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アメデオ・ジオルジ 著/吉田章宏 訳

心理学における現象学的アプローチ
――理論・歴史・方法・実践


A5判上製304頁

定価:本体3400円+税

発売日 13.9.1

ISBN 978-4-7885-1351-8

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◆現象学を心理学に適用する具体的方法論◆

質的心理学の興隆と共に、現象学に大きな関心が寄せられています。しかし哲学としての現象学は難解である上に、これまで心理学に適用する具体的な方法論が開発されていませんでした。本書は、厳密に科学的な現象学に基礎づけられた、哲学とは区別される心理学のアプローチはどのようなものであるかを、初めて明快に説いた待望の書です。人間を研究する如何なる社会科学にも適用できる、十分に一般的な現象学的アプローチの基礎理論から具体的方法までが、一冊にまとめられており、現象学の初心者にもお勧めできる一冊です。

心理学における現象学的アプローチ 目次

心理学における現象学的アプローチ まえがき

ためし読み
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心理学における現象学的アプローチ 目次

日本の読者へのご挨拶
まえがき

第1章 概念的枠組み
自然科学としての心理学
心理学の科学に関連性のある、現象学の幾つかの側面

第2章 心理学的現象を研究するにあたっての質的視点
一般的歴史の概観
質的研究方略の歴史的事例
ウィリアム・ジェームズ
エドワード・B・ティチェナー
フレデリック・C・バートレット卿
ゴードン・オールポート
ジャン・ピアジェ
ロバート・コールズ
質的研究者たち

第3章 研究過程

第4章 科学的現象学的方法とその哲学的脈絡
現象学的原理の幾つか
人間科学の一視点、その素描

第5章 現象学的方法
哲学的現象学的方法
超越論的現象学的態度をとること
現象の本質の探究
本質の叙述
科学的現象学的方法
科学的心理学の基準に合致するための、哲学的方法の修正
他者たちからの叙述
現象学的還元[の態度]をとること
不変な心理学的意味を求める探究
一般的研究図式の人間科学的解釈
研究可能な問題
生活世界状況の類比物としての研究状況
自発的活動あるいは表現に同時発生する記録としての制御
この方法のステップ
データ収集の局面
叙述の分析
この方法の具体的なステップ

第6章 方法の適用
嫉妬の経験(P1[女性])
嫉妬の経験(P2)
嫉妬の経験(P1):AGの意味単位
嫉妬の経験(P2):AGの意味単位
P1とP2に対するAGの構造
P1の嫉妬の経験、BGの意味単位
P2の嫉妬の経験、BGの意味単位
P1とP2に対するBGの構造
これらの分析についての解説
心理学的なものの境界を明らかにする
形相的一般化
経験の構造
現象学的心理学的方法を用いた、現実の研究結果

原  注
訳  注
やや長い訳者あとがき
文  献  
事項索引  
人名索引  

装幀=吉名 昌(はんぺんデザイン)


心理学における現象学的アプローチ まえがき

私[Amedeo Giorgi]は、1962年からずっと、心理学にとって適正な或る質的方法の問題に関わってきた。その前からもこの問題に心を悩ませていたのではあるが、ちょうどこの年、現象学に基礎づけられたそのような一つの方法を開発するため、デュケイン大学(Duquesne U.; Pittsburgh, USA)に着任したので、この問題が私にとっての主題となったのである。しかし、初めてデュケイン大学に到着した当時の私の現象学的哲学に関する理解は、最小限のものに過ぎなかった。そこで、着任後の5、6年を、ただただ現象学的哲学の知識を獲得することに費やした。デュケイン大学では、それは容易であった。というのも、[心理学科と同じ学部に所属する]哲学科の少なくとも3分の2は実存的現象学を指向する哲学者たちで構成されており、また、客員教授プログラムがあって、ヨーロッパの哲学者たちが招待され、現象学的思想におけるさまざまな専門についてのコースを教えていたからである。私は、それらのコースを受講し、それらの哲学者たちと議論することを、全体としてほぼ24年間、続けてきた。しかし最初の6年間は、私は主として学習者であった。私は、現象学的哲学者たちがどのような主題を追究しているかを学んだ。そして、どのようにしたら、現象学的心理学は、哲学者たちの主題に敬意を払いつつも、それらとは区別される心理学の主題を見出し、哲学から心理学を区別できるであろうかを見出そうと、努めていた。私は、哲学的現象学によって心理学を基礎づけたいと望んだ。その理由は、この考え方に沿った人間存在の概念が、還元主義的(reductionistic)でなく、そして私の関心が、そもそも、人間の心理学にあったことにある。また、哲学的現象学には、ある厳密な仕方で、意識を研究する方法が在ることも学んだ。そこで、どのようにしたら、その方法を心理学の目的のために採用でき、役立てうるかを理解したい、と動機づけられたのだった。

1960年代の初めから半ばにかけて、何回か短期間ヨーロッパを訪問したことと、デュケイン大学を訪れたヨーロッパの哲学者たちとの会話とから、ヨーロッパには、既に、研究に現象学的方法を用いている心理学者たちがいることを私は知った。名前を挙げられた人々の中には、ボイテンダイク(F. J. J. Buytendijk)、リンスホーテン(H. Linschoten)、ヴァンデンベルク(J. H. van den Berg)、それに、ランゲフェルト(M. J. Langeveld)などがおり、彼らはすべて、オランダのユトレヒト学派の人々であった。それに加えて、ドイツのグラウマン(C. Graumann)も挙げられた。現象学のコペンハーゲン学派にも気づくに到った。そのような次第で、1960年代には、現象学的哲学を学び続けるだけでなく、[心理学に]既に適用されている方法を知っている人を探し求め続けた。だが、そうした方法を明確に説明できるような人を、見つけることが全くできなかった。私は、ことにヴァンカーム(Adrian van Kaam)に、そのことを何回も訊ねた。彼がデュケインにおいて上記の心理学科を創設したのだったからであり、また、彼はオランダ人であったからであり、彼が、関連する総ての文献を読むことができることを、私は知っていたからである。しかし、おそらく、彼が方法論者ではなかったからであろう、彼の答えは曖昧で、上記のオランダ人たちの名前を繰り返すだけであった。それで私は、ヨーロッパに行って、現象学的方法が心理学研究者たちによって、まさにどのように実践されているかを自分で探究したいと願い、最初のサバティカル[研究のための「充電休暇」]を待ち望んでいたのだった。

1969年1月に私のサバティカルの学期が始まり、同年6月に終わった。私はデンマークのアーフス大学に拠点を置いて、自由に広範囲に旅して、可能な限り現象学的心理学者を一人残らず探し求めた。ひょっとすると現象学的心理学研究を実際に実践しているかもしれない誰かを求めて訪れたのは、コペンハーゲン、ストックホルム、ユトレヒト、ルーバン、ハイデルベルク、その他可能性のあるところの総てであった。が、長い物語を短く語れば、現象学的方法を心理学において用いた研究計画を実践している人を、一人として、私は見出さなかったのである。確かに、現象学的心理学に関心を示す心理学者は何人かいた。だが、彼らは現象学的方法で研究を行っている人々ではなかった。現象学的心理学として通用していたのは、大部分が、主流心理学の理論的批判であるか、方法を明確化することができていない、幾つかの興味深い現象学的分析であるに過ぎなかった。私はまるで、鬼火か狐火を追い求めていたかのようだった。

デュケイン大学に戻った時、私は、問題に真正面から取り組む決心をした。理論的批判を超えて何らかの建設的な仕事がなされなければ、心理学における現象学的アプローチは決して飛び立たないであろう、と私は悟った。どんな理論的批判も、何らかの建設的な代替案を差し出すべきである。そこで、1970年1月に、心理学的現象に現象学的方法を適用することについてのゼミを開いた。が、その時点では、そのゼミをどのように進めるべきかについて、全く確かではなかったのだった。方法に関するフッサールとメルロ=ポンティの論述を再吟味し、それが、哲学的関心ではなくて心理学的関心に、どのように適用しうるかを見出そうと試みた。私は、このゼミを毎年教え、手探りで、ある程度の明瞭性に到る私の道を探し求めていった。言うまでもなく、幾つかの誤った出発や、修正や、さらには、逆転さえもあった。そうして、ついに現われたのが、本書に提示されている方法だったのである。

私はこれまで、心理学に適用される現象学的方法に関連して十数本の論文を書いてきた。それらのほとんどは、実際的主題に狭く限定して、主としてこの方法の手続きのステップを扱ったものである。本書に提示されている方法の実際のステップは、最近の多くの論文と、それほど異なってはいない。しかし本書では、この方法にある種の歴史的脈絡を与えて、諸々の質的な分析が、科学的心理学の実践と異質なものではないことを示したいと望んだのである。この目的に応えるために、私は、アカデミックな研究の伝統の範囲に踏みとどまり、臨床的文献に訴えることはしなかった。加えて、この方法をより広い脈絡に位置づけることにより、現象学的哲学は、正しく理解されるならば、経験主義と同じほどに厳密であることを、そして、科学的実践のための基礎として、同様に優れた基礎となりうることを、示したいと望んだのである。以前にも、心理学の基礎として現象学を正当化しようとしたことがあるが(Giorgi, 1985, 23?52)、それはずっと簡潔なものだった。

私は心理学者であるから、この本では、心理学的現象に、現象学的方法をどのように適用すべきかを書いた。しかし、ここで叙述されている方法は、幾つかの小さな修正を加えることにより、人間を研究する如何なる社会科学にも適用するに足る、十分に一般的なものである。鍵となる変更は、他の諸学出身の研究者たちはそれぞれの特定の学問の態度をとらなくてはならないこと、他の種類の現象と混じり合っていても、彼らが関心を抱く現象を探り当てる感受性を示さなくてはならないこと、である。本書の主要部分で述べられているように、生データ(raw data 原資料)は、日常生活の視点からの叙で成り立っているが、その分析は、科学的現象学的還元の内部、かつ学問的態度の内部において、また、研究している現象への特別の感受性をもって、行われる。このことは、看護師、社会学者、教育学者、人類学者(anthropologi、および、他の諸学出身の科学者たちによってもこの方法が使われうる、ということを意味する。生データは、特定の経験の具体的な叙述から成り立っていなければならない。

    * * *

私は、この本を執筆中ずっと教職に伴う責任を担っていたので、書くのに数年を要した。にもかかわらず、何人かの重要な人々の助け無くしては完成させることはできなかったであろう。私は、まず誰よりも、私の妻、故バーブロ・ジオルジ(Barbro Giorgi)に多くを負っている。彼女は、本書の原稿執筆の仕事の進捗が遅いことに私が落胆していた時、仕事を継続するように、幾たびも、私を励ましてくれた。そればかりでなく、彼女自身が心理学者であったので、本書の中で論じられている多くの問題について数え切れない議論をして、数え上げることができないほどの明確化へと導いてくれた、と確信している。それで、彼女が、何よりもまず、人生において、しかしまた、学術的な貢献において、私に与えてくれたものの総てに対して、深く感謝している。本書を彼女の想い出に捧げることは、私のこの上ない喜びである。

本書の初期の版を読んで、コメントをしてくれたことに対して、リチャート・ロジェヴィッツ(Richard Rojcewicz)に感謝したい。また、ジョン・スキャンロン(John Scanlon)に特に感謝したい。彼は、私が自分で学びえたであろうよりも多くを、これまで、フッサールについて教えてくれた人である。私の感謝を、彼の批判的なコメントに、また、フッサールの思想についての私の質問に対する忍耐強い寛容さに、捧げる。私は、通常の断り書き[disclaimer: 否認証明]も加えなくてはならない。これら二人の哲学者は、私に幾つもの叡智の真珠を手渡してくれたのだが、私は頑固にそれらを受け取ることを拒否して来た。それゆえ、総ての誤りと不適切な表現は、私にのみに帰されるべきである、と。