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町村敬志・佐藤圭一 編

脱原発をめざす市民活動
――3・11社会運動の社会学


四六判並製264頁

定価:本体2900円+税

発売日 16.2.20

ISBN 978-4-7885-1450-8

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◆脱・原発をやめられない社会
 安保関連法案に抗議する人の波が国会前を埋め尽くしました。普通の市民・学生が集会、デモに参加するようになった背景には震災・原発事故後の脱原発運動の盛り上がりがあります。本書は一橋大学「社会と基盤」研究会が全国のNPO・市民団体約300団体を調査し、震災後の脱原発活動の全体像を初めてとらえた書です。これらの市民活動は震災後結成された団体を中心に、デモなどの街頭行動や情報報発信を、インターネットやSNSを駆使して担ってきました。3・11後、日本社会はどう変わったのか、どう変えたいのか、沈黙を破って声を上げた市民活動は今後のゆくえを左右するポテンシャルを秘めています。脱原発住民投票、原発避難者の市民活動、セウォル号沈没事故などコラムも必見。

脱原発をめざす市民活動 目次

脱原発をめざす市民活動 序章 動き出した社会をどうとらえるか(一部抜粋)

ためし読み

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脱原発をめざす市民活動 目次
  第一部 3・11以後の市民活動・脱原発運動

序章 動き出した社会をどうとらえるか町村 敬志

第一章 調査の概要町村 敬志+佐藤 圭一

補論1 市民社会の流れは変わったのか 「運動衰退」仮説から考える(町村 敬志)
   2 なぜ日本では原発推進が維持されたのか 原発推進体制を守る「五重の壁」


第二章 原発・エネルギー問題に取り組む市民活動 佐藤 圭一

補論3 被災地との意識のズレ 「脱原発」「復興」では解けない問い(佐藤 圭一

  第二部 活動の広がりと厚み

第三章 市民活動の空間と時間 地理的分布と時間的推移 辰巳 智行

第四章 担い手はどこから現れたのか 金  知榮

第五章 市民活動団体の組織進化論 団体組織化の5段階 佐藤 圭一

第六章 ウェブメディアの活用 金  善美

第七章 脱原発への態度 「決める」決断、「決めない」戦略 陳  威志

コラム 原発都民投票運動の残したもの(佐藤 圭一)
 市民主体を育てる 孵卵器としての社会運動組織(菰田レエ也)
 新潟の市民活動 東京電力もう一つの原発立地自治体(岡田 篤志)
 被災地・福島の市民活動 タウンミーティングという試みから(佐藤 彰彦)

  第三部 市民社会のなかの脱原発運動

第八章 脱原発運動と市民社会 震災前結成団体と震災後結成団体 村瀬 博志

コラム 台湾からみた福島第一原発事故 3・11以後の原発反対運動の再燃(陳 威志)
 災難と公共性 韓国のセウォル号沈没事件と日本の原子力災害(金 知榮)
 原発ゼロに向けて地域の力を結集 NPO法人原発ゼロ市民共同かわさき発電所
(高橋喜宣)

終章 リスク時代の市民社会 佐藤 圭一

あとがき(編者)

参考文献・資料出典・参照サイト
調査票と単純集計(「福島原発事故後の市民社会の活動に関する団体調査」)

事項索引・人名索引
装幀 鈴木敬子(pagnigh-magnigh)


脱原発をめざす市民活動 序章 動き出した社会をどうとらえるか(一部抜粋)

町村 敬志

1 はじまりのかたち

6・11新宿―デモンストレーションの風景から
二〇一一年六月一一日午後、新宿中央公園をスタートしたデモンストレーションの列はなかなか途切れることがなかった。東日本大震災から三ヵ月、脱原発を訴えかける一万をはるかに超える人びとは、全部で十数個の集群(梯団)に仕切られながら、ゆっくりと前に進んでいた。しばらくの間、筆者は第一の集群とともに街路を進んでいった。そして、新宿駅西口に着いたところで、列を一度離れ、各集群が順にやってくるのを駅前の歩道橋の上から眺めることにした(写真序・1)。

 次々にやってくる集群には見たところ千人をゆうに超える人びとが加わっている。一つひとつのグループの人の多さが見る者に強いインパクトにもたらす。しかし、やってくる人の塊りを眺めるうちに、さらに気がついたのは、ゆるやかに束ねられた人びとの雰囲気が集群ごとに大きく違うことだった。結果としてパレードの行列全体は一言では形容しがたい、きわめて多彩な広がりを示していた。

 まず一目見て、集群ごとの色合いが違う。黒っぽい色が支配的な集群もあれば、赤・黄といった原色が目立つ集群もある。こうした色合いは以前にも見かけることがあった。くわえて、普段着のせいなのか、色合いがばらばらな集群が多いことが印象的であった。アピールを何も掲げず街路をただ歩く人びとが多い集群もあれば、手づくりのバナーやプラカードを控えめに手にしている集群、所属団体の名前の入った幟や旗を掲げている集群も見られる。

 そして各集群の先頭の様子がまるで違う。ロックバンドが先頭に位置する集群、DJブースと大型のPAを載せた車が先導する集群、「チンドン」スタイルのなつかしい音曲が前を行く集群、そしてとくにこれといった特色ある先頭グループのいない多くの集群。ふつうのデモやパレードならば一緒になることはない異質な個人やグループが、ひとつの流れを形づくっている。あまり目にすることのない厚みをもった光景を可能にしたのは何なのか。裾野の広がりは理屈抜きに素朴な感動を見る者にもたらす。と同時にそれは、私たちが直面する危機の深さを再認識させるものでもあった。

 さらにもう一点、印象的なことがあった。それはデモの隊列の中ではなく、まわりを取り巻く街路・歩道に広がる風景の方にあった。たとえば米ソによる中距離核ミサイル配備に反対する「反核運動」が盛り上がりを見せた一九八〇年代初め以来、筆者は大規模な街頭のデモンストレーションを目にする機会を幾度か持ってきた。視線は近年温かなものばかりではない。そもそも立ち止まって列を眺めること自体がそう多くない。しかしこのとき、新宿のあちらこちらでじっと列を見つめる若い層の人びとがいることに気がついた(写真序・2)。隊列を見てどのように感じていたのか。列を進む人びととそれをじっと見つめる人びとの間には、「あちらとこちら」の違いはあるものの、確かに共通の「時間」が流れているのではないか。そんなことを感じさせる静かな広がりが、束の間街頭には存在していた。

「広がり」の背景
六月一一日の出来事は突然生まれたわけではなかった。震災直後の動きを簡単に振り返ってみよう(詳しくは第七章を参照)。福島第一原発事故後、東京都内でいち早く行動を始めたのは、従来から反原発を訴えてきた反原発団体、たんぽぽ舎であった。三月一二日に早くも開催された街頭イベントには20名程度が参加していたという。三月二七日定例の街頭行動に千人を越える人が参加した。とはいえ、この時点でも運動がどのくらい広がりを見せるのか誰も予測できていなかった。

 四月一〇日、杉並区・高円寺で活動するリサイクルショップなどのネットワーク「素人の乱」が主催するデモが行われる。突如集まった一万人を越える参加者が高円寺の街を埋め尽くした(写真序・0)。四月以降、各所で開催されたイベントには、若者や家族連れを含むさまざまな参加者が見られるようになった。

 冒頭で紹介した六月一一日のデモンストレーションは、そうした異なる潮流が結び合うなかで可能となったイベントであった。この日、東京では新宿のほか、代々木公園、芝公園の計3ヵ所で大規模な集会とデモが実施された。新宿は30代以下が相対的に多い「若者」中心のデモ、代々木公園は30~40代を中心とする環境保護・自然保護派のパレード、芝公園は革新系団体や市民団体を中心とする60代が多い「中高年」のデモであったという(小熊 2013a; 平林 2012; 2013)。したがって新宿で筆者が目にした参加者の多様性とは、さらに幅広い多様性の一部分ということになる。全国一斉行動にあてられたこの日、日本各地の百数十ヵ所でも集会やデモが行われていた(木下 2013a: 308)。 震災からわずか三ヵ月、東京はまだ非日常のなかにあった。こうした運動がいつまで続くのか、見通しがあったわけではない。「災害ユートピア」という表現があるように(ソルニット 2010)、「特別な時間」はしだいに淡いものとなっていく。だが、震災から間もない時期に大きなうねりを見せた市民の活動は、二〇一二年の金曜官邸前デモ、原発再稼働への反対、脱原発やエネルギーシフトなど、さまざまな形を取りながら息長く続いていった。いったい何が変わったのか。そして何が変わっていないのか。

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