戻る

丸山久美子 著

林知己夫の生涯
――データサイエンスの開拓者がめざしたもの


四六判上製260頁

定価:本体3200円+税

発売日 15.9.8

ISBN 978-4-7885-1446-1




◆データの面白さにとり憑かれた人!
 いまや、コンピュータの発達により、膨大なデータの処理が容易になり、統計数理的方法論やデータ解析は単なるツールになり、結果だけが重視されるようになりました。そこでは「データとは何か」などを問うことは余計なことと見なされがちです。しかし、「データ」に対する考え方、理念・哲学がなければ、たやすく結果に振り回され、何のためのデータ解析か、分からなくなってしまいます。日本で最初に、データサイエンス、「データの科学」を提唱し、データをあらゆる角度からじっくり見つめることの重要性を説いた、統計学者・林知己夫は、数量化理論を開発し、行動計量学会を組織するなど、専門分野ではもちろん瞠目すべき活躍をしましたが、人間的にもヴァレリーに心酔し、フルートを嗜むなど、魅力的な人でした。本書は、愛弟子の著者が、そのような林のあらゆる面を多面的に描いたものです。そこには、データ、データサイエンスに対する林の熱い想いが語られていて、今日の繁栄のなかで忘れられがちなデータサイエンスの「初心・本筋」を思い出させてくれるでしょう。

林知己夫の生涯 目次

林知己夫の生涯 はじめに

ためし読み
Loading

林知己夫の生涯 目次
はじめに
第一章 昭和初期の「その」時代
  1 夢見る少年の誕生
  2 音楽に傾倒する
  3 音楽とスポーツと読書三昧の日々
  4 統計学者フォン・ミーゼス
  5 陸軍航空技術中尉として
  6 人の生死を左右するデータの重み
  7 数学者を志す

第二章 統計数理か数理統計か
  1 文部省統計数理研究所入所と恩師の死
  2 「統計数理」か「数理統計」か論争
  3 フィッシャーとピアソン論争
  4 確率論と哲学
  5 サンプリング調査の魅力と将来への抱負

第三章 サンプリング調査の醍醐味
  1 「日本人の読み書き能力」調査
  2 「日本人の国民性調査」の幕開け
  3 野うさぎの数を数える調査のはじまり
  4 自然環境保護問題の国際比較

第四章 数量化理論形成の道程
  1 仮釈放の研究
  2 数量化理論の萌芽
  3 ガットマンとの「出会い」
  4 数量化理論の開発
  5 計算機活用の時代
  6 医学界の統計処理に物申す

第五章 在外研究遠征記
  1 林の結婚
  2 ガットマンに会うためにイスラエルへ
  3 ガットマンの人物像
  4 ファセット理論
  5 データの持つ複雑さとの奮闘
  6 イギリスの大学をめぐり歩く
  7 ロンドンでの優雅な時間
  8 アメリカでガットマンと会う
  9 国際比較研究への意欲

第六章 マーケティングリサーチと多次元尺度解析研究会
  1 マーケティングリサーチに取り組む
  2 視聴率の予測
  3 現場主義
  4 多次元尺度解析研究会
  5 最小次元解析
  6 非計量的MDS
  7 SSA と MDA
  8 お化け調査

第七章 科学基礎論学会と行動計量学会
  1 科学基礎論の重要性
  2 人間の行動を計量する
  3 行動計量学会の設立と水野欽司
  4 成長・進化する行動計量学会
  5 行動計量学への思い

第八章 国際比較調査研究の筋道
  1 国民性調査から国際比較調査へ
  2 フランスの重鎮、分類学の大家、ベンゼクリと会う
  3 ベンゼクリの統計思想
  4 統計の日仏交流
  5 データマイニングという手法の必要性

第九章 データサイエンスという思想
  1 データサイエンスとは
  2 データサイエンスの思想の流れ
  3 データサイエンスの将来

第十章 わが魂の燃え尽きざる如く
  1 生涯の最後の仕事
  2 国際研究交流を推進する
  3 最後のメッセージ
  4 倶会一処

おわりに

特別寄稿
      林知己夫先生の思い出  木下冨雄


林知己夫年譜
参考文献
索引
      装幀―虎尾 隆


林知己夫の生涯 はじめに

 林知己夫の生きた時代(一九一八―二〇〇二)は、若者が戦争に駆り出され、国破れて途方に暮れる暇もなく、大半の国民は生きるために額に汗して働き、経済大国にのし上がった時代である。現在では、大半の人たちがこの時代の労苦を忘れている。だが、この時代を生きた人たちの多くは、日本という国のありようを大切に思い、みずからのうちに培われている底力の総力を発揮して、国家の危機を救ったという自負心を持った人たちである。

 戦後の研究者は、多かれ少なかれ、決して人まねで物事を考えない、あるいは物を作らない、二番煎じを恥とし、常に独創的な考えや発想を重視し、他者に理解されようとされまいと、それを前面に押し出し、他者からの反論に対しても妥協することなく、信じてそれを守り抜くという、頑なまでの心情に徹していた。なかでも林知己夫は、研究に対して徹底的に人の真似をすることを嫌った。他の研究者の研究論文を読むことさえ禁じたほどである。とはいっても、次々と新しい独創的な考えが湧いてくるものではない。林は一度考えついた理念や概念を大事にして、のどがカラカラに乾き、鉛筆を持つ手がしびれるまでして、多くの人たちに知ってもらおうと努めた。さまざまな視点から論文や本を書きつらねる。その間の努力には敬服に値するものがある。

 反論者が現われれば現われるほど意気盛んになる。林知己夫はそんな学者であったから、周辺には多くの敵もいた。戦いを挑んでくる人たちと熱心に議論し、判じ物のようなデータの羅列から、そこに潜んでいる真実を探り当てるために全力を傾注して取り組み、何ごとにも倦むことがなかった。

 しかし、少し油断するとデータのなかに潜んでいる「悪魔・デーモン」が黒いマントで光を覆い尽くし、そこに存在する真実を見えなくしてしまう。何も見えない暗闇のなかを手探りで歩いてゆくようなこともある。そのような状況を知っているがゆえに、日々、切磋琢磨して目を凝らしながら、データのなかに隠れ潜んでいる真実を探り当てなければならない。これが、林知己夫がデータと対峙する時に最も重視した態度であり、テーゼであった。

 一九五六年に発表した「数量化理論の根本概念」という論文は、林知己夫の数量化理論として巷に普及し、一時、マーケティング関連分野に深く浸透した。当時の人たちは林の厳密な社会調査法やサンプリング理論を徹底的に学習した。しかしその後しだいに、社会はこのような手のかかる統計手法を離れて、簡単に大型計算機に依存する方向に次第に移行していった。しかしそれでは、データに潜む悪魔とは戦えない。これは現在のデータサイエンスに関わる研究者の多くにみられる一つの陥穽である。それを指摘し、声高に忠告しつづけた林知己夫のデータを扱う研究者への警告こそ、彼の最大の特徴であると言っても過言ではあるまい。彼は、このような心情を大切にして、「データの科学」、文字どおりデータサイエンスに没頭して、多くの人間行動の真相に触れ、データサイエンスの本質に迫ることができた。

 今日のデータサイエンスは、コンピュータの劇的な発展とともに、統計数理的方法論やデータ解析は単なるツールであり、コンピュータのなかで何が行なわれていようと頓着なく、最終的に出てきた結果だけを大切にし、それに満足する風潮が強い。現代社会は、多くのデータが巷を駆け巡り、人はそれに幻惑され踊らされている。今後、ますます「データとは何か」を深く考える余裕のないデータサイエンティストを志す人々が増加し、社会がデータ化すれば、何人の人が林知己夫が真摯に取り組んだ「データの科学」を理解しうるであろうか。

 これからの社会は統計学が支配する社会になると予測する統計学者の書いた書物がベストセラーになる時代である。さらに、ネットから得られたデータから個人のプライバシーが侵害されると予測する統計学者もいる。この点に注目すれば、今こそ、真のデータサイエンスの思想に真摯に取り組む必要がある。そうすることによって林知己夫の統計数理に対峙する姿勢をおのずと理解することができるに違いない。

 社会がデータ化された時、そこに真なるものにあらざる偽りのデータが我が物顔でのさばるとしたら、人間はただ、破滅の方向に向かわざるを得ない。コンピュータによって人間の知的好奇心は極度に先鋭化される。そこに一つの陥穽が潜み、デーモンが入り込み、データ化された社会は地底のどん底に落ちるであろう。そういう時代だからこそ、林知己夫が目指した真なる統計解析を理解し、それを実行しなければならないのである。

 今、なぜ林知己夫の「数量化理論」なのか。この疑問に答えを見出すために、林知己夫の生きてきた生涯を俯瞰し、その理念を概容だけでも理解してほしい。今日のデータサイエンスの基礎を築いた知の巨人、今日のデータサイエンスの根本概念を考え抜き、積極的に現場に駆けつけ、実際にそこで得られたデータとともに歩み続けた統計学者・林知己夫の轍をたどりながら、データサイエンスの本筋をともに学んでゆこう。

  二〇一五年三月
                                      丸山久美子