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牛山 美穂 著

ステロイドと「患者の知」
――アトピー性皮膚炎のエスノグラフィー


四六判並製224頁

定価:本体2100円+税

発売日 15.5.1

ISBN 978-4-7885-1425-6

cover


◆ステロイドをどう考えたらよいのか?
 アトピー性皮膚炎には根本的な治療法がなく、通常対症療法としてステロイド薬が処方されます。しかしステロイドには副作用があり、とくに長期間使用した後で中止したときのリバウンドは激しい症状の悪化を引き起こすことがあります。そのため「ステロイドを使用しない」医療や民間療法が盛んになりました。ステロイドを嫌がるのは、患者の「愚かな行動」なのでしょうか、それとも「尊重すべき患者の選択」なのでしょうか。医学の専門知では治すことのできない病気を抱えた患者自身の経験=「患者の知」を、どう医療に活かしていけるのでしょうか。自らがアトピー性皮膚炎に苦しんだ著者は、日本とイギリスで患者、医者、民間療法家、患者団体への綿密な調査を行い、この問いを探求します。

ステロイドと「患者の知」 目次

ステロイドと「患者の知」 はじめに(一部抜粋)

ためし読み

◆書評
2016年1月1日、メディカル朝日

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ステロイドと「患者の知」 目次
はじめに
本書で行った調査の方法

第1章 アトピー性皮膚炎治療の問題とはなにか
1 「疾患」から「病い」へ
2 アトピー性皮膚炎とは
3 アトピー性皮膚炎をめぐる言説

第2章 患者を取り巻くさまざまなセクター
1 専門職セクター、民俗セクター、民間セクターの3セクター
2 医療的多元論と補完関係

第3章 専門職セクター─標準治療・近代医療
1 日本の標準治療のガイドライン
2 治療のゴール
3 薬物療法
4 標準治療の問題点
5 標準治療からのアトピービジネス・脱ステロイド療法に対する批判
6 イギリスにおける専門職セクター

第4章 民俗セクター─民間医療
1 アトピー性皮膚炎治療における民間医療
2 イギリスにおける民間医療

第5章 中間カテゴリー─脱ステロイド医
1 脱ステロイド医とは
2 脱ステロイドを指導するようになったきっかけ
3 脱ステロイド医の治療のゴールと説明モデル
4 治療法
5 標準治療、民間医療に対する批判

第6章 民間セクター─患者団体
1 患者団体「アトピーフリーコム」
2 認定NPO法人「アトピッ子地球の子ネットワーク」
3 イギリスの患者団体「ナショナル・エクゼマ・ソサエティー」

第7章 「患者の知」をめぐって
1 イギリスとの比較によって見えてくること
2 科学的エビデンスと患者の知
3 科学的エビデンスと個別の文脈
4 アトピー性皮膚炎から見えてくる課題

あとがき



引用文献


ステロイドと「患者の知」 はじめに(一部抜粋)

  息もできないぐらい痛かったし、何のために生きてるのかっていう感じだし。痛い、もう全身しびれて。手は動かせないし。でも寝れないし、すごい痛くて。ご飯自分で食べるのも最初はしんどいわけ。全部入れてもらうの、口の中に。本当に目も開かなかったし、テレビも見れないし、ただ本当に時間を1から100まで数えてとかいうのを繰り返す感じだよね。12時間ぐらい、気が狂うぐらい掻いて、そのあと12時間激痛みたいの繰り返してたの。寝る時間がないよね。本当大変だった。泣いても痛いじゃん。絶対に泣けないし。でもお母さんを見たら、私の姿見て泣くし。自分じゃ見えないけどすごい辛かったみたいだよね、パンパンでね。最初の24歳のときに、初めてリバウンドのすごい酷いのがきたときとか、お母さんが最初見たとき、家帰ってきて悲鳴上げて。自分が死んじゃったのかと思うぐらい。お母さんが、こんな姿になってとかいって泣きながら目のここら辺の傷をふくの。私、生きてんのかなとか思いながら。(麻美 28歳女性)

 この語りは、アトピー性皮膚炎患者の麻美さん(28歳女性)が、過去の激しい症状の悪化について語った際のものである。通常、アトピー性皮膚炎というと、ただの軽い皮膚の湿疹と捉えられがちだが、実際のところ、アトピー性皮膚炎は、この語りにみられるほど壮絶な様相を呈することもある病気である。しかし、ここまでの症状の悪化は、ある特殊な状況によってしか生じない。それが、ステロイド外用薬の使用中止である。ステロイドとは、副腎皮質ホルモンで、炎症を抑える働きをする。これを人工的に合成して皮膚に塗るようにしたものがステロイド外用薬である。ステロイドというと、錠剤として飲むステロイド内服薬と、皮膚に塗るステロイド外用薬と2種類のタイプがあるが、本書で特に断りなくステロイドと書く場合は、外用薬の方を指すものとする。現在のところ、アトピー性皮膚炎の根本的な治療法はない。そのため、普通の病院に行って行われる治療は、病気の原因を根本的に取り除くのではなく、症状のみを抑える対症療法である。アトピー性皮膚炎治療の場合、この対症療法の第一選択肢として、ステロイド外用薬が用いられる。そして、そのステロイド外用薬を長期間使用した後に、使用を中止すると、麻美さんのようなリバウンドと呼ばれる激しい症状の悪化が起こることがある。

 麻美さんは、ステロイド外用薬の使用を中止すると、このようなリバウンドが起こるとわかっていて使用を中止し、前述の状態を経験した。なぜ、ここまでして彼女はステロイドを中止しようとしたのだろうか。

 ステロイドがアトピー性皮膚炎治療に使用されるようになったのは、1952年のことである。この年、アメリカの皮膚科医マリオン・ザルツバーガーが、ステロイド外用薬を初めて皮膚疾患に応用し、アトピー性皮膚炎治療に有用だと報告した。日本ではその翌年からステロイドが厚生省(当時)で承認認可され、治療に用いられるようになった。初めてステロイドが世に出てきたとき、人々はその奇跡のような効力に喜び、副作用のことなど知らずに乱用した。日本では、ステロイドを塗ると化粧ノリがよくなるからといって、化粧の下地に使い続ける女性もいた。しかし、徐々に、ステロイドを使い続けると皮膚が委縮して薄くなる、多毛になる、酒さ様皮膚炎といって顔に赤いぶつぶつができるなどの副作用が起こることが知られるようになり、日本では1990年代頃から、ステロイドバッシングとともに「ステロイドは怖い」という情報が現れ始めた。さらに、患者の間では、しばらく塗っているうちにだんだんステロイドが効かなくなってくる、しかも、使用を中止すると、前述のような激しいリバウンドが起こることが広まり、ステロイドに対する忌避反応、ステロイドフォビアが見られるようになっていった。1980年代から90年代にかけて、ステロイドフォビアが広まると同時に、日本では多くの民間医療が、「ステロイドの使用を中止すればアトピー性皮膚炎が治る」と謳い始め、「アトピービジネス」[竹原 2000]という言葉ができるほど、アトピー性皮膚炎をターゲットにした民間医療が興隆した。

 麻美さんは、ある民間医療にかかり、「ステロイドの使用を中止すればアトピー性皮膚炎が治る」と言われてステロイドの使用を中止し、前述のリバウンドを耐え忍んでいたのである。本書が問いたいのは、このステロイドを嫌がる患者の態度が、社会や医療の現場で「非科学的行動」として捉えられるのか、それとも、「尊重すべき患者の選択」として捉えられるのか、という問いである。この数十年の間に、患者の捉え方は大きく変化してきている。それは、「患者の知」という考え方が注目されるようになったことが大きく影響を及ぼしている。従来、医師のもつ「専門知」が、医学の正統な知として位置づけられてきた。患者は、医師がもつこの「専門知」に基づき治療を施される必要があるため、医師は権威的な力を持ち、患者が盲目的にそれに従うという「パターナリスティック・モデル(父権主義的モデル)」が医師?患者関係の基本的なあり方だった。しかし、慢性疾患を患う患者の増加により、医学では治癒することのできない病気が次第に医療の主流を占めるようになってきた。これに伴い、専門知では治すことのできない病気を抱えた患者自身の経験が、より重要視されるようになった。ここから、患者の知を専門知とは異なる重要な知として見る視点が生まれてきた。

 こうした患者の知を尊重しようとした時に、一番問題となるのが、患者の治療に対する希望と医師の治療との間に食い違いが生じる場合である。患者の希望を優先すべきか、医師の持つ専門的な知識に基づいた治療がなされるべきか、この点で患者の知という考え方はいまだ葛藤の中にある。そして、ステロイドをめぐる問題は、まさにこの葛藤を中心に抱え込んだ事例といえる。ステロイドを使いたくないという患者の意見が尊重されるべきなのか、あるいは、ステロイドは怖がらずにきちんと使うべきだという医師の指導が優先されるべきなのか。そのどちらの見解を取るかによって、前述の麻美さんの事例も、「非科学的行動」と映るかもしれないし、「尊重すべき患者の選択」として映るかもしれない。

 実際のところ、ステロイドを恐れることが、科学的に正しいことなのか、そうでないのかという結論は出ていない。ステロイドを怖がる患者は、長期的に使用を続けるといつか薬が効かなくなったり、体にダメージを受けたりすることを恐れ、ステロイドの使用を中止する。ステロイドの使用を突然中止すれば、しばしばリバウンドが起こる。リバウンドがあまりにも酷く、学校や会社に行けなくなり社会から隔絶された状況に置かれてしまう人すらいる。リバウンドを数か月から数年耐えるうちに症状が軽快していく患者は多くいるが、必ずしも全員がそうなるという確証はない。一方、ステロイドを長期的に使用し続けたらどうなるかという実態についても、いまだ確固たるデータが出ているわけではない。重症のアトピー性皮膚炎患者は、20年、30年にわたってステロイドを使い続けなければならない状態に陥っているが、ステロイドの副作用についての治験や調査は、筆者の知る限り最長でも3か月半程度しか行われていない[Weitgasser and Yawalkar 1983]。患者が知りたいのは、ステロイドを数十年使い続けたら一体どうなるのかという点だが、そうした長期にわたるデータはまだ出ていない。

 こうした状況下では、ステロイドを恐れることが、非合理的で誤ったことなのか、それとも合理的で正しい認識なのか、判断を下すことは難しい。しかし、あるいはだからこそ、「ステロイドは危険だ」とか「ステロイドは安全だ」という極端なメッセージが、患者の洗脳合戦のごとく行き交っている状況がある。確固としたデータやエビデンスがないからこそ、そうした強いメッセージに患者は惹かれ、安心しようとする。

 本書では、こうした答えの出ない状況下で、どれだけ多様な考え方が存在して患者を取り囲んでいるかを描こうとするものである。筆者は日本とイギリスの両方で調査を行い、それぞれの文化のなかで、近代医療、民間医療、患者団体がそれぞれ異なる立場から患者を取り囲んでいる様子をみてきた。本書では、イギリスの事例と比較することで、日本における近代医療、民間医療、患者団体のあり方が、必ずしも普遍的なものではなく、ある程度日本の文化によって規定されているものであることを示したい。