戻る


福岡愛子 著

日本人の文革認識
――歴史的転換をめぐる「翻身」


A5判上製457頁

定価:本体5200円+税

発売日 14.1.15

ISBN 978-4-7885-1363-1

◆amazon.co.jpへ
cover

◆紀伊國屋書店Books Web へ

◆7ネットショッピングへ

◆自分の信念が覆るような歴史の大転換を経験した時、人はどう身を処すのか◆

中国の文化大革命(一九六六年に始まる)は、当初は「魂にふれる革命」として発動され、日本でも多くの関心を呼びました。しかしそれが終結すると、中国共産党の「歴史決議」によって「十年の動乱」として全否定されました。これは中国の若者たちにとってはもちろん悲劇でしたが、文革に共鳴した日本人の心にも大きな傷跡を残しました。

本書は、前著『文化大革命の記憶と忘却』につづいて、「記憶と忘却」の問題系として、文革が日本人にあたえた影響をたどります。文革に共鳴して中国に渡り、運動に参加し、帰国後は「文革礼賛」の発言をし、日中貿易・観光などの活動をしてきた人々。彼らへのインタビューを通して、人々はどのように「変わったか」、あるいは「変わらぬ正しさ」を持ち続けたかを問い、「変節」や「転向」としてネガティヴにしか語られてこなかったこの間の事情を「翻身」という鍵概念で掬い取ろうとする意欲的な力作です。これは福島原発事故をめぐっても通用する問題意識といえましょう。

日本人の文革認識 目次

日本人の文革認識 あとがき

ためし読み

◆書評

2014年2月9日、熊本日日新聞、上野千鶴子氏評

2014年4月6日、北海道新聞、米田綱路氏評

2014年6月7日、図書新聞、井上正也氏評

Loading

日本人の文革認識 目次

はじめに

序 章 歴史の転換に伴う問題的情況にどう迫るか

第I章 「翻身」をキーワードとする分析枠組み
一 本書の対象と方法
二 本書における「翻身」とは
三 責任の問い方や主体観をめぐる問題
四 「転向」から「翻身」へ

第U章 戦前世代の青年期における根源的・個人的変化
一 第一世代の知的エリート
1 旧制高校・帝大における左翼運動と「転向」体験
2 天皇制イデオロギーからの退避としての人道主義
3 第一世代の語り方の特徴
二 第二世代の敗戦体験
1 軍国少年・少女の対中認識と敗戦の受け入れ難さ
2 敗戦体験における格差
3 戦後の個人的変化の契機や結果としての戦後左翼運動
三 戦後における中国認識の転換

第V章 日中復交をめざす政治としての文革認識
一 新中国に対する強い不信と警戒
二 中国認識転換の政治的・経済的要因
三 転換後の中国認識に規定された文革認識
1 文革前の状況変化と文革発動に対する言論
2 文革期の訪中報告
3 日中関係改善・国交回復に向けた言論活動の継続
四 その後の言論活動の変化

第W章 メディアにおける政治としての文革認識
一 戦前の記憶における中国と文革認識
二 朝日新聞記者としての中国観と文革認識
三 「林彪事件」と日中国交正常化
1 「林彪事件」報道と日中記者交換制度への批判
2 MT貿易への移行と「林彪事件」前後の世界情勢
四 元北京特派員の回想における弁明と自負
1 「アイデンティティ操作」による記者の記憶の再構築
2 朝日新聞社内における権力の移行
3 周恩来をめぐる記憶をリソースとした「再主体化」の戦略
4 事後的語りに現われた「反省」の萌芽

第X章 革命理論・思想としての文革認識
一 毛沢東思想研究者・文革論者としての新島淳良
1 毛沢東思想研究批判と日共批判
2 リアルタイムのテクストにみる新島の文革認識
3 コミューン国家論と上海コミューンの現実
二 「文革礼賛派」との訣別とコミューン幻想の帰結
1 『毛沢東最高指示』出版をめぐる回想
2 コミューンのユートピアの帰結
3 記憶の語りにおける「脱主体化」「再主体化」
三 革命後継者たちの文革現地体験
1 「民間大使」の長男の自己変革
2 文革期の北京で暮らした日本人にとっての文革
3 日共幹部子弟の文革現地体験とその後の長期的変化
4 終わりなき文革認識を通した中国との関係の再構築

第Y章 運動としての文革認識
一 日中友好運動を通した文革認識
1 中国認識転換の契機と日中友好協会分裂
2 文革認識の規定要因
3 日中友好運動としての日中旅行実務
二 斉了会の学生訪中団派遣運動を通した文革認識
1 ある学生訪中団の記録と記憶
2 日中友好運動推進母体としての斉了会のその後
3 記憶の場としての斉了会
三 「中帰連」の分裂と再統一を通してみる文革認識
1 戦後の中国認識転換としての「思想改造」
2 「中帰連」結成の経緯と「思想改造」の効果
3 「中帰連」分裂における集団的要因と再統一における個人的要因

第Z章 「六○年代」の学生運動と文革認識
一 学生運動における文革認識
1 ML派の運動・毛沢東思想研究会の活動を通した文革認識
2 善隣会館事件を契機とした華僑青年の文革認識
3 「三里塚」援農学生の文革認識と運動における撤退の意味
二 ノンセクト学生にとっての一九六〇年代と文革認識
1 中国と文革の時代的特殊性
2 文革認識の再構築を通した中国観の転換

終 章 文革認識の語り方と「翻身」の意味
一 各章の小括を通してみる「翻身」の比較事例のまとめ
1 戦前世代の青年期における根源的・個人的変化
2 日中復交をめざす政治としての文革認識宇都宮徳馬
3 メディアにおける政治としての文革認識秋岡家榮
4 革命理論・思想としての文革認識新島淳良・西園寺一晃ら留学生
5 運動としての文革認識
6 「六〇年代」の学生運動と文革認識
二 共時的・通時的分析軸に沿った「翻身」の比較分析と考察
1 本書における「翻身」の代表的事例を通してみる類型別特徴
2 情報の種類とその受容に関わる問題についての考察
3 文革後の記憶の語り方と「翻身」という問題についての考察
4 本書の結論とそれによって示唆される問題提起


あとがき
文献リスト
関連年表
索引


日本人の文革認識 はじめに

問題意識

 個人であれ国家や社会であれ、各種の歴史には、その前後を画するような転換点がある。そこでは、明らかに何かが変わったとされ、それでも変わらぬものとしての何かが新たに構築される。「時代の空気」の変化として語られ、また「集合的な心情(メンタリティー)」の違いとして論じられる一方、大小の状況変化に左右されない個人の自律性・一貫性が尊ばれたりする。

 本書では、そのような変化に対して、マスター・ナラティヴの転換という観点からアプローチする。

 マスター・ナラティヴとは、その時代や社会で支配的な見方・考え方を反映する語り方のことである。国家言説や公的記憶とイコールではないが、それらを含め、どの社会においても、パターン化された言語表現や社会規範の実践を通して日々浸透するものである。またそうした構造は、国家の権力装置を通して意図的に構築され得るが、その効果のほどは一様ではない。

 本書のテーマに関していえば、中国の文化大革命(以下、文革)は、当初「魂にふれる革命」として発動され、日本でも「永続革命」として評価されたが、その終結後には中国共産党の「歴史決議」によって「十年の動乱」として否定された。マスター・ナラティヴが政治的に転換されたのである。

 本書の対象は主として、当時の日本の大勢に抗して文革の理念に共鳴し、後に中国が下したそのような一義的な結論を、そのまま受け入れることに抵抗を感じた人々である。その際の内的葛藤は、個人誌上特筆すべき変化の契機となり、文革もまた新たに意味づけられる。ここで「個人史personal history」ではなく「個人誌biography」を使うのは、文字化されるか否かを問わず、個人には自己の人生を反省的・全体的に捉えた物語化が可能であり、それは現在における特定の観点から意味的に構築されたものだとみなす立場からである。

 しかし、そのような語りが社会的に受け入れられる機会はなく、「歴史決議」という枠組みのもとで、かつての「文革礼賛」論者が一方的に批判されることになる。たとえ、文革の凄惨な結果を受け止めて主体的にかつての認識を改めたとしても、その過程を、「変節」や「転向」以外の語彙によって評価する用語系は、ないに等しい。

 「3・11」後の言論を通して、そのような問題を再認識させられた。大地震と大津波が、原発事故による放射能汚染という未曾有の人災を招き、「安全神話」が無効になった時、それを契機として、従来原発を推進してきた人々が苦渋の末に原発反対に転じ、それだけに説得力のある発言をすることもあり得ただろう。だが、そのような個人の声は聞こえてこなかった。むしろ、「私は、3・11によって態度を変える必要のなかった人の言うことだけを信じたい」という発言が気になった。上野千鶴子が「生き延びるための思想」と題する「震災復興支援公開講演」で述べたものである。

 裏返せばこの言葉は、「安全神話」に惑わされることなく「核の平和利用」や「科学の発展」というマスター・ナラティヴに対抗し続けた人々がいたことを思い起こさせ、そのような人々の言行一致の自律性・一貫性を讃えたものである。にもかかわらず彼女/彼らの正しさが「やっぱり」の悲劇に終わってしまったことに対する、上野自身の痛恨の思いでもあろう。

 それを察して共感するだけに私は、そうした人々に寄り添う内向きの言語が、対抗言説ゆえの排他性・マイノリティ性を超えられないということを問題にせざるを得ない。個人としても集団としても人は認識を誤るということを前提に、「変わらぬ正しさ」だけではなく、「いかに変わり得るか」を重視する回路を開きたい。

 また同時に、客観的な現実の変化がそのまま人々の認識やマスター・ナラティヴの転換につながるわけではない、という点も見逃せない。原発の危険性と非経済性が、圧倒的な事実によって示されたにもかかわらず、3・11後初の総選挙においては、「脱原発」ではなく、経済の立て直しや「日本」の強化を威勢よく訴える党派が勢力を伸ばした。人々は、事実を追求し根本的な変革の必要性を明かすナラティヴよりも、それを忘れさせ結局は惰性に生きることを正当化するナラティヴに引き寄せられたのだろうか。

 以上のような問題意識に基づいて、事実と認識のズレ、歴史的認識転換と主観的意味づけのズレといった問題を、当事者個人に照準しながら解明することが本書の課題である。そこで、マスター・ナラティヴの変化によって認識や態度の転換を迫られる問題的状況に着目し、それを機に生じる個人誌上の特筆すべき変化を「翻身」として独自に定義する。第T章で詳しく述べるように「翻身」は、歴史的認識転換の機会を、当事者それぞれの主観的な語りに沿って理解するための用語であり、そのような語りを社会的に受け入れるための概念である。

章構成

 本書は、二○一二年度の東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究博士論文「日本における文革認識歴史的認識転換をめぐる翻身の意味」を一般書籍向けに改訂したものである。理論編としての序章と第T章、具体的な事例を記述する第U章〜第Z章、そして、分析と考察に力点をおく終章から成る。

 博論では、理論枠組みや日本における文革認識の歴史的文脈などに相当の紙幅を割いたが、本書では大幅に割愛せざるを得なかった。具体的な事例を記述した部分は、最低限の修正にとどめ、終章の結論も、基本的に博論のまま残しながら改編した。

 六〇年代の状況に詳しい方々には、ご関心に合わせて序章に目を通し、第T章一節の「本書の対象と方法」を把握した後、すぐ第U章の記述から読み始めていただいてもかまわない。また、本書の提起する「翻身」という概念や社会学的理論枠組みに関心のある方は、序章、第T章および終章を先に読んでいただければと思う。

 以下、具体的な記述の第U章〜第Z章について、それぞれの対象と概要を述べておく。

 時代や世代の相違にも留意するため、まず第U章では、本書でいう第一世代となる戦前世代を対象とし、彼らの青年期の思想や態度の転換について記述する。それがその後の「翻身」とどのように関連するのかしないのか、後続の章にとって比較・参照可能な事例を提示するためである。

 第V章では、引き続き第一世代の保守党政治家を対象とし、一九五○年代になって初めて中国観の転換を経た後に、日中国交正常化の実現をめざして表明された「政治としての文革認識」について記述する。第W章では、同じく日中復交をめざす立場からのメディアにおける文革認識について、元『朝日新聞』北京特派員の過去の記録と現在の記憶を対象に、通時的テクスト分析を行なう。  第X章は、まず第二世代の中国研究者を対象に、「革命理論・思想としての文革認識」が、内面化された特定の集団に向けられたものであったことを明らかにする。さらに、文革発動の年に中国に留学中だった第三世代の共産党員子弟を加え、「共産主義の継承者」たる彼らの文革認識を対置する

。  第Y章・第Z章の対象は、戦前〜戦後世代の日中友好運動や学生運動を通して表明された「運動としての文革認識」である。日中友好協会・斉了会・中国帰還者連絡会(以下「中帰連」)などの集団の成員を対象とし、そのいずれにも属さない一般学生や華僑青年との比較を通して、運動や集団との関係における文革認識の特徴が浮き彫りにされる。

 終章では、そうした記述・分析の内容を、「翻身」の有無やその質と程度という観点から整理し、認識転換の受け入れ難さ、時間軸に沿った自己というものの他者性と同一性、反省の不在、主体化の戦略などについて考察する。本書における発見が事後的な責任追及の可否や知識人の役割に関して示唆する問題を提起することになるだろう。