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日本発達心理学会 編/榊原洋一・米田英嗣 責任編集

脳の発達科学
――発達科学ハンドブック8


A5判上製344頁

定価:本体3800円+税

発売日 15.9.1

978-4-7885-1444-7

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◆脳科学からみた発達論
 脳機能イメージング等の普及により人の脳内の活動をリアルタイムで可視化できるようになり、発達心理学にも革命的な変化がもたらされています。しかし、「人の発達」に安易に脳科学の知見をあてはめることは危険でもあります。まずは、何がどこまで明らかになっているのか、今後検討すべき課題は何かを明確にする必要があるのです。発達心理学者と脳科学者による領域架橋的な研究はいかにして可能なのか──発達脳科学の基礎から方法論、言語・記憶・発達障害など各分野の最先端の研究成果まで、第一線の科学者が懇切に紹介します。


脳の発達科学 目次

脳の発達科学 序章

ためし読み

◆発達科学ハンドブックシリーズ

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脳の発達科学─目次
目次
『発達科学ハンドブック』発刊にあたって

序 章 心の発達と脳科学―――― 榊原洋一
 第1節 心理学と医学の接近
 第2節 発達研究の隘路
 第3節 心理,医学臨床と発達の脳科学

第T部 発達脳科学の基礎
第1章 胎児期と新生児期――――― 小西行郎
 第1節 神経系の発生成長と胎動の出現
 第2節 胎動の変化と選択
 第3節 神経回路網の刈り込み
 第4節 接触行動
 第5節 胎児の表情
 第6節 胎児期から新生児期への移行
 第7節 胎児期からの発達行動学のめざすもの
     ――ヒトのこころはいかにして生まれるのか

第2章 幼児期から児童期―――――― 森口佑介
 第1節 脳の構造発達
 第2節 脳機能の発達
 第3節 認知的制御の発達とその脳内機構
 第4節 心の理論の発達とその脳内機構

第3章 青年期から成人期―――――― 齋藤大輔
 第1節 青年期から成人期の脳機能および脳構造変化
 第2節 脳機能の発達
 第3節 脳の灰白質の発達
 第4節 脳の白質と白質線維の発達

第4章 老年期―――――― 瀧 靖之
 第1節 小児期の定型および非定型発達にともなう脳形態変化
 第2節 成人期から高齢期にかけての脳形態変化

第5章 脳の可塑性―― 田中悟志
 第1節 シナプス可塑性と機能発達
 第2節 シナプス可塑性と学習
 第3節 大人の脳の可塑性と学習
 第4節 脳損傷後の機能回復と可塑性
 第5節 電気刺激による脳の可塑性誘導と機能回復

第U部 方法論
第6章 神経システムの機能発達―――― 櫻井芳雄
 第1節 神経回路の形成と整備
 第2節 機能的神経回路の形成と変化
 第3節 脳自体の機能発達をみる新しい方法

第7章 事象関連電位―― 入戸野 宏
 第1節 事象関連電位の測定
 第2節 事象関連電位が反映する神経活動
 第3節 発達研究における事象関連電位

第8章 脳機能イメージング――― 田邊宏樹
 第1節 生きているヒトの脳の可視化技術
 第2節 脳活動とその生理的背景
 第3節 最近の研究動向

第9章 遺伝学的方法:発達科学との架橋に向けて―――――――― 野村理朗
 第1節 発達の個人差を生ずる「遺伝と環境」
 第2節 深みへ漕ぎだす――エピジェネティクス
 第3節 結言――遺伝子学と発達科学の架橋に向けて

第10章 ニューラルネットワーク――――――― 浅川伸一
 第1節 ニューロン(neuron)のモデル
 第2節 発達段階仮説――カスケードコリレーション
 第3節 ディープラーニング(deep learning)
 第4節 まとめと展望

第V部 知覚・言語・運動
第11章 視覚――― 野口泰基
 第1節 視覚野の構造
 第2節 時間知覚

第12章 聴覚― 船曳康子・嶋田容子・松田佳尚
 第1節 聴覚を介した音声発達モデル――小鳥の歌
 第2節 基本的な聴力の発達
 第3節 情動音声の脳内処理

第13章 発達初期の言語脳機能発達―――――――― 皆川泰代
 第1節 音声学,音韻論的特徴
 第2節 単語の切り出し
 第3節 音素配列
 第4節 語彙理解
 第5節 規則の抽出,分節化,文法
 第6節 おわりに

第14章 成人失語―――― 幕内 充
 第1節 はじめに
 第2節 原因
 第3節 言語機能の大脳局在
 第4節 失語症の分類
 第5節 失語症からの回復
 第6節 失語症の治療・リハビリテーション
 第7節 失語症研究のための動物モデル

第15章 運動と身体――――― 佐藤 コ
 第1節 運動制御の内部モデル
 第2節 ミラーニューロンシステム

第W部 注意・記憶・情動
第16章 注意―――― 齋木 潤
 第1節 注意をとらえる枠組みと方法
 第2節 脳波を用いた注意研究
 第3節 注意の機能的脳イメージング研究
 第4節 まとめ――注意の神経機構の理解に向けて

第17章 記憶―――――― 梅田 聡
 第1節 記憶の認知神経科学的アプローチ
 第2節 信念としての記憶――虚再認
 第3節 社会的認知としての記憶――展望記憶

第18章 表情認識―――― 仲渡江美
 第1節 成人の表情認識の神経基盤
 第2節 表情認識の発達
 第3節 おわりに

第19章 記憶における脳損傷や加齢の影響―― 月浦 崇
 第1節 エピソード記憶とその脳内機構の評価法
 第2節 脳損傷とエピソード記憶
 第3節 加齢とエピソード記憶
 第4節 まとめ

第X部 臨床・社会
第20章 栄養の役割―― 田中恭子・清水俊明
 第1節 脳神経組織の発達的分化と栄養
 第2節 どのような栄養素が発達に影響を及ぼすのか
 第3節 栄養と発達――ライフサイクルの視点から
 第4節 発達特性と栄養との関連性 
 第5節 栄養と発達研究の課題と展望

第21章 アルコールと薬物の影響―――― 和田博美
 第1節 アルコール
 第2節 ニコチン
 第3節 マリファナ
 第4節 大人の責任と社会の責任

第22章 気質の生物学―― 高橋雄介・安藤寿康
 第1節 気質とパーソナリティ特性の生物学的な基礎
 第2節 気質とパーソナリティ特性の遺伝率――国内の行動遺伝学研究から
 第3節 気質とパーソナリティ特性の安定性と変容性に関する遺伝的な影響
 第4節 遺伝子は気質やパーソナリティ特性に影響を与えているか?

第23章 愛着と虐待―――― 友田明美
 第1節 暴言虐待による脳への影響
 第2節 厳格体罰による脳への影響
 第3節 両親間のDV目撃による脳への影響
 第4節 被虐待と脳発達の感受性期との関係
 第5節 愛着と虐待について
 第6節 被虐待児のこころのケアの重要性
 第7節 「生態的表現型」という疾患概念

第24章 統合失調症の社会的認知の障害:
     脳画像研究の観点から―――― 藤原広臨・村井俊哉
 第1節 社会的認知と社会脳
 第2節 統合失調症における社会的認知障害
 第3節 統合失調症における社会的認知障害と脳画像
     ――脳構造・脳機能異常
 第4節 神経ネットワークの障害という観点からの統合失調症

第Y部 発達障害
第25章 学習障害(限局性学習症)―― 小枝達也
 第1節 ディスレクシアの定義
 第2節 ディスレクシアの基底病態
 第3節 ディスレクシアの基底病態を説明する脳機能画像
 第4節 脳機能画像の今後の展望

第26章 注意欠陥・多動性障害
    (注意欠陥・多動症,ADHD)―― 榊原洋一
 第1節 はじめに
 第2節 見えない障害
 第3節 遺伝学的研究
 第4節 脳科学的知見
 第5節 併存,二次障害の臨床的意味
 第6節 一生を通じた障害
 第7節 医学的治療対象としてのADHD
 第8節 二次障害に対する薬物療法の効果

第27章 自閉症スペクトラム障害
     (自閉スペクトラム症)―― 米田英嗣
 第1節 自閉症スペクトラムにおける自己と記憶
 第2節 自閉症スペクトラムにおける自己と心の理論
 第3節 自閉症スペクトラムにおける自己と共感
 第4節 自閉症スペクトラムにおける自他理解の仮説モデル

第28章 発生・発達する神経ネットワークと
     発達障害の機序―――― 乾 敏郎
 第1節 脳の発達過程
 第2節 自閉症の脳内ネットワーク
 第3節 コミュニケーション障害のモデルに基づく考察
 第4節 発達初期(胎児期)に生じる異常のメカニズム

人名索引
事項索引
編者・執筆者紹介

装丁 桂川 潤






脳の発達科学 序章心の発達と脳科学

榊原洋一

  第1節 心理学と医学の接近

 辞書で「心理学」の意味を調べると,「人間・動物の意識と,その行動との相関関係を研究する科学」と説明されている(明解国語辞典)。英語の辞典を引くと,心理学(psychology)は,the scientific study of the human mind and its functionsと書かれている。英語辞典の「意識の機能」は日本語の「行動」よりひろく,たとえば言語活動や表情なども含めることができるが,共通しているのは「意識」を取り扱う科学であるという点である。

 医学において心理学に最も近接する分野は,神経科学である。心理学も神経科学もその対象となる事象が生起している場所は脳であるが,心理学では脳の中に創成されている「意識」という物質的実体のない現象を対象とするのに対し,神経科学では脳を構成するニューロンとそのネットワークの中に生起する物理的,化学的実体を対象とする科学であるという点で,根本的に異なっている。

 神経科学(neuroscience)は歴史のある名称であるが,近年は脳科学という言葉がほぼ同義で使われるようになった。筆者の記憶では,アメリカで大統領自らが1990年代をdecade of the brainと呼んだ頃から神経科学に代わって脳科学(brain science)という呼称が使われ始めたような気がする。本企画のほとんどの章で登場するfMRIなどの脳機能画像法や,ヒトゲノムの全解析などの画期的な方法論と知識を前に,神経科学の最難問(ハードプロブレム)と呼ばれた,デカルト以来の難問である「意識」について,その脳内担当部位や生起のメカニズムが一気に明らかになるのではないかという期待も膨らんだ頃である。

 そうした雰囲気を物語ることとして,神経科学以外の医学,生理学のノーベル賞受賞者が,意識の脳科学的な解明をターゲットとして研究対象の方向転換を行ったことがある。DNAの構造を明らかにしたクリック(Crick, F.),抗体(免疫グロブリン)の構造と機能を明らかにしたエーデルマン(Edelman, G. M.),そして免疫記憶の機構解明をした日本の利根川氏も,意識の研究に方向転換したのである。

 こうした時代背景のもとに,主に微小環境内でのニューロンの機能を,動物や培養細胞系で研究するこれまでの研究パラダイムが,生きている人の脳内ネットワークの局在を研究する方向に大きく方向変換をしたのである。もちろん以前から,experiment in natureという名前でも呼ばれる実際の脳の疾患の患者についての神経病理学的研究によって,脳機能の責任部位などについて膨大な知識の積み重ねはあった。たとえば失語症の症状と脳の病変部位との関係や,錐体路病変とそれがもたらす運動障害の関係などに関する研究である。

 こうした研究の蓄積によって,さまざまな神経機能の脳内局在が明らかにされたが,そこには方法論として大きな問題があった。脳出血や脳梗塞あるいは脳腫瘍などの病変による脳機能変容は,いわば「破壊実験」である。病変によって欠失したあるいは変容した機能が,その病変部位の脳にのみ局在している,という仮定が証明されなければ「局在」が証明されたとはいえないのである。意識も含めて,現在の脳科学では多くの脳機能(とくに高次)は,一部位に局在しているのではないことが明らかになってきている。前述のクリックは,その著書の中で,前帯状回の小梗塞によって,いわば自我がない状態の女性症例を紹介し,前帯状回を意識の座の候補としている(Crick, 1994)。しかし,その後の研究では,神経科学の最難問である意識は,むしろ脳内の多数の部位の結びつきの中に創成しているらしいと推定されているのである。

 生きた意識のあるヒトの脳内の活動をリアルタイムで可視化することのできるさまざまな脳機能画像装置の出現と開発によって,神経科学のパラダイムに激変が起こった。そしてデカルト(Descartes, R.)やガル(Gall, F.)の古典的な脳機能の脳内局在に関する知見を塗り替える新知見が急速に蓄積されるようになった。

 そしてこれまで心理学と神経科学(脳科学)の間に横たわっていた深淵な未知の領域が狭まり始めたのである。心理学では自明のこととして扱っていた「意識」を始めとする心理学的構成概念は,これまでの神経学的な方法論では到底理解できなかった。心理学研究者は,意識や気質,パーソナリティといった構成概念が,その源を脳内の物理的化学的過程にもつことを知りながら,あえて不毛な源流探索にはでかけないできたのである。同時に神経科学の研究者も,意識の還元論的な解明をあえて行わないできた。もちろん,前述のクリックやエックルス(Eccles, J. C.)のように,当時の神経科学の方法論で無理矢理還元論的説明に果敢に臨んだ研究者もいる。

 エックルスは,当時ニューロンに関して世界で最も豊富な知識をもった研究者であった。その矜持にかけて,その神経科学の知識と,当時急速に解明されつつあった素粒子学の知識を動員して,意識の還元論的解明を行おうとしたが,結局ニューロンが,サイコンとよばれる想像上の素粒子と反応して,「精神世界」という非物理的世界と交流しているというモデルを提出するにとどまったのである。素粒子論は科学の還元論の典型的な成果であるが,そうした還元論の産物を,精神世界という還元論では説明のできない次元と,物質世界を結びつけるという形でしか,意識を説明できなかった。もちろん,現在も意識の還元論的な解明という難問題は解決していないが,エックルスのような解決法ではなく正攻法でのチャレンジが続いている。

 冒頭で述べたように,心理学は意識とその機能を極める学問であり,意識そのものではないが,本企画で取り上げたテーマはすべて,意識の機能に関するものである。