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中山弘明 著

第一次大戦の〈影〉
――世界戦争と日本文学


四六判上製336頁

定価:本体3200円+税

発売日 12.12.14

978-4-7885-1315-0

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◆あれは「海の彼方の戦争」だったのか?◆

従来、第一次世界大戦は、海の彼方で行なわれた戦争で、日本人にとっては、高見の見物であり、漁夫の利を得た戦争、と言われてきました。しかし、この初めての〈世界戦争〉は、ヨーロッパに甚大な被害をもたらしたのはもちろんですが、日本にも重大な影響を与えました。日米決戦の台本はこの時に作られたと言ってもいいでしょう。本書は、当時の新聞や雑誌、さらには「社会講談」、演劇、短歌、落首などの一見「些末な」題材を手がかりに、世界戦争が人々に与えた影響を具体的に明らかにします。レマルク『西部戦線異状なし』の日本での人気、米騒動と落首、民主主義と戦争の密接な関係など、興味深い視点から〈文学〉と〈戦争〉の関係をさぐる、気鋭の意欲的な試みです。


第一次大戦の〈影〉 目次

第一次大戦の〈影〉 あとがき

ためし読み

◆書評

2013年1月13日付、信濃毎日新聞

2013年3月17日付、北海道新聞、成田龍一氏評

2013年5月25日付、図書新聞、加藤弘一氏評

2013年7月26日付、週刊読書人、石原千秋氏評

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第一次大戦の〈影〉─目次

序章 第一次大戦と日本文学
1 世界戦争を問う 
2 本書の見取り図 
3 「第一次大戦」という用語 

T 戦争論の時空
第一章 生田長江の戦争論─第一次大戦期の批評言説
1 論争の暴力性 
2 生田長江の不快感 
3 文士、立候補する 
4 二つの戦争論 

第二章 中澤臨川の批評言説─世界戦争と〈科学〉
1 忘れられた批評家 
2 「狂熱せる工学士」 
3 ベルグソンの時代 
4 盗用と批評言説 

U 世界戦争とメディア言説
第三章 報道言語の中の世界戦争─杉村楚人冠と大庭柯公
1 紙の中の戦争 
2 『神経病時代』と新聞 
3 「印象批評」論争 
4 二つの戦時報告 

第四章 『第三帝国』の岩野泡鳴
     ─第一次大戦期のメディアとジェンダー
1 『第三帝国』という雑誌 
2 「二重生活」論争 
3 離婚闘争とジェンダー 
4 戦争論と選挙論 

V 第一次大戦とパフォーマンス
第五章 〈社会講談〉という戦法─世界戦争と民衆芸術
1 〈社会講談〉という試み 
2 伝統主義とは何か? 
3 講談を創りかえる 
4 〈社会講談〉の戦略 
第六章 坪内逍遙のデモクラシー─世界戦争とページェント
1 「文化戦争」とは何か? 
2 早稲田騒動 
3 ページェントとデモクラシー 
4 ページェントの出典 
第七章 現象としての〈レマルク〉─舞台の上の世界戦争
1 『西部戦線異状なし』ブーム 
2 秦豊吉という翻訳者 
3 戦争の劇化 
4 検閲と戦争 

W 第一次大戦の現象学
第八章 〈赤光〉の時代─第一次大戦期の短歌表現
1 「短歌滅亡論」の周辺 
2 伊藤左千夫の死因 
3 短歌と世界戦争 
4 『赤光』模倣歌 
第九章 落首と米騒動─危機の時代の短歌
1 落首というコンセプト 
2 与謝野晶子と河上肇 
3 米騒動と戯れ歌 
4 安成二郎の落首 

第一〇章 野口米次郎の翻訳言語─第一次大戦期の日本文化論
1 二人のノグチ 
2 タゴール来日 
3 野口の英国講演 
4 三つのテクスト 

X 〈戦後〉へ
第一一章 〈荒地〉のメディア論─戦争・コラム・ミステリー
1 二つの世界戦争 
2 『荒地』とミステリー 
3 鮎川の中のアメリカ 
4 コラムの諸相 

注 
あとがき 
関連略年譜 
索引 
装幀─虎尾隆






第一次大戦の〈影〉 あとがき

 日本では振り向かれることの少ない「第一次大戦」に興味を覚えたのは、もう随分以前のことになる。学部以来、私のテーマであった島崎藤村の『新生』を修士論文でとりあげた時分だから、二〇年近くたつ。『新生』とどう取り組むか―当時は、フランスから作家の目線で実証的に調査する方法が様々試みられていた。こうした「向こう側」から作品に光を当てるやり方に、何かしら飽き足りないものを感じていたことも確かだろう。もっと率直にいえば、フランスに飛び出す「勇気」と費用もなかったのだ。「向こう側」でなければ、どのような選択肢が残っているか。言うまでもなく「こちら側」だろう。『新生』が掲載された前後の『東京朝日新聞』を、ひと夏かけて図書館のマイクロを使って読んでみようという、ドロ臭い考えが生まれた。新聞記事を読み進めるうちに、膨大な第一次大戦の戦時報告が、否応なく目に飛び込んできた。そうか、藤村は世界戦争と遭遇していたんだという事実を突きつけられる思いがした。当時の戦争記事の中に、日本の文学作品を置いてみることを思いついたのはその瞬間だ。日本の新聞読者は、このような次元で〈海の彼方〉の世界戦争を消費していたのかという素朴な衝撃があった。爾来、「第一次大戦と日本文学」のテーマを自分に課して、細々と論を紡いできた。当然、近年の様々な戦争論も視野に入れねばならなかったが、むしろ注意したのは、「戦争と文学」というテーマは、どこか紋切り型で、制度的な議論に陥りやすい点だ。特に世界戦争というのは、あまりに巨大でとりつきにくい。むろん「第一次大戦」に関する欧米の研究の蓄積は多少は承知しているつもりだ。本書のミソは、それを日本のしかも文学に関わる次元で検討してみたところにある。戦争は、とかく直接的な問題として議論されやすいが、第一次大戦という問題系を設定することで、その日本における〈影〉の如きものを析出することが可能になるのではあるまいか。その上で、できる限り具体的でささやかな次元に拘ることにした。従来の「大正文学史」とは異なる視点を提示してみたかったからである。

調べてみると分かるが、当時の日本では夥しい量の戦争論が書かれた。むしろ私が興味を持つのは「床屋政談」のようなレベルで、世界戦争が様々に議論されていた事実である。戦争の時代の講談や戯れ歌の数々を、雑誌や新聞から拾い集めたのもそうしたことと関わる。マイナーな作家、資料も多数出てくるが、そこにこの時代の豊かさもまたあると言えるかも知れない。また戦争を記号化して享楽するスペクタクルやイベントが、日本で試みられたのも興味深い現象である。私の関心は常にそんな所にあった。従って本書は戦争を論じたにもかかわらず、敢えていわゆる「戦争文学」を取り上げなかった。むろん本書が扱う時代には、黒島伝治や新井紀一、細田民樹、江口渙などの「戦争文学」が存在するわけだが、それを正面に据える方法はとらなかった。それはプロレタリア文学の源流を大正デモクラシーに見出すという、古くからある論法に足をすくわれることを怖れたためである。意識したのはむしろ、デモクラシーと次に来る総力戦体制の、より隠微な関連性と言うことになるだろうか。いずれにしても、論を重ねる中から見えてきたのは、戦争を文学の次元で問う可能性は、常に我々の前に開かれていると言うことに尽きる。

本書に収録した論攷を書きついだ後、私の関心は自然と二つの世界戦争の狭間の時代―〈戦間期〉というコンセプトの中に、様々な日本の文学を浮かべてみる試みに向けられた。それはこの度、『戦間期の『夜明け前』―現象としての世界戦争』(双文社出版 二〇一二・一〇)として別途まとめる機会を得た。島崎藤村に関わる論攷もそちらに収めた。併せてご参照頂ければ幸甚である。いずれにしてももうすこしコンスタントに、仕事をまとめるべきであったかもしれない。紀要類に掲載した、埋もれかかっていた論攷の、塵を払う作業だけでも一通りではなかった。しかしその長い時間が、やはり私には必要であったようにも思う。見かねた同学の和田敦彦さんから新曜社の渦岡謙一さんを紹介頂いたのが、本書が日の目を見る一つのきっかけとなった。

また本書は平成二四年度、早稲田大学文学学術院に提出した学位請求論文『第一次世界大戦および戦間期をめぐる日本文学の研究』の一部であることを付記しておく。私の仕事を世の中に出す機会を与えて下さったすべての方々に、改めてお礼申し上げたい。

 二〇一二年九月
中山弘明