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小林隆児・西 研 編著  竹田青嗣・山竹伸二・鯨岡 峻 著

人間科学におけるエヴィデンスとは何か
――現象学と実践をつなぐ


四六判上製300頁

定価:本体3400円+税

発売日 15.9.28

ISBN 978-4-7885-1449-2




◆現象学的方法論の可能性
 科学にはエヴィデンス(根拠)が必要です。これまで自然科学では、研究者自らの主観を極力排した実験・観察と統計処理が「客観的な」エヴィデンスとされてきました。一方、人間同士の関わり合いを核にもつ保育・看護・医療・教育・心理臨床といった人間科学にはどのようなエヴィデンスを適用すべきなのか、質的研究において模索が続いています。本書では現象学に基づき、「自分自身の意識体験」の気づきを言語化し、共有することの重要性を指摘します。その考え方の原理は実践者、研究者に大きなヒントや刺激となることでしょう。

人間科学におけるエヴィデンスとは何か 目次

人間科学におけるエヴィデンスとは何か プロローグ(一部抜粋)

ためし読み

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人間科学におけるエヴィデンスとは何か 目次
プロローグ 西 研

第1章 人文科学の本質学的展開 竹田青嗣
 第1節 人文科学の危機
 第2節 認識問題の解明と本質学
 第3節 本質観取とは何か
 第4節 本質学と解釈学
 第5節 近代社会の理念的本質について
 第6節 実践領域への現象学的適用

第2章 質的研究における現象学の可能性 山竹伸二
 はじめに 自然科学に人間の解明はできるか?
 第1節 質的研究の理論と問題点
 第2節 質的研究としての現象学
 第3節 人間科学と現象学的方法

第3章 人間科学と本質観取 西 研
 はじめに ・現象学的な・人間科学とは?
 第1節 フッサールの構想─反省的エヴィデンスと本質について
 第2節 本質観取をどう行うか─なつかしさの本質を実例として
 第3節 本質観取と人間科学

第4章 「接面」からみた人間諸科学 鯨岡 峻
 第1節 「接面」という概念に行き着くまで
 第2節 接面
 第3節 客観主義パラダイムと接面パラダイム
 第4節 明証的(エヴィデント)であることをめぐって
 第5節 接面パラダイムの素朴な認識論
 第6節 結びに代えて

第5章 精神療法におけるエヴィデンスとは何か 小林隆児
 第1節 自閉症にみられる独特な知覚体験─原初的知覚
 第2節 常に変化し続ける現象をいかにして把握するか
 第3節 乳幼児期の母子関係にみられる「甘え」のアンビヴァレンス
 第4節 臨床精神医学における症状や徴候の成り立ちを考える
 第5節 精神療法においてアンビヴァレンスはどのように現出するか
 第6節 精神療法におけるエヴィデンスとは何か
    ─「あまのじゃく」という関係病理を生み出したプロセスを振り返って

エピローグ 小林隆児

索引

装幀◆新曜社デザイン室


人間科学におけるエヴィデンスとは何か プロローグ(一部抜粋)

 科学にはエヴィデンス(根拠)が必要です。各自の主張がどのような根拠に支えられているのかを示すことで、互いに議論しあうことが可能になるからです。そして自然科学では、実験、観察、及びそれらの結果を数学的に処理したもの(統計)がエヴィデンスとされてきました。では、保育、介護、看護、医療、教育、心理臨床のような・人を支援する実践・を支える人間科学も、自然科学と同様なエヴィデンスに基づくべきなのでしょうか? そうではないでしょう。人間の「体験」の世界を理解しようとする人間科学においては、自然科学とは別種のエヴィデンスが考えられてしかるべきだからです。

 この「人間科学にふさわしいエヴィデンスとは何か」という問いを、この本はテーマとしています。しかしこれは単なる認識論上・科学論上の問いではありません。むしろ「人を支援する実践に役立つような人間科学は、どのようなものでなくてはならないか」ということ、つまり人間科学そのものの性格を問うことにつながっていくのです。

 この本は、竹田青嗣さん、山竹伸二さん、私(西研)という、哲学を専門とする三人(山竹さんは心理学にも詳しい)と、発達心理学者として長く保育現場に関わってこられた鯨岡峻さん、児童精神科医として発達の困難を抱えたお子さんお母さんとの臨床を長く続けてこられた小林隆児さんの、五人の論者によって書かれています。

 このように出自はちがいますが、この本にはすべての章を貫く共通の想いと主張がはっきりとあります。それは「人間科学と哲学を自己・他者・関係の理解に役立つものにしなくてはならない、そして臨床や支援のよりよき実践を支えるものにしなくてはならない」という強い想いであり、そして、「人間科学と哲学をそのようなものにするためには、研究者も実践者も自分自身の意識体験─とくに他者と関わる体験─をよく感じ取って言語化し共有していくことが欠かせない」という主張です。

 私たちそれぞれが他者と関わるときには、他者の心の動きが感じられるとともに、それに呼応して自分の心のなかにさまざまな気持ちが立ち上がってきます。このような状況を鯨岡さんは「接面」と名付けていますが、この接面における自分の意識体験をていねいに捉え返し、それを共有可能な言葉にするところからしか、自己・他者・関係の理解を育み臨床と支援に役立つ人間科学は立ち上がってこない。なぜなら、支援や臨床はまさしく自他関係のなかで展開されるものだからです。

 しかし、このように自他の心を感じ取り、そこでの「気づき」を育て共有していくことよりも、すぐさま役立ちそうに見える「なすべき行動のマニュアル」を欲しがる傾向があることを鯨岡さんは指摘しています。「かくかくしかじかのようなケースに対してはこう対処すればよい」と教えてくれるマニュアルを求める声は、教育や介護の現場でも、心理臨床の現場でも大きいようです。相手の心の動きを感じ取り、それに対応して起こる自分の心の動きをも同時に感じながら相手に関わっていくというやり方は、忙しい業務のなかではしばしば・面倒くさいもの・とみなされたり、ときには・職人芸的な特殊技能であって一般の職員には不可能なもの・とみなされたりするかもしれません。

 しかし、相手と関わる経験のなかで得られるものは、単に特殊な技能ではないはずです。そこでの「気づき」を言葉でもって捉え直すことで、それをより一般性のある「メタ意味」─現象学の言葉使いでは「本質」に相当します─へと深め、同僚や他の支援者たちと共有することが可能であること、そしてこのようなやり方によってこそ、実践者が真の意味で支えを得て、よりよき実践を問い求める動機を保ち続けていけること。これが鯨岡さんと小林さんの両者に共通するモチーフです。小林さんはさらに、精神療法(心理臨床)において、治療者が関係のなかで気づいたことを言葉でもって患者に返すこと─信頼感のなかでの「気づき」の共有─が決定的な意味をもつことを主張しています。

 このように、関係における気づき・言語化・共有ということが、人間科学と支援の実践にとって決定的な重要な意味をもつ、とするお二人の姿勢は、現象学の始祖フッサールが求めた学問のあり方(本質学)と深く共通するものです。

 自分自身のある種の意識体験を捉え返すことで、それらの体験に共通し核心をなすもの(本質)を言葉でもって取り出してみる(本質観取)。すると、その言葉を受けとった他の人はその人自身の意識体験を反省することで、その本質観取に妥当性があるかどうかを吟味することができます。このようにフッサールは「自分自身の意識体験の反省」というところにエヴィデンス(明証性)を求めましたが、この本で、竹田・山竹・西の「哲学組」はこのフッサールのエヴィデンスの考え方を人間科学に拡張することを試みています。

 現象学の方法において、エヴィデンスとともに重要なポイントになるのが「本質」の理解です。現象学のいう本質については、これまで「永遠不変な真理を求める古い形而上学だ」という非難が数多く寄せられてきました。しかし本質とは決して永遠不変な真理ではなく、私たちが・よりよき・実践や生のあり方を希求するからこそ問い求められる「共通了解」であることを、この本では強調しています(竹田さんは本質とは「正当性のある合意」であると言い切っています)。そしてこの本質観取の方法が哲学と人間科学に共通する基礎的な方法であり、そして哲学と人間科学とはまったくの別物ではなく相互に連動すべきものであることを山竹さんは強調していますが、これも三人に共通する姿勢といえます。