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難波功士 編

米軍基地文化
――叢書 戦争が生みだす社会 III巻


四六判上製296頁

定価:本体3300円+税

発売日 14.3.25

ISBN 978-4-7885-1372-3

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◆基地から始まったポピュラーカルチャー◆

沖縄県民の願いにもかかわらず、普天間基地の県外移設は挫折しかけています。米軍の占領と撤退をへて、本土にアメリカ文化が遍在するのと同時に、米軍基地は沖縄に偏在することになったのです。しかし、基地から強烈なインパクトを受けて成長した文芸、ポピュラー音楽、歌謡曲、あるいは基地を介してグローバルに広がったロックンロールやジャズなどのポピュラーカルチャーから、本書は米軍基地それ自体が文化であることに初めて注目します。基地文化のクロニクルな叙述に、沖縄の言説、セクシュアリティ、辺野古の社会史を重ね、日、米、沖縄のねじれた関係性から生まれた文化の奔流と変容に迫ります。

米軍基地文化 目次

米軍基地文化 序章

ためし読み

「叢書 戦争が生みだす社会」

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米軍基地文化 目次

目 次

序 章 基地文化という視座 難波 功士

第1章 偏在する基地/遍在するアメリカ 難波 功士
  はじめに
1 占領期―ジープが街にやってきた
2 ベトナム戦争期―フェンスの向こうのアメリカ
3 東西冷戦の終焉―佐世保バーガーが街にやってきた
  おわりに
コラム 世界の米軍基地 スタンディング・アーミー(難波 功士)
    岩国基地 凧で戦闘機を止めようとした岩国(難波 功士)
    佐世保基地 佐世保育ちのアンビバレンス―作家・村上龍の愛憎併存(難波 功士)
    東京・六本木 山口瞳のアメリカ(難波 功士)

第2章 米軍キャンプ・アメリカ・歌謡曲 太田 省一
――戦後ポピュラー音楽のひとつの系譜  
  はじめに
1 ジョンとヨーコの旅―基地とラブホテル
2 沖縄とアイドル―本土復帰以前と以後
3 ご当地≠ニしての米軍キャンプ―流行歌とアメリカの変容する関係
4 新しい音楽≠ヘ闘う―米軍キャンプという郊外
5 出会いとすれ違い―歌謡曲の〈終わり〉

第3章 ロックンロールの場所―米軍基地から地元へ 大山 昌彦
1 基地から受容したアメリカの音楽文化
2 日本におけるロックンロールの受容
3 基地の現象と文化の還流の変容―基地の周辺化
4 ロックンロール・リバイバルと二つのローカルなロックンロール
5 ローラー族と生き方としてのロックンロール―ノンエリートの若者文化
6 地元化する「ロックンロール」
  おわりに―ロックンロールから見る文化圏域の変化

第4章 米軍駐留がフィリピンにもたらしたジャズ 岩佐 将志
―越境する親米感覚の生成と変容
  はじめに
1 フィリピンで発展したジャズ
2 米西戦争から戦前期までの展開
3 日本軍占領下におけるジャズの弾圧
4 終戦後の演奏体験―フィリピン・沖縄・東京を事例として
5 帰国したミュージシャンと戦後フィリピンのジャズ
6 越境者をつなぐ音楽
  まとめ

第5章 地域社会における米軍基地の文化的な意味 木本 玲一
―「基地の街」福生・横須賀の変遷
  はじめに
1 「基地の街」としての福生・横須賀
2 「基地の街」のサブカルチャー
3 文化資源としての基地
4 地域社会における基地の文化的な意味
  おわりに
コラム 厚木基地 「アツギ」ブランドの誕生(岩佐 将志)
    三沢基地 寺山修司と三沢の空(笹部 建)
    米軍放送 占領期のWVTR(井川 充雄)

第6章 沖縄の本土復帰運動と戦争体験論の変容 福間 良明
  はじめに
1 戦後初期の沖縄戦記
2 復帰運動の低迷と再興
3 反復帰と戦記の隆盛
  おわりに―基地をめぐる輿論と「戦争体験」の力学

第7章 「アメ女」のセクシュアリティ 圓田 浩二
―沖縄米軍基地問題と資源としての「女性」性
  問題の所在―コンタクト・ゾーンとしての沖縄
1 アメ女とは何か―資源としての女性
2 アメ女の歴史―外人とつきあう日本人女性の変遷
3 沖縄におけるアメ女の語りとアメ女に対する語り
4 「悲しい文化」―差別し、されているのは誰か?

第8章 米軍基地を受け入れる論理 熊本 博之
―キャンプ・シュワブと辺野古社会の変貌
  はじめに
1 キャンプ・シュワブ受け入れの経緯
2 シュワブが辺野古にもたらしたもの
3 普天間代替施設建設問題
4 辺野古の選択―行政委員会と「命を守る会」の動き
  おわりに
  
事項索引・人名索引
  
装幀 鈴木敬子(pagnigh-magnigh)
イラスト・地図制作 谷崎スタジオ

*本文中の写真は断りのない場合、著者の撮影・提供による


米軍基地文化 序章

本書が企画されたのは、普天間基地移設問題の対処に失敗した時の首相が、退任する騒ぎとなっていた頃であった。その後、東日本大震災や政権交代を経た今日でも、オスプレイ配備や辺野古地区への移設の是非など、依然として米軍基地は争点であり続けている。基地が国内にあること(あったこと)、さらにはそれが沖縄に偏在していることを問い返す作業は、その意義をさらに増しているのである。

本書は「叢書戦争が生みだす社会」の第V巻として、敗戦・占領・駐留によって戦後社会がいかに規定されてきたか、とりわけその文化的な側面をテーマとしている。この国に今なお存在する「米軍(基地)と有縁なものたち」をとらえ直し、アジア・太平洋戦争を、東西冷戦を、さらには9・11を「抱き抱えている」現在を再考する試みである。

政治・外交・軍事などの焦点にある米軍基地を、「文化」の語のもとに論じることは、多くの人の目にはペダンティックに過ぎると映るかもしれない。暴力装置としての基地の本質を看過しているとの批判もあろう。だが、基地の及ぼした大衆文化(ポピュラーカルチャー、マスカルチャー)やライフスタイルへの影響を抜きにしたまま、基地の現実やアメリカナイゼーションの様相を語ることできない。この数年の間にも米軍基地に関しては、メディア研究からのアメリカの対日文化政策史(土屋・吉見 2012)、米軍兵士と日本人女性との結婚をめぐるエスノグラフィー(宮西 2012)、ポピュラー音楽研究における分厚い記述(青木 2013)などが刊行された(1)。本書はそれらの研究成果と同様に、アクチュアルな問題意識のもと、米軍基地文化の変遷や諸相を描き出そうとするものである。

以下、各章の概略を紹介しつつ、本書の構成を示しておきたい。

第1章(難波)および第2章(太田省一)は、マンガや雑誌記事、ポピュラー音楽など「コンテンツに表象された米軍基地」を扱っている。そこで語られているのは、沖縄へと基地が集中していくなかで、「内地」「本土」の人々の多くから、「自らの住まう土地が沖縄のようになっていたかもしれない」ことへの想像力が欠落していったプロセスである。そして、沖縄(をはじめとする米軍基地周辺)へのエキゾティシズムや「かつてあったキャンプ」へのノスタルジーといった意識が醸成され(2)、さらには、アメリカ的な生活様式が社会に遍在するにつれ、さまざまな事象からアメリカ(軍基地)という来歴が忘却されてきた日本社会の姿―アメリカ(軍基地)的なものの、いわば「図」から「地」への転化―である。

第3章(大山昌彦)では、横浜・横須賀などをフィールドに、米軍基地が日本の若者文化に影響を及ぼしてきた軌跡がたどられていく。基地とポピュラー音楽との関連をめぐっては、これまでもっぱらジャズ(副次的にはカントリーなど)を中心に語られてきたが、本書では歌謡曲やいわゆる「ニューミュージック」、ロック(ンロール)やソウル・ミュージックもとり上げられている。また本章は、ロックンロールのローカライゼーション、地元化のプロセスを重視している。

第4章(岩佐将志)は、ジャズがテーマとなっているが、その舞台はフィリピン(とそこからの人々の移動)である。この場合、米軍基地文化は、ジャズという大衆文化(ポピュラー音楽)のコンテンツであるとともに、文化を生産する側の実践としてとらえられているのだ。その楽曲を通して聴こえてくるアメリカ、ミュージシャンたちの演奏の場としての米軍キャンプ、アメリカ産の音楽を愛する者たちのネットワーク、フィリピンのおかれた地政学的な条件などを重層させながら、その「親米感覚」のありようを明らかにしている。

第5章(木本玲一)のテーマは、文化資源としての米軍基地。基地とともにあった年月は、独特な街並みやある種のサブカルチャー(下位文化)を生み出し、そこに親近感や憧れを覚える若者たちの関心を集めていく。米軍基地が存在し続けてきた福生や横須賀が、いかにして「基地のある街」という条件を、自らの(住む土地の)アイデンティティとして肯定し、利用しようとするに至ったかが描かれている。

第6章以降は、基地が集約されていった側からの米軍基地論となる。第6章(福間良明)は、沖縄での戦争体験の語られ方の変容を追うことで、軍事基地を押しつけられたかたちでの復帰が、沖縄戦の見つめ直しを促し、さらにはベトナム戦争への複雑な視線を生み出したことを明らかにしている。そして第7章(圓田浩二)では、「そこに基地がある」現実を生きる沖縄の姿が、ジェンダーやセクシュアリティの観点から照射されていく(3)。米軍基地がある街で、「アメ女」の女性たちがいかに生き、周囲からどのように眼差され、それに彼女たちがどう対応・対抗してきたのか。その生のあり方に迫ろうとしたエスノグラフィーである。

他方第8章(熊本博之)では、米軍基地とともにあり続けてきた地域社会において、さまざまな葛藤・軋轢をはらみつつも、どのような生のあり方や物事の考え方が共有され、人々の生活が営まれてきたのか、また営まれていこうとしているのかが語られている。いまもっともポレミカルな辺野古地区をめぐって、単純な議論や性急な解決策をはねつける、基地とともに生きた人々の経験の深さ・重さが浮き彫りにされていく。

もちろん米軍基地をめぐっては、グローバル―ローカル、アメリカ―日本、内地―沖縄といった関係以外にも、男性―女性、中央―地方など、さまざまな対抗軸や亀裂が、複雑かつ複合的に存在している(4)。その多様なあり方を少しでもカバーするために、コラムでは世界各地ないし日本各地の基地(岩国・佐世保・厚木・三沢)やメディアとしての米軍放送に言及している(5)。本書に収められた諸論考の視点や論点の幅広さは、一枚岩でも一筋縄でもありえない、日本社会とアメリカ(軍基地)とのアンビバレントな関係性の反映なのである。また本書での「文化」概念も、基地を描いた小説・マンガ・楽曲などから、基地をめぐる人々の生のあり方という意味での「文化」まで、章によって多種多様とならざるを得なかった。

いま、さまざまに米軍基地文化を問う試みは、われわれ個々人がいかなる地点に立ち、そこからどこに行こうとするのかを再検討する作業である。米軍基地は、文化的にも「焦眉」の問題として、われわれの眼の前に存在しているのだ。


(1)ほかにも、米軍基地史の手際のよい概説(林 2012)、韓国における「基地村」の語り(金 2012)なども公刊された。
(2)ノスタルジーの例として、クレイジーケンバンドのアルバム『soul 電波』(2007)に収められた「路面電車」を挙げておく。かつて本牧通りには路面電車が走っており、「電車通り」と呼ばれていた。
 「ガタンゴトン ガタンゴトン ガタン 遠い記憶の街を ガタンゴトン ガタンゴトン ガタン 米軍基地の街を……路面電車は行くよ」。
(3)敗戦直後、狭山や入間でも「アメ女」的な状況があったことは、津村節子『星祭りの町』([1996] 1999)に活写されており、またいわゆる戦争花嫁については、有吉佐和子『非色』([1964] 1967)がある。
(4)石垣島を歌った大工哲弘「マクラム道路」(『ウチナージンタ』1994)―「人馬も通わぬ伊原間へ 自動車自転車揺れるのも マクラム中佐のお陰です」―などを聴いていると、沖縄本島―先島といった対立軸が感じられる。また辺野古は、本島中南部―北部(国頭)関係の中で語られたりもしている。
(5)当初、本書には韓国の米軍基地をめぐる論考の採録も予定されていた。その様子は、韓国映画「受取人不明」(キム・ギドク監督 2001)、「GoGo70s」(チェ・ホ監督 2008)などから垣間見ることができる。

文献
青木深 2013『めぐりあうものたちの群像―戦後日本の米軍基地と音楽 一九四五―一九五八』大月書店.
有吉佐和子 [1964] 1967『非色』角川文庫.
林博史 2012『米軍基地の歴史―世界ネットワークの形成と展開』吉川弘文館.
金蓮子 山下英愛訳 2012『基地村の女たち―もう一つの韓国現代史』御茶の水書房.
宮西香穂里 2012『沖縄軍人妻の研究』京都大学学術出版会.
土屋由香・吉見俊哉編 2012『占領する眼・占領する声―CIE/USIS映画とVOAラジオ』東京大学出版会.
津村節子 [1996] 1999『星祭りの町』新潮文庫.
楽曲・映像資料
大工哲弘 1994「マクラム道路」『ウチナージンタ』.
キム・ギドク監督 2001『受取人不明』韓国映画.
クレイジーケンバンド 2007『soul 電波』アーモンドアイ.
チェ・ホ監督 2008『GoGo70s』韓国映画.