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内藤千珠子 著

愛国的無関心
――「見えない他者」と物語の暴力


四六判上製258頁

定価:本体2700円+税

発売日 15.10.30

ISBN 978-4-7885-1453-9




◆この息苦しい閉塞感に風穴を開けるために!
「韓国」「北朝鮮」「在日」などの記号に罵声を浴びせるヘイトスピーチ、ネット上での匿名による中傷など、最近の愛国的空気のなかには、明らかに相手は誰でもいいという「他者への無関心」があります。本書は、このような風潮を近代日本の帝国主義に基づく無関心に起因しているとして「愛国的無関心」と名づけ、その構造を近現代のメディア言説、小説、映画などを題材に明らかにしていこうとします。そのさい、かつてファシズム期に行なわれた「伏字」(危ない文章を○や×で置き換えたもの)という日本独特の検閲制度が重要な役割を果たし、我々の他者への不感性を作り上げてきたと言います。瀬戸内寂聴、徳田秋声から現代の「在日」小説までをとりあげて、斬新な視点から思想史に新風を吹き込みます。デビュー作『帝国と暗殺』の続編でもあります。

愛国的無関心 目次

愛国的無関心 はじめに(一部抜粋)

ためし読み

◆書評

2015年10月30日、谷崎純一郎研究会web page

2015年12月19日、週刊読書人、千田有紀氏評

2016年1月17日、朝日新聞、保坂正康氏評

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愛国的無関心 目次
はじめに
第一部 帝国と検閲
第一章 愛国とジェンダー
1 生きにくさと暴力──ネット右翼と排外主義
2 快楽としての愛国
3 愛国の物語とジェンダー──従軍慰安婦問題と「真の被害者」
4 無関心の論理
5 仮想現実を語る「私」
6 他者の傷がもつ温度

第二章 伏字のなかのヒロイン
1 政治的な禁止、性的な禁止
2 「日本主義」のファッショ化――『改造』と『中央公論』
3 移民女性と「目に見えない懲罰」
4 消される文字、消える女たち
5 伏字の記憶

第三章 叛逆の想像力
1 過去に出会う場所
2 『アナーキー・イン・ザ・JP』の差別
3 脱色される政治性
4 「アンチ雅子」と「眞子様萌え」
5 皇室スキャンダルの表と裏
6 瀬戸内寂聴と大逆事件
7 美の定型をずらす

第四章 天皇制と暗殺
1 反復するスキャンダル
2 大逆事件と天皇の死 93
3 日蔭茶屋事件と伊藤野枝・大杉栄の虐殺報道
4 大逆事件と夏目漱石
5 回避される即位礼大典
6 『神と人との間』
7 伏字的死角の罠

第二部 物語の制度
第五章 ヒロインを降りる
1 政治的なヒロインの系譜
2 『エロス+虐殺』
3 天皇制と「母の母の母」
4 暗殺する女
5 ヒロインの条件
6 革命の物語への異和

第六章 帝国とファム・ファタール
1 女の二つの顔
2 混血のイメージ
3 身体のトラブルとオリエンタリズム
4 不潔な白
5 帝国主義の背理

第七章 帝国の養女
1 帝国主義と死角
2 博覧会と消費する視線
3 視界を曇らせるもの
4 帝国主義と養子
5 帝国の養女としてのヒロイン

第八章 壊れた物語
1 物語の不在
2 抵抗が無効化した世界
3 男たちの絆
4 平凡なファム・ファタール
5 死んだ母と「水の女」
6 欲望と規範
7 見ないこと/見えないこと

終 章 朝鮮と在日
1 「朝鮮人」の語感
2 日本語と在日文学
3 ファム・ファタールの悪意
4 普通の結婚と「唯一の脱出策」


あとがき
事項索引
人名索引


愛国的無関心 はじめに(一部抜粋)

  世紀が変わってからの十数年、日本や日本人という言葉の語感は大きく変化した。少し前まで、戦争という単語は日本の過去を語るものであったのに、いまでは日本の未来に起こりうる危機を告げる身近な言葉と化した。その文脈を、新しい愛国主義やナショナリズムが支えている。

 論理を複雑な議論をとおして考えることよりも、イメージやわかりやすい図式が好まれるのが、いまの空気である。だからこそ、シンプルな愛国的感覚は、あたりまえで自然な感情として認識され、世の中に広く行きわたっているといえるだろう。日本人という単語に自分を預けることで自我を保とうとするメンタリティは、日本や日本人という記号を無条件に肯定する力になる。日本人としての誇りをもって日本を愛するのは当然のことであり、自虐的な姿勢で過去を反省する時期はもう終わった、歴史に対する一般的な態度として、そのような疚しさなどもはや見飽きた、という感覚が支配的になりつつある。

 他方で、未来への希望をもつことは難しくなった。格差社会を背景に息苦しい閉塞感が広がり、大震災と原発事故の後には、取り返しのつかない問題から目を背けつつ、ゆるやかな絶望感がわかちもたれている。未来の方がいまよりも豊かになるという手応えがもてないため、たのしく充実した実感を味わうことは難しくなり、小さなことに腹を立てたり苛立ったりする瞬間が増加していく。実際、多くの人にとって、電車のなかや公共の空間で、攻撃的な気分になる回数が増えているのではないだろうか。日常的な場面で、クレームを言い立てる人の数も激増したように感じる。不安や不満、怒り、コンプレックス、嫉妬から、不愉快な感触が醸成され、ストレスをコントロールしにくい心理状態が社会の標準となっている。

 不快な感触をリセットするために、現在の日本社会にみられる現象こそが、バッシングにほかなるまい。大勢が攻撃することが予測される対象や出来事が現われたとき、皆と一緒になって攻撃を加える。自分には批判が直接返ってこないことがわかっているものに対してのバッシングに参加することで、負の感情が解消されるばかりか、集団に身をゆだねることで安心感が得られる。そうやって心のバランスを保つことができるというわけだ。したがって、バッシングの対象は実際のところ、誰であっても何であってもかまわない。

 誰でもいい誰かに向けられた攻撃的な暴力は、愛国的なナショナリズムに転じて、日本社会の全体を覆っている。とりわけ「韓国」「北朝鮮」「中国」「在日」といった記号に際だった暴力が向けられていることは、バッシングすることに論理的な根拠があるかにみえるという点に起因しているのだろう。それは、誰もが自然にもっているはずの、愛国的な感覚に支えられたナショナリズムを根拠とする意見の表明である。時として行きすぎた暴力になり、自分としては過剰な暴力を容認するわけではないが、基本的にその考えは間違っているわけではない。攻撃する集団の一部になれば、日本人である自分の自我を支えることができ、不満や不安などの否定的な感触を忘れ、結果として自分を肯定することができる。このように要約できる漠然とした意識を、多くの人が共有しているといえそうだ。

 こうした現在の愛国的空気は、かつての帝国主義やナショナリズムの形式とは異なり、思想や論理を欠いた感情の表出のようにもみえる。学術的に分析したり、論理的に検証することのできない、あるいは、そうするまでもなく明らかな気分やイメージだと、いえばいえるだろう。

 だが、私には、この愛国的空気が、近代の帝国主義が日本語のなかに形成した無関心の回路をベースに、日本語を使用する人々の無意識を呪縛しているように思われる。なぜなら、バッシング的な攻撃をする側は、「韓国」「北朝鮮」「中国」「在日」をイメージ上の存在としてしか見ておらず、具体的な他者に対する関心や興味を欠いているからだ。愛国的な気分で同化した「わたしたち」は、「韓国」「北朝鮮」「中国」「在日」の内実を、自分が向き合った具体的な誰かや何かとして見ているわけではない。

 すなわち、それらは任意の記号であり、容易にほかの対象と入れ替わりうる。負の感情が解消できるなら、バッシングの対象は何であってもかまわない。

 その感触の根底には、他者に対する無関心、さらには自分が置かれた社会的、歴史的、政治的な構造に対する無関心がある。そしてこの無関心は、実のところ、見たくないもの、知らなくてもすむものを見ないで避ける行為を許容するという、近代日本の言説の形式によって、日本語のなかに網の目状に広がり続けているのである。

 本書は、現在の愛国的空気が、近代日本の帝国主義に基づく無関心に起因しているという観点から「愛国的無関心」というタイトルを掲げ、そのしくみを解き明かすことを目的として書かれたものである。具体的には、近代天皇制の権力構造を背景とした大日本帝国の検閲システムや物語の形式を手がかりに、現代と近代を行き来しつつ、帝国主義とジェンダーとの関わりから、日本語という言語のなかに構成された論理と、愛国的無関心の構造について考察する。

 時代としては、一九一〇年代から現在というこの百年の間を考察の射程に、また、分析対象としては、メディアの言語、小説テクスト、映画などを取り上げて議論を進めていく。過去から現在に向かう時間の流れを通時的に記述するのではなく、現在と過去のある一点を対照させることによって、現代の論理を下支えしている言説の構造を可視化することを意図している。

 第一部「検閲と帝国」では、近代日本の検閲システムのなかに現われた「伏字」という制度をにらみつつ、現在の愛国言説をベースで支えている論理について明らかにしたい。そして第二部「物語の制度」では、「伏字的死角」について、制度としての物語を考察する観点から議論していく。