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山 祐嗣 著

日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか
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四六判並製192頁

本体2000円+税

発売日 15.11.16

ISBN 978-4-7885-1452-2




◆あなたは論理的に考えていると思いますか?
 著者は心理学者で、人間の思考がどれほど論理的なのか(そうでないのか)を研究してきました。そんな著者が長らく抱いていた疑問は、「日本人の思考は非論理的」という通説です。たしかに日本人は、ディベートが下手で、情緒的で、使用している言語も非論理的だと言われています。だとしたら、なぜ日本人は、非論理的であるにもかかわらず、明治以降急速に発展して産業国、先進国になりえたのでしょうか。実は本書が明らかにしているように、「日本人が非論理的」というのは大いなる錯覚なのです。いまだに流通している日本人論の誤謬を比較文化から明らかにした、目から鱗の一冊です。

日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか 目次

日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか まえがき

ためし読み

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日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか 目次
はじめに
謝  辞

1章 世紀の亡霊
1 - 1 日本人は劣等民族?
1 - 2 本書の概観

2章 人間は論理的なのか
2 - 1 人間は論理的であると考える理論
2 - 2 人間が非論理的であるとする証拠
2 - 3 内容による影響と進化心理学的理論
2 - 4 2種類のシステム
2 - 5 人間は論理的なのか

3章 「論理的」とはどういう意味か?
3 - 1 論理学は「論理的」を保証するか?
3 - 2 論理学は「合理性」を保証するか?
3 - 3 論理学は「直観的正しさ」を保証するか?
3 - 4 この章の結論─ 論理的とはどういう意味か

4章 東洋人の弁証法
4 - 1 西洋的な教育を受けていない人々の思考についての研究
4 - 2 西洋人の規則基盤的思考と東洋人の弁証法的思考
4 - 3 東洋人は、本当に弁証法的なのか

5章 もし東洋人の弁証法的思考傾向が高いとすれば
5 - 1 西洋人の分析的認知と東洋人の全体的認知
5 - 2 論理的思考と知能指数
5 - 3 柔軟な思考としての弁証法

6章 思考の文化差をどのように説明するか
6 - 1 認知や思考の民族差は遺伝子による差異か?
6 - 2 西洋の個人主義文化と東洋の集団主義文化
6 - 3 文化的伝統としての素朴弁証法と陰陽思想
6 - 4 言語とコミュニケーション

7章 文化的適応の理論に向けて
7 - 1 文化のビッグ・バン
7 - 2 地勢的・気候的・生態的要因による文化多様性の説明
7 - 3 比較文化の心理学における社会生態学的アプローチ

8章 終わりに
8 - 1 文化差の過大視
8 - 2 日本人論として

引用文献
索  引

装幀=末吉亮(図工ファイブ)


日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか まえがき

  TVやインターネット、あるいは新聞などにおける意見・コメントで、「日本人は○○だから?なのですよ」という「説明」を頻繁に見聞きする。そのときの私の感想は、まず「日本人が他国の人々と比較して本当に?なのだろうか」とか、「そもそも日本人って本当に○○なのだろうか」である。そして、「○○だから~?」という因果的説明が科学的に妥当といえるのだろうかという疑問で、頭の中がいっぱいになる。もちろん、このようなコメントは学術論文とは異なるので、科学的厳密さを求めなくても良いのかもしれない。しかし、明らかに間違っていたり、あるいは日本人についての歪められたステレオタイプが視聴者や読者に刷り込まれようとしていたりすると、やはり放置すべきではないと思えてしまう。

 人間の思考が論理的なのかどうかを研究し続けてきた私が、比較文化に興味を抱きはじめたのは14 年前である。そのときに私が漠然と抱いていたイメージは、「日本人の思考は非論理的」というものであった。当時は、日本人は、ディベートが下手で、情緒的で、また使用している言語が非論理的で、総じて非論理的であると考えられていたし、私自身もそう思っていた。上の「説明」にあてはめれば、「日本人は情緒的だから非論理的なのですよ」ということになる。私はその言説を鵜呑みにし、日本人が非論理的であるにもかかわらず、明治以降、急速に発展して産業国、先進国になりえたのはなぜなのかを明らかにしたいと思うようになった。

しかし、本書の内容を読んでいただければわかることだが、ここ20年ほどの心理学における比較文化的な研究から、日本人が非論理的という言説は、かなり疑わしいと言えるようになった。本書では、文明的な発展にはどのような要因が重要かについて7章で言及もしているが、「日本人が非論理的であるにもかかわらず産業国になった」という問題は存在しないものとなり、主として論じたのは、タイトルにもあるように、本当に非論理的なのかという問題である。

 ある程度この領域に精通していた私でさえも抱いていたこのような誤解は、現在でも、かなり多くの日本人に共有されていると思う。この、人々に共有されている思い込みを何とか是正していきたいということが、私が本書を執筆した最も大きな動機であり、目的である。一般的に、学術領域全般に言えることかもしれないが、国際的な学術雑誌ですでに否定されていることや疑問視されていることが、メディア等では通説としてまかり通っていたりすることが少なくない。もちろん、学術雑誌に掲載されている論文での知見・主張がすべて正しいわけでもないが、少なくとも、当該領域についての世界の第一線で活躍する研究者によるピアレビューと呼ばれる審査過程を経ており、その時点で最も信頼できるものと言える。通説がこのような学術雑誌の知見・主張と乖離する傾向は、人文・社会系の領域でよく見られる。特に、専門家ではなくとも意見が言えそうな政治や教育などにおいて顕著なのではないだろうか。それらの領域の一つである心理学でも例外ではない。メディアで発言をする人たちがそのような学術誌に目を通すということがめったになく、また、学術雑誌での知見をわかりやすく一般に伝える研究者も少ないという実情から起きていることであろう。さらに、メディアでは商業主義を無視することができず、科学的知見よりは人々の興味を引くものが優先され、このような現状に至っているのだろう。心理学領域における最もひどい例の一つがABO血液型性格判断だと思うが、これも、何度否定されてもギリシャ神話の怪物ヒュドラのように死なない。

 文化比較、特に日本文化に関係するテーマも、このような傾向が強い。特に問題なのは、いわゆる「日本人論」と呼ばれている書籍である。本書でも、最終章においてこの「日本人論」に言及し、そこで、船曳建夫やベフハルミの見解を紹介している。彼らによれば、そして私も実際に同意するのだが、日本人論は、その多くが比較文化の専門家によって書かれたものではなく、また厳密な科学的比較文化研究によって得られた知見に基づくものでもない。その学術的妥当性に疑義があるものが大半なのである。とくにベフハルミは、「多くの日本文化論あるいは日本人論はイデオロギーにすぎず、大衆消費財のようなものである」と断罪している。比較文化論におけるイデオロギーは、偏見や偏狭なナショナリズムと容易に結びつきやすく、放置は危険なのである。

 本書では、科学的な根拠を求めながら議論を進めているので、国際的な学術雑誌に掲載されている比較文化研究が常に参照可能であるようにしている。それで、本文中では、研究成果の紹介や主張を行なっている人名の後に、アルファベット表記での研究者名と論文の出版年を記している。煩わしく思われるかもしれないが、ご容赦いただきたい。該当する書誌情報は、巻末の「引用文献」にリストされている。また、学術雑誌に掲載されている研究論文を紹介するさいは、専門外の読者の方々にもできるかぎりわかりやすくということを心がけたが、どうしても難解な箇所が生じてしまう。これについても、ご寛恕願いたいと思う。

 本書では、「論理的かどうか」に注目しているので、他の比較文化的な側面についてはあまり深く言及していない。それでも比較文化を、あるいは日本人の文化的特徴について語るには、どのような基準が必要かは明示している。最も重要な点は、文化差が事実として同定できれば、それをどのように説明するかである。本書では、6章と7章でどう説明すべきかを議論しているが、ここは私が最も精力を込めて執筆した部分である。私は、イデオロギーに囚われずに科学的に説明することが、文化差を最も公平に俯瞰できるものだと考えており、このような不断の努力が、近い将来に文化差にまつわるさまざまな偏見やステレオタイプから私たちを開放してくれると信じている。なお、「論理的かどうか」以外で本書の中で言及した比較文化的通説の一つが、「日本人は自然を愛する民族である」という主張である。これはむしろ日本人の肯定的特徴とされているのだが、最終章で、かなり大きな疑義を提起している。