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金菱 清 著

新 体感する社会学
――Oh! My Sociology


四六判並製230頁

定価:本体2200円+税

発売日 14.4.25

ISBN 978-4-7885-1388-4




◆大好評によりリニューアル!

「めっちゃ面白い、一気に読んだ」と大好評のぶっとびテキストの新版ができあがりました!「世の中がひっくり返るような非日常に焦点を当てることで、わたしたちの世界の本性を知りたくはありませんか?」とスタートした旧版の一年後に、まさかの東日本大震災と原発事故が…阪神淡路大震災と今回の震災両方に遭遇した著者が世界の深淵を思いっきり覗き込んで「主体」「死」「震撼」の章を書き下ろしました。イラストも盛りだくさんにデザイン一新、半期15回の大学の講義計画にマッチした構成で快走する新テキストにご期待ください。

新 体感する社会学 目次

新 体感する社会学 はじめに

ためし読み

◆著者の本
生きられた法の社会学
3.11 慟哭の記録
震災メメントモリ
呼び覚まされる霊性の震災学
悲愛
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新 体感する社会学 目次

はじめに

第1回 脱常識 社会学って何
 常識をくつがえす
 算数の苦手な人へのテスト
 一般常識のありすぎる学生!
 サルになる

第2回 性 男と女の解剖学
 ブラックジャックとアマノジャック
 医学と社会学の違い
 摂食障害の謎
 セックスとジェンダーどっちが先か?
 性は自然か?

第3回 悪夢 意図せざる結果
 風桶理論
 こんなはずでは・・・バカだからではなく
 賢いから起こる問題
 社会的ジレンマ
 ダーウィンの悪夢
 ロスの大気汚染
 雨乞いの儀礼

第4回 予言 予言の自己実現
 パニック・流行のしくみ
 秀才のつくり方
 占いはなぜ当たる
 血液型性格診断はウソ?ホント?
 トマスの公理または状況の定義

第5回 魔力 ラベリング
 ホンモノとニセモノ
 ルアー効果
 「寝たきり老人」は存在しない?!
 少年犯罪は凶悪化したのか
 通年が陥るワナ
 ことばは両刃の剣

第6回 葛藤 ダブル・バインド
 不条理な世界
 メタ・メッセージ
 精神疾患の患者さんからみた
 「ふつう」の世界の怖さ
 「どうぞごゆっくり」
 声を聞かせてください

第7回 演技 役割演技
 サトラレないための演技
 印象操作
 日常にあるサトラレ現象
 電車のルール
 役割期待
 ペルソナ(仮面)で成り立つ社会

第8回 家(うち) 食・結婚・家族
 食から見える現代主婦の実態
 家族って何?
 ロマンチック・ラブ
 データが明かす日本の近代家族
 母性愛の神話
 家族はどんどん変わる

第9回 受苦 環境問題と公共性
 暴走族と飛行機の騒音の違い
 受益圏・受苦圏
 空港騒音問題と公共性
 コミュニティの崩壊
 受苦の解決とは?

第10回 主体 パノプティコン
 ごみ問題を解決するには
 人間の主体的行為
 権力のエコノミー化
 水神様の周りはきれい
 遊びを取り入れた解決法

第11回 倫理 モラル・プロテスト
 不正・偽装事件
 真実vsタブー
 モラルとライフのはざま
 所沢・飯館・北上・伊丹のモラル・プロテスト
 オルタナティブな社会への胎動

第14回 法 国・ことば・貨幣
 吉里吉里人 東北が独立する日
 標準語と母語
 アボリジニのダイチの法vs紙っぺらの法
 ヴェニスの商人の勝敗
 ギブ&テイクの世界
 贈与から交換へ

第13回 生 疎外された労働と生き方
 卒業後に就く仕事
 プラダを着た悪魔vsモダンタイムス
 労働疎外の4つの要素
 資本主義に適合する職業倫理
 他人指向型人間の孤独

第14回 死 reverse/goal/restart/start
 死神 命のロウソク
 生のフィニッシュを飾る死
 輪廻転生・解脱・魂のゆくえ
 イキガミ あと24時間しか生きられない
 自殺大国日本
 19世紀西欧のデータ アノミーの自殺
 社会と個をつなぐ糸

第15回 震撼 日常がひっくり返る
 阪神・淡路大震災を体感
 ついに来た東に本題震災 大津波・原発・巨大地震
 3・11慟哭の記録 16年目の解答
 サバイバーズ・ギルト症候群
 痛みを温存する記録筆記法


あとがき
文献リスト
関連年表
索引


新 体感する社会学 はじめに

いまから社会学というものを学ぼうとしています。大学の講義のはじめに、なぜ社会学を受講するのかレポートに書いてもらったところ、ある学生からつぎのような間違った解答が返ってきました。「社会学を学んだことがなかったため、調べたところ、『人間や集団の諸関係、とくに社会の構造・機能などを研究対象とする社会科学の一分野』と書いてあり、私に必要な学問だと思いこの授業をとりました」。

もちろん、説明としては間違ってはいませんが、もし本書を手にとったみなさんがこのような小むずかしいものを社会学に期待しているならば、すぐに本書を燃やすことをお勧めします(あっ、いまは環境問題で騒がれますのでブックオフまたは友達に売るか、書店で本書を手にとった場合は静かに本棚に戻してください)。ただし、こういう考えをもっている人は本書が対象としているよいカモ”ですので、どうぞ安心してください。

少し表現がまずかったので言い直します。本書が対象としているのは、「学問って少しアカデミックで取っつきにくく、わたしたちの日常生活とはかけ離れたことを研究しているんだわ」と思っている人たちです。そういう人たちに、じつは学問と日常生活がけして離れておらず、むしろその境界はあいまいで両者はきわめて密接していることを実感してもらうことを目論んでいます。

この書のタイトルには、「体感する社会学」とありますが、通常じかに接する講義(現場)と異なり、書物のみで話を進めていくことには限界があります。しかし、あえて堂々と「体感する社会学」と銘打ったのは、じつは書物だけでも十二分に社会学の講義を実感できることを念頭においているからです。というのも毎年、大学のシラバス(講義計画)を読んだだけで多くの学生がわたしの講義を受講します。平均して3?0?0人、多い時で7?0?0人もの学生がひとつの教室に集まります。先ほどと同じように、ある学生の受講理由をあげてみましょう。

「大学に入学し、社会学を学ぶにあたり、さまざまな先輩から、大学の講義は先生の自己満足であると聞いていました。しかし、シラバスを読んでいて、金菱先生の社会学のテーマ、講義内容、講義計画のどれを見ても、自分もきちんと講義に参加していると実感することができるところに、まず魅力を感じました」。

これは奇妙な話です。まだ実際に受講していないにもかかわらず、シラバスを見ただけでなぜか学生は社会学の講義を疑似体験しているのです。シラバスは世に公開することで少しかしこまって表現していますが、基本的には本書の目次を見ていただけるとわかるように、トピックとしてみなさんが気になったり、引っかかったりすることが散りばめられています。

講義テーマは「意外性の社会学を体感すること」で、本書のタイトルと変わりません。内容はクイズ形式で、「人の心を読む心理学」より「人びとの心を読みとる社会学」が意外に面白いことを知ってもらう、というようなことを書いています。

というわけで、大学教員のわたしという生の人間を登場させなくても、この書を読んでみなさん一人ひとりが講義に参加できるように、できる限り工夫しました。クイズ形式もそのひとつです。正解も書きましたが、なるべく、みなさん自らが答えを探し出してください。

さて、大学に入ったみなさんは、高校までに習った知識や考え方をもっています。それを今まで疑ったことはあるでしょうか。いつから「世の中ってこんなもんだろう」と思い始めたのでしょうか。おそらく中学校までは新鮮で刺激的な毎日がみなさんを待ち受けていたはずです。それがいつしかルーティン化し始めると、あらゆることにおいてこの程度かと世の中をなめてしまいがちです。死すらも怖くなくなってしまいます。そうなると、受験や定期試験を通じて新しい知識や考え方を身につけることはありますが、それが小学校で習ったような未知のものにふれる「ワクワク」する楽しい経験、あるいは「ワナワナ」する怖い経験ではなくなっています。つまり、ものを考えなくてよい習慣が身についてしまいます。

このテキストでは、「世の中ってこんなもんだろう」と思っているみなさん一人ひとりの、ごくふつうの日常を溶かす”ねらいをもっています。したがって、この書にはふつうの教科書に出てくる欧米人の偉い学者さんの解説も一切ついていません。しかし、みなさんの関心に従って進めていくために、ある種危ない橋を渡ります。そこはみなさん一人ひとりとのガチンコ勝負です。

「人は生き、人は死ぬ」。こうした人間観をわたしたちは一見すると当たり前のように受けとめています。しかし、自分自身のことを少し考えてみると、じつは誰も一番よく知っているはずの〈わたし〉のことを完全にはわかっていません。つまり、自分の死を体感し経験することはできないのです。そればかりか、自分の誕生の瞬間すら誰も知りません。わたしの誕生日が何年何月何日何時何分であることは、あとでわかります。いまでは、ホームビデオで誕生の瞬間を撮影することができるようになりました。

では、そのときわたしはどのような感情や意識をもってこの世に生まれてきたのでしょうか? いろいろ映像から想像することはできますが、それがほんとうにその時の感情であるのか確証は得られません。また、たとえわたしの死の瞬間を撮影したとしても、映像に残った自分を見ることはもはやありません。死んだ後、何十年、何百年、いや何億年、何百光年わたしの意識は存在しません。

「自分はこの世からいなくなる」のに、なぜわたしたちは平然と暮らしを成り立たせることができるのでしょうか。考えてみれば不思議なことです。ある人いわく、わたしたち人間は確実に死が訪れるとわかっていてもできるだけ死を遠ざけたいと願っていて、どこかでごまかしを行い、死を遠ざけるために「文化」という仕掛け(装置)を社会につくった、とのことです。なるほど、避けがたい死を日常として飼い慣らすために遊びという文化を発明した、そのように考えるとふだんはなめらかな世の中が急にパタッとひっくり返り、オモテとは違うウラの意外な表情を見せてくれます。ふつうのことがむしろ特別にさえ思えてきます。日常生活に寄り添いながらも、そこに潜む非日常に焦点を当てることで、わたしたちの世界の本性を知りたくはありませんか?

本書の初版の刊行後、まもなく東日本大震災が起こりました。巨大地震をはじめ、大津波、原発事故という想像を絶する事態が生じました。とくにこの震災に遭遇した地域では、多くの人たちが本書の想定していたような日常が突然ひっくり返る現実を目の当たりにしました。そして同じことが日本中いつどこで起きてもおかしくない日常を、私たちは生きているのです。

さあ、さっそくみなさんと一緒に、いろいろなことを体感してみたいと思います。