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佐藤裕 著

ルールリテラシー
――共働のための技術


四六判並製180頁

定価:本体1800円+税

発売日 16.4.22

ISBN 978-4-7885-1477-5

cover


◆ペナルティではルールを守らせることはできない!
社会にはルール違反が溢れています。学校なら遅刻、職場ならさぼりなど、ルールを作る立場に立てば罰を強化してでも違反は減らしたくなるでしょう。しかし、著者によれば、その方法はルールを罰と報酬のゲームと捉える誤解にもとづいており、ルールが持つ可能性を損ねるというのです。賞罰や道徳で誘導する方法を離れ、ルールとは他者と協力するための技術であるという認識に立ち、ルールを維持する/あえて破るなどの実践を分析すると、ルールを活かし運用する能力=ルールリテラシーが見えてきます。いじめから解釈改憲まで、ルール観を一新する実践志向の社会学書です。著者は富山大学人文学部教授。

ルールリテラシー 目次

ルールリテラシー はじめに

ためし読み

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ルールリテラシー 目次
はじめに

第1章 ルールとゲーム
 ―ルールリテラシーの大前提

第2章 ルールとペナルティ
 ―ペナルティでルールを守らせることができるのか

第3章 ルールの論理
 ―なぜルールは守らなくてはならないのか
コラム1 ゲーム理論とルール

第4章 ルールの参照可能性
 ―私たちはルールに縛られているのか

第5章 ルール違反と排除
 ―ルールを破るとどうなるのか

第6章 免責・排除・赦し
 ―ルールはどうすれば維持できるのか

第7章 ルールとペナルティ2
 ―ルールによる統制とペナルティによる統制はどのように違うのか
コラム2 言語ゲームと志向性

第8章 直接ルールと間接ルール
 ―命令に従っていればそれでいいのか

第9章 禁止と強制
 ―「してはならないこと」にだけ気をつけていればよいのか

第10章 ルールの破り方
 ―ルールに縛られないためにはどうすればいいか
コラム3 ルールの破り方の事例としての「解釈改憲」

最終章 ルールとは何か

おわりに―ルールリテラシーとは何か

付録 ルールリテラシーの原則一覧


ルールリテラシー はじめに

 本書はタイトルの通り、「ルールリテラシー」について書かれた本だ。ルールリテラシーというのは筆者の造語であり、簡単に言うと「ルールというものを正しく理解し、それを適切に運用できる技術」ということになる。

これだけではイメージがわかないだろうと思うので、最初にルールリテラシーが必要とされる状況をいくつか例示しよう。

ルールを適切に運用する、という表現は分かりにくいかもしれないが、最も基本的な「運用」は、ルールを守らせること/守ることに関わっている。

 ルールはただ制定しただけで効力を発揮するわけではなく、守らせるための営みがなくてはルールは機能しない。それでは、ルールを守らせるための営みとはどのようなものなのだろうか。

 おそらく多くの読者が真っ先に思いつくのが、ルール違反を見つけだしてペナルティを科すことなのではないだろうか。確かに、何かを禁止するルールを作っても、違反者に何の罰も下されなければ誰もそのルールを守らないかもしれない。ペナルティが設定され、実行されているからこそ、人はルールを守る。そのように考えてよいだろうか。

 本書ではそのようには考えない。むしろ、「ペナルティでルールを守らせることはできない」というのが本書の主張なのだ。それがどうしてなのか、また他にどのような守らせ方があるのか。多くの疑問があるだろうが、それについては本書において順を追って説明していきたい。

 ルールを守らせる方法があったとしても、ルール違反はどうしても生じてしまう。そして、生じてしまったルール違反をどのように扱えばよいのかも、ルールの運用に関わる重要な問題である。

 ルール違反をしてしまった部下や後輩、生徒や児童、あるいは自分の子どもに対して、どのように対応すればよいのか。ただ叱りつけるだけで良いのであれば話は簡単だが、実際にはこれは非常にデリケートな問題だ。

 では、逆に自分がルール違反をしてしまった場合にはどうすればよいだろうか。多くの場合は、まず謝ることが必要だろうが、「良い謝りかた」というものがあるとすればどのようなものだろうか。

 この二つ―叱り方と謝り方―は密接に関わっている。なぜならこれらの行為の目的は基本的に同じだからだ。少なくとも、叱ることと謝ることは同じ目的を共有している、ということを理解していなければ、どちらもうまくいかない。それではその共通の目的というのは何か。これについても本書で明らかにしていきたい。

 ここまでは、ルールを守らせる/守る、ということに関わる論点を説明してきたが、本書では、ルールは無条件に守らなくてはならない、とは考えていない。世の中には古くて現状に合わなくなったルールもあるだろうし、不公平なルールや不合理なルールがあるかもしれない。そうであるならば、そのようなルールに縛られないようにする方法、あるいはそのようなルールを壊してしまう方法もまた、ルールを運用する上で必要な技術だと本書では考える。いうなれば「ルールを破る方法」を身につけなくてはならないということだ。

 ただし、本書における「ルールを破る方法」というのは、例えば法律の「穴」を見つけてライバルを出し抜くとか、犯罪をしても捕まらないように立ちまわるとか、そういったことを意味しているわけでないのは、もちろんのことだ。本書での「ルールを破る方法」とは、ルールが本来持っている「強制力」に対抗する方法であり、本書ではその「強制力」とは何かということから、順を追って説明している。

 ルールの運用は、他にも多様な問題と関わっている。例えば、近年様々な場所で使われている「指示待ち」という言葉について考えてみよう。

 自分の部下や雇っているアルバイトが「指示待ち」で困るという人もいるだろう。一から十まで指示しなくてはならない、言われたこと以外は絶対にやらない。このような人たちは、自分で判断することができないのだろうか。

 おそらくそうではなく、このような事態は、ルールというものを十分に理解していないために生じると本書では考えている。つまりこれはルールリテラシーに関わる問題なのだ。

 あるいは逆に、一生懸命努力しているにもかかわらず「指示待ち」だと非難されることに不満を持っている人もいるかもしれない。あれをしろ、これをしろとその場その場で気まぐれな指示を出す上司。その気まぐれに付き合うには指示を待つしかないのに、たまに暇な時間ができると指示待ちだといって叱られる。いったいどうすればいいのか。

 これもまた、指示を出す側の「ルールリテラシーの欠如」が原因かもしれない。管理者がルールをよく理解できていないか、ルールの運用の技術が十分身についていないことによって、このような事態は生じる可能性があるのだ。

 以上のように、ルールリテラシーという言葉が含意するルールの理解・運用とは、きわめて実践的なものだ。私たちが組織的な活動を行う際には必ず必要になる能力であり、組織の構成員が持つその能力の程度に応じて、組織的な活動がより効率よく、創造的で、円滑に運営できるようになるのだ。

 それでは、このようなルールリテラシーはどのようにして身につければよいのだろうか。

 例えば、先に説明した「叱り方」であれば、これまでにも「上手な叱り方」を解説した本は多数出版されている。「謝り方」についても同様だろう。そういったものの多くは非常に具体的であり、様々な状況に応じて、「良い叱り方」や「悪い叱り方」の実例を示すこともあるだろう。

 しかし、本書が目指すのは、そういった具体的で「マニュアル的」な記述ではない。例えば「叱り方」であれば、いきなり具体的な叱り方の実例を示すのではなく、そもそも「叱る」という行為はなぜ必要なのか、叱ることによって何が得られるのか、そして叱ることによって生じるリスクは何か、といったことがしっかり理解できるように説明をする。

 また、「叱り方」についての知識はそれだけを単独で理解できるものではなく、他の知識との関係の中で理解しなくてはならない。上手に「叱る」ためには、そもそも叱る対象となるルール違反がどのようにして生じるのかが分かっていなくてはならないし、ルール違反が生じる仕組みの理解は、ルールというものがどうして強制力を持つのかについての知識を前提としている。

 マニュアル的な記述ではなく理論的な記述を、断片的な知識の提示ではなく、体系的な知識の提示を。これが本書の方針である。

理論的で体系的、というと何やら難しそうに思えるかもしれないが、本書では学術書のように隙のない詳細な議論を行おうとするのではなく、理論の「骨組み」をできるだけ単純な形で提示して、全体像をつかんでもらえるように工夫している。それが「一〇の原則」である。

 本書の各章(10章を除く)では、その章の最も重要なポイントを「原則」という形で示し、最終章までに一〇の「原則」を提示する。これらの原則はかなり抽象的なものだが、そのぶん応用範囲が広く様々な状況に適用でき、また自分の理解を確認するためにも役立つはずだ。この「一〇の原則」を手掛かりにして、断片的ではない体系的な知識を身につけていただきたい。

 本書の理論的バックグラウンドは、私自身の研究であり、それ以外の既存研究は直接的にはほとんど参照されていない。唯一の例外は哲学者ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」であるが、これも私の解釈よってかなり改変されている。そのため、「ルール」について考えるための何らかの知識(法哲学、倫理学、ゲーム理論、社会心理学など)を持つ人ほど、かえって本書の主張に戸惑いを感じるかもしれない。 そこで、ある意味では対照的な位置にあるゲーム理論と本書の議論との関係についての解説と、私の「言語ゲーム」の理解(改変)についての説明を、それぞれコラム1、2として収録した。これらは本書の理論的バックグラウンドの(最低限の)説明であり、興味のない方は飛ばしていただいても構わない。逆に、もっと詳しく知りたいという方は、巻末で紹介した私の論文を参照してほしい。