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高橋文夫 著

本の底力
――ネット・ウェブ時代に本を読む


四六判並製192頁

定価:本体1600円+税

発売日 14.10.20

ISBN 978-4-7885-1413-3




◆やっぱり本はつよい!
 スマホ、タブレットなどの電子メディアの進歩で、本も電子書籍が主流になると思われる時代。紙の本や雑誌は、いまや風前の灯火、いつ消滅してもおかしくないといわれています。実際、厳しい状況です。「しかし、いまだからこそ、本の力が必要だ」と著者は主張します。電子メディア関係の雑誌などに長く携わってきた著者は、デジタルの力ももちろん認めますが、それはあくまで「文明」の利器としてであって、それだけで押し通すことはできない、デジタル化の弊害も多い、キンドルなども予想外に苦戦している、と言います。対する「文化」としての本は鈍重だが、モノとしてのかたちや重さ、手触りなどの刺激が脳や皮膚を活性化させるともいわれ、ネット・ウェブ全盛の時代のいまこそ、アンカー(錨)としてその新しい役割が求められていると宣言します。愛書家、出版に携わる人びとに「福音」のような書といえましょう。

本の底力 目次

本の底力 プロローグ

ためし読み

◆書評
2014年11月、書標
2014年11月9日、日本経済新聞
2014年12月15日、読売新聞

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本の底力 目次
プロローグ

第一章 ネット・ウェブ真っ盛り
一 デジタル点景
  世界文化遺産・富士山のストリートビュー公開 全国の「ウェザーリポーター」、天気予報  の精度向上に活躍頼みの綱の安否情報データベース「パーソンファインダー」 緊急節電  対策―「ヤシマ作戦」
二 スマホ席巻

第二章 ネット・ウェブ いくつかの気がかり
一 高まるデジタル依存度
  世界に広がるLINE利用者 「ネット依存症」中高生、五〇万人を超える 「ADT(注意欠   陥特質)症候群」―日頃イライラしていませんか? 「痛キャラ」「トップレス」「ソーシャルデ  トックス」……
コラム 「母と息子のiPhone利用契約書」
二 変質する読書
  本を「浅く」読む 「マクドナルド化」が「グーグル化」先導 モノいう「ムーアの法則」
三 情報の「パーソナル化」、じわり浸透
  グーグル、「パーソナル化」検索の導入方針打ち出す 「セレンディピティ(偶然との出会   い)」の喪失 「百人百色」―一〇〇通りのグーグル検索に一〇〇通りの検索結果 切り   込む新検索エンジン「ダック・ダック・ゴー」 広がる「パーソナル化」―ヤフーなど一斉追   随新興勢力「グノシー」の挑戦「グーグル・アマゾン両社、二〇一四年に統合、新会社   「グーグルゾン」に」(?)

第三章 iPad文明・活字文化
一 iPadに「文明」、本に「文化」の物差しを当てる
  デジタル文明の申し子iPhone、iPad「パブリケーション」としての本、編集長の「主観編  集」によってつくられる雑誌 雑誌ダウンロード
コラム 「文明」と「文化」
二 欧州で「文明」「文化」を考える
  ローテンブルク―独バイエルン州の城塞都市 米国諸都市と欧州ロンドン、パリ、ローマ
三 「文明」と「文化」を見較べる
  遅読の文化 「読書少年」の大人ほど、「社会性」や「意欲」が高く「未来志向」 「大学生   一〇人のうち四人は読書時間ゼロ」
四 「メディアの法則」
  「メディア法則」の四つの局面―「強化・衰退・回復・反転」
コラム マクルーハン「メディアの法則」

第四章 電子書籍、本・雑誌の行方
一 進む電子化
  アマゾン「キンドル」日本版投入 DVD付き『大辞泉』第二版、「三浦綾子電子全集」電   子雑誌「つんどく!」、「モーニング」 電子自己出版(セルフパブリッシング)
二 生き残る活字メディア
  ボロボロの「週刊少年ジャンプ」回し読み、むさぼり読まれた新聞 読書家・愛書家の言   い分本と電子書籍の違い デジタルメディア・活字メディア

第五章 本の底力
一 進展するデジタル文明
  情報のビッグバンはむしろこれから ビッグデータ
二 浮上する本の三つの特質
三 本には形があり、重みがあり、内容を含めて一定の秩序のもとに自己完結
  問われるデータ・情報の中身 甦る「古典」 「増淵式読解法」
四 「脳」をつくる読書、本を読み取る「皮膚」
  読書が脳をつくる 皮膚が本を読み取る 読書と「脳」「皮膚」
五 本に「没頭」し、本と一体になる
  没入の効能 乱読の効用

第六章 読書の周辺
  書店めぐり 一期一会―人と会うことのすすめ 「文化からの逃走」への戒め
<br>エピローグ
おもな参考文献
索引
装幀―虎尾隆


本の底力 プロローグ

 「世界全体で新たに作成されたり、複製されたりする情報やデータ量は現在、ざっと三ゼタ(Z)バイト程度とみられる。これが少なくとも東京オリンピック開催年の二〇二〇年までは毎年倍々ゲームで増え、四〇ゼタバイトに達するだろう。地球のすべての浜辺にある砂粒全体の六〇倍近い量だ」―今後の情報量の増大について、米調査会社IDCはこんな予測を明らかにしている。
 バイトとは情報の大きさを表わす単位。一バイトは八ビットで、一文字分にあたる。ゼタバイトは一〇の二一乗(一兆ギガ)バイトに相当する。
 もともと「浜の真砂」とは、計り切れないほど数の多いたとえとして使われる。それをどうはじき出したのか、世界全体が持ち合わせる情報やデータ量は全地球の「浜の真砂」の数十倍に達するというのだから、恐れ入る。
 その背景には、巨大なデータを蓄えるシステムが整い、データベースの検索速度が上がり、クラウド(情報やデータをインターネット上に保存するやり方やサービス)により、大量のデータや情報のやり取りがすばやく滑らかにおこなわれるようになったことがある。
 スマホ(スマートフォン)やタブレット(多機能型携帯端末)、インターネットやウェブなどの急速な普及が大容量デジタルデータの生成や利用に拍車をかけている。
 その分野は政治、経済、金融、産業、科学、技術、学術、芸術、医療、軍事、気象、流通、サービスなどから、ふだんの暮らし、エンターテインメントなどに広く及ぶ。
 世界中で生活の隅々にまで入り込んできたデジタル機器やサービス。
 それなしにふだんの暮らしは成り立たない。

 だが子細にみると、身の周りに押し寄せてくるおびただしい量の情報やデータの中身は、少量ではあるものの意味がある大切な情報、量は多いもののまるで役に立たない無用のデータなどもあり、様々だ。なかには、まったくのでたらめ、流言飛語、中傷、わざと仕掛けられた悪意のあるデマの類いもあるから、うかうかできない。
 ふだんの暮らしのなかで、増えていく一方の情報やデータに囲まれ追い立てられ、どのように対処しどう処理していったらいいのか、途方にも暮れる。
 東京・渋谷や六本木、新宿などの繁華街を歩いていて、こっちから行く人向こうから来る人、あまりに多くの人と行き交い、交錯し、雑踏のただなかでしばし人に酔うことがある。自分はどっちに向かおうとしていたのか、いまは一体どこにいるのか、自分を見失ってしまいそうになる瞬間さえある。見当がつけられない、わからない、「失見当識」と呼ばれる症状だ。
 雑踏のなかで見当識を失う状態は、ネットやウェブで果てしもなく後から後から押し寄せてくる真贋入り交じった情報やデータにアップアップし、情報の海で溺れかける、といった状況に似通うところがある。
 デジタル化の進行にともなうひずみもいろいろ目につくようになってきた。
身近な暮らしのなかでは
「デジタル機器に依存する度合いが大きくなり過ぎていないか」
「スマホや電子書籍用端末が普及するにつれて、本の読み方が変わってきていないか」
「「人類の知識の宝庫」とも呼ぶべきネットやウェブの世界で、情報や検索の「パーソナル化」が進み、利用者に都合のいい内容だけが返ってくる偏りが起きていないか」
といった懸念がある。
 文明の利器デジタルメディア(以下、電子メディアとも)が浸透するのにつれて、なんでも数で割りきろうとする空気や、すべてを量で推しはかろうとする潤いのない雰囲気が世間に広がってきてはいないか、世の中のあちこちで画一化や均一化が進んで、独自性や個性が失われてきてはないか、という心配もある。
 とめどもなく増大し拡散し続けるネット・ウェブ全盛時代にあって、本を読むことがいま、あらためて認識され評価し直されようとしている。
 「形や重みがあり、一定の秩序のもとで自己完結している「本」という存在それ自体が、めまぐるしく変化するネット・ウェブ時代にはアンカー(錨)として新しい役割を担う」
 「「本」を実際に手に取り読み進めていくことが、脳に躍動感をもたらし、手の皮膚に心地よい刺激をあたえることが明らかになってきた」
 「変化、変転するネット・ウェブ時代に、少なくとも読んでいる間は本に集中し本と一体になる沈思黙考が、あらためて自分を取り戻し捉え直す有効な手段となる」―。
 読書が新たにこのような意味を持つようになってきたからだ。
 iPad(アイパッド)で代表されるデジタルメディアを「文明」とすれば、本や雑誌などの活字メディアは「文化」である、と著者は考える。
誰もが利用でき、便利で重宝なことこのうえなく、効率もよいが、とかく画一的で千篇一律、あくまでも日用品(コモディティ)であり続ける「文明」のデジタルメディア。
独自性や個別性はあるものの、コピー(複製)ひとつ作るにも厄介で効率が悪い「文化」の活字メディア。
ふだんの暮らしでデジタル文明の便利さや重宝さをしっかり享受しながらも、それがもたらすひずみや弊害にうまく対応していけないか。
 ネット・ウェブ真っ盛りのなかだからこそ、「文化」としての本に新しい視点から光をあて、ひとつの解決の道筋を探れないか。
 「底力」とは「底にひそんでいて、いざという時に発揮する強い力、能力」と、広辞苑にある。
 「本の底力」―。
 それが必要とされるのは、おそらくいまこの時を置いてほかにない。
 そう、はやり言葉でいえば、「いつやるか。いまでしょ」である。
 ネット・ウェブ時代のひずみや弊害を緩め和げる手立てとして、本の底力にいま、期待がかかる。