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秋田 巌・小川佳世子 編

日本の心理療法 自我篇
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A5判上製224頁

定価:本体2800円+税

発売日 16.10.01

ISBN 978-4-7885-1493-5

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◆「日本の心理療法シリーズ」第2回配本
 日本人に適した心理療法の在り方を、日本独特の文化的背景から考察した著作群「日本の心理療法シリーズ」第2回配本は「自我篇」です。「自我」とは一言でいえば意識の中心であり、西洋由来の精神医学や心理療法にとっては最重要ともいえる概念です。本篇はこの自我なる概念を、そのまま日本の心理療法場面に持ち込むことへの違和感をもとに企画されました。能楽や和歌、さらには伝統的に受け入れられてきた仏教的な価値観などを交えて、心理学や精神医学が西洋から輸入される以前の「日本人らしさ」への接近を試みます。

日本の心理療法 自我篇 目次

日本の心理療法 自我篇 序(一部抜粋)

ためし読み

『日本の心理療法』シリーズ

日本の心理療法 思想篇

日本の心理療法 身体篇

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日本の心理療法 自我篇 目次
はじめに(各篇共通)


自我篇――非・西欧的〈わたくし〉をめぐって

第一章 能の〈わたくし〉をめぐって  小川佳世子
はじめに
 『草枕』と能
 ●「憐れ」という表情 ●『草枕』について ●「わたし」ということ、「近代」ということ
 ●能におけるワキの問題 ●漱石と能 ●「物狂能」としての『草枕』 ●『草枕』の美の特色と能
 ●『草枕』という小説 ●現在の〈わたくし〉
能の〈わたくし〉
 ●能の種類について ●能の中の〈わたくし〉 ●井筒 ●姨捨 ●山姥 ●融 ●江口
 ●能における舞と物狂能の結末について ●物狂能の結末および面についての考察
 ●草木国土悉皆成仏
おわりに

第二章 仏教の存在論と日本的じぶん認識  手嶋英貴
序説――本稿の問題意識
 ●「わたし/I」と「自己/self」 ●原日本的じぶん認識――存在論的「自己」の不在
 ●仏教の存在論と日本的じぶん認識
古代インド思想界におけるじぶん認識
 ●バラモン教のじぶん認識――「わたし」から「自己」へ
 ●ウパニシャッドの存在論とじぶん認識――一元論の「自己」
 ●サーンキャ説の存在論とじぶん認識――二元論の「自己」
仏教における存在論とじぶん認識――「自己」から「自己=わたし」へ
 ●説一切有部の存在論とじぶん認識――実在的多元論の「自己」
 ●唯識説の存在論とじぶん認識――仮設的一元論の「自己」(仮象の「自己」)
 ●中観派の存在論とじぶん認識――中なる「自己」
 ●法身説の存在論とじぶん認識:人格的一元論の「自己=わたし」
仏教受容初期における日本的じぶん認識の変容
 ●『万葉集』成立期の仏教教理学と日本的じぶん認識
奈良時代後半から平安時代前半に伝来した仏教の存在論
 ●華厳の存在論 ●法相の存在論 ●天台円教の存在論
 ●東密(真言密教)の存在論 ●台密(天台密教)の存在論
平安時代以降の日本的じぶん認識 
 ●草木成仏説の日本的展開――人格的自然一元論の形成 ●日本的じぶん認識の諸相
おわりに――現代日本の死生観の底流 

第三章 ポーランドと非・西欧をめぐって――視覚芸術を中心に  加須屋明子
はじめに
ポーランドの視覚芸術
 ●政治的・社会的背景 ●第二次世界大戦後の芸術家たち ●ミロスワフ・バウカ 
ポーランドにみる非・西欧的な〈わたくし〉

第四章 和太鼓演奏における「私性」
     ――非我と無我を経て:息的主体とその在り方  清源友香奈
はじめに
本稿における西欧的自我について
 ●本シンポジウムにおける発表の位置づけ ●心的な構造としての自我(ego)
和太鼓演奏における体験――演奏者の語りを通して
 ●我を出さないこと――非我的体験 ●息を合わせること――無我的体験
 ●息的主体 ●西欧的自我と和太鼓演奏者の体験
 ●和太鼓演奏における「私性」 ●日本人の心――非西欧的〈わたくし〉とは
同期現象より――息的主体に思いを馳せるために
息的次元に開かれていながら、個で在り続けるということ
おわりに

自我篇――ディスカッション

終 章 水の我  秋田 巌
はじめに
 ●日本人の自我と西洋人の自我 ●日本人にとって自我は自明か? ●最深層では同じ
西洋との「文化差」
 ●西洋人の自我 ●耳と口 ●「骨格」 ●文化的無意識 ●中世的自我 
日本人の「我」
 ●「和食」という「神社」 ●物事を完成させる ●水の我 

おわりに
事項索引
人名索引

■装幀 虎尾 隆


日本の心理療法 自我篇 序(一部抜粋)

 私は一九八五年に精神科医となり、ユング研究所への留学を挟んで一九九七年より京都文教大学に赴任することとなった。故・河合隼雄先生のお取り計らいによるものである。

 それまで精神科医としての仕事しかしていなかったので、いろいろと面食らった。

 着任後半年も経過した頃であったろうか、スーパーヴァイザーとしてある中学校に派遣された。そこで、K先生と出会った。適応困難な生徒さんたちの面倒をみておられた。K先生は、とにかく凄い人で、臨床にかける凄まじい気迫、バイタリティーの塊、型破り、そしてユーモア。このユーモアについては付言が必要。芯が強すぎるのだ。確信したことであれば、誰に何と言われようが「自説」を変えることはない。そうするとどうしても世間との折り合いがつきにくくなる。折り合いがつかないまま、それでも学校や社会とどうにかやっていこうとする、そのあたりの軋轢や葛藤から(失礼ながら)独特の個性とおかしみが醸し出され、それが巧まざるユーモアとして表現されることがあるのだ。

 繰り返すが、K先生は本当にすごい先生で、生徒把握の能力も尋常ではない。通常ではあり得ないほどの深いレベルで生徒さんたちのことを理解しておられる。いや、「理解」という言葉はK先生には似つかわしくない。治療する者とされる者の垣根をいとも軽々と飛び越え、「存在」と「存在」でぶつかりあうのだ。これは、実は治療者のとるべき態度として、基本中の基本である。しかしながら、技法や専門用語に邪魔されて、この基本中の基本を堅持できる人はむしろ少数派である印象がある。

 つまり、他の多くの臨床家においては「小手先でどうのこうの」といった態度が、わずかながら、時にはかなりの程度にまで、ほとんど無意識のうちに備わってくる。一種の職業病のようなものか。ところがK先生には「小手先」がまったくない。「わかった」ような素振りなどまったく見せず、生徒さんたちと文字通りすべてをかけてぶつかり合う。そうするうちに、どんな難しい生徒や家族とでも、おのずと通じ合うところができてくる。それは「理解」とはおそらく少し違う。意識的に何かが把握されるというより「通じ合う」。その結果、「理解」のようなことも派生する。意識だけでもって、頭だけでもって、わかったような気になっているのとはまったくもって重みが違ってくる。

 さて、そのK先生をスーパーヴァイズしなければならなくなってしまった。このような先生は滅多にいないため、はじめのうちは、むしろ、なんだか変な先生だな、と思っていたが次第にそのすごさに感服し始めた。すごさがわかるぶん、やりにくいことこの上ない。

 スーパーヴァイザー(教える人)よりもヴァイジー(教えられる人)のほうが、経験が浅いだけで本当のところの実力は勝っているなどということは、それほど珍しいことではない。それでもスーパーヴァイザーがそのことを承知しつつ、誠実に丹念に事にあたれば、スーパーヴィジョンは成立する。

 そのようなことをあれやこれや考えていると、あるケースについてK先生から意見を求められた。その折、私は「この方の自我は……」というようなことを言った。すると、K先生は即座に、「自我とは何ですか?」と質問されたのだ。

 K先生は勉強家でもあり、事典的・教科書的な自我の意味などとうに知っておられる。その上で、きいてくるのだ。私はまさにその教科書的な説明をしたのだが、K先生はチンプンカンプンと言わんばかりの、そしてそんなことしか言えないのかと言わんばかりの、蔑んだとさえ言える視線をごく一瞬だが私に投げつけた。

 その時、まったくもって大げさに言えば、「私の心理学」は崩壊した。と言うか、「私の心理学」はまだこのとき影も形もなく、「ものまね心理学」でしかなかった。それでも精神科医であり、ユング派分析家の資格も持っており、大学教員でもあった私は、数々の鎧を身に着けていたわけであり、K先生と出会うまではそれでどうにかこうにかカッコウがついていた。それらしいものまねはできていた。

 京都文教大学で教え始めた時期でもあり、実のところ、この「ものまね心理学」には大いに苦しんでいた。

一応教えるような真似事はしているのだが、河合隼雄先生のものまね、あるいは過去の偉大な先人たちの業績をツギハギしたものを自分なりにまとめてもっともらしく喋っていた。それが嫌で嫌でたまらなかった。

何とか自分の言葉でしゃべりたい、自分の「心理学」を教えたい……。その願いは二〇〇〇年の六月から、どうにかこうにか形を取り始めた。そこのところの経緯は『人はなぜ傷つくのか』(講談社選書メチエ、二〇一三年)で詳述した。

 今、改めて考えてみると、この「自我とは何ですか?」が「私の心理学」の始まりに寄与してくれた可能性がある。この言葉は私を震撼させた。K先生という凄腕の臨床家が「自我とは何ですか?」ときく。一切のごまかしを許さない態度で。わかったような説明や概念でもって物事の本質から逃げ出すことを絶対に認めない態度。それを私はビリビリと感じた。「自我とは何か」。恥ずかしながらそれまで疑ったこともなかった。詳しくは後の清源友香奈論文にお目通しいただきたいが、一言で教科書的にいえば、自我とは意識の中心であり、西洋精神医学や西洋臨床心理学において最も重要とされる概念の一つである。

 この、自我なる概念は西洋由来のものである。果たしてこの概念をそのまま日本の心理療法に持ち込んでよいのか。K先生の質問以来、つまり一九九七年以来、ずっと考え続けてきたのであるが、なかなか答えが見つからない。

 日本の心理療法場面において、もうすでに根強く根深く、はびこり切っている自我なる語を再考する、あるいは言い換えることなど到底できないのではないか、と思いつつモヤモヤと過ごしてきた。

 そのような状況のなか、平成一九年(二〇〇七年)より京都文教大学において日本的精神性研究なる試みを始めた。いろいろな先生方のご意見やご指摘を受けているうちに漠然とであるが、そろそろ自我について真っ向から考えるシンポジウムを開催してもよいのではないか、と思いはじめてきた。

 しかしながら、相手は「自我」。これへの挑戦はさまざまな難儀を私に強いた。シンポジウムの開催に至るまでの間にも、また開催後も実に難儀なことが連続して生じた。呪われている感じさえした。もう少し常識的に言えば、ここまで強力に根づき切っている「自我」なるものに挑戦する私を嘲笑うが如く、蹴散らすかの如く暴風が襲ってくる感覚。シンポジウムの中心になっていただこうと考えていた先生には結局出ていただかないこととなり、またシンポジウム後、これまた次の中心にと考えていた先生からの原稿が諸々の事情でいただけないこととなったりもした。

 それだけ厚い壁ということなのだ。むしろ、俄然ファイトが湧いてきた。吹けよ嵐、呼べよ風! 風よ、嵐よ、「神風」となってくれ! 嵐の真っただ中でなければつかめないこともまたあるに違いない。むしろ、時は熟した、という感じもした。そして、シンポジウム「日本の心理療法 自我篇 非・西欧的〈わたくし〉をめぐって」を二〇一一年一〇月三〇日に開催し、それをもとにして本書への挑戦を始めたのである。

 結果、歌人で能学研究者の小川佳世子先生からは、言い過ぎではなく、命がけの玉稿を賜った。体調が極度にお悪いなか、そして深いお苦しみのなか、しかしそうでなければお書きになれなかったかもしれない貴重な原稿を賜った。これは、「嵐」の中の「神風」。心よりの感謝を申し上げたい。そのうえ、共編者となっていただいたことにもこの場を借りてあつくお礼を申し上げる。

 次に、手嶋英貴先生は謙虚にして誠実。一言たりともご自分の心から逸脱した言葉を使わない。ものを書くという作業には、ホンの少しだけその時の自分をはみ出させてそれを筆にのせる傾向がある。そうであってはならないだろうと読者の方は思うかもしれないが、むしろそうでないといけないとも思う。ものを書くとは、自分への挑戦である。現在の自分を少し超えたところで得られる認識を直観により掴み取り言葉にしていく。しかし、超え過ぎてはならない。この楽しくもあり、と言ってやはりとても苦しい作業に耐えなければならない。ところが、手嶋先生ははみ出す心性を持っておられない。野球で言えば、ストライクゾーンのみで勝負する。その気配を感じ取りつつお読みいただければと思う。

 そして加須屋先生。この方の活動力は凄まじく、ポーランドを中心に世界中を飛び回っておられる。ポーランド語と英語ができることは知っていたが、ドイツ語は?ときいてみると「読めと言われれば読めます」。まあ、そうでなくては世界を股にかける活躍はできないだろう。世界を広く知るがゆえに、日本的なものへの言説に対する真に厳しい目を持っておられる。

 最後に清源先生はお若いながらも実に精力的で、またすでに独自性を構築しつつある。それは本論をお読みいただければおわかりになるであろう。

 これら先生方の甚大なるお力添えにより、この度やっと本書を世に問うことが可能となった。先に出した「思想篇」と合わせて読んでいただければ、より深く理解していただけることと思う。