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森久 聡 著

〈鞆の浦〉の歴史保存とまちづくり
――環境と記憶のローカル・ポリティクス


A5判288頁上製

定価:本体3800円+税

発売日 16.7.15

ISBN 978-4-7885-1473-7

cover


◆「鞆が鞆でなくなってしまうって思うたんよ」
 鞆の浦は風光明媚な瀬戸内海の眺めと古い町並みや名所の残るひなびた港町です。ところが港の一部を埋め立て橋をかけ、道路を通す開発計画がもちあがったのは25年も前のことでした。計画を推進し、観光業を発展させたい福山市・道路建設派と、世界遺産に匹敵する港町の町並みを守りたい保存派がまちを二分する論争をくり広げ、開発の是非が裁判で争われてきました。そして今月、広島県が正式に開発を断念し、長年の論争にピリオドが打たれました。栄枯盛衰のまち鞆の浦の歴史文化、産業と社会構造、まちを揺るがした保存問題の全容を解明し、歴史保存に情熱を傾けてきた人々の記憶を通して、まちづくりはどうあるべきかを問いかけます。詳細な年表付き。著者は京都女子大学現代社会学部准教授。

〈鞆の浦〉の歴史保存とまちづくり 目次

〈鞆の浦〉の歴史保存とまちづくり あとがき

ためし読み

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〈鞆の浦〉の歴史保存とまちづくり 目次
第一部 歴史保存とまちづくりへのアプローチ
  
第1章 歴史保存とまちづくり 何が問われてきたか
―多様な学問分野のアプローチ
1 歴史的環境とは何か
2 「4W1H」の視点
3 「4W1H」の視点からみる多様なアプローチ
4 本書の問題関心の所在
  
第2章 なぜまちの歴史を保存するのか
―環境社会学・都市社会学・文化社会学のアプローチ
1 「なぜ保存するのか」という問いかけ
2 「4W1H」からみる環境社会学のアプローチ 
3 「4W1H」からみる都市社会学・地域社会学のアプローチ
  ――空間の社会理論と実証研究
4 「4W1H」からみる文化社会学のアプローチ――記憶の保存と表象
5 環境(空間)・記憶・政治の社会学――本書のアプローチ
6 鞆港保存問題の考察に向けて

第3章 地域的伝統を探る―年齢階梯制からみる地域問題
1 地域的伝統へのまなざし
2 分析視角としての年齢階梯制社会
3 地域的伝統の民俗学・社会学研究――「村寄合」にみる話し合い
4 市民的公共圏論――日本社会の自生的な討論空間との接点
5 地域問題における〈政治風土〉

第二部 鞆港保存問題に揺れるローカル・コミュニティ
  
第4章 栄枯盛衰の物語を持つ港町〈鞆の浦〉
―歴史文化的コンテクスト
1 〈鞆の浦〉の現在
2 潮待ちの港町・鞆の繁栄――中世から近世まで
3 近代化から取り残されたまち――明治から昭和まで
4 年齢階梯制のローカリティ――地域社会の伝統と民俗
5 鞆の浦の伝統と民俗にみる年齢階梯制
  
第5章 鞆港保存問題をめぐる地域論争
―鞆港の保存か,道路の建設か
1 鞆港保存問題の経緯
2 計画凍結から行政訴訟へ
3 〈道路建設派〉〈鞆港保存派〉の主張と争点
4 鞆港保存問題の現在
  
第三部 鞆港保存問題の社会学的実証研究
  
第6章 鞆港の空間・記憶・政治
―鞆港保存問題のローカル・ポリティクス
1 鞆港の空間と記憶
2 鞆港の港湾整備事業の歴史と支配層の変遷
3 地域指導者層による道路建設の推進
  ――埋め立て・架橋計画を支持する論理
4 「平の浦」からみる利便性――もう一つの漁港のまち
5 若手男性経営者層による保存運動――「鞆を愛する会」
6 地方名望家層による保存運動――「歴史的港湾鞆港を保存する会」
7 女性・主婦層による保存運動――「鞆の浦・海の子」
8 「保存か開発か」をめぐる政治的実践
  
第7章 なぜ鞆港を守ろうとするのか
―「鞆の浦・海の子」の事例分析
1 なぜ保存するのか――[why][who][what]の問題関心
2 「保存の論理」の分節化――〈保存する根拠〉と〈保存のための戦略〉
3 「鞆の浦・海の子」による保存運動――4つの「保存の論理」
4 「鞆の浦・海の子」の〈保存する根拠〉と〈保存のための戦略〉
5 地域社会の紐帯としての歴史的環境
  
第8章 「話し合い」のローカリティ
―鞆港保存問題にみる伝統的な〈政治風土〉と地域自治
1 鞆港保存問題における「2つの問い」
2 合議制を持つ漁村社会――年齢階梯制社会における意思決定
3 鞆の浦の地域的特質――話し合いの重要性と年長者の尊重
4 市民的公共圏と合議制――〈伝統的なもの〉のゆくえ

第四部 〈鞆の浦〉の歴史保存とまちづくり
  
第9章 〈鞆の浦〉の歴史的環境保存―まちの記憶の継承
1 鞆港保存問題の社会学的解明
2 環境と記憶のローカル・ポリティクス
3 空間の保存と記憶の継承
4「変化しないこと」の社会学
  
終章――〈鞆の浦〉の歴史をたどる旅のおわり
1 歴史的環境保存の意味
2 残された疑問――なぜ埋め立て・架橋計画なのか
3 鞆港保存問題の解決とまちづくりに向けて
  
補遺 現地調査の実際―〈鞆の浦〉と鞆港保存問題の調査方法
  
あとがき
  
参考文献
鞆の浦・鞆港保存問題・まちづくり年表 730-2016
人名索引・事項索引
  
装幀 鈴木敬子(pagnigh-magnigh)


〈鞆の浦〉の歴史保存とまちづくり あとがき

  本書は,2011年度に法政大学大学院社会学研究科に提出した筆者の博士論文「環境・記憶・政治の社会学的実証研究―伝統港湾都市・鞆における港湾開発問題と地域政治」を再構成して,全体的に加筆修正を行ったものである。この博士論文は以下の学術誌に掲載された論文をもとに構成されている。おもなものは,以下の通りである。
  
森久聡,2005a,「鞆港保存問題に関する基礎的な研究資料」『社会研究』35:74-125.
森久聡,2005b,「地域社会の紐帯と歴史的環境―鞆港保存運動における〈保存する根拠〉と〈保存のための戦略〉」『環境社会学研究』11:145-159.
森久聡,2008,「地域政治における空間の刷新と存続―福山市・鞆の浦『鞆港保存問題』に関する空間と政治のモノグラフ」『社会学評論』59-2:349-368.
森久聡,2011d,「伝統港湾都市・鞆における社会統合の編成原理と地域開発問題―年齢階梯制社会からみた『鞆港保存問題』の試論的考察」『社会学評論』62-3:392-410.
  
 そして本書は平成27年度京都女子大学出版助成により,出版経費の一部助成を受けて刊行したものである。
  
 2002年9月に初めて鞆の浦を訪れたあと,文献や資史料の収集作業などの準備を経て,2004年から本格的なフィールドワークを開始したが,それからすでに10年以上の月日が経った。筆者は今でも一人で現場を歩き,関係者への聞き取り調査を継続している。

 当初は鞆港保存問題を通じて,歴史的環境の社会的意味を明らかにすることをめざして調査を進めていったのだが,鞆の浦という地域社会が持つ長い歴史と港町として維持されてきた社会生活の豊かさに魅了されると同時にその奥深さに触れて,この問題は一筋縄ではいかない,簡単にわかった気持ちになってはいけないと強く自戒するようになった。そして筆者の研究テーマを鞆港保存問題におくだけではなく,鞆の浦という地域社会の深みを掘り下げて描くことを最終目標に設定し,調査を重ねてきたのである。そして次第に,鞆港保存問題から「開発と保存」について日本社会の地域開発のあり方を見直し,歴史的環境とは何かを示すことができる,という確信を持つようになった。

 鞆港保存問題は時に目まぐるしく,時にゆったりと事態は推移してきた。そして,当初は開発と保存をめぐる地域問題であったが,次第に全国的な報道で取り上げられるプロセスを経て,この鞆港保存問題が日本社会にとっていかに重要な意味を持つのかが見えてきたような気がした。

 本書をまとめるにあたって,それまでのプロセスを振り返ると,実に多くの人にご協力をいただいた。最後になってしまったが,お世話になった方々に心から感謝したいと思う。 はじめに堀川三郎先生に感謝申し上げたい。筆者は,法政大学社会学部の時代から指導教員の堀川先生のもとで社会学を学んできた。学部3年生の時,堀川先生の調査実習で小樽のフィールドワークに行ったことが,その後の進路と現在につながるきっかけになった。堀川先生にはキャンパスの中だけではなく,堀川先生のフィールドである小樽の調査を手伝うなかで,歴史的環境保存の社会学を教わった。小樽に行かなければ,おそらく今の自分はなかったと思う。そして本書のアイデアや記述の多くは堀川先生との議論を通じて生まれたものである。滞在先のホテルの一室で堀川先生と深夜まで,小樽や鞆の浦の聞き取り調査のインフォーマントの語りに耳を傾ける時間は,クリエイティブであると同時にスリリングなものであった。

 社会学部を卒業して大学院の社会学専攻に進学してからは,堀川先生に加えて副指導教員として舩橋晴俊先生にもご指導いただいた。舩橋先生も環境社会学を専門としており,独自の社会学理論をベースに公害問題や環境問題の解決過程論を展開されていた。同じ環境社会学でも歴史的環境保存の社会学とは異なる視点と立脚点から指導をしていただいたことは,研究の視野を広げる貴重な機会であった。そして実証研究からどのように理論研究へと結びつければよいか,などを初めとして,社会学者としての自立に必要な社会学の方法論を学ばせていただいた。  ところが舩橋晴俊先生は,2014年の夏,急逝されてしまった。博士論文を提出した後,京都女子大学に着任し,これから学会活動などを通じて舩橋先生に恩返しをしようと思っていた矢先のことであった。舩橋先生の学問,社会,教育に対する真摯な姿勢とお人柄は,学者や教育者としてだけではなく,人間として尊敬すべきものであった。今でも舩橋先生がご健在のような気がしてならないが,少しでも舩橋先生のお教えを生かして,後世に伝えていくことが残された者の務めではないかと思う。

 法政大学大学院の他の専攻だけではなく,筆者は他大学のいろいろな研究室やゼミに参加してきた。単位互換制度を利用して正式に聴講生として参加することもあれば,いわゆる「モグリ」聴講生として,さまざまなゼミ文化や議論のスタイルに触れ,吸収するように努めてきた。「モグリ」を許していただいた先生方と院生のみなさまに御礼申し上げたい。 首都大学東京の玉野和志先生には,とくに記して感謝したい。玉野先生のゼミでは,社会学の古典を読み解きながら,社会学の基本的な考え方を教わった。さらに,本書の事例分析に関わる主要なアイデアは玉野ゼミで鞆の浦の研究報告をさせていただいた時の玉野先生のコメントによるところが大きい。現地調査を先行させて,それをどう分析し解釈すべきか迷っていたとき,研究の道筋を示してくださった。

 もちろん指導教員,副指導教員の先生方をはじめとして,法政大学大学院社会学専攻の先生方や大学院生の先輩・後輩,堀川先生の学部ゼミ生からも多くのことを学ばせていただいた。時には調査研究や執筆作業を手伝ってもらったこともある。とくに私が大学院博士課程在籍時に堀川ゼミの学部生6名には,最初の鞆の浦調査での年表作成や資料収集に協力してもらい,一緒に鞆の浦の町並みゼミで参与観察を行った。その時に鞆の浦の方々と関係を結ぶことができたからこそ,その後も継続して調査研究を進めることができた。また筆者と同じ生年の2人の院生仲間たちとは,互いに学会誌に投稿するための論文の草稿を持ち寄っては,居酒屋で終電になるまで議論したことが強く印象に残っている。そのときに3人で議論した論文がすべて『社会学評論』に掲載されたことは大きな喜びである。ここでお世話になったすべての先輩や同輩,そして後輩の方々の名前を挙げることはできないが,こうした多くの方々の助言によって,本書をまとめることができた。そして現在,筆者が勤務している京都女子大学現代社会学部の先生方にも感謝を申し上げたい。東男を受け入れていただき,研究・教育を自由にさせてもらっている。本書の刊行もそうした職場環境の恩恵を受けているのは間違いない。

 また堀川先生のフィールドである小樽では,現地調査を手伝うなかで,多くのインフォーマントの方々から小樽運河保存運動と現在のまちづくり運動について教えていただいた。小樽でのご示唆は,事例として似た構造を持つ鞆港保存問題の理解にとどまらず,歴史的環境とは何か,町並み保存とは何か,まちづくりとは何か,都市とは何か,を探求するうえで,どの地域社会にも通底する普遍性を持つものであった。鞆の浦で得た観察データを理解できずに悩んでいたとき,小樽のインフォーマントの話を聞くと,その悩みを解きほぐす手がかりを得られたことが何度もあった。そして,調査者はいかに現場と向き合うべきか,という研究者として最も大事な姿勢を学んだ。鞆の浦を調査する時には,常に小樽でいただいた言葉の奥深さを思い出して,表層をなぞるだけにならないように気をつけてきたつもりである。

 そして,なによりも鞆の浦のインフォーマントの方々には,心より御礼申し上げたい。鞆の浦には地域社会を支えていこうとする住民の方々の日々の営みが堆積して存在しており,本当に多くのことを学ばせていただいた。内陸の海のない県に生まれ育ち,鞆の浦はもちろん瀬戸内海の港町の歴史について何も知らなかった筆者を温かく受け入れて下さり,ていねいに町の歴史やまちづくりの理念について語っていただいた。一度の聞き取り調査では理解できず,再度訪問すると,繰り返し説明してくださった。それにもかかわらず,これまで鞆の浦で見聞きした内容を十分に理解できていない部分も多く,知りたいこと,わからないことも多く残されている。

 お話をうかがった方の中には,すでに鬼籍に入られた方もいる。まだまだ多くのことを教わりたかったと残念でならないが,「これからは人に頼らず自分の力で勉強を続けなさい」との励ましをいただいたと感謝している。その教えに応えるためにも,そしてまた,これまで多くの方にお世話になった者の責任としても,鞆の浦の歴史文化と生活の営みをこうして描いていくことを,現場から「もう来るな」と言われるまで続けていきたいと思っている。ご迷惑かもしれないので,こちらの思い入れで勝手にライフワークと言うわけにはいかない。

 これまで鞆の浦を訪ねて調査を重ね,多くのインフォーマントの方々の言葉の意味を筆者なりに理解し,それを研究論文というかたちで表現しようと試みたのが本書である。その試みがどれだけ成功したのかはわからないが,本書を書き上げたいま,鞆の浦という港町の奥深さをひしと感じて,次の現地調査の準備を始めている。
  
2016年春
著 者