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古田徹也 著

それは私がしたことなのか
――行為の哲学入門


四六判280頁

定価:本体2400円+税

発売日 13.8.2

ISBN 978-4-7885-1344-0

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◆倫理的思考の故郷へ◆

サンデル教授の公開講義ブームに始まり正しい行為とは何かを問う哲学書が人気です。こうした本では以下のような極限的事例が議論されます。「列車が暴走し線路上に立つ5人を轢かんとしている。ただし、眼前のレバーを引けば列車は1人しか轢かない別の線路へと入る。引くべきか否か、その選択はどんな理論で正当化されるのか……」。しかし、ジレンマに陥った中での苦渋の選択というものから、倫理について多くを学べるのでしょうか。我々の目指すものは、こうした状況で躊躇せず正しい行為を選び取れる、ということではないのではないでしょうか。筆者は、我々の理解から乖離しない倫理の解明に向けて、自由意志の有無、意図と行為の関係、さらには義務や責任と運との関係といった「行為」の深い謎へと切りこみます。ままならぬ世界で不完全な道徳行為者として生きる人間の核心に迫る哲学入門書。著者は新潟大学准教授。

それは私がしたことなのか 目次

それは私がしたことなのか はじめに

ためし読み

◆書評

2013年9月8日、山梨日日新聞

2013年12月29日、朝日新聞、萱野稔人氏評

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それは私がしたことなのか 目次

はじめに

第1章 行為の意図をめぐる謎
1−1 「手をあげる」−「手があがる」=?
1−2 出来事を引き起こす心の働きとは何か
1−3 意図をめぐる問題―そもそも意図とは何か
1−4 機械の中の幽霊―ライルによる物心二元論批判
1−5 機械の―「心→脳」と巻
1−6 決定論を支持するかに見えたる一科学的な知見の検討
コラム@ 心身問題の行方

第2章 意図的行為の解明
2−1 意図と信念の諸特徴
2−2 心をめぐる「一人称権威」は何を意味するのか
2−3 心の「隠蔽説」を超えて
2−4 行為の理由と原因
2−5 心は身体の中には存在しない
2−6 意図せざる行為の存在
コラムA 現代の英語圏の行為論の流れ


第3章 行為の全体像の解明
3−1 意図性の薄い行為―やむをえない行為、他人からの強制に従う行為
3−2 意図せざる行為@―「悪質な過失」について
3−3 意図せざる行為A―「純然たる過失」について
3−4 意図せざる行為B―悲劇と行為者性
3−5 意図せざる行為の全体像
3−6 行為の全体像
コラムB 共同行為について


エピローグ 非体系的な倫理学へ
あとがき
索引

装幀――気流舎図案室


それは私がしたことなのか はじめに

 あなたが車を運転していたとしよう。ずっと非の打ち所のない安全運転を続けていたのだが、急に道に飛び出してきた子どもと衝突してしまったとする。あなたには子どもが飛び出してくるのを予測することはできなかったし、衝突を回避することもできなかった。衝突の後、あなたは慌てて車を降り、子どもに駆け寄り、救急車を呼ぶ。しかし、運び込まれた病院で子どもは数時間後に亡くなってしまう。あなたは「なんてことをしてしまったんだ」とひどく落ち込み、「あの時間にあの道を通らなければ、子どもを轢くこともなかったのに……」と回顧する。

 このとき、たとえばあなたの友人であれば、あなたにどう接し、どういう言葉をかけるだろうか。おそらく、「君のせいではない、自分を責める必要はない」と慰めてくれることだろう。しかし、次のような事態を想像してみてほしい。その慰めによって、あなたがすぐに納得し、「そうだよね、不幸な出来事が起こっただけだよね」とケロリと立ち直ってしまうのである。もしあなたが実際にそのように態度を豹変させたら、友人たちはあなたに対して不信を抱くだろう。自分を責めないようにと勧め、あなたがちゃんとそれに従ったのにもかかわらず、である。

 なぜ、友人たちはそう思うのだろうか。それは、彼らが単に一貫していないとか、混乱しているといった話なのだろうか。いや、そうではない。ここには、人が何ごとかを行うということ、すなわち「行為」というものをめぐる重要な問題が隠されている。「行為」というのは一般的に、「自分の自由な意志で何らかの目的を達成しようと試みること」として理解されている。そして、そのように自分の意志で行為したことに関して人は責任を負うのだ、と言われている。しかし、いまの例にこうした「行為」の理解は全く当てはまらない。つまり、我々が普段「そういうものだ」と割りきって理解しているオーソドックスな行為の概念──「行為」という言葉の意味として、我々が普段何となく捉えているもの──からはみ出す何かを、しかも重要な何かを、この例は物語っているのである。

 本書は、「そもそも行為とは何か」という問題を哲学的に探究する試みである。より具体的に言えば、「何かが自然に起こることと、人が意図的に行うこととの違いは、一体どこにあるのか」という問題や、あるいは、「人はどのような場合に、『それは私がしたことだ』と認めるのか」といった問いの答えを導き出すことを試みる。そして同時に、以上の探究が、「倫理学」と呼ばれる哲学の一分野──「自由」や「責任」、「道徳」、「生き方」などにまつわる哲学的探究──の根源に触れるものであることを確認する。 本書の第2章までは、いま「オーソドックスな『行為』の概念」と呼んだもの、すなわち、「自分の自由な意志で何らかの目的を達成しようと試みる」というのが具体的にどういうことであるのかを掘り下げていく。まず、その「自由な意志」とはそもそも何かということが大きな謎であることを確認した上で、避けては通れない問題として、「人間にそもそも自由な意志は存在するのか、それとも、人間が何をするかは自然法則によってあらかじめ決定されているのか」という、自由意志と決定論をめぐる論争を扱う(第1章)。そして、「自由な意志の働きとは脳の働きに他ならない」という現代の「科学的主張」を批判的に検討しながら、第1章の問いに対する解答を提示する(第2章)。

 以上の探究によってオーソドックスな行為の概念の中身を整理できたところで、本書の議論は先の「車と子どもの衝突」の例へと徐々に接近していくことになる。その中で、なぜこの例がオーソドックスな行為の理解と折り合わないように見えるのか──なぜこの例が、いま我々に「謎」として立ち現れているのか──を明らかにすることができるだろう。また、この例をまさに行為の例として適切に位置づけ、そこからオーソドックスな行為の概念をもう一度照らし返すことで、行為の全体像を見渡す展望を開くことができるはずである(第3章)。

 そして、行為という概念をめぐって本書が辿るこうした哲学的探究は、次第に、「倫理学」の領域へと深く接続していくことになる。その過程で、行為者の個別性4 4 4 ないしは置き換えのきかなさというものを切り捨ててきた既存の倫理学の枠組みの問題点と、倫理学という営みの本来の「故郷」とも呼ぶべきものが浮かびあがってくるだろう。これを踏まえて、本書は最終的に、一般的な理論体系の構築というものとは異なる倫理学の方向性を提言することへと向かう(エピローグ)。

* * *

 本書は、様々な種類の哲学的問題の概要を網羅的に紹介するタイプの入門書ではなく、扱うのは行為をめぐる問題に限られている。また、単に問題のあらましを整理して済ますだけでなく、核心部にまで入り込んで実際に解答を模索するという意味でも、本書の内容は文字通りの「入門」とは異なり、いわば門をくぐった中にある道場で実戦を行うことを含むものだと言えるだろう。

 しかし、哲学とは何よりも真理の追求であり、ひとつの問題を徹底的に考え抜き、答えを見つけ出そうとする営みに他ならない。それゆえ、哲学という思考の試合をひと通り、最初から最後まで実践することが、「哲学への入門」の本当の近道だと考える。本書は、読者にとって、そうした真剣勝負の相手となることを目指して編まれた。

 そのため、本書の本文は、学問としての哲学に関する予備的な知識が全くなくとも読み進められるように、また、最終的には現在の哲学の議論の先端にまで自然に至ることができるように、工夫したつもりである。その代わり、哲学史や専門的・周辺的な話題の多くは省かざるをえなかった。それらの一部は本文から切り離すかたちで、いくつかの長い傍注と、各章末尾の三つのコラムにまとめている。本書の読み方は各々の読者に任せるべきだろうが、できれば、まずはそうした傍注やコラムについては気にせずに、本文のみを読み進んでほしい。その後で、興味に合わせてコラムや長い傍注へと進み、本文の議論が哲学のどのような専門領域に接続して拡がっていくかを確認してほしい。その方が、本書の挑発的で「非常識」な議論──本書の主張には、「心は頭の中にはない」とか、「現在我々が使っている『過失』という概念には不具合がある」といったものが含まれる──と対話(試合)をしながら、共に額に汗して考えていく実践(実戦)ができるだろう。

 繰り返すように、本書は行為をめぐる話題に集中している。

 行為とはどういうものか、「自分がした」とはどういうことなのかを、我々は日常の生活においては何となく理解しているはずである。しかし、ふと足を止め、振り返って考えてみると、そこには深い謎が広がっている。当たり前のこととして通り過ぎていた事柄を一度きちんと捉え直し、多様な角度から考え抜くというのは、なかなか骨が折れる作業ではあるが、しかし、大事な作業である。特に「行為」という概念は、これから見ていくように、意志、自由、責任、道徳、倫理、人格の個別性、生き方など、人間の生活にとって極めて重要な概念にそのまま直結している。それゆえ、行為という概念の捉え直しは、これらの関連する諸概念の輪郭を明確に描き直すことでもあるし、それはひいては、我々と我々が住まう世界の真相に迫ることに繋がるはずである。

 哲学することのそうした大事さを、自分自身で実感してもらうことができれば──そして、哲学することの楽しさ、面白さも、幾ばくかでも感じてもらえれば──本書にとってこれ以上の成功はない。

 それでは、始めよう。