臨床的有効性については、思春期青年期の内閉性、退却性の例などに適用され、かつ、乖離性の顕著な例にも適用されて、更には、身体性の経験を受容するデイケアや自助グループにおいても有効であることが予想される。

 もとより本書は臨床的事実に基づく、「聴取」という在り方において、何が起こり、何が治療的契機となっているかについて考究している。それらは、名だたる臨床家によるいわゆる名人芸的部分を言語化することであり、また、たとえば夢における二重性をもう一度語りなおすることでもある。言葉による再現表象化に伴って生じる問題点などが、詳細にわたって議論されている。余談になるが氏は、学生時代能楽部に所属し、熱心に研鑽を積んでいたときく。その芸能への関心の一端も本書のテーマと結びついていると考えられる。

 キー概念として選ばれたミメーシス概念は、受容者と対象との間に生じる交流・一体化機能、その間に生じる多重テクスト構成の働きに適用され、モデルをまねつつ対象に意味を与え、生気あらしめる創造行為となるあたりを論証しようとする。そして、聴取法の特徴について、土居などを問題としつつ、サービンやブルーナーなどの物語的接近法が取り上げられ、ミメーシス概念を導入することによって、物語の筋立ても可能となることが示されている。そして、著者の臨床例がふんだんに用いられ、諸問題を順次あきからからにしていく手法も高く評価される。

 議論されるべき点は残っている。ある断片の記載をし、それを独立させて新たなる意味をもつこと自体が、すでにミメーシスなのであり、その真実性をどこで証するかが問題であろう。著者は、それは葛藤のなかで語らせることであらわれてくると言うが、果たしてそういいきれるか否かこそが問題とされねばならない。また、「言葉が行為となる」点において、すでに行為として効果をもつことを言っている研究者があることは本書に触れられていない。また、一体感をもったあとの転移の問題が論及されねばならない。今後に期待したいところである。しかし、それらの瑕疵は論文そのものの価値を減ずるところまでは至らず、臨床的な場面においての、聴取にまつわる論考を、ミメーシス概念を導入することでさらに一歩深めたことは確かであり、かつ広範な文献にあたり、また実践的な自験例で手堅く論証していくなどの点は、十分評価されてよい。ともあれ、氏の仕事は、今後の臨床のおいて幾多の点で後進の役にたつこと請け合いであり、また、今後の氏のさらなる健闘を期して、いくぶん固い序となったが、氏の真摯な論考に免じて許されたい。これをもって私の本書推薦の辞序としたいと思うものである。