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奥野昌宏・中江桂子 編

メディアと文化の日韓関係
――相互理解の深化のために


A5判上製296頁

定価:本体3200円+税

発売日 16.3.31

ISBN 978-4-7885-1471-3

cover


◆お互いの歴史を知ることから、始まる
 日韓関係は、竹島=独島問題、慰安婦問題などをきっかけに、ここ数年、最悪の状態でしたが、おぼろげに希望の光も見えてきました(?)。しかしいまなお予断を許す状態ではありません。ワールドカップの日韓共催、韓流ドラマのブームなどで盛り上がった時期もあったにもかかわらず、なぜこのような険悪な関係になったのでしょうか。本書は、日韓関係の歴史を、新聞・放送などのメディア、マンガ・アニメ・ドラマなどの文化交流の面から歴史的にたどり直し、日韓の相互理解を深めようとしたものです。韓国が日本の植民地支配の後も過酷な独裁政治のもとに置かれ、苛烈な民主化運動の末に今日の自由を獲得したこと、日本にもまた、日韓友好に尽力した人々がいたことなど、お互いの歴史を知ることが関係改善の着実な道であることを確信させる本です。

メディアと文化の日韓関係 目次

メディアと文化の日韓関係 まえがき

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メディアと文化の日韓関係 目次
まえがき 編者

第1章 朝鮮の美を見つけた日本人のパイオニアたち 金政起
1 はじめに
2 柳、淺川兄弟、そして朝鮮陶磁の美
3 民藝論の「実験場」としての朝鮮民族美術館
4 おわりに

第2章 工芸家たちの「もうひとつの近代」―国境を超えた文化活動の記録として 中江桂子
1 はじめに
2 工芸家たちの「もう一つの近代」をめぐって
3 文化を守るための装置
4 柳における博物館思想の発展
5 おわりに―相互理解への長い道のり

第3章 日本における韓流の経緯と現状 金泳徳
1 はじめに
2 韓流と日本
3 韓流ブームの経緯
4 韓国ドラマとK-POPの現状
5 おわりに―韓流の今後

第4章 もう一つの韓流ブーム ?―韓国歴史ドラマ・ブームについての覚書 市川孝一
1 はじめに―ブームへの注目
2 韓国歴史ドラマ・ファンへの道
3 韓国歴史ドラマとは
4 なぜ、中高年男性に受けるのか?
5 おわりに

第5章 インターネットを通した日本大衆文化の受容現況と特徴 文エン珠・白承カク
1 はじめに
2 日本大衆文化に対する開放政策とメディア環境の変化
3 研究内容および研究方法
4 インターネットを通した日本大衆文化の受容状況
5 日本大衆文化の受容特性と日本大衆文化開放政策への影響
6 おわりに

第6章 戦後日韓関係の相互認識をめぐる言説―記憶の再生産と認識の相違を超えて 蔡星慧
1 はじめに
2 帝国の記憶、不遇の連続性
3 新保守主義を超える文化言説
4 拒否から受容へ
5 むすびに代えて―新たな談論に向けて

第7章 韓国の博物館における日本の表象 中江桂子
1 文化は解放されたのか
2 柳宗悦展という挑戦
3 記者会見というディスコミュニケーション?
4 ジャーナリズムのなかの言論封鎖 ?―文化財の政治的利用をめぐって
5 歴史的トラウマを超えて

第8章 1970-80年代における韓国の対日情報発信―対外広報誌『アジア公論』を中心に 田中則広
1 はじめに
2 韓国弘報協会の設立経緯と『アジア公論』の概要
3 『アジア公論』の主要テーマと量的変化
4 1973年における『アジア公論』の情報発信
5 1980年における『アジア公論』の情報発信
6 1987年における『アジア公論』の情報発信
7 おわりに

第9章 1998年韓日首脳共同宣言以後の情報・文化交流について 李 錬
1 はじめに
2 金大中大統領在任中の韓日関係
3 盧武鉉大統領在任中の韓日関係
4 李明博大統領在任中の韓日関係
5 アンチ韓流と「嫌韓」の潮流
6 韓日関係改善策の模索と提言

第10章 日韓両国民の相互意識とメディア 奥野昌宏
1 日韓関係の近景
2 相互意識の現状
3 メディアの位置
4 メディアの今後

第11章 韓国における代案言論メディア創出のダイナミズム―言論民主化運動の系譜から 森 類臣
1 はじめに―問題の所在
2 朴正煕政権による言論弾圧と言論民主化運動
3 全斗煥政権による言論弾圧と言論民主化運動
4 『ハンギョレ新聞』の創刊
5 インターネット新聞『オーマイニュース』登場
6 李明博政権のマスメディア掌握と代案言論メディア
7 おわりに―言論民主化運動の系譜から見る代案言論メディア

第12章 朴正煕政権下韓国の外信メディア統制―読売新聞ソウル支局閉鎖の展開過程を中心に 小林聡明
1 はじめに 254
2 第一次閉鎖:1972年9月8日〜同年12月6日
3 第二次閉鎖:1973年8月24日〜1975年1月10日
4 第三次閉鎖:1977年5月4日〜1980年1月15日
5 おわりに

第13章 日韓両国のメディア・ナショナリズム―2014年8月、竹島/独島問題を事例として 大石裕・崔修南
1 はじめに―日韓関係とメディア・ナショナリズム
2 竹島/独島問題の新聞報道(1)2014年8月11〜12日
3 竹島/独島問題の新聞報道(2)2014年8月13〜16日
4 竹島/独島問題の新聞報道(3)それ以降の批判の応酬
5 考察―争点連関と歴史認識の観点から

装幀・虎尾隆


メディアと文化の日韓関係 まえがき

 私たちは他者とどのように向き合い、どのように相互理解を深めるべきなのか、そしてどうすればそれが可能なのか、私たちの思考の出発点はそこにある。

 誰もが抱えるこの素朴な問いにたいして的確に答えるのはそう簡単なことではない。ましてそれが国家と国家あるいは国民と国民の間で、ということになるといっそう困難さが増す。拠って立つ歴史や文化の規定性がより複雑になり、そのことによってステレオタイプの効用が高まってしまうからである。一人ひとりの知識や経験は多様であっても、集合状況においては、ともすれば個別性が埋没しやすくなる。社会には多様なディスコースのやりとりがあり、それが時に融和を生み出し、あるいはさらなる葛藤を惹起させる。国家間の歴史問題についてはその振り幅が大きくなりがちであり、やりとりは闘争の趣きをきたしやすい。歴史的事実と歴史認識は別であるとの考え方もあるが、現実にはそう単純に分けることができない。なぜならば「事実」の確定には価値観に裏打ちされた「認識」が不可避に存在するからである。

 ディスコースのやりとりにおいて重要な位置にあるメディアが、融和の産出に寄与する場合もあるが、葛藤の増幅力として働くこともあり、このことが問題の解決を遅らせたり、相互理解の妨げとなることさえある。このことは、「近くて遠い国」と長らく称されてきた日本と韓国の場合も同様である。ここにいう相互理解とは、同じ見方、考え方になることを指すわけではもちろんない。安易な同一化はむしろ危険でさえある。それと同時に、いたずらに違いを強調し過ぎることも避けなければならない。違いを誇張することは排他性に繋がり、それは攻撃性を助長しかねないからである。相互理解はいうまでもなく社会的関係性のなかにあり、その関係性には正負あるいは異同の両面が存在する。そのことを前提にして先入観を捨て、互いに真摯に向き合うことでしか相互理解はありえないのである。

 さて2015年は、戦後、すなわち日本の植民地支配終結から70年、日韓基本条約の締結から50年目にあたる節目の年であった。しかし両国関係はけっして良好ではなかった。これに先立つ2012年夏の李明博韓国前大統領の竹島(独島)上陸を契機に両国関係は極度に悪化したのである。さらにその後も安倍晋三政権と朴槿恵政権との関係は冷え込み続け、日韓関係は長らく悪化したままであった。また政権同士の軋轢のみならず、たとえば、日本では一部のメディアが「嫌韓」を売り物にし、ネットのなかには「嫌韓」と「反日」が溢れた。その多くは健全な「批判」ではなく、故なき「誹謗」であり、相互理解とは逆方向のベクトルをもっていた。日韓両国のコミュニケーションは、従来の政治やジャーナリズムあるいはマス・メディアの範囲を超えて、大衆文化やネットを通じた市民レベル、草の根レベルにまでおよぶ広範で多層的に展開される時代となったが、この状況が相互理解にとって両義的であるのも現実である。

 このように混迷する現実を踏まえながら、日韓関係をメディアと文化の側面からとらえなおすという企図により、成蹊大学アジア太平洋研究センターのもとに研究プロジェクトが立ち上げられた。本書は2012年度から3カ年実施されたこの日韓共同プロジェクト「日韓比較メディア研究―情報と文化の位相」の研究成果である。

 プロジェクト・メンバーは、以下のとおりである(五十音順)。

日本側:市川孝一(明治大学)、大石裕(慶応義塾大学)、奥野昌宏(成蹊大学:代表者)、小林聡明(日本大学)、鈴木雄雅(上智大学)、田中則広(NHK)、蔡星慧(学習院女子大学)、中江桂子(成蹊大学)。

韓国側:李錬(鮮文大学校)、金政起(韓国外国語大学校)、金泳徳(韓国コンテンツ振興院)。

なお、本書を編むにあたっては、上記メンバーのほか、森類臣(立命館大学)、崔修南(慶應義塾大学院生)、文?珠(韓国放送通信審議委員会)、白承?(韓国コンテンツ振興院)の各氏に執筆を願った。

 日韓両国のメディアや文化にかんする比較研究はここ十年余り積極的に行なわれているし、関連の書籍や論文もかなりの数が公刊されている。ただ内容面からみると、いわゆる「韓流」を中心とする現代のメディア文化に関連するものが多くを占めているように思われる。こうした実状に鑑み、本書では同種の内容を含みつつも、できる限り歴史的視点を反映させるように配慮した。またメディアについては機械装置としてのメディアだけでなく、メディアとしての人間の営為にも注目した。さらに相互理解にとって正のベクトルをもつ事象だけでなく、コンフリクトをなす歴史的事象も取り扱われている。なぜならば、仮に相互理解が実現するとすれば、それは歴史的な積み重ねのなかにおいてのみであり、またその過程においては常に負のベクトルも現出するからである。と同時にまた、負の状況にあっても時に大勢に抗う人間の力にもあらためて目を向ける必要があろう。こうした考えがいささかでも本書に実現しているならば執筆者一同うれしい限りである。

 前半の第6章までの論考は、主として日韓の文化史上のトピックや大衆文化の相互交流の現状を通じて、歴史との向き合い方や相互理解への道筋をどうとらえればいいのか、といった点について論じたものである。また、後半の第7章以降は、戦後の政治体制やメディア・言論状況のもとで展開されたメディアの政治、ナショナリズム、その結果としての相互理解の正負の展開についての論考が並んでいる。テーマや視座・射程はそれぞれ異なるが、日韓関係における事実はいかに形成されているか、メディアは社会をどのように伝えているのか、理解の物語はどのように構築されるか、などの問題について、文化とメディアあるいはジャーナリズムの視点から考察したものである。私たちはその多様性と多角性を大事にしたいと考えている。そもそも異質な立場を尊重する相互理解とは、単純で「わかりやすい」総括を警戒し、むしろ「わかりにくさ」を大事にする、ということを通じてしか実現しない。単純なわかりやすさに従うことが、じつは多くの犠牲を支払うことになるのだと、私たちは日韓の歴史から学んできたのである。単純な結論を安易に求めず、真摯に実直に相互に向き合う姿勢こそが、すべての政治的打算を凌駕して相互理解に向けた一歩を加えることになるのだと考える。

 先に触れたとおり、この研究プロジェクトの実施については、2012〜2014年度の3カ年にわたって成蹊大学アジア太平洋研究センターの助成を受けた。その成果として本書を成蹊大学アジア太平洋研究センター叢書の一冊として上梓できることにたいし、同センターにあらためて謝意を表したい。またプロジェクトの遂行過程で両国の多くの研究者やジャーナリストから貴重なお話を伺うことができた。それらが研究や執筆をするうえで大いに役立ったことは言うまでもない。ここでは逐一お名前をあげることは省略するが、すべての協力者にたいして心から感謝したい。さらには、出版事情が厳しい折がら本書の刊行を承諾された(株)新曜社と繁多な編集業務を一手に引き受けてくださった同社編集部の渦岡謙一さんに衷心よりお礼を申しあげたい。

2016年1月
編 者