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稲上 毅 著

ヴェブレンとその時代
――いかに生きたか、いかに思索したか


A5判上製704頁

定価:本体6400円+税

発売日 13.6.28

ISBN 978-4-7885-1340-2

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◆画期的なヴェブレン評伝!◆

「顕示的浪費」という鍵概念で消費社会を鮮やかに論じた『有閑階級の理論』で知られるソースタイン・ヴェブレンは、ノルウェー移民の子としてアメリカに生まれました。そのような生い立ちにもよるのか、世の中の不公正に敏感で、「不在所有制」「社会的共通資本」「製作者本能」などの、時代を何十年も先取りする概念を考えだし、多くの重要な著作を発表しました。しかし一方で、英語が不自由で気難しい人間だったため、研究者として恵まれず孤立していた、などの否定的評価もされてきました。この「ヴェブレン神話」とでもいえるものに対して著者は、彼の全著作を読破し、新たに公開された一次資料にもつぶさに目を通して、全く新しいヴェブレン像を対置します。そこからは、英語が達意で(書かれたものは難解だが)、学生・同僚にもめぐまれ、女性関係も華やかな(ゆえに誤解もされた?)魅力的な人間像が浮かび上がってきます。今後かならずや、アメリカも含めて、ヴェブレン評伝の決定版となることでしょう。

ヴェブレンとその時代 目次

ヴェブレンとその時代 あとがき

ためし読み

◆書評

2013年9月15日付、毎日新聞

2013年10月19日付、図書新聞、江頭進氏評

2013年12月15日付、毎日新聞、伊東光晴氏評

2013年12月22日付、毎日新聞、中村達也氏評

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ヴェブレンとその時代 目次
第一章 フロンティアの経験
第一節 肥沃な土地をもとめて――勤勉力行と果敢な適応 
第二節 ノルウェー移民と中西部フロンティア
第三節 ヴェブレンのカントリー・タウン論 

第二章 科学革命と高等教育――ヴェブレンの修業時代
第一節 カールトン・カレッジのヴェブレン 
第二節 ジョンズ・ホプキンズ大学のヴェブレン――パースとの出会い 
第三節 イェール大学のヴェブレン――ポーターとサムナーに会って 
第四節 「失われた七年」をめぐって 
第五節 コーネル大学のヴェブレン 
第六節 制度化されるディシプリン 

第三章 社会進化のなかのいま――ふたつの『理論』と経済学批判
第一節 初期論文と翻訳 
第二節 『有閑階級の理論』の解読 
第三節 経済学説の批判的検討――その(一)  
第四節 『営利企業の理論』の吟味
第五節 近代文明と科学――ひとつの間奏曲 
第六節 スキャンダルと大学辞職
――シカゴからスタンフォードへ 
第七節 経済学説の批判的検討――その(二)
第八節 辞職と離婚、そして再婚へ――スタンフォードからミズーリへ 

第四章 理論的進化のわだち――人類文明史と栄枯盛衰の鳥瞰図
第一節 『製作者本能』の関連三論文 
第二節 『製作者本能』を読む 
第三節 『帝政ドイツと産業革命』と日本論――追い越しの論理と後れの論理 

第五章 戦争と平和――その原因と条件、そして新秩序構想
第一節 戦争の原因と恒久平和の条件――『平和論』の射程 
第二節 平和論の進化 
第三節 パリ講和会議の性格と評価 
第四節 ロシア革命論と『技術者と価格体系』 
第五節 『アメリカの高等学術』の構図 
第六節 『不在所有制』の検討

終章 されど孤にあらず
注 
あとがき 
引用文献一覧 
事項索引 
人名索引 
装幀――難波園子


ヴェブレンとその時代 あとがき

 いま長いヴェブレン踏査を終えて、いくつかのことが脳裏に浮かぶ。

 ヴェブレンはその生涯を通じて、いかなる環境のなかで、いかに生き、いかに思索したか。この本で明らかにしたいと考えたのはこれらのことである。そうすれば、きっとヴェブレン像もいままでよりもっとはっきりしたものになるだろう。

 このうち、「いかに生きたか」に力点をおけば、本書はおのずから評伝という性格をもつ。ヴェブレン伝といえば、ドーフマンの古典がある。本書はその書き直しをめざしたわけではないが、結果としてそうした性格をもっているかもしれない。ジョルゲンセン夫妻、バートレー夫妻などによる近年の新たなヴェブレン生活史研究の成果に大いに助けられた。

 そういえば、終始不思議でならないことがあった。ドーフマンはアンドリューから「直接ソースタインに会って聞いてみたらどうですか」といわれていたにもかかわらず、ついにヴェブレンに手紙一通出すことがなかった。もちろん、会ってもいない。この点、E・バラン(Esther Baran)が書いた母親ベッキーについての小さな伝記によれば、「ドーフマンは私(ヴェブレン)の仕事について本を書くだけの学問的力量に欠けている」といっていたらしい。まだ三〇歳にもならない大学院生の「ヴェブレン伝」であってみれば、ヴェブレンのこの評価はあながち的外れなものではないだろう。ヴェブレンもまたアンドリューと同じく、ドーフマンの原稿には多くの間違いがあるとみていた。あるいは、ヴェブレンもアンドリューの手許に届いたドーフマンの原稿に目を通していたのかもしれない。ヴェブレンは、例の「もうひとつの遺書」にもあるように、「自分についての伝記を書くような企てには、誰のものであれ、手を貸そうとはしなかった」。

 しかし問題は、生活史上の個々の事実を超えて、ヴェブレンの作品の内容をどこまで理解できるかにある。

 というわけで、この本では、「いかに思索したか」を明らかにすることに傾注した。ヴェブレンの思索も累積的に進化する。したがって、その軌跡を正確に理解するためには、時間を追ってヴェブレンの最初から最後まで、原則すべての論文や本、翻訳にも目を通す必要がある。適当に摘み食いしていたのではヴェブレンの多面体を見失い、その精髄を見誤ることになるのではないかと思われた。

 といっても、ヴェブレンの英文は難解で聞こえる。ある書評子は「つぎの著作は英語で書いてほしい」という痛烈な皮肉を飛ばした。最近K・マコーミックは『平易な英語で書かれたヴェブレン』(Ken McCormick, Veblen in Plain English, Youngstown, New York: Cambria Press, 2006)というなかなかの出来映えの小さなヴェブレン経済学入門書を書いた。英語圏でもこうした具合だから、ヴェブレンの凝った文体や長い構文、特異な語彙や格式表現(それを立派な英語だというネイティヴもいる)は日本の研究者にとって難物であるにちがいない。じっさい、先人たちの多くの努力にもかかわらず、ヴェブレンの邦訳は必ずしも読みやすいものではない。それがヴェブレン理解の躓きの石となってきた。その責任の少なくとも半分はヴェブレンにある。

 「いかに思索したか」について考えるためには、ヴェブレンが生きた思想空間を理解する必要がある。かといってドーフマンの問いかけに対してアンドリューや義姉のフローレンス・ヴェブレンもそう返答していたように、ヴェブレンに最も大きな影響を与えたのは誰ですかといった問いにあまりこだわらないほうがよい。たしかに、ヴェブレンも先なる知的巨人たち(ヒュームであれスミスであれ、カントであれダーウィンであれ、あるいはパースであれ)から大きな刺激を受け、その知的遺産を継承した。しかし、所詮ヴェブレンはヴェブレン。かれの精髄はそれら遺産の合成物ではありえない。大切なのは、歴史的な思想空間のなかに投射されたかれのオリジナルな構想力の中身である。

 それにしても、感動的なことがふたつ。ひとつは、生涯変わることなく、時代の真相(深層)にむかってまっしぐらに突き進んでいったヴェブレンの姿であり、もうひとつは教え子のミッチェルやダベンポートは別にしても、互いの考え方の違いを超えて、ヴェブレンを支えつづけたラフリンやヤングといった人びとの存在である。クラークもタウシッグも、あるいはポーターもサムナーも、さらにいえばスタンフォードのジョーダンも、それぞれのとき、それぞれの仕方でヴェブレンに手を差し伸べた。この点を見落として、ヴェブレンは終始孤立し、寂しく亡くなったなどといってはならない。

 いまからみればもちろんのこと、ヴェブレンの書き残した作品にも多くの限界や欠陥がある。ヴェブレンもまた可謬的であるほかはない。それでもなお、その限界を超えていまに語りかけ、訴えてくるものがある。しかし、それが何であるかを特定するのは読み手の観点であり、力量であり、また特権というものだろう。

 たとえば、ヴェブレンにとって重要であるにちがいない「産業」という重厚な言葉が響きもつ広くかつ深い音色に、また意図せずしてそれが対抗的なものに反転していってしまう自己破壊プロセスへの関心に、手工業時代がもつ経済史的・文化史的意義のみならず、その時代と機械時代との鮮やかな対照性を包括的に浮き彫りにしてみせたその手腕に、さらにいくつもの三つ巴の確執(神話ドラマトゥルギーとプラグマティズムと科学、あるいは営利企業と機械過程と王朝国家など)を凝視するその眼差しに、制度的遅滞の理論を援用しながら、技術移転によるその中心地の地理的移動をともなう経済発展メカニズムを浮かび上がらせたその傑出した洞察力に、不在所有制という言葉を用いて現代アメリカ経済の精髄を証券資本主義と喝破したその凛とした姿勢に、そして分類学的推論を一刀両断する累積的で因果論的な非目的論的方法にもとづいて描き出された切れ味鋭いその卓抜した経済理論史に、私はそれぞれ強い印象を受けた。

 ところで、この本を書き上げるため、かれの遺言に反することになったが、ヴェブレンの私信や書簡の類を利用し、また近親者が書き残した多くの一次資料を使った。そしてそれらを入手するうえで、アメリカの多くの大学図書館などのお世話になった。そのなかにはカールトン・カレッジ(ヴェブレン・コレクション)、シカゴ大学図書館特別コレクション研究センター、コロンビア大学バトラー図書館(ドーフマン文書)、ミネソタ歴史協会(Minnesota Historical Society)、ウィスコンシン歴史協会(Wisconsin Historical Society)、ノルウェー・アメリカ歴史協会(Norwegian-American Historical Society)などが含まれる。

 とりわけカールトン・カレッジのアーキビストであり、ヴェブレン研究にも詳しいエリック・ヒルマン(Eric Hillemann)さんにはいろいろと助けていただいた。特にヴェブレンの継娘ベッキーの「自伝」のコピーを取って送ってほしいと連絡したところ、現物は手書き原稿で読みづらいでしょうからといって、大学院生のM・シェーデル(Marie Schaedel)の協力をえてワープロ文書にしてくださった。また、ヴェブレンの胸像(一九二〇年、B・ウィル作)の所在について尋ねたところ、それがいまはカールトン・カレッジに所蔵されていること、それは二〇〇九年の暮れにドーフマンの娘であるスーザン・ドーフマン・ジョーンズ(Susan Dorfman Jones)から寄贈されたものであること、さらに遡れば、その胸像はヴェブレン関係のいくつかの本を出していたAugustus M. Kelley社から一九七五年にスーザンに贈与されたものだったことなどについて教えてくださった。

 なにもヴェブレン・コレクションに限ったことではないが、アメリカの大学が所蔵しているこの種の膨大なコレクションやアーカイブスの充実ぶりにはまことに目を見張るものがある。歴史の浅い移民の国・アメリカが懸命に歴史の素材を紡ぎ出し、編み上げていくその静かな営みに私は小さな感銘を受けた。

 また、人類遺産といってよい人文・社会科学領域の古典(原本)や有力な雑誌などがネット上で多数公開され、誰でも自由にダウンロードできるようになっていることについてもちょっとした感動を覚えた。ヴェブレン風にいえば、それらが社会的な共通資本、社会の共有財産とみなされ、用益権(usufruct)を開放して無償で提供することが望ましいと考えられているためだろう。

 最後に、短い謝辞を一言ずつ。まず、本書にヴェブレン、エレン・ロルフ、アン・ブラッドリー・ベヴァンズなどの写真を収めることができたのは一重にカールトン・カレッジ・アーカイブスのご好意による。またヴェブレンの胸像写真を本書に収録するにあたっては、ヒルマン、マリー・キャサリン・ジョーンズ(Mary Catherine Jonesスーザン・ドーフマン・ジョーンズの義娘)のおふたりからその連絡先を教えていただいた、本書でもその論文に言及しているヴェブレン研究家のシルヴィア・バートレー(Sylvia E. Bartley)さんのご好意による。おかげで、彼女が撮った胸像写真を本書に載せることができた。これらの方々にたいしてこの場を借りて心からお礼の言葉を申し上げたいと思う。

 新曜社の渦岡謙一さんからは多くの有益なアドバイスをいただいた。深く感謝したい。また、渦岡さんを紹介してくれた東京大学の佐藤健二さんにもお礼を申し上げたい。

 しんがりとして、二〇〇七年一〇月から三年あまり理事長を務めた(独)労働政策研究・研修機構のみなさん、とくに労働図書館の橋本八恵子さんと時枝尚子さん、秘書室の菅真由子さんにも大変お世話になった。特に記してお礼の言葉を申し上げたい。

   平成二四年晩秋



著者識