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河本英夫 著

損傷したシステムはいかに創発・再生するか
――オートポイエーシスの第五領域


四六判上製424頁

定価:本体4200円+税

発売日 14.3.3

ISBN 978-4-7885-1370-9




◆ひとは事故・障害からいかに立ち直れるか?

ヴァレラ、マトゥラーナに始まる「オートポイエーシス」の思想を日本で主唱してきた著者による新たな展開をめざした本です。システム(人間の身体など)は、しばしば破損し、停滞し、変調をきたします。しかし、自然の脅威、事故、災害などに遭っても、遅々とした歩みではあれ、いつかは再生しえます。行為のさなかにそのつど新たな行為を生みだしていくオートポイエーシス、自己組織化の思想は、行為・実践の哲学であり、このようなリスクに立ち向かうための最適の思想です。本書は、リハビリ、運動理論、舞踏などの現場と交流しつつ書かれたものですが、著者自身の大病克服の経験を踏まえているため説得力に富み、精神医療、治療論、トレーニング論などの多くの分野の方々にも関心を持たれることでしょう。

損傷したシステムはいかに創発・再生するか 目次

損傷したシステムはいかに創発・再生するか あとがき

ためし読み

◆書評
2014年7月19日、図書新聞、小松美彦氏評

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損傷したシステムはいかに創発・再生するか 目次

序 章 システムの創発と再生へ
気づきと触覚 発達と能力の形成

第一章 認知行為的世界
1 感じ取る自己と世界
感覚の分類 触覚性感覚の仕組み  メルロ=ポンティ  触覚性感覚のマトリクス  触覚性現実  触覚性言語  痛み・痺れ・苦痛
2 認知行為のカテゴリー
相即  注意  遂行的注意  選択的注意  焦点的注意  ランディング・サイト  触覚のランディング・サイト  強度  生態学的知覚
3 認知行為と現象学
現象学 システム現象学

第二章 システムの発達
1 発達論の難題
第一の難題  意識の発達はあるのか  反省から経験は形成されるのか  システムそのものとオートポイエーシス  自己の発達  述語的考察  第二の難題  最近接領域  第三の難題
2 発達のモデル変更
ニューロンの可塑性  縮退(冗長性)  二重選択性  カップリングでの速度差  形成プロセスの仕組み
3 発達のさなかの謎
自己接触行動――境界の形成  相互模倣  ミラー・ニューロン  共同注意  軽度発達障害の当事者研究  軽度能動的自閉症

第三章 記憶システム
1 記憶という課題
記憶の三機能  記憶のマトリクス  記憶という学知
2 記憶という構想
認知科学  ベルクソン  記憶の関与  記憶と日付  記憶の動作障害  記憶の言語障害  再認障害としての人物誤認 
3 情動の記憶
基本的ことがら  神経心理学的力動  初期症例  精神分析の可能性  第三の記憶
4 記憶の補遺
動作の感触

第四章 動作システム
1 動作の多様化
模倣する人間  左右分担制御  影の活用  制作  イデアの出現  過剰代替
2 動作の組織化
内的視点と外的視点  内的感覚と外的像の変換不全  動作の形成  動作の原理はどのようなものでありうるか  二重安定性の拡張  動作の空間  奥行き  空間の現われの変容  動作療法
3 意識の行為
調整機能仮説  意識という機能性  意識そのものの関与する変容  意識と神経ネットワーク
4 動作の言語
世界の比喩としての動作  身体動作とイメージ

第五章 能力の形成とオートポイエーシス
1 経験の可動域
感覚の可動域  強度の活用  色彩の運動性  境界の活用  形の変換  ブリコラージュ(手元仕事) 一生「束の間の少年」  迷路
2 人間再生のシステム
システムの自己組織化  システム的病理  防衛的モード  代償機能形成  証拠に基づく治療
3 オートポイエーシスという経験
オートポイエーシスの機構  定義  創発  二重作動  第五領域

終 章 希望――ヘルダーリンの運命

あとがき
索引


損傷したシステムはいかに創発・再生するか あとがき

 日々の生活のなかでも、どこか自明なことに思えて、ほとんど気にもかけずにいることがらは多い。そのなかにも、決定的に個々の経験にかかわってしまっているものがある。たとえば発達は、定常発達したものにとっては、ふだんはまったく感じ取ることもできない。それでも時として「老い」が急に加速したとき、はじめてそれとして自分自身に感じられるようになる。老いを成熟や熟練と言い換えても、本当のところあまり差はない。自分自身にとってかつてのような経験の速度感がなく、自在な躍動も感じられない。だがなにかのっそりという感じで経験は動き続けている。こうした場面で、発達の否応のなさ、紛れもなさを感じ取ることがある。こうしたことがらは、通常は制御の仕方がわからないために疑似自然的なものに見える。そこには感触としてしか感じ取れないが、決定的に経験に関与しているような特質があるに違いない。ここ数年、私自身は二度の大きな手術を経ているが、こうした主題は手術前後から一貫して考えてきたものである。

 本書は、そうした特質を組み込んだ経験を考察するために、触覚性感覚、発達、記憶、動作、さらには能力の形成を取り上げている。いずれも生にとって最も重要なことでありながら、それとして単独で取り出すことができないために、難題中の難題となっている。たとえば記憶は、ほぼすべての経験に関与しているはずだが、どこまでが記憶でどこから先が新たな経験なのかを判別することは難しい。それによって認知科学的な実験事実を確定するために、大幅な制限が生じており、容易なことでは解明できない領域になっている。こうした記憶の固有性を判別できないことが、むしろ記憶そのものが有効に機能するために必要なのだと思えるほどである。そのため手法としては、経験のさなかで経験を内的に分析していく現象学を、さらに拡張しながら進むことになった。その場合でも、本来現われてこないものを何度も現われの一歩手前まで呼び出すようにして考察していくよりなかった。

 こうしたテーマでは、オートポイエーシスの定式化をもう一段階、組み替えて進む必要が感じられた。ここでの変更も、小さなものではない。というのもオートポイエーシスの仕組みから見て、触覚、発達、記憶、動作、能力が何であるかを記述し、それらがわかるだけではなく、どのようにしてそれらを再組織化し、有効に作動させるかまで踏み込まなければならないからである。つまりオートポイエーシスは、認知だけではなく、実践的行為(調整能力)の形成や新たな能力(制作)の形成にまで踏み込まなければならないのである。そのさい、認知、実践的行為、制作へと下降するのではなく、むしろ制作、実践的行為、認知へと組織化しながら上昇していくことが必要となる。そして本書は、そうした課題に敢然と踏み込んだつもりである。

 素材としては、リハビリ関係や精神医学関係のデータ、さらには認知科学、神経システムの議論、さらにはさまざまな哲学の構想を活用した。システムのあり方を描くためには、こうした多くの領域での材料を欠くことができない。本書は経験のベースをリハビリのデータに置き、そこから人間、社会、世界への考察の仕方を試行錯誤したものである。

 ここ数年の間に、世界レベルの能力を備えていた、私の「相棒」とよぶべきパートナーたちが相次いで亡くなった。荒川修作は、二〇一〇年五月に、声も出なくなり最後は呼吸もできなくなって死んだ。理学療法士の人見眞理は、二〇一二年二月に、肺炎をこじらせて死んだ。肺炎は、ガン、脳卒中につぐ第三位の死亡原因である。彼らとは、膨大な時間をかけて議論を続けた。彼らの書き残したものは、多いとは言えない。しかし会話のなかでは、とても多くのことが話題となり、語り残していた。それらについては本書のなかでできるだけ組み込むようにした。

 今回も、多くの人の協力の下に作業を進めた。花村誠一(東京福祉大)さんとは、カップリングの状態が長期間続いている。加藤敏(自治医大)さんとは、何度もさまざまな企画を協力して行なった。また稲垣諭(自治医大)、池田由美(首都大学)、岩崎正子(都立多摩総合医療センター)、大越友博(芳賀赤十字病院)の各氏とは、神経現象学リハビリテーション研究センターの運営で、絶えず協力して作業を行なっている。そこには多くの一般会員の協力もある。また認知運動療法のメンバーとは機会に応じて、協同作業が続いている。それ以外にも、池上高志(複雑系物理学)、木本圭子(複雑系アート)、緒方登士雄(動作療法)の各氏とは、常日頃協力を続けている。各氏には記して感謝したい。

 本書は、時に応じて書いてきた多くの元原稿を部分的に組み込みながら、何度も再編し、書き足した草稿群から成っている。初出の姿を留めているものはほとんどないが、組み込まれている元稿の書誌的事項を示しておきたい。過去の草稿群は、実際、想起するたびに再編されてきている。

 第一章 「創発と現実性」(『思想』二〇一〇年七月)、「痛みのシステム現象学」(『現代思想』二〇一一年八月)
 第二章 「発達論の難題」(『発達心理学研究』第二二巻、二〇一一年)
 第三章 「精神療法はどこに向かっているのか」(『臨床精神病理』二〇一一年九月)
 第四章 「言語は身体に何を語るかI」(『白山哲学』二〇一一年三月)、「経験の可能性の拡張とレジリアンス」(『日本病跡学会誌』二〇一一年一二月)
 第五章 「生命システムの論理」(『現代思想』(二〇一二年七月)、「臨床美術の可能性」(『臨床美術ジャーナル』二〇一二年一〇月)
 終 章 「人類の社会実験――ヘルダーリン『エンペドクレース』」(『現代思想』二〇一一年六月)、「詩人という使命I」(『白山哲学』二〇一二年三月)

 末尾になるが、今回も新曜社編集部の渦岡謙一さんには、ひとかたならずお手数をとっていただいた。いつものように丹念な読み込みをやっていただいた。それでもなお謎の残り続けている箇所は、そもそもことがらがそうしたものだと理解してやっていただいたと思う。つまり編集としては、余分な作業までやっていただいたことになる。衷心より、感謝の言葉を送りたい。

二〇一三年一二月
河本英夫