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青山陽子 著

病いの共同体
――ハンセン病療養所における患者文化の生成と変容


A5判上製320頁

定価:本体3600円+税

発売日 14.11.13

ISBN 978-4-7885-1412-6

cover


◆誇りに満ちた「生の軌跡」
 国によるハンセン病者隔離政策の責任を問う「ハンセン病国賠訴訟」以来、療養所における「被害」の実情が広く知られるようになりました。しかし訴訟後、多磨全生園にフィールドワークに入った著者は、彼らの人生を孤独や不幸といった言葉だけで片付けてよいのか、という違和感から、「被害の語り」とは異なる誇りに満ちた生の記憶を、数年にわたり丹念に聞き取ってゆきます。療養所という閉ざされた場にありながら、患者たちが集団としての連帯を生み出し、独自の文化を形成していったプロセスを社会学の視点から描く気鋭の力作!

病いの共同体 目次

病いの共同体 序章

ためし読み

◆書評
2015年1月18日、朝日新聞、原武史氏評
2015年1月23日、週刊読書人、武田徹氏評
2015年3月15日、読売新聞、若松英輔氏評
2015年4月4日、図書新聞、坂田勝彦氏評

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病いの共同体 目次

序 章 記憶と語りから捉える患者文化
第1章 療養所という場の位置づけ
 第1節 療養所の社会的背景
 第2節 療養所内の「生活組織」の概要とその変遷

第一部 生活の語りからみる患者文化の諸相
第2章 相互扶助と統治
    ――患者組織形成期における集団への個人の適応の側面から

 第1節 はじめに
 第2節 管理運営組織の文化コードに対する個人の適応
 第3節 患者組織の文化コードに対する個人の適応
 第4節 療養所における二つの文化コードと個人の適応

第3章 中間集団としての患者自治会
    ――患者集団を代表する「生活組織」が果たす役割

 第1節 はじめに
 第2節 患者自治会の背景
 第3節 生活を支える患者自治会の様々な包括的機能
 第4節 施設の補助機能からはみ出ていく患者自治会

第4章 生活を支え合う労働
    ――生産、分配、共有をめぐる諸相からみる共同性の意味

 第1節 はじめに
 第2節 生産、分配、共有をめぐる諸相
 第3節 患者の共同性と統治との関係

第5章 看取りからみる多層的なネットワーク
    ――親密圏の形成と変容

 第1節 はじめに
 第2節 公的な看取りのなかにおける相互扶助――付添という患者作業
 第3節 しきたりとしての看取り――インフォーマルな組織と社会関係
 第4節 しきたりとしての看取りの制度化――施設サービスの充実と患者組織の変容
 第5節 おわりに
   ■■ 病いの共同体とは何か――第一部をふり返って

第二部 患者集団の記憶の枠に寄り添い、離れつつ語る自己
第6章 療養所で子供をもつことの意味
    ――患者たちに潜む出産のタブー意識

 第1節 はじめに
 第2節 療養所で子供をもった女性のライフストーリー
 第3節 子供をめぐるローカルな意味体系と個人の語り

第7章 療養所のなかの夫婦のかたち
    ――異なる視点から園内結婚を聞き取る

 第1節 はじめに――インタビューアーの立場の違い
 第2節 ハンセン病を聞き取る1――ハンセン病問題の視点から
 第3節 ハンセン病を聞き取る2――患者社会の視点から

第8章 ハンセン病を生きる
    ――家族内感染者のある生の軌跡

 第1節 はじめに
 第2節 Oさんのライフストーリー

第9章 在日朝鮮・韓国人とハンセン病患者の間で
    ――患者社会のなかの差別の表象

 第1節 はじめに――在日朝鮮・韓国人入所者との出会い
 第2節 戦前におけるライフストーリー
 第3節 戦後におけるライフストーリー
 第4節 おわりに
   ■■ 自己物語から捉える戦後の患者社会――第二部をふり返って

第三部 消えゆく患者集団の記憶の果てに
第10章 ハンセン病問題を捉える運動の語り
    ――物語の移り変わりと患者集団の記憶

 第1節 はじめに
 第2節 背景――ハンセン病訴訟の概要
 第3節 訴訟運動における枠の生成
 第4節 新しい語りの発展と患者たちの解釈活動

第11章 ハンセン病資料館における記憶と歴史
    ――存在証明の場から歴史検証の場へ

 第1節 はじめに
 第2節 旧資料館の成り立ち
 第3節 旧資料館における展示手法
 第4節 国立ハンセン病資料館の設立
 第5節 新資料館における展示手法
 第6節 生きられた記憶から国家の歴史へ
   ■■ 上位の枠を生産し、拡散させる文化装置――第三部をふり返って

終 章 下位集団における文化の創造性
 第1節 マイノリティ集団を捉える視点
 第2節 下位集団がもたらす文化のダイナミズム
 おわりに
 参考文献 (8)
 引用文献 (5)
 索引 (1)
カバー写真 黒崎 彰


病いの共同体 序章 記憶と語りから捉える患者文化(一部抜粋)

1 療養所のなかの葬儀に参列する
 ハンセン病国立療養所・多磨全生園で暮らす人々に話を聞き始めてから10年以上になる。そのなかで印象に残っているひとつの風景がある。まずその風景を紹介するためにひとりの女性の葬儀の話から始めることにしたい。その葬儀には調査関係者という理由によるただの参列者としてではなく、故人にとって親しい友人という立場で参列した。そのことでいつもの風景が、私に特別に強い印象を残したのかもしれない。

 彼女は私の調査協力者の一人であり、出会ったのは12年前のことである。その当時は軽症夫婦舎で年の離れた夫とふたりなかむつまじく暮らしていた。もともと丈夫な体ではないうえに、ハンセン病という病いにかかってから体調が万全だったことはめったにないと語っていた。それから程なくして心臓病を悪くして、専門病院で手術を繰り返すなどの闘病生活が続いた。居住まいのきちんとした人で、時折私が見舞いに行くと清潔感のある明るい柄のパジャマを着用し、その唇には紅がさされていたのを思い出す。口数は少なかったが、たおやかで凛とした女性だった。

 彼女の葬儀は秋の長雨が降り注ぐなかで行われた。2001年のハンセン病訴訟が終結してから、すでに7年がすぎていた。その頃になると裁判の影響から親族との関係が回復したという人もいたが、彼女の場合は取り立てて大きな変化はみられなかった。それでも葬儀には郷里から兄嫁(義姉)の代理として甥御さんが参列していた。初老の風貌の甥御さんは、生存している彼女のきょうだいが参列しないことを、「身内の恥というか、叔母の親族は、情に薄いというか」と申し訳なさそうに弁解していた。このようなやりとりは何度も繰り返されてきたのだろうか。患者社会で彼女に親しい友人たちは甥御さんを責めることもなく、よくきてくれたと丁重に迎え入れていた。

 内輪でのあいさつなどを交わしていると、まもなく葬儀の時間となった。療養所のなかの葬儀は、施設サイドが執り行う部分と患者サイドが執り行う部分とに分けられる。管理運営サイドが行う範囲は祭壇や供花の提供、司会といった役回りである。たとえば私たちが祭儀場で葬儀を頼むときに、式場が提供してくれるサービス内容を管理運営サイドの役回りと考えればよいだろう。一方患者側では故人の友人・知人や配偶者が通夜で弔問客をもてなしたり、喪主に立ってあいさつをしたりする。また故人が所属する宗教に応じて、牧師や神父、僧侶などを呼び、ミサや読経を手配するのも患者サイドの役回りである。この区分は明示的な文書で示されているわけではなく、隔離収容の長い年月の間で徐々に施設と患者の分担範囲は変わってきているようだ。患者サイドで葬儀を仕切っていたのは彼女の友人・Fさんだったが、「もう、こんなふうにりっぱなお葬式ができるのもかぎられてくるね」とぽつりとつぶやいた。近年患者の高齢化によって、葬儀における患者担当の部分が徐々に簡略化されていた。

 そして葬儀は粛々と進んでいった。やがて式も終わり、その後は療養所から最寄りの火葬場へと向かう手はずになっていた。バタバタと移動のために準備をしていると、出棺を知らせるアナウンスが園内に流された。するとどこからともなく見送りの人が集まり始めた。普段着の人、介護員に付き添われた車いすの人、病棟からなのかパジャマ姿の人。集まってきた人たちは、何らかの事情で式に参列できなかった故人の知人なのだろうか。またそのなかには介護員、看護師、事務職員など、療養所施設職員の姿も見受けられた。彼らは思い思いに故人に別れを告げにきている様子だった。五、六〇人ほどの人の群れは、正門に向かって二筋の列をなし、霊柩車はそのなかをゆるやかな速度で抜けていった。この見送りは長い年月にわたって培われてきた看取りの一風景なのだろう。私にはこの風景がまるで療養所全体で一人の患者の死を悼んでいるように映った。故人を偲ぶもの悲しい気持ちとともに、じんわりと温かい気持ちがわき上がってきたのを覚えている。

 ハンセン病患者は荼毘に付され、煙となってはじめて隔離からの自由が手に入るといわれてきた。確かに彼らの人生はこの病いによって翻弄されたものだっただろう。しかし患者たちは療養生活を通じて他人同士であった者たちとの間に共同性を見いだし、ともに助け合って生きてきた。彼らと接する時間が長くなればなるほど、彼らの人生や生活を、孤独や不幸といった言葉では片付けられないと思うようになった。調査も中盤となり、どのような視点で研究をまとめていけばよいのかと考える段階になったとき、圧倒的な国家権力のもとで押しつけられた生という側面ではなく、病いに侵されながらも生き抜き、共に生活することで再獲得した生を描くことはできないだろうかと思うようになった。

 療養所とは国家の管理や支配文化によるコントロールが結実した場所でありながら、隔離されたその内部は彼らにとって生活の場でもあり、それゆえに独自の患者文化が根付いていた。そしてこのような彼らの文化は、私が調査を始めたときにもまだ存在していた。しかし本来療養所とは国の政策によって彼らを隔離収容することを目的につくられた施設である。公的記録の多くは彼らの活動を合理的な施設運営や療養所内の秩序ある患者管理という視点から記述していた。それゆえに患者たちの文化を知るためには、人々の語りに耳を傾ける必要があった。この地でどのように生活していたのかという語りは、他者を仲間として意識した集合的な経験の記憶を源泉にして語られる語りである。そしてこのような患者たちの語りはすでに過ぎ去った文化ではなく、今も患者たちの記憶のなかで生き続けている文化である。本書の目的は、療養所という場で営まれた患者たちの生活活動が、集団としての連帯を生み出し、文化を形成していったプロセスを描き出すことであり、そしてこのような活動が自集団の形成に終わるのではなく、管理運営組織さらには一般社会へも文化を浸透させたことを示すことにある。