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熊谷高幸 著

タテ書きはことばの景色をつくる
――タテヨコふたつの日本語がなぜ必要か?


四六判並製184頁

定価:本体1900円+税

発売日 13.10.3

ISBN 978-4-7885-1357-0

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◆タテ書きを捨ててはならない!◆

中国も韓国もタテ書きを捨てたいま、日本語のタテ書きもグローバル化により消える運命にあるのでしょうか? 日本でタテ書き文化が根強く残ってきたのには科学的な理由がある、という観点から、著者は、読み書きをするときの心と身体の働きを、視野の形、アイカメラを用いた実験、空所埋め問題、鉛筆の持ち方調査、ワーキングメモリーなど、多角的なアプローチで検証してゆきます。これまでの「タテ書き・ヨコ書き」研究で見過ごされてきた部分に光を当てる、知的刺激と説得力あふれる論考です。タテ・ヨコそれぞれの利点を認めつつも、だからこそ「タテ書きを消してはならない」という切実なメッセージ。

タテ書きはことばの景色をつくる 目次

タテ書きはことばの景色をつくる はじめに

ためし読み
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タテ書きはことばの景色をつくる 目次

はじめに

1章 タテ・ヨコ日本語の視界の違い
芭蕉の句のタテとヨコ
タテ書きが生み出す行間の対等性
人の視野の形とタテ・ヨコの読み
黄金比・白銀比
視野の形を文書に当てはめてみると
紙面の角度とテキストの見え
ヨコ書きに適した文の種類
縦スクロールと横スクロール
タテ書き文書の行方

2章 日本語は文脈共有の言語である
書き手と読み手は長い文脈を共有する
タテ書き・ヨコ並びのマンガのセリフ
文の起源は会話である
思考の前兆としての「ひとりごと」
会話の起源は共同注意である
共同注視にもとづく日本語のしくみ
セリフの並びと行の並び

3章 人はどのように文書を見ているか?
アイカメラが捉えた世界
アイカメラ記録でわかる読みの過程
人はまず文書のどこを見るのか?
左右の視野と左右の脳
人の文字認知野について
中心視と周辺視
本をパラパラめくるとき

4章 タテ・ヨコの「読み」の比較
タテ・ヨコの「読み」の時間の比較
俳句のタテ・ヨコについての意見
気持ちの入った文章をタテ・ヨコで読むと
単語完成と文完成のタテ・ヨコ比較
アイカメラが捉えたタテ・ヨコの読み
文脈を探るタテ書きの読み

5章 タテ・ヨコの「書き」の比較
タテ書き・ヨコ書きのテキスト模写
タテとヨコの「書き」の姿勢
世代によるペンの持ち方の変化
書家による警告
『変体少女文字の研究』から二七年

6章 タテ書き・ヨコ書きの生い立ち
三大古代文明と文字の発生
なぜヨコ書きが主流となってきたのか?
文字の形とタテ書き・ヨコ書き
上から下、左から右の書き順と文字の並び
視覚の原理と動作の原理
紙の発明と製本技術の進歩
印刷機とタイプライターの発明
パソコンとワープロの出現
タテ書き・ヨコ書きのいま

7章 タテ書きを消してはならない
絶滅危惧種としてのタテ書き文化
漢字はアルファベットより原始的か?
アルファベットは読み書き障害を生じやすい
キーワード化することばの世界
ワーキングメモリーとタテ書きの読み
漢字仮名交じり文の利点
タテ書きを愛する人々
タテ書きはことばの景色をつくる
「読み」のサイクル

あとがき
引用文献
索引


装幀 臼井新太郎 
本文イラスト 熊谷 高幸 


タテ書きはことばの景色をつくる はじめに

 もう四〇年以上も前のことだ。ある高校文芸部の部室に一人の女子生徒が自作の詩をもち込んできて、こんなことを言った。初めてヨコ書きで詩を書いてみたのだけれど、おかしなものになってしまった。読み返してみると、一行一行はインパクトがあるのに、他の行が次々に消えていってしまい、自分の書いた詩の全体が見えなくなってしまった。まるで重力で押しつぶされてしまったみたいだ、と。

 そこにいた数人が、その詩をのぞきこみ、そういえばそんな気がする、とつぶやいた。そして、その生徒がいなくなると、あの子は理系志望だからあんなことを言うのだと誰かが言った。そして、話はそれで終わってしまった。その女子生徒がどんな名で、どんな顔をしていたかも憶えていない。また、そのとき見た詩の内容についても忘れてしまった。

 その春、私は、その高校に入り、文芸部に入部した。新入部員は男三人で、一年上にかなり多くの女子部員がいて部室を出入りしていた。当の女子生徒はその中の一人だったのだろう。その頃の私は文学好きで、詩やエッセイや小説らしきものを書き始めていた。もちろん、それらはすべてタテ書きだった。

 しかし、その後、私の関心は徐々に文学から心理学へと移っていった。それと同時に、読むものも書くものも、だんだんタテ書きからヨコ書きへと移っていったのである。けれども、ヨコ書きの詩について語った女子高校生のことばだけは何度も心の中で反復されていた。

 そして、何十年もたち、大学教員となった私が、自閉症に関する自分の考えを一般向けの本として初めてタテ書きで著したとき、再び女子生徒のことばがよみがえった。ヨコ書きからタテ書きに変更してことばを連ねてみると、心が開かれ、伝わる文が書けそうな気がしてきたのだ。  いま、多くの日本人がヨコ書きでノートをとり、報告書を書き、論文を書いている。また、パソコンや携帯メールの普及もヨコ書きの増加を加速させている。さらに、日本と同じようにタテ書き文化だった中国や韓国の変化はもっと大きく、新聞を含め、ほとんどの出版物がヨコ書きになっている。

 しかし、日本では、多くの人々に向けて出版される本の形は依然としてタテ書きである。この国では、ヨコ書きで書かれた本がベストセラーになる確率はきわめて小さい。ヨコ書きの英語で世界のベストセラーとなった『ハリー・ポッター』シリーズも、日本のベストセラーになったときにはタテ書きになっている。そのわけは、アルファベットを漢字と仮名に変えたから、に過ぎないのだろうか?

 たしかに、漢字や仮名は本来タテ書き用に作られており、タテ書きの文章の中でこそ美しい。しかし、日本にタテ書き文化が根強く残っている理由は、文字の特性によるだけではない。そこにはもっと他の理由があるはずである。日本語の特性が、さらには文章というものの特性がタテ書きを必要としているのである。そのしくみを、この本の中で詳しく説明していきたいと思う。

 日本語のタテ書き・ヨコ書きについての研究は一九七〇年代が多く、一九七六年に、『月刊言語』(大修館書店)で「タテとヨコの日本語」という特集が組まれている。そこには、おおよそ次のようなことが述べられていた。

 タテ書きをヨコ書きに変えても、単語の発見や記憶にとくに問題は生じない。読書速度についても大差はない。人は左右の目を用い、横長の視野で見ているので、むしろヨコ書きのテキストの方が読みやすいはずである。タテ書きが残っているのは主に「慣れ」のせいである。タテ書きは、さらに減少の方向に向かうだろう。

 この特集が組まれてからすでに三七年がたっている。タテ書きが減少し、ヨコ書きが増加する傾向はいまも続いているが、タテ書きは意外にしぶとく生き残っている、ともいえる。タテ書きが生き残っているのは単なる「慣れ」のせいではない。そこには、れっきとした理由があるのである。人が文章の読み書きをしているときには、当人も気づきにくい、心と身体の多くの働きが動員されている。それが、これまでの研究では見落とされているのである。だから、この本では、それを一つずつ発見していきたいと思う。