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マーク・フリーマン 著/鈴木聡志 訳

後知恵
――振り返ることの希望と危うさ


四六判上製296頁

定価:本体3200円+税

発売日 14.1.20

ISBN 978-4-7885-1368-6

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◆今の意味は、振り返ることでしかわからない◆

なぜ、あんなことを言ってしまったのか? なぜ、そのことに気づかなかったのだろう?誤りや失敗を、全部やり直せたらいいのに!人生は後悔の連続かもしれません。この瞬間では見えない事柄、見ようとしない事柄があります。それは、私たちが不確実で不断に変化している時間の中に生きているからです。それがどういうことなのか、時が経過し、後知恵によって過去の経験を物語ることによって、はじめて見えてくるのです。そして後知恵は、過去を見るためのレンズとなることによって、未来のための手段ともなります。後悔は先に立ちませんが、未来への希望をもたらしもするのです。著者フリーマンは、ナラティブ研究を牽引するアメリカの心理学者(アメリカ心理学会理事)。

後知恵 目次

後知恵 日本語版へのまえがき

ためし読み

◆書評
2014年2月2日、日本経済新聞

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後知恵 目次

日本語版へのまえがき
謝辞

序 後知恵の力
本書の概要

一章 後知恵、ナラティヴ、道徳生活
過去を振り返ること
事実の後
後知恵の誕生

二章 ナラティヴな想像力
終わりの始まり
ポイエーシス
神話と記念碑
存在と不在
運命と恐怖
後知恵と洞察

三章 道徳的な遅れ
振り返ることの危険性
殺菌された物語
ナラティヴの落とし穴
私たちの状況
信仰と未来

四章 ナラティヴな無意識
「記憶」
第一オーダーの記憶と第二オーダーの記憶
後知恵と歴史
深いアイデンティティ

五章 ナラティヴ早期終結
過去の重荷
袋小路
神秘化と脱神秘化
早期終結を越えて
ナラティヴな力とナラティヴな自由
無意識の諸相

六章 物語の真実
回顧録は必ず嘘をつくか?
個人の過去を思い出すことと書くこと
「大きな物語」
ナラティヴ以前の人生?
リアルなものを再生すること、真実を再考すること

七章 善き人生
真実と善
記憶の専制
間違っていることの重要性
ナラティヴ統合
死、距離、発達
善の方向へ

コーダ 後知恵とその彼方

訳者解説
文 献
文献ノート
事項索引
人名索引

装幀=難波園子


後知恵 日本語版へのまえがき

 まずは『後知恵――過去を振り返ることの希望と危うさ』を鈴木聡志氏が訳されたことに感謝を述べたい。私は日本語がわからないので、彼の翻訳が優れているのかどうかは知りようがない! けれども、氏からの質問の数々や翻訳過程を通して示された配慮から判断するに、私は彼の仕事が素晴らしいことを確信し、彼の仕事に深く感謝する。

 このまえがきは私にとって、『後知恵』を「公式に」振り返る最初の機会になる。おそらく、言うまでもなく、このプロセスは希望と危うさ、両方を伴う。確かに、自分の仕事を振り返るというプロセスは、本書の中心部にある諸問題のいくつかを調べるのにふさわしい。まず危うさの方から始めさせていただきたい。第一に、そして最も基本的なことだが、明白な誤りがいくつかあった。これらに気づかなかったとは、どうしたことか?(と私は自問した)。答えは実にはっきりしている。長い時間をかけて本や論文を書き、何度も何度も読み直した後では、細部への注意力が衰弱することがある。人はそこにあるものではなく、見たいものを見るのだ。

 もちろん、もっと問題なのは、今では、前に思っていたよりも「うまくいっていない」ように見える部分である――十分に考え抜かれていない部分、うまく表現されていない部分、言い足りない部分。私は本当にこんなことを言ったのか? どうして大事なものが見えなかったのだろう? どうしてわからなかったのだろう? それに、いったいお前は誰の心に、あの一文を刻みつけようとしたのだ? 全部元に戻して、誤りや欠陥や矛盾点や甘い点を消し去り、やり直したいと思うのは、おかしなことではない。今わかることがあの時にわかっていたら良かったのに! しかしまさにこれが、私たちにはできないことなのである。それには理由がある。私たちは人間だからだ。開かれており不確実であり不断に変化している時間の中に生き、時間と共にある、素晴らしくかつ痛ましい人間だからだ。

 私は『後知恵』を振り返ることの危うさについてこれ以上言いたくないし、今になって見える問題をもう確認したくない。それらが何なのかは、読者の皆さんがご自身で見極めていただきたい! だから本書を振り返ることの「希望」パートに、つまり、本書が私に依然として鮮明で、重要で、考えるに値すると思わせる部分に移らせていただきたい。本書の中心にあるのは、前述した、時間の中に生きているという問題である。あるいはより適切に表現するなら、複数の時間の中に生きていることである。人間的な領域には、ただ一つの時間のモードというものはない。私たちはいつでも、何らかの現在の瞬間、何らかの今を生きている。しばしばこの瞬間とは、最も「リアル」な時間の次元と考えられている。あるレベルではこの瞬間は、過去や未来とは違い、まさに、今、ここにあるからリアルだ。厳密に言うなら、過去は永遠に過ぎ去り、未来はまだやって来ない。それならばなぜ、過去と未来を気にするのだ? 今ここにあれ(Be here, now)。こうした考え方には語るべき何かがある。過去にとらわれることはたやすい。私たちは過去の中に生きることさえする。未来を予想することにもとらわれやすい。何をもたらすだろうと気にかけ、心配する。時だけがそれを告げる、これが冷酷な事実だ。

 しかし現在の瞬間だけが、つまり今だけが、私たちが生きる時間の唯一のモードなのではない。また、私たちの実存のリアリティと真実をはっきり知るためのただ一つの場所と考えるべきでもない。私たちは今の中にとらわれることがあるし、しばしばそうだからだ。この瞬間では見えない事柄がある。この瞬間では見ようとしない事柄がある。そして、とりわけ、部分的にか不完全にしか見えず、時の経過を待ち、過去の経験が位置づけられるより充実した解釈の文脈の出現を、つまり、より充実したナラティヴの文脈の出現を、待っている事柄がある。後知恵が急を要し、まさに必要となるのは、こうした様々な形の「見えなさ」や不完全な見えしかない、ここにおいてでだ。過去の動きを見るための新しい文脈やレンズを与えることで、後知恵は修正と完成のために必須の手段を与える。この過程が危ういものであり得るのも確かだ。しかしそれは、大きな希望をもたらすものでもある。

 『後知恵』が取り組む多くの問題やテーマの中で、たいていの人たちと結びつくと私に思えるものは皆、「遅れ」の問題に関わっている。この語で私は、上述した現在知ることのできることの限界と、その結果起こる、後の時間が来るまでの理解の遅れや先送りのことを意味している。後のページで述べるように、この状況は、まず行動し後で考えるという顕著な傾向があるような、道徳的領域で特に重要である。人間の状況に徳というものがあるなら、徳はしばしば遅れ、先送りされる。言ったことは元に戻らない。それでも徳をなさないよりは、遅くてもする方がいい。

 ある角度から見るなら、過去を振り返る過程はある程度の歪みや、場合によっては見え見えの虚偽をもたらさざるを得ない。実際その通りのことがあり、私たちは過去を、自身の現在の要求や願望や幻想に合うように再構成する。語っている物語の「エンディング」が何なのか知っていて、それを始まりに押しつける。一定の一貫性、継続性、もしかしたら美しさを与えるように、物語を作り上げる。これが後知恵が、より一般的には自伝的記憶が、しばしば信用されず、疑いがもたれる理由である。しかし後知恵の物語には、歪曲と嘘以上のものがある。すでに述べたように、後知恵は反省と認識の場所でもあり、時に私たちをその瞬間にはもつことのできなかった理解と真実へ連れて行く。それが、吟味された人生が現れる主要な元であることは確かである。

 『後知恵』が新しい読者にお目にかかることを嬉しく思っている。読者の皆さんが本書を通して、振り返ることの希望と危うさの両方を、そしてこの真に人間的な過程の到達する途方もない範囲を、より正しく理解されることを願う。

マーク・フリーマン