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苧阪直行 編

小説を愉しむ脳
――神経文学という新たな領域


四六判 224ページ
+カラー口絵12頁

定価:本体2600円+税

発売日 14.9.20

ISBN 978-4-7885-1407-2

cover


◆社会脳シリーズ7 神経文学の秘密の花園への旅!
社会脳シリーズ第7巻は、文字を認識したり、文章を読んだり、小説を楽しんだりする脳に焦点を当てます。文字を扱うことは、人間にとって新しい機能です。日本でも、ほとんどの人が文字を読むことができるようになったのは、ごく最近のことにすぎません。脳は、どうやってこの能力を獲得したのでしょうか。本巻はさらに、読み書きの脳内基盤を文字から探るアプローチに加えて、小説、俳句や川柳などの文芸作品を読むことで生まれる愉しみが、どのように感情や情感などの共感性とかかわるのか、情動脳のはたらきにも焦点を当てます。小説や詩歌を味わうことの愉しみがどのような脳の仕組みによってなされているのか、ことばというシンボリックな記号でつくられた秘密の花園を訪ねてみませんか。

小説を愉しむ脳 目次

小説を愉しむ脳─神経文学という新たな領域 への序(抜粋)

社会脳シリーズ

ためし読み
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小説を愉しむ脳 目次

「社会脳シリーズ」刊行にあたって
社会脳シリーズ7『小説を愉しむ脳─神経文学という新たな領域」への序

1 読みの神経機構 苧阪直行
はじめに
目の動きは心の窓─目の運動を支える眼筋
知を歩く─テキスト上の眼球移動
読書と眼球運動
英語と日本語の読みの違い
眼球運動で測る意識の窓─言語比較
ディスレクシア─読みの障害
おわりに

2 読み書き能力の脳内機構─文化差の影響 中村仁洋
文字の発明と識字能力の普及
読み書きの脳内機構についての古典的モデル
読み書き能力の普遍性と文化的特異性
文字のニューロン、顔のニューロン
脳内機構の恒常性─文化間比較による検証
目で読む、手で読む
おわりに

3 読書と脳 猪野正志
はじめに
日本語の特異性
欧米語の読みとVWFAの提唱
VWFAを含む左側頭葉下部病変により純粋失読を呈した症例
症例に対するfMRI
VWFA障害に対する右相同部の代償
仮名と漢字の単語の読みにおける脳活動
漢字は仮名より右半球の関与がやや大きい
文を読むときの脳活動
文章(テキスト)を読むときの脳活動
おわりに

4 バイリンガルの脳内神経基盤 福山秀直
はじめに
バイリンガルの脳機能研究の現状
英語?ドイツ語、英語?日本語のバイリンガルの比較研究

5 文章が創発する社会的情動の脳内表現 高橋英彦
はじめに
情動のfMRI研究の潮流
社会的情動と文脈の理解
罪責感や羞恥心に関する脳活動
誇り(プライド)に関する脳活動
おわりに

6 読書における文の理解とワーキングメモリ 苧阪満里子
文章を読みながら記憶すること
読みの理解にかかわるワーキングメモリを測る
RSTの侵入エラーと注意制御
フォーカスと言語理解
言語理解の脳内機構
グループ間の差
注意のフォーカスの脳内機構の探索
情動とワーキングメモリ
情動RST実施中の脳活動
おわりに

7 オノマトペ表現を愉しむ脳 苧阪直行
はじめに
オノマトペの役割と起源
感覚とオノマトペ
オノマトペの感覚照応
クオリアのことば
オノマトペの歴史
擬音語と擬態語
小説とオノマトペ
詩歌とオノマトペ
痛みのオノマトペと社会脳
オノマトペの脳内表現─fMRIによる実験
おわりに

引用文献
事項索引
人名索引


小説を愉しむ脳─神経文学という新たな領域 への序(抜粋)

─神経文学の秘密の花園への旅

 本シリーズの第6巻『自己を知る脳・他者を理解する脳』では、自己と他者が迷路の中でどうつながるのかを解く冒険を試みた。迷路の入り口は見えやすいが、出口を探すのが難しいことは、英国のハンプトンコート宮殿の庭園の迷路と似ている。背丈を越える緑の壁の向こうから他者の話し声は聞こえるが姿は見えない。また、自分がどこにいるのかも判然としない。もっと複雑な庭園迷路として、イタリアのパドバ近郊にあるヴィラ・ピサーニの九重の円形迷路がある。ここでは、迷路の中央に到着すると、そこにラセン階段のついたミネルヴァの小塔があり、この上に上がると眼下で迷う人々の姿が手に取るように見える。ここから再び、出口に至る迷路の道順を確かめておこうとする人々もいる。面白いのは、この塔のテラスには一人の番人が常駐しており、どうしても出られない人がいたら、テラスから迷い人にそこを右へ、次を左へと指示を出すらしい。実際出られなくて困る人も多いようだ。自己と他者の脳内迷路はもっと複雑なのかもしれないし、あるいはもっと単純なのかもしれない。迷路のパズル解きは人生の歩みの縮図のようにも見えてくる。

 さて、読むという行為も迷路をたどるのと似たところがある。狭い通路をいわば文法にしたがって歩くことで意味がとれる。読む行為は本のページを一行ずつ視線を移動させて、正確に文を読む行為である点で迷路をたどるのと同じである。足ではなく視線を文字の細道に導けないと文は読めない。もっとも、迷路には行き止まりも多いので、文は読めても意味がとれるとは限らない。ちょっと、ユーモアをまじえて紹介すれば、文法は正しいが意味が迷路になる例として「無色の緑の考えは荒れ狂いながら眠る」という言語学者チョムスキーがひねり出した妙な文がある。しかし、この例は、想像力を触発するという意味では味わい深い。

 さて、本を読むことは、第6巻のテーマでもある他者の心を読むこととくらべると、その起源はごく新しい。世界には文字を読み、文を理解できない人びとが、現在も7億人を超えると言われている。一方、他者の心を読むには文字は必ずしも必要ではなく、乳児でも母親の心を情動を通して読むことができる。19世紀のドイツの哲学者ショーペンハウエルはその短編「読書について」で、読書は他者にものを考えてもらうことだと述べている。そして、読書は砂の上に残った歩行者(著者)の足跡をたどるようなもので、足跡によって著者のたどった道は見えるが、著者が歩行の途中で何を見たかを知るには自分の目を使わねばならないと述べている。自分の目を使える創造力をもつ読者のみが、読書で新たな世界を発見できるというのである。小説の場合は、足跡をたどり自身の豊かな想像力をはたらかせて、著者の世界と共感する冒険を愉しむことができれば読書の目的は十分達成されたといってよいだろう。社会生活を営みはじめた子どもにとって、物語を読むことで他者の心のはたらきを知るスキルを磨くことも大切である。小説で主人公とそれを取り巻く人々の心を読み解き、それを愉しむことは心の理論を深めることにもなるはずだ。

 小説を愉しむといっても、ストーリーの展開を愉しむこともあれば、豊かな自然や心の描写を愉しむこともある。20世紀初頭の米国の作家バーネットの童話『秘密の花園』では、主人公メアリーがレンガの壁に囲まれた秘密の花園への入り口の鍵を見つけてそこに入り、廃園であった花園をヒースやエニシダの咲く庭園に蘇らせるというストーリーが描かれている。本書では、ことばというシンボリックな記号でつくられた秘密の花園を訪ねて、小説や詩歌を味わうことの愉しみを、脳を通して考える冒険を試みる。文章というシンボリックな記号が想像の翼を広げさせ、五感のはたらきをかきたてて詩情豊かな世界を蘇らせ、他者の心を思いやることを可能にする。私たちの心がそれに共感できるのはどのような脳の仕組みによるのだろうか? この問題を「神経文学(neuroliterature)」と呼ぶ新たな視座から観察するのが本巻の目的である。ここでいう文学は広くことばによる表現の活動をさすものである。私たちは、新緑に映える黄色いエニシダやヒースの紫色、咲き誇る花の香り、さわやかな春風などを物語を読むことで想像し、脳の中の秘密の花園でそれらを愉しむことができる。小説を読むことや想像することによって、自己の存在感を盛り立てて、創り上げる愉しみを自分のものとしている。バーネットと同時代人であるフランスの作家プルーストの長編心理小説『失われし時を求めて』では、主人公はマドレーヌの味を契機に、子ども時代の楽しいひと夏の休暇のエピソードを思い出し、同時にコンブレーの田舎町の記憶を鮮やかに思い出す。昔の記憶を反芻するごとに、旧い物語が展開されてゆく。ここではなつかしいマドレーヌの菓子の味が、遠い過去と懐かしさを想起させてくれる。ここにも、文学を味わう愉しさがある。

 本邦の文学に目を転じると、漱石は『草枕』で青磁の皿の上で半透明に光線を受ける羊羹の色の具合は一つの美術品であると述べている。見ていて心地がよく思わず手を出してなでてみたくなるとも表現している。後年、谷崎潤一郎は『陰影礼讃』で、漱石の称賛した羊羹に賛同し、陰影の中に日本文化の味わいがあることを指摘した。また、谷崎はローソクの火に照らしだされる味噌汁が黒いうるしの椀に沈んでいるのを見て、深みのあるうまそうな色だと感心している。このような文学的表現には、感性のことばが五感を触発し、豊かな創造の世界を生みだす力があることを示している。眼前の実物の羊羹をみていても必ずしも食欲は起こらないが、感覚のことばで想像力をかきたてられると羊羹が美しくおいしく、また味わってみたいという意欲がわいてくるのは不思議なことだ。プルーストの小説の主人公がマドレーヌの味わいの印象から記憶の扉を次々と開いてゆくように、私たちも小説を読むことで、このような仮想の世界を味わうことができる。ことばに触発された感覚や記憶の世界を神経科学的な実験を通して観察することで、ことばの芸術の不思議な力を解くことができるだろう(Lehrer 2007)。本巻では、読み書きの脳内基盤を文字から探るアプローチ(岩田・河村 2007)に加えて、小説、俳句や川柳などの文芸作品を読むことで生まれる愉しみが、どのように感情や情感などの共感性とかかわるのかを情動脳のはたらきにも焦点を当てて探るアプローチをとった。
・・・・・・・(一部抜粋)