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板倉史明 著

映画と移民
―― 在米日系移民の映画受容とアイデンティティ


A5判上製274頁

定価:本体3500円+税

発売日 16.3.31

ISBN 978-4-7885-1472-0




◆映画は移民のアイデンティティ形成にどう関わったか
 いま移民・難民問題が注目されています。日本はこの問題に冷たいとも言われますが、戦前の日本は移民(棄民?)に積極的でした。特にアメリカへの移民はさかんでした。本書は、アメリカへの日系移民の歴史を、映画を通してたどったものです。戦前の日本人町で、どのような(日本)映画が上映されていたのか。どのように制作され、どのように受容されたのか。それが日米開戦でどう変わったのか。押収された日本映画を米軍はどのように利用したか、その補償は? また、日本映画に対する一世と二世の違いは、などのさまざまな問題を通して、映画が移民のナショナル・アイデンティティの構築と変容に果たした役割を問います。

映画と移民 目次

映画と移民 はじめに(一部抜粋)

ためし読み

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映画と移民 目次
はじめに

 第一部 「映画と移民」研究の居場所

第一章 国民国家の枠組みを超えて
1 エスニック研究の場合
2 日本学の場合
3 映画学の場合

第二章 「同化」物語からの解放
1 アメリカ映画の支配に対するユダヤ系移民の抵抗
2 イタリア系移民の「歴史映画」受容とナショナル・アイデンティティ
3 アフリカ系アメリカ人の「大移住」とオルタナティヴな映画受容

 第二部 日本人移民による日本映画受容

第三章 一九一〇年代のアメリカにおける日本映画上映
1 混ざり合う複数の観客層
2 日本人移民の悪習を戒める「同化論」
3 日本人経営の劇場という場
4 日本映画興行と不安定な観客性

第四章 一九二〇年代における日本映画上映の多元的機能
1 日本映画配給網の制度化
2 日本映画専門館「富士館」の誕生
3 北米における活動弁士と巡回興行
4 「エスニック経済」としての映画興行
5 宗教と映画上映の政治学

第五章 一九三〇年代の日本映画上映運動と「人種形成」
1 伴武による日本人独立教会の設立
2 〈日本民族〉の境界とアメリカ化
3 日本映画フィルムの接収と発見

 第三部 日本映画フィルムのゆくえ

第六章 真珠湾攻撃以降のアメリカ政府による日本映画接収
1 総力戦と敵性財産の管理
2 日本映画接収の経緯
3 日本映画の軍事利用 
4 終戦後における日本映画の返還要求
5 日本映画の〈里帰り〉

 第四部 日本人移民による映画制作

第七章 一九一〇年代の日系移民による映画制作
1 成沢玲川によるメディア戦略
2 日米フィルムと〈われわれ〉の物語

第八章 日本語トーキー映画『地軸を廻す力』と〈真正な〉日本語
1 『地軸を廻す力』の制作から公開まで
2 トーキー初期におけるハリウッドの世界戦略
3 子鴉やいまだ憎まるるほど鳴けず

おわりに

あとがき
主要参考文献
事項索引
人名索引
図版出典一覧

装幀―難波園子


映画と移民 はじめに(一部抜粋)

 この間、映画の『座頭市』を見たんですよ。おもしろいなと思って、味をしめちゃってね。とても歯切れがよくって、すばらしいんで、また見にいったんです。ワクワクする気持ちでいったところが、景色が目に来ちゃうんです。日本の景色、川だとか山だとかがきれいでね。

 戦前はフランスで、そして戦後はアメリカで活躍した洋画家の岡田謙三(一九〇二―一九八二)は、一九六六年の対談において、外国で見た日本映画の感想をこのように述べた。一九六二年から大映でシリーズ化された勝新太郎主演の「座頭市」シリーズは、国外でも人気の高いアクション時代劇であった。多くの観客が座頭市をはじめとする登場人物の表情や演技に注目して物語を消費するなかで、海外生活の長い岡田謙三は、登場人物よりも画面の背景に映り込んでいる日本の風景に意識が向いてしまう。

 稀に観る日本映画に日の丸を振る場面ありて心をどるも

 この短歌は、戦前にアメリカへ渡った日本人移民である泊良彦(一八八七生まれ)が戦後に詠ったものである。彼の心を動かしたのは、映画館のスクリーンに映しだされた日の丸の小旗の映像であった。戦前からアメリカで生活を送ってきたこの歌人は、日本で生活する多くの日本人観客ならば特に意識することなく見過ごしてしまうであろう日の丸の映像に反応してしまう。

 映画作品の〈意味〉は、映画観客の能動的な受容があってはじめて生まれるものである。たしかにそれぞれの時代や場所によって支配的な〈読み〉のコードは存在するものの、映像がもつ意味や解釈はけっして固定されたものではない。岡田謙三が日本の風景に視線を移し、泊良彦が日の丸の小旗に心ひかれるエピソードから見えてくるのは、歴史的な存在としての映画観客の受容の仕方は、その観客が生きるコンテクストによって、あるいは観客が生きる時代や場所によって、さまざまに異なるという映像体験の特質である。

 本書は、戦前のアメリカで生きた日本人移民たちが、日本映画をどのように見たのか、そしてそれらの日本映画は移民たちにとってどのような役割を担っていたのか、ということを考察するものである。

 二〇世紀は映画と移民の世紀であった。近代的な国民国家体制が完成する一九世紀後半に技術的・政治的な起源をもつこれら二つの現象に共通するのは、国家のナショナリズムを補完する役割を担ってきたと同時に、国民国家の境界を常に越えてゆくトランスナショナルな運動を内包していた点である。

 映画が国民のナショナリズムを強化してきたことは、第二次世界大戦中に各国が製作したプロパガンダ映画が当時の国民に与えた大きな影響力を想像すれば容易に理解できる。また、複製技術によって生みだされる映画フィルムは、その黎明期からトランスナショナルなメディアとして世界を移動してきた。一八九五年、動く映像を大きなスクリーンに投影して不特定多数の観客に見せるという興行形態を定着させたリュミエール兄弟は、世界各地に自社のキャメラマンを派遣して、現地の風景や風俗を撮影させた。一八九六年に京都の実業家・稲畑勝太郎がリュミエールのシネマトグラフをたずさえてリヨンから帰国した際、稲畑につきそって来日したのは、リュミエール社の技師コンスタン・ジレルであった。ジレルは日本の風物や人物など数多くを撮影し、日本各地で上映活動をおこなうとともに、撮影フィルムを本国フランスへ送った。映画はその最初期から国境を越えて移動し、異なる国や文化を循環するメディアとして機能していたのである。

 いっぽう、近代におけるおもな移民(および難民)は、一九世紀後半から激化する国民国家や民族主義の生成プロセスにおける付随物として発生した人口移動現象といえる。この人口移動は多くの場合、大規模な政治的・経済的・宗教的な社会変化が原因であった。たとえば、アメリカ合衆国(以下、「アメリカ」と略記。ただし引用文中は原文にそくして「米国」とも表記)に現在住んでいるユダヤ系アメリカ人の多くは、一九世紀末に東欧で頻発したポグロム(ユダヤ人虐殺)から逃れるために大西洋を渡ってきた人々の子孫であるか、または一九三〇年代に台頭したナチスの迫害を逃れて亡命してきた人々の子孫である。ある国家や社会という共同体においてナショナリズムが高揚したとき、その共同体を統合しようとする体制の枠に収まることのできない要素は、同化(assimilation)を迫られるか、さもなくば迫害(persecution)されるしかない。国境を越えて移動する〈移民〉とは、国民主義や民族主義という統合原理の裏面として、二〇世紀の歴史のなかで生まれざるをえない存在であった。このように映画と移民は、ともに国民国家の枠組みを強化する媒体として機能してきたと同時に、その枠組み自体を問題化し、揺さぶりをかける役割をも果たしてきた。

 映画と移民の関係が二〇世紀を通じてもっともダイナミックに浮かび上がった国は、間違いなくアメリカである。建国から今日までつねに国外からの移民の流入によって成り立ってきたアメリカは、第一次世界大戦以降、ハリウッドという世界最強の映画産業を有し、多民族社会のなかで映画作品を製作・上映するとともに、世界を席巻する国際的な配給網を構築してきた。

 では、アメリカにおいて映画と移民はいかなる関係を結んできたのだろうか。あるいは、映画は移民たちのアイデンティティの構築と変容にいかなる影響をあたえてきたのだろうか。たしかにこれまでの研究のなかで、映画というメディアが〈国民〉のきずなを強化し、再編成してきたことは詳しく論じられてきた。しかし、映画と移民の関係性を取り上げた研究は一九九〇年代以降、ようやく少しずつ生まれてきたにすぎない(詳細は第一章を参照されたい)。

 本書は、具体的には、越境性を本質とする映画と移民という二〇世紀的な現象の相互関係を、映画学的な方法論を基盤にして分析するものである。特に、二〇世紀初頭から太平洋戦争時のアメリカで生きた日本人移民(およびその子孫である日系アメリカ人)に焦点をしぼり、彼ら/彼女らのナショナル/エスニックなアイデンティティの特徴を、①アメリカにおける日本映画の配給・興行という受容の側面と、②日本人移民による映画制作の側面から考察してゆく。

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