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日比 嘉高 著

ジャパニーズ・アメリカ
――移民文学・出版文化・収容所


A5判上製392頁

定価:本体4200円+税

発売日 14.2.20

ISBN 978-4-7885-1369-3

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◆国境を越えて生きるとはどういう体験か?◆

明治初期から始まったアメリカへの移民は、黄禍論の影響もあり、一九二四年の排日移民法で全面禁止されました。そして日米開戦とともに、日系人は「敵」として強制収容所に入れられました。そのような苦難のなかでも人々は書物、文学を手放すことはありませんでした。むしろ文学が生きるよすがだったのかもしれません。漱石『猫』のパロディ本、有島『或る女のグリンプス』と写真花嫁の話、アメリカ西海岸で活躍した翁久允やハワイ出身の二世作家・中島直人など、今では忘れられた日系移民の文学を掘り起こし、アメリカで刊行された日本語の新聞・雑誌、日本人町に花開いた五車堂などの書店文化の盛況にも言及します。「日系アメリカ移民」という日本とアメリカの文化の狭間で生き、歴史のうねりに引き裂かれた人たちの経験と苦悩を、文学と出版をとおして描出する気鋭の力作です。著者は名古屋大学准教授。

ジャパニーズ・アメリカ 目次

ジャパニーズ・アメリカ あとがき

ためし読み

◆書評
2014年5月25日、北海道新聞、成田龍一氏評
2014年7月25日、週刊読書人、石原千秋氏評
2014年8月10日、毎日新聞、若島正氏評

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ジャパニーズ・アメリカ 目次

序章 海を越える文学―移民・書物・想像力
1 旅をする本と出会う
2 研究のねらい
3 日系アメリカ移民略史
4 日系アメリカ移民文学とその研究史
5 本書の概要

T アメリカに渡る法

第1章 移民の想像力―渡米言説と文学テクストのビジョン
1 アメリカへ―
2 誘う言葉たち
3 渡米物語の想像力
4 裏面の物語

第2章 船の文学
1 船から読む
2 成功ブームと渡米の夢
3 永井荷風「船室夜話」を読む

U サンフランシスコ、日本語空間の誕生

第3章 日本語新聞と文学
1 「文学」に必要な環境
2 日系アメリカ移民と日本語新聞
3 移民地の「国内刊行物」
4 移民新聞と日本語文学―『新世界』の場合
5 まとめ―移民新聞の役割

第4章 移民と日本書店―サンフランシスコを中心に
1 移民地と日本語空間
2 日本書店小史
3 取次
4 販売
5 書店を経ない流通
6 文化の循環・創出の結節点としての日本書店

第5章 ある日本書店のミクロストリア―五車堂の場合
1 五車堂の歴史
2 五車堂の商売
3 もう一つの五車堂の歴史
4 駿河台下の五車堂をめぐる挿話
5 書物のネットワークのなかで

V 異土の文学

第6章 一世、その初期文学の世界
1 移民文学史の空白
2 初期文学の配置図
3 初期日系移民文学の特質
4 個別の作品から見えるもの―成功、醜業婦、写真結婚
5 まとめ―異なる「文学」観

第7章 漱石の「猫」の見たアメリカ
1 吾輩は移民する
2 「吾輩の見たる亜米利加」
3 移民の文学リテラシーと情報の流通網
4 移民たちの姿―生活、排日、そしてオリエンタリズム
5 殖民論と「郷土小説」と
6 〈外〉の眼と環太平洋のネットワーク

第8章 永井荷風『あめりか物語』は「日本文学」か?
1 移動のもたらす混乱
2 在米日本人としての永井壮吉
3 荷風、在米時代の文学活動
4 『あめりか物語』の描いたもの/描かなかったもの
5 まとめ―学術領域の再考へ

第9章 転落の恐怖と慰安―永井荷風「暁」を読む
1 滞米時代の荷風、再考
2 「暁」を読む
3 コニー・アイランド
4 魔窟の一夜は明けたか

第10章 絡みあう「並木」―太平洋両岸の自然主義文学
1 オリジナル? コピー?
2 自然主義、海を渡る
3 ロサンゼルスの自然主義者―岡蘆丘「並木」
4 「並木」の変貌―島崎藤村と岡蘆丘

W 移動の時代に

第11章 洋上の渡米花嫁―有島武郎「或る女のグリンプス」と女の移民史
1 〈男の移民史〉のオルタナティヴ
2 渡米花嫁の移民史
3 海を渡る女への想像力
4 表象とボーダー・コントロール
5 田鶴子、再考
6 「或る女のグリンプス」は何を描いたか?

第12章 移植樹のダンス―翁久允と「移民地文芸」論
1 翁久允の文学活動
2 「移民地文芸」論の展開
3 出稼ぎから定住へ
4 自立と混成と
5 二重性を生きる
6 移植樹のダンス

第13章 望郷のハワイ―二世作家中島直人の軌跡
1 中島直人の面白さ
2 〈昭和文壇側面史〉ではなく
3 ハワイと日本のはざまに
4 「赤瓦」の人種
5 「ワイアワ駅」を読む―移動・記憶・望郷
6 中島直人の文学から見えるもの

第14章 〈文〉をたよりに―日系アメリカ移民強制収容下の文学活動
1 収容所の文学
2 第二次大戦下の日系人強制収容
3 分断と越境―キャンプにおける文芸活動・概観
4 収容所の文学を読む(1)―旅
5 収容所の文学を読む(2)―便り
6 〈文〉をたずさえて―おわりに


あとがき
初出一覧
主要参考文献
資料1 『桑港乃栞』第壹―六編総目次
資料2 中島直人著作目録稿
資料3 北米日系移民文学・文化史関連年表
人名・作品索引  事項索引


ジャパニーズ・アメリカ あとがき

 本書第5章でも登場した土橋治重に、「詩人」という詩がある(土橋 一九七八)。「桑港の日本人町のブックストアで、少年は室生犀星の詩集『高麗の花』を買った」(同、九二頁)という一文から始まるこの作品は、詩人が、詩人となろうと思ったきっかけを語っている。「室生犀星」も知らず、「高麗」もわからなかった少年に、だが詩集は新しい世界を開いてみせたという。その詩集と少年との関係を、詩の言葉は次のように描く。

調度もないスクールボーイの部屋。
週五ドルで雇われているアメリカ人の家族とも距離は遠い。
その遠い距離の中で少年は詩集を抱いて寝た。
すると詩集は発酵した。(同、九二―三頁) 

 二〇〇二年にロサンゼルスに滞在したとき、私は三〇歳を迎えるところだった。どうにか博士論文を出版にまでこぎ着け、次のテーマを手探りで探しつつあった。米国の日本文学研究の動向と水準が気になっていた。ポストコロニアル的な関心があり北米の日系移民文学を研究テーマに据えようと考え、そして同時に米国における日本文学の研究動向に触れてこようと決めて、在外研究に出た。

 英語は嫌いではなかったが、使い物になるレベルではなかった。付け焼き刃で準備をしていったが、部屋探しから家具の賃貸契約から、電話、ケーブルテレビのセットアップ、銀行口座、社会保障番号や運転免許証の取得、必要なことは全部自分たち―夫婦二人でやらなければならなかった。自分が三〇になるまで馴染んだ社会、思いどおりに操れる母語、助けてくれる人々のつながり、それらすべてから切り離されて、米国の生活は不自由で、そして自由だった。

 悔しい思い、恥ずかしい思いをするたびに、ここが日本だったら、と何度も思った。日本語が使えたら、と歯がみをした。しかしここは米国で、私の口をつく言葉は当地の小学生よりつたなく、偏った持ち前の知識では、日常生活の厚みに到底太刀打ちできず、どこをどう押したらどう反応するのか途方に暮れて右往左往するばかりだった。

 店員の早口の専門用語がちんぷんかんぷんだった。テレビの娯楽番組の笑いがさっぱりわからなかった。映画の登場人物たちの掛け合いにまったくついていけなかった。電話をかけるのが怖かった。私は自室のソファに坐り込んで、子ども番組を呆然と見ていた。ふと我に返れば、画面のなかでは『ドラゴンボール』の悟空がスペイン語で叫んでいた。

 大通りをはさんで向こう側、徒歩で十分か十五分ぐらいのアパートメント群のなかに、月に数回、「フジサキさん」という食材のワゴン販売のおじさんがやってくるのを知った。妻と一、二回、覗いてみた。決められた時間の少し前に決められた場所に行くと、日本人の奥さんらしき人たちが列をなして世間話をしたり、一人で待ったりしていた。ワゴンの中は、豆腐や油揚げ、生食可能な卵、刺身、調味料など、手に入りにくい「日本のもの」が所狭しと並んでいた。

 近所のニューススタンドには、日本語の新聞が売られていた。高かった。だから毎日は買わなかったが、週末の日曜版を楽しみにしていた。車は所持しなかった。月に一度ぐらいレンタカーを借りた。日系の食料品店に行き、書店に寄った。「外地価格」で高くなっている雑誌を、吟味を重ねて―長く読めるものを―買った。店内では、日本人たちが書棚の間をさまよっていた。米国に来てまで日本語の書物を求める彼ら―そして自分を、私は否定も肯定もできなかった。

 これらの経験は、私に、ある文化のもとで生まれ育った人間が、そしてそうした人間の集団が、国境を越えて生きるとはどのようなことなのか、ということを考えさせた。

 土橋治重が語る詩集の「発酵」を、私は少しだけわかる気がする。もちろん私の滞在は一年にも満たないもので、期間が過ぎれば日本に帰ることが決まっていた。滞在費も支給されていて、生活に追われる必要もなかった。不愉快な思いをしたことはあるが、差別らしい差別は受けなかった。米国生まれの子どももいなかった。私は移民とはいえなかった。しかし、異国で生きるということの一部を、私は身をもって知った。そしてその私の経験と移民たちの経験とは、遠いとはいえ、たしかに地続きだろうと思う。

 いま一冊の書物となったこの研究の背後には、そうしたささやかな個人的経験があったということを、書き残しておこう。

 本書にまとめられる研究を遂行する上で、以下の研究助成や機会を得た。記して感謝申し上げる。筑波大学学内プロジェクト(二〇〇一年)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校における客員研究員としての研究(文部科学省在外研究員、二〇〇二―〇三年)。学術振興会科研費(課題番号15720031、二〇〇三―〇五年)。学術振興会科研費(課題番号18720043、二〇〇六―〇八年)。学術振興会科研費(課題番号19652019、代表者・日高佳紀、二〇〇六―〇九年)。ワシントン大学における滞在研究員としての研究(二〇〇九年)。国際日本文化研究センターにおける共同研究員としての研究(代表者・細川周平、二〇一〇年―現在)。学術振興会科研費(課題番号24320023、代表者・伊藤徹、二〇一二―一四年)。

 本書がこうして刊行されるまでには、本当にたくさんの人々にお世話になった。すべての方のお名前をあげられないのが心苦しい。三年間の任期のうちほぼ一年を在外研究へ出るわがままを許して下さった、名波弘彰先生、荒木正純先生をはじめとした筑波大学文芸・言語学系(当時)の先生方。カリフォルニア大学ロサンゼルス校日本研究センターのスタッフおよび関係教員の皆さん、とりわけ受け入れ教員として公私ともに温かく迎えて下さったマイケル・ボーダッシュ先生には心より御礼を申し上げたい。先にも書いたとおり、あのロサンゼルス生活がなければ、今日の私の研究はない。五車堂の調査をする際にさまざまな情報を提供して下さった、シャーリー・オノさんと小野美津枝さん、小野裕子さん、そしてオノ家の皆さん。ハツロー・アイザワさん。浅岡邦雄先生。客員研究員として招いて下さり、シアトルでの調査の機会も与えて下さったワシントン大学のテッド・マックさん。同僚として理解と励ましを下さった京都教育大と名古屋大学の先生方、職員の皆さん、そして私の授業や話を聞き、ともに考えてくれた学生たち。マイグレーション研究会、国際日本文化研究センターの移民研究班の皆さん、科研費の共同研究者の皆さん。同じ関心領域を共有した山本岩夫先生、日高佳紀さん、クリスティーナ・バシルさん、水野真理子さん、アンドリュー・レオングさん。そしてなにより、家族の理解と支えがなければこの研究は完遂できなかった。伴侶として、研究仲間として、そしてロサンゼルスでも苦労をともにした天野知幸に、あらためて感謝の言葉を贈りたい。

 年表の作成と校正作業に当たっては、名古屋大学大学院文学研究科日本文化学講座の大学院生たちが力を貸してくれた。新曜社へのご紹介は、青柳悦子先生がして下さった。心より感謝申し上げる。本書の編集は新曜社の渦岡謙一さんのご担当である。この本が、渦岡さんの手で新曜社から出ることを、とても嬉しく思う。

  二〇一三年五月二日

日比 嘉高