戻る

田中研之輔 著

都市に刻む軌跡
――スケートボーダーのエスノグラフィー


四六判上製274頁

定価:本体3200円+税

発売日 16.3.25

ISBN 978-4-7885-1469-0




◆ストリートと身体に刻まれる生を描く
 駅前広場で、すぐ横の公園で、躍動するスケートボーダーの姿をかつて目にしました。あの集団はいまも跳びつづけているのでしょうか。秋葉原、池袋、新宿、土浦などでの多年にわたる参与観察により、文化的行為を媒介にして形成されたこの若年集団の軌跡へと迫ります。表面的なスタイルや価値観のみを分析するのではなく、どのような都市空間管理の政治と交わり、いかなる生を経て何を費やして参加してきたのか、そして、その生き方の帰結には何があるのか、という全体を描きだすヴィヴィッドな都市エスノグラフィーです。著者は法政大学キャリアデザイン学部准教授。

都市に刻む軌跡 目次

都市に刻む軌跡 あとがき(一部抜粋)

ためし読み

Loading

都市に刻む軌跡 目次
序論 暗がりの律動、没頭する身体
1 仮設フェンス越しのたまり場
2 舞台と編成

第1章 都市下位文化集団の理論と方法
1 相互行為の生成論理
2 相互行為の象徴闘争
3 相互行為の理論射程
4 相互行為の分析視座

第2章 湧出するたまり場のポリティクス
1 湧出の過程
2 行為の禁止
3 集団の形態
4 行為の境界

第3章 身体に刻まれるストリートの快楽
1 滑走の体感
2 技芸の修練
3 路上の記憶
4 身体の痕跡

第4章 集団内の役割と規範
1 集団の序列
2 広場の統制
3 占有の創造
4 役割の演技

第5章 獲得した場所に囲い込まれる行為
1 偏見と排除
2 署名と獲得
3 開設の経緯
4 組織と地域

第6章 身体化された行為の帰結
1 行為の経路
2 集団の特性
3 職業の移動
4 滞留の構造

結論 行為の集積と集団の軌道
1 集団生成の論理
2 相互行為が導く集団の軌道

あとがき
参考文献
索引

装幀―戸田宏一郎


都市に刻む軌跡 あとがき(一部抜粋)

 別の人生を歩んでいたと思う。スケートボードに打ち込む若者達に出会うことがなかったら、私はおそらく社会学者になっていない。「たまり場」での出会いは、私の人生を経路づけていく決定的な出来事だった。「たまり場」で交わした会話や打ち込んだスケートボードは、私の身体に直接刻み込まれ、今を生きるエネルギーの源泉となっている。身体の細部に浸透した記憶と感覚がストリートでの経験を詳細に呼び起こす。

 行為を続けることや集団に帰属することには、もったいぶった言葉はいらない。スケートボードという共通言語をもつ集団は、行為やスタイルが身体の言語によって維持される社会的世界であった。身体が語る社会的世界の内実を本書に書き起こしていく作業は、言葉にならない身体性を共有する集団行為に、言葉を与えていく産みの苦しみを伴うものであった。書くことの喜びを感じることはごくわずかなモーメントだった。

 『都市に刻まれた軌跡』という本書のタイトルは、出版元の塩浦暲社長がつけてくださった。スケートボードという文化的行為を通じて経験したストリートの変化と行為者たちの成長記録を都市という空間の中で捉え表現したいという私の意図が読者に伝わる素敵なタイトルだと思う。本書の方法として取り組んだエスノグラフィーは、社会調査の方法論のなかで、もっとも研究者の身体性が反映される手法であるといえるだろう。現場で目にする様々な事象をどのように分析していくのか、いかなる言葉や質問を対象に投げかけていくのか。その一挙手一投足が研究者に委ねられている。そのため、研究者の価値観や立場性が投影されすぎる生々しさをもっている。しかし、その生々しさへの科学的な批判が気にならなくなった。それぐらい没頭した。スケートボードという都市下位文化の社会的世界をかたちづくる主要な要素を記述することができたと感じている。だから、これほどの長旅となったことも後悔はない。本書を編み上げていく過程は、私自身が社会学者になっていく成長の旅路でもあった。

 だが、私のようなフィールドワークは到底おすすめできない。効率が悪すぎる。一冊の本を刊行するのに17年間もかけていては、社会学者としての生産工程を逸脱している。今ようやくにして「たまり場」で交わした約束(=本にまとめあげる)を果たすことができる。脳内に刺さったデッキの破片がとれて、ゆっくり眠れそうな気がしている。

 社会学とは何であるのか、社会学に何ができるのかを絶えず考えてきた。その私なりの答えが、ぼんやりとみえてきた。私にとっての社会学とは、行為を生み出す個人や集団に自身の身体を賭けて入り込み、そこでの特有のリズムや感覚を私の身体の上に書き込んでいくこと、そうすることで特有の価値や規範をリアルに見出し、それらをとりまく社会との対話に向けて、書き込まれた身体の経験から問題を焦点化していくこと。これが「私の社会学だ」と思う。「身体からの社会学、身体を問いのツールとして、知識のベクトルとして展開する社会学」(ヴァカン 2013: v)の意義を体感し、今後の研究で究めていく。泥臭くていいし、膨大な時間と労力を費やしてもいい。机上で整頓される効率的な社会学への抵抗に、私の存在意義がある。

・・・

 本書の装幀は『丼家の経営』に続き、アートディレクターの戸田宏一郎さんにお願いした。誰もが知っているデザインを数々と生み出してきたこの国でもっとも多忙なデザイナーのお一人で、装幀を連続でお願いするのが正直、心苦しかった。それでもなんとしても、戸田さんの技芸をかりて、本書のフォルムを構築したかった。装幀が出来上がってくるまでのそわそわとした感情、そして装幀デザインを汐留のオフィスでみたときの興奮はこの先も忘れることはない。博士論文をもとに刊行される専門書のなかで、記念すべき逸脱を果たすことができた。プロとして仕事をすること、プロとして生きることの構えも同時に学ばせていただいている。素敵な装幀を有難うございました。

 本書の編集は高橋直樹さんにお願いした。高橋さんとは訳書『ボディ&ソウル』に続いてのタッグとなった。本書での筆の滑りはどことなくぎこちなく力任せのスタイルだった。その滑りを整え、滑らかなリズムを創りだして下さったのは、高橋さんの「トリック=技」の御陰である。また、いつかお仕事をご一緒できたらと思っている。

* * *

 興味を抱くとそのまま行動する勢いに、ただ身を任せて生きてきた私は、博士課程の3年目からメルボルンへと移り、予定の研究生活を終えると、現地の移民局でVisaを更新し在外研究を延長した。その後、U. C. Berkeleyでの客員研究員のポジションが認められ、サンフランシスコへ荷物一式を船便で送り、そのまま西海岸で研究に打ち込んだ。日本学術振興会の特別研究員としての身分なくして院生時代から定職に就くまでの5年間、研究を継続することは不可能だった。

 最後に、あまりに時間を要したので本書の刊行を半ば忘れかけていたであろう、父親と母親に本書を捧げたい。正月や盆に実家に帰省すると、父親は「書けたのか」「できたのか」と聞くようになった。その度に、「まだ」「もう少し」と答えるのが久しぶりに交わす親子の会話となった。ここ数年は、それも聞かれなくなった。私も父親として生きるようになり、「書けたのか」という言葉に込められた心境と、あえて聞かなくなった親心も手に取るようにわかるようになった。30歳まで院生を続け、職を得てからもながながと刊行されない著作に、いい加減しびれを切らしていたに違いない。ようやく、形になりました。心からの感謝を込めて。

  2016年3月19日

軽井沢バス事故
輝かしい学生たちの将来を暴力的に奪った社会への怒りと
つぎなる著作の決意を新たに

田中研之輔