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島村恭則 編

引揚者の戦後
――叢書 戦争が生みだす社会 II巻
[関西学院大学先端社会研究所]


四六判400頁

定価:本体3300円+税

発売日 13.8.15

ISBN 978-4-7885-1333-4




◆戦争に翻弄された人々が生みだした文化◆

敗戦を境に身一つで海外から帰還した引揚者たちの戦後の暮らしとは。全国には引揚者に起源をもつ商業施設、公営住宅、福祉団体が数多く存在し、餃子、ラーメン、明太子などすっかり馴染み深いメニューも引揚者が伝えた食文化です。ベスト電器、ゼンリンなど有名企業の創業をはじめ、引揚げ当事者たちの語るエピソードは枚挙に暇がありません。満州朝鮮からの引揚げ家族、樺太引揚者とサハリン残留朝鮮人、パラオ引揚者などを訪ねて、国内外で聞き取りを重ねた民俗学者たちの調査が本書に実を結びました。圧巻はパラオで歌い継がれ小笠原まで伝播した古謡の謎を解く南洋の旅。戦争と帰還移民という人類学理論にも挑戦します。知られざる引揚者たちの苦難に満ちた人生の軌跡、故郷への断ちがたい想い、戦争に翻弄されながらたくましく生き抜いた人々の文化に圧倒される読み物です。編者は関西学院大学社会学部、先端社会研究所教授

引揚者の戦後 目次

引揚者の戦後 序章

ためし読み

◆書評
2013年10月、出版ニュース
2014年1月11日、図書新聞、野上元氏評
2014年夏、JAPNANESE BOOK REVIEW

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引揚者の戦後 目次
はじめに

序章 引揚者の戦後島村 恭則

第1章 引揚者が生みだした社会空間と文化島村 恭則
  はじめに
1 引揚者マーケット
2 引揚者住宅
3 戦後開拓地
4 「満洲」「満蒙」という屋号
5 社会福祉の系譜
6 食文化
7 引揚者企業
  結び
コラム 鳴門市ドイツ館と引揚者(島村 恭則)
    塩竈の寿司屋と闇市(島村 恭則)

第2章 記憶のなかの満州引揚者家族の精神生活誌篠原 徹
  はじめに
1 父と祖父のことなど
2 母と祖母のことなど
3 父母の満洲時代
4 引揚者生活―半田市山方新田とその後
5 自分史を振り返ってみて
コラム 朝鮮群山引揚者と月明会(藤井 和子)

第3章 恩賜財団同胞援護会と土浦引揚寮稲葉 寿郎
  はじめに
1 同胞援護会設立まで―引揚援護組織の変遷
2 同胞援護会の活動と展開
3 土浦引揚寮の成立と同援土浦出張所
4 市川喜久と土浦引揚寮の展開
5 引揚者のその後と同胞援護会の解消
  おわりに
コラム 三方原台地の戦後開拓(三室 辰徳)

第4章 引き揚げた人、残された人池田 貴夫
―樺太引揚者とサハリン残留朝鮮人が残してくれたもの
  はじめに
1 樺太引揚者が残してくれたもの
2 サハリン残留朝鮮人が残してくれたもの
3 鉄のカーテンを隔てた互いの思い
  おわりに

第5章 神々の引揚げ―北方四島から北海道へ舟山 直治
  はじめに
1 北方四島における神社祭祀の起源
2 北方四島の神社祭祀の変遷―一九世紀中頃から終戦まで
3 神々の引揚げ
  おわりに
コラム 国後島から奥尻島への移住―宝の島から宝の島へ(舟山 直治)

第6章 「ふるさと」へ帰れない引揚者李 建志
―パラオとつながっている人びと、帰れない人びと
  はじめに
1 収容所に響く「大和民族の歌」―「生き地獄」を通り抜けて
2 「九州の北海道」へ―団長を中心に結束する引揚者 宮崎県環野開拓団
3 ふたたび「南国」に抱かれて―大規模帰農地ゆえの特徴 種子島原尾開拓団
4 「竜宮城」にはもう帰れない
  ―「ばけものモダ」を「ふるさと蔵王」へ 宮城県北原尾開拓団
5 南洋庁という階級社会

第7章 歌がつなぐ過去といま齋藤 由紀
―パラオ引揚者の暮らしが語りかけてくるもの
  はじめに
1 持ち帰られた歌
2 アバイを読み込んだ歌
3 パラオ引揚げの実像
4 流行歌「酋長の娘」と引揚者
5 歌が語る交流―『小笠原古謡集』
  おわりに

第8章 戦後引揚げという〈方法〉―帰還移民研究への視座辻 輝之
1 帰還移民―UnthinkableからThinkableへ
2 還ってきた/くるのは誰か―帰還移民の人類学
3 引き揚げてきたのは誰か―歴史・記憶・エスニシティ
4 戦後引揚げという〈方法〉―結論に代えて

事項索引・人名索引

装幀 鈴木敬子(pagnigh-magnigh)
地図制作 谷崎文子

*本文中の写真は断りのない場合、編者・著者の撮影・提供による


引揚者の戦後 序章

近代日本は、台湾、朝鮮、満洲、関東州、サハリン(南樺太)、千島列島、南洋諸島といった地域に侵出し、現地の社会を支配した。これらの地域には日本の統治・行政機関が置かれ、多数の日本人が日本列島から移住して移住者の社会を形成していた。しかしながら、一九四五年八月一五日の日本敗戦で、日本はこれらの地域での支配権を失い、現地に居住していた日本人は、日本列島に帰還することとなった。こうして帰還してきた人たちのことを「引揚者」という(1)。引揚者の数は、厚生省(当時)によると、約660万で、これは約330万の陸海軍軍人・軍属と、ほぼ同数の民間人を合わせた数字である(2)(厚生省援護局編 1978: 25)。

これまで、引揚者についての学術研究は、引揚げの制度的側面についての研究(若槻 1995)、引揚者による引揚げ体験の記憶、語りや引揚者文学についての研究(川村1990; 成田2003, 2006, 2010)、満洲国政府や満鉄の関係者などエリート層の引揚者が戦後の日本社会・経済の復興、発展に与えた影響についての研究(小林 2005)などが行なわれてきた。また近年は、社会学の領域でも「帝国崩壊と人の再移動」という観点から、「引揚げ」を「残留」や「送還」といった隣接する現象とともに論じ、より理論的な展望を得ようとする試み(蘭編著 2011)もなされるようになっている。歴史学においては、引揚げ研究の現状や引揚げ関連史料の読みとき方などを論じたものとして、阿部安成と加藤聖文の論考(阿部・加藤2004, 2005)がある。また、近代日本の帝国主義的膨張、植民地支配については、倉沢愛子ほか編『岩波講座 近代日本の植民地』全8巻(2005-06)が詳しい。

このように引揚げをめぐる学術研究は、すでに一定の蓄積が見られるようになってきている。ただし、引揚者研究には、これらの研究が扱っている主題以外にも、取り組むべき大きな課題が未着手のものとして残されている。それは、「引揚者の戦後」、それもエリート層ではない一般の引揚者たちの戦後の暮らしという主題である。「内地」に引き揚げた後の引揚者の生活がいかなるものであったか、またそれは、周囲の社会や日本社会全体にとっていかなる意味をもっていたか、という点を問う必要がある。

敗戦直後、「内地」に引き揚げてきた引揚者たちは、全国各地に散らばっていった。その行き先は、もともと生まれ育った村や町、何らかの縁故があった土地である場合もあれば、何の縁故もない都市に流入してゆくケースもあった。あるいは、「戦後開拓」といって新たに開拓地に入植して農業を始めた人びともいる。

引揚者たちは、それぞれの転入地において戦後の生活を始めたが、引揚者の存在は、それまでその土地には存在しなかった新たな社会空間を生みだした。それはたとえば、引揚者マーケットなどと呼ばれる商業空間であり、引揚者住宅であり、引揚者援護施設であった。また、引揚者たちは、新たな文化を持ち込んだり、生みだしたりもした。

この場合、注目すべきは、こうした引揚者によって生みだされた社会空間や文化は、今日のわれわれの日常生活の一部を構成するに至っているという点である。引揚者に関わる社会空間の中には、引揚者マーケットは駅前のショッピングセンターへ、引揚者住宅は市営住宅や県営住宅へ、引揚者援護施設は老人福祉施設へというように、姿は変えながらも、系譜的なつながりはそこに見出されるという形で今日まで存在し続けているものが少なからずある。食文化も、餃子、ラーメン、明太子など、今日のわれわれの生活の中に定着している食べ物には、引揚者によってもたらされたものが含まれている。

こうした例からわかるように、実は、現代のわれわれの日常生活と引揚者との間には相当に深い関わりがある。しかしながら、こうした実態について明らかにした研究はまったくない。また、そもそも引揚者たちは、戦後、どこに暮らし、どのような仕事をし、どのような思いを抱いていたのか。さらに、引揚者をとりまく周囲の人びとは、引揚者に対してどのように接したのか、こうした基本的な事柄が、これまでまったくといってよいほど記述されてこなかったのである。引揚者たちの戦後民衆生活史を明らかにした学問的成果は、ほとんどないといっても過言ではない。

本書は、こうした「引揚者の戦後」について、正面から取り組んだ調査研究の成果をまとめたものである。

本書全体の構成を説明すると、次のようになる。第1章「引揚者が生みだした社会空間と文化」(島村恭則)では、右に指摘した実態について、日本全国を歩き回って集めた事例を提示し、戦後日本の社会や文化の形成に引揚者の存在がいかに関わっているかを概観する。日常見慣れた何気ない風景や物事についても、歴史の地層を一枚ずつめくっていくと、そこに「引揚者」の姿が立ち現われてくることをフィールドワークの成果によって示そうとした。

第2章「記憶のなかの満洲引揚者家族の精神生活誌」(篠原徹)は、敗戦の前年に満洲・新京で生まれ、引揚げ後、愛知県半田市の引揚者住宅で少年時代を過ごし、のちに民俗学者となった著者が、自らの生活体験の記憶をもとに記述した一人称の民俗誌である。引揚者が、引揚げ途上の体験を自分史として綴ったものは少なくないが、引揚げ後の暮らしについて書かれたものはほとんどないと思われる。これだけでも本章は重要な作品なのだが、これに加えて著者が、人びとの人生についての聞き書きを得意とする民俗学者であり、このことから、本章は引揚者としての当事者の目と研究者の目の両方を持った人物によるモノグラフとなっている。これは引揚者研究としても、また民俗学や人類学の民俗誌研究の上でも、非常に貴重な記述であるといえよう。

第3章「恩賜財団同胞援護会と土浦引揚寮」(稲葉寿郎)は、引揚者の生活再建を支えた半官半民の団体である「同胞援護会」(同援)を取り上げ、その設立の経緯、活動内容を紹介した上で、同援の重要な事業の一つであった定住地確保と授産の実態を、茨城県土浦市に設置された引揚者寮を事例に記述する。とりわけそこではシベリア抑留などによって夫がいない世帯や、戦争で夫を亡くした母子家庭に対する支援のあり方が、「土浦のマザー・テレサ」と呼ばれた人物の活動を通して明らかにされており、女性史の観点からの「引揚者の戦後」研究として貴重である。

第4章「引き揚げた人、残された人―樺太引揚者とサハリン残留朝鮮人が残してくれたもの」(池田貴夫)は、樺太からの引揚者を取り上げる。池田は、北海道に暮らす樺太引揚者のもとで調査を行ない、引揚げから四十年を経た頃から、彼らの間で、樺太での旧住地についての郷土誌を作成する動きが活発になったことなど、「樺太引揚者の戦後」を明らかにしているが、池田の記述はそうした日本国内の引揚者にとどまらない。樺太においては、日本人の引揚げの傍らで、樺太在住の朝鮮人たちがそのまま現地に残留したという事実がある。彼らは戦後の樺太において朝鮮人社会を形成し、その後、住民の一部は、一九九〇年代以降、韓国へ引揚げ(永住帰国)を果たしている。池田は、日本、韓国の樺太引揚者、そして現在も樺太に暮らす朝鮮人の三者を並列的に観察することによって、戦後、「樺太」を抱えて生きてきた人びとの世界を立体的に描こうとしている。

引揚者たちが「外地」で祀っていた神社は、引揚げの際、どのように扱われたのか。第5章「神々の引揚げ―北方四島から北海道へ」(舟山直治)は、千島四島で祀られていた神社の祭神が、戦後、住民とともに根室市に「引揚げ」、根室金刀比羅神社や個人宅で祭祀されていることを明らかにした。植民地神社が、戦後、日本本国において祀り直される例は、下関市の大連神社のものが報告されているが(新田 1997)、根室のように「個人宅」での祭祀の事例は、今後、他にも見出せるかもしれない。今後の研究の展開可能性も認められよう。

第6章「『ふるさと』へ帰れない引揚者―パラオとつながっている人びと、帰れない人びと」(李建志)は、宮崎県小林市、鹿児島県種子島、宮城県蔵王町にそれぞれ形成されたパラオ引揚者の再入植地を訪問し、ていねいな聞き取りを実施した。そして三つの開拓村の性格の違いを描き出し、その要因を開拓のリーダーシップをとる人物の有無や開拓地の規模、という点から考察している。また、植民地社会にあった住民間の階級構造が引揚げ後においても継続している可能性があることを、たとえば、沖縄系パラオ引揚者と日本本土系のパラオ引揚者との間に存在する溝の事例などを通して示唆している。植民地において、「階級」は、民族間のみならず、「日本人」の間でも、資本家と労働者、都市住民と農民などといったように存在していたが、これらが戦後、引揚者たちの間でいかに持続し、あるいは変容したのかについては、今後、満洲や朝鮮など他地域の引揚者も含めて広く検討する必要があろう。

第7章「歌がつなぐ過去といま―パラオ引揚者の暮らしが語りかけてくるもの」(齋藤由紀)は、日本各地のパラオ引揚者の村を訪ね、そこに伝わっている歌を聞き取り、その来歴や歌が歌われることの意味を問う。歌を柱とした引揚者民俗誌というべきユニークな論考となっており興味深い。第1章で、引揚者がもたらした文化として食文化の事例を紹介したが、ここで扱われる「歌」も、引揚者文化の一つである。歌の問題は、パラオ引揚者のみならず、満洲、朝鮮、樺太をはじめ、他の地域からの引揚者についても調査が待たれるところであり、引揚者研究の重要な課題といえよう。

第8章「戦後引揚げという〈方法〉―帰還移民研究への視座」(辻輝之)は、これまでの各章とは異なり、理論的考察に特化した章である。著者の辻は、エスニシティ理論を専門とする人類学者で、編者による「本書所収の各章をふまえて引揚者研究の理論的展望を示してほしい」との要望に応えて本章を寄稿した。辻は、引揚者研究を広く「帰還移民」(移民先から移民元へ帰還する移民)の議論の中に位置づけることを主張する。そして、近年の「帰還移民」をめぐる人類学的理論研究の成果を参照しながら、「本書でも取り上げられた引揚者のさまざまな文化的差異やそれを象徴として維持・動員されたネットワークや同胞組織は、構造的差別や排除に対する「抵抗」として(再)構築された彼らのアイデンティティであり、生の実践であった」とする見解を導き出している。

この他、本書には、本論での事例記述や議論の展開を補うべく、五本のコラムを収載した。

「鳴門市ドイツ館と引揚者」(島村恭則)では、徳島県鳴門市とドイツとの交流に引揚者がいかに関与したかを明らかにした。島村が引揚者住宅調査の過程で発見したエピソードを紹介したものである。

「塩竈の寿司屋と闇市」(島村恭則)は、かつて「東北の上海」と呼ばれ、敗戦直後には引揚者であふれかえった宮城県塩竈市のある有名寿司店の歴史を、引揚げ、闇市との関係で紹介したもの。

「朝鮮群山引揚者と月明会」(藤井和子)は、引揚者による同郷団体を扱っている。引揚者たちは、引揚げ後、引揚げ以前の出身地を思い出して同郷団体を結成することがある。藤井は、こうした団体の形成過程や活動内容を、朝鮮・群山引揚者たちの「月明会」の事例を通して記述している。

地理学の立場から戦後開拓地について調査している研究者の記述も収録した。「三方原台地の戦後開拓」(三室辰徳)は、静岡県浜松市郊外の開拓地に入植した旧満洲開拓団員らに関する調査報告である。 北方四島からの引揚げについても取り上げた。「国後島から奥尻島への移住―宝の島から宝の島へ」(舟山直治)は、奥尻島へ移住した国後島引揚者たちの消長を、生業の方法や生業暦の観点から論じたものである。

最後に、本書の特色について一言しておきたい。本書は、理論的課題の展望をめざした最終章を除けば、いずれの章、コラムも、フィールドワーク(もしくは自らの体験・記憶)に基づく具体的な事象の記述によって成り立っている。むしろ、この点を徹底するようにこころがけた。

本書が刊行される二〇一三年は、戦後六八年目である。終戦当時に二〇歳だった引揚者も、この時点では八九歳になっている。いまや、戦後を生き抜いた引揚者たちも多くは鬼籍に入ったか、入ろうとしている段階である。書き残されたものの分析や理論化は、後からでもできるが、聞き取りはこの時期を逃しては不可能になる。このことは理屈以前の事実である。編者をふくめた本書の執筆者たちは、この思いからここ数年間、引揚者のもとでの現地調査を重ねてきた。本書は、そこで得られた一次資料をまずは形にし、公にすることを第一の目的として刊行するものである。

なお、本書は、関西学院大学先端社会研究所が実施した共同研究「戦争が生み出す社会」(二〇〇八~二〇〇九年度)のうち、「引揚者の戦後」プロジェクトでの調査・研究の成果であり、執筆者の多くは、この研究会のメンバー、もしくはゲストスピーカーなどとして共同研究に関わった研究者である。

島村 恭則