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江森一郎 著

体罰の社会史 新装版
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四六判288頁

定価:本体2400円+税

発売日 13.04.25

ISBN 978-4-7885-1335-8





◆体罰は日本の伝統なのか?◆

家庭で、学校で、道場で、何か事件が起きるたび、何度となく体罰の是非をめ ぐり議論が巻き起こります。中でも根強いのが、体罰否定はたかだかここ三○ 年の流行であり、体罰を有効に使っていた伝統的教育の姿からはずれたものだ という肯定派の意見です。しかしそれは本当でしょうか。本書は、この問いに 端を発し、中世の思想書や江戸の藩校・寺子屋の罰のあり方など克明な資料か ら、体罰を用いない柔軟な教育の思想が十七世紀から連綿と息づいていたこと を論証します。歴史を知らずに受け継がれるべき教育の姿を語ることはできま せん。学校関係者だけでなく、人を育てるすべての親にお薦めしたい史的実証 の名著、待望の復刊です。

体罰の社会史 新装版 目次

体罰の社会史 新装版 はしがき

ためし読み
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体罰の社会史 新装版 目次
はしがき

T 体罰の思想史
1 原始・古代・中世の体罰
原始・古代と体罰/中世の体罰的雰囲気
2 近世の体罰観
近世的体罰観の前提/変化の時代‐’一七世紀
3「確立」と「ゆれ」と肯定論の再生
体罰否定論の普及−一八世紀/肯定論の再発生の時代−一八世紀後半から

付論 中国の場合

U 近世社会と体罰
1 武士の学校と罰・体罰
はじめに/藩校の罰の種類・性格/体罰規定校
2 武士の生活・教育と地域集団の体罰
武士の生活と教育/武士の教育論と教育/地域教育組織と体罰
3 寺子屋の罰・体罰
問題の所在/信州と江戸の事例/捧満・あやまり役・縄縛

V 近・現代史と罰・体罰
「維新」と武士のエートス/明治初期の学校罰則と体罰/「教育令」における体罰禁止登場の背景/欧米および日本の「これまで」と「今後」

あとがき
新装版あとがき


体罰の社会史 新装版 はしがき


最近の総理府による「人権擁護に関する世論調査」(一九八八年十二月三日)で、教師による学校での体罰について、人権侵害にならないとする人が三割以上もおり、「法務省と文部省は体罰を容認する人が予想以上に多いことに驚いて」いる、と報じられた(朝日新聞、同四日付け)。他方、八七年度中に体罰がらみで処分を受けた教師は三一一人に達し、件数で二○二件もあり、前年度比一七パーセントの伸び率であるという。体罰禁止を明言している学校教育法第十一条の空洞化は、いよいよ進みつつある。こういう時期に本書を出版することが、意義あることであってほしい。

 そもそも、「体罰史」という観点から日本の歴史を大観してみたら面白い結果が出てくるのではなかろうか、と思いついたのは、悪名高い「戸塚ヨットスクールとの体罰死事件が、連日新聞紙上を賑わせていた一九八三年の春のことだった。戸塚氏は、その年の秋に獄中から出版した著書『私はこの子たちを救いたい』(光文社)の中で「日本の歴史が二千年あるとしても、体罰を否定しているのは、最近の三十年間だけで、あとの千九百七十年間は、肯定されているのである」(同書、二三ページ)と言っていたが、私の結論は正反対に近い。ともあれ、月日の経つのは早いもので、それから五年以上が経過してしまった。この書は、一九八三年の秋に教育史学会で報告した内容を、翌八四年に「江戸時代の体罰観・研究序説」(『日本の教育史学』二七巻)として発表したものをもとにしている。しかし、それ以降調べえたことも多く、構想を新たに書き下したものである。(ただし、第二部の二章の前半は、小林登ほか編『新しい子ども学 3 子どもとは』〔海鳴社、一九八六年〕に寄稿したものの一部に、加筆・修正を行ったものである。)

 「四苦八苦」しながら、時には新史料の発見にワクワクしながら筆を執ってきた過程で、私が 特に意識してきたことは次のような点である。

(1)歴史研究も、結局は現代への関心・批判であるべきであり、叙述の中にその観点をできるだけ鮮明にすること。

(2)一般的読みものの形をとりながらも、なるべく出典・関連領域の先行研究を明らかにし、研究書としての水準も維持する。

(3)主題(体罰史)に関係するテーマにできるだけ広く取り組み、世界史も視野に入れて叙述してみること。

(4)日本の体罰史自体が、おそらく今まで誰にも取り組まれてこなかっただけに、史実の豊富な紹介という点にも力を入れたこと。

(5)本書の中心となる江戸期の文章などは一般にはなじみにくいと思われるので、ほとんどを口語訳にした。またわかりにくいと思われる用語も、引用文中にカッコ付きで解説を入れた。また、図版を多く挿入して、固さを少しでも柔らげた。

本書は、体罰史という角度から日本の社会を考え、そのみかたの一仮説を提示したつもりである。私自身は一応体罰否定論者であり、体罰を実行したこともない。しかし、どんな場合にも体罰がいけないか、と言われれば、明確な解答はできにくい。石川達三の『人間の壁』に出てきた沢田先生のような事例を想い出すからである。ただ、ここではそういうレベルのことを問題としているのではなく、体罰を容認したり否認したりする社会的雰囲気を、その背景となる社会の実情や価値観との関連で把握することを問題にしているのである。しかしながら、日々の教育実践の中で、その拠り所を求めて苦しんでいる教師たちや、もう一方で、「学校化社会」の中にはめ込まれて呻いている学生・生徒諸君やその父母たちにとって、やや迂遠なテーマと思われるのももっともなこととも思える。五年間の高校教師体験のある筆者には、その気持がよくわかるつもりである。にもかかわらず、そういう心境に大部分の人々を追いやっている状況そのものに問題があり、そのことを解き明かそうとしたこういう本を、やはりより多くの人に読んでもらいたい、というのが著者としての偽らざる心境である。歴史的に考えるということの意外な面白さ、大切さに共感していただければ、こんなに嬉しいことはない。



編者一同