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佐藤卓己・渡辺靖・柴内康文 編

ソフト・パワーのメディア文化政策
――国際発信力とはなにか


A5判上製352頁

定価:本体3600円+税

発売日 12.11.20

978-4-7885-1313-6

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◆文化とは? 国際的発信力とは?◆

軍事力や経済力ではなく「ソフト・パワー(文化力)」を高めることで、国家のブランド力、国際的な発信力を得ようという「クール・ジャパン」論議が喧伝されています。本書は、このソフト・パワー(文化力)について、その陥穽・危険性をメディア論的視点から補う「メディア文化政策」の必要性を主張するものです。西欧で同時期に生まれた「文明」と「文化」という言葉では、われわれ日本人は「文化」を好むようですが、西洋の先進国では「文明」が好まれ、「文化」が好まれたのは後進国のドイツ・ロシアなどだったということ、また「文化力」という言葉は既に戦時中に叫ばれていたこと、つまり、文化と戦争は相反しないということなどを確認し、「文化」という言葉についての見方を変える必要を訴えます。そのさい有効なのがメディア論的視点で、内容(コンテンツ)だけでなく形式(メディア)も重視すべしというのです。真の「国際発信力」とは何かを問う必読の書です。


ソフト・パワーのメディア文化政策 目次

ソフト・パワーのメディア文化政策 あとがき

ためし読み

◆書評

2012年12月9日、日本経済新聞

2013年5月3日、週刊読書人、諸橋泰氏評

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ソフト・パワーのメディア文化政策─目次

はじめに 「メディア文化政策」とは何か佐藤卓己 
1 「文化力」の時代、ふたたび 
2 明治啓蒙の「文明」と大正教養の「文化」 
3 細分化の「メディア=広告媒体」 

第一部 ソフト・パワーの興亡史
序論 ソフト・パワー研究の新たな地平線へ向けて 渡辺 靖 
1 ソフト・パワー論の系譜
2 各章のポイント
3 ソフト・パワー論への貢献

第一章 「イギリス国王=インド皇帝」のソフト・パワー構築プロセス 本田毅彦
1 イギリス帝国史上最大のメディア・イベント 
2 レディ・トラベラーと日本陸軍中将の目撃証言 
3 ベンガル分割という大失策 
4 デリー・ダーバーからダイアモンド・ジュビリーへ 

第二章 国民国家ドイツの「魅力」と民族メディア 植村和秀
1 ドイツ帝国のソフト・パワー 
2 ドイツ民族へのメディア文化政策 
3 ドイツ国民国家の無色化 

第三章 フランスにおけるブランド戦略の活路 青木貞茂 
1 国家ブランド・フランスとブランド戦略 
2 国家ブランドの機能と特徴 
3 国家ブランドを支える再帰的循環 
4 フランスの国家ブランド・マネジメント 
5 これからのフランス国家ブランド・マネジメントの課題とその解決策 

第四章 オバマ時代のパブリック・ディプロマシー 渡辺 靖 
1 アメリカにおけるソフト・パワー論 
2 パブリック・ディプロマシーとメディアの関係史 
3 パブリック・ディプロマシー2.0 
4 二一世紀のプロパガンダ

第五章 「文化立国」日本におけるメディア論の貧困 佐藤卓己 
1 全体主義型の「文化政策」? 
2 文化政治と対支文化事業 
3 メディア統制と国際文化振興会 
4 思想戦と観光立国 
5 空を目指した文化国家 
参考文献

第二部 文化政策のメディア論
序論 文化政策―メディアからのアプローチ 柴内康文 

第一章 「博覧会のメディア論」の系譜福間良明 
1 大阪万博の高揚と博覧会研究の低迷 
2 情報社会論・都市文化研究との接合 
3 カルチュラル・スタディーズとポスト・コロニアル研究の視座 
4 戦後政治と開発イデオロギーへの問い 

第二章 出版メディアにおける『武士道』と『1Q84』のあいだ 松永智子 
1 出版をめぐる「メディア政策」と「文化政策」 
2 国策としての対外出版文化 
3 商品化する書物、消費される日本 
4 「書物」の可能性 

第三章 越境する映画文化政策の展望 赤上裕幸 
1 第一次世界大戦後の「次に来るメディア」 
2 文化政策の弾丸効果論? 
3 高級化する映画文化政策 
4 二一〇〇年、グローバル・フィルムへ 

第四章 電信―電波―電視のメディア文化政策 白戸健一郎 
1 電気通信網をめぐる情報覇権 
2 プロパガンダ兵器としてのラジオ 
3 テレビの文化帝国主義 
4 衛星放送に幻視された地球村 
5 グローバリゼーションと映像新時代 

第五章 ポピュラー音楽の覇権をめぐるメディア文化政策 長崎励朗 
1 ハード・パワーの時代におけるソフト・パワー 
2 ソフト・パワーの米英独占体制 
3 ワールド・ミュージックの台頭 
4 インターネット時代における音楽ソフト・パワーのあり方 
5 ポピュラー音楽研究とソフト・パワーの今後 

第六章 コンテンツ・アーキテクチャ・ソーシャル 柴内康文 
1 情報化と「文化政策」 
2 ネット「文化政策」と「ネット文化」政策 
3 インターネット文化の展開と「文化政策」 
4 ネット文化政策への視座 

あとがき 
索引 

  装幀―虎尾隆 






ソフト・パワーのメディア文化政策 あとがき

ディスプレイに向かって遅まきながら着手したこの文章の右隣のウィンドウには、ちょうど二〇一二年のロンドン・オリンピック開会式の生中継が表示されていた。偶然のタイミングで「ながら視聴」したこの開会式は、まさにイギリスの文化的資源のショーケースとも呼ぶべきものとなっており、結局は原稿の手を止めることになってしまった。芸術監督を務めたのは、スコットランドの荒れる若者の日々を描いた『トレインスポッティング』、また最近ではアカデミー賞受賞作の『スラムドッグ$ミリオネア』で知られた映画監督ダニー・ボイル(前者のエンディング曲「ボーン・スリッピー」で強い印象を残したテクノユニットのアンダーワールドも音楽監督として加わっている)。「驚異の島々」(アイルズ・オブ・ワンダー)をテーマとしたこの開会式は、イギリスの自然や産業革命から描き起こした後に、文学、テレビ、映画、音楽などで世界中に知られたイギリス発の断片をそのままサンプリング、あるいはパロディ化すらして豊富に挿入することによって作り出されていた。演出に用いられたショートムービーではちょうどダイヤモンド・ジュビリーを迎えた女王エリザベス二世自身を当代のジェームズ・ボンド((『007カジノ・ロワイヤル/慰めの報酬』))のダニエル・クレイグにエスコートさせていたし、イギリスの福祉を象徴するような小児病院を襲う『ハリー・ポッター』シリーズの悪役ヴォルデモート卿に立ち向かうのは、空中から登場する無数のメリー・ポピンズである。多彩なジャンルで構成された英国ポップ音楽のメドレーを背景とした小劇の終盤では、世界中、現代人の多くが依存するインターネットのアーキテクチャ=WWWを開発したイギリス出身のコンピュータ科学者ティム・バーナーズ・リーが登場し、彼がパソコンにタイプした「これは皆のために」(ディス・イズ・フォー・エブリワン)というメッセージが観客席にも表示され喝采を浴びる。まさにイギリス(メディア)文化の伝統と革新、またそれに通底するユーモア精神や、体制とは相容れにくい文化すら取り込む余裕を積極的、効果的に伝えるものであったように感じられた。本書に収められた各章、特にイギリス編やさらに第二部の文化政策の各種メディア展開をめぐる問題について読者に先んじて詳細に検討した後だっただけに、文化とソフト・パワー、またメディア文化政策の展開について考えさせられる、個人的に貴重な機会となった。

二〇二〇年に向けて、再び東京がオリンピック招致に挑むという。しかしこの開会式に相当するようなものを、そのまま形式を借用して作るとしたら、いったいどのようなコンテンツをはめ込んで「クール・ジャパン」を伝えることができるのだろうか。AKB48、世界的に知られるようになった映画俳優やプロスポーツ選手、アニメや初音ミク……、いろいろと空想はめぐるが、ここでロンドンの開会式もよく見ると、注目を集めたシーンで「Mr.ビーン」ローワン・アトキンソンがコミカルに演奏した映画『炎のランナー』テーマ曲を作ったのはギリシャの音楽家ヴァンゲリスであるし、病院の子どもたちを襲った、また守ったキャラクターが広く知られるようになったのはディズニーやハリウッド大手製作の映画を通じてである。ティム・バーナーズ・リーがWWW開発を行なったときに在籍し発祥地として知られる欧州原子核研究機構(CERN)はジュネーヴに所在する。イメージを作り上げるために使える素材は、必ずしも純国産で占められる必要もないかもしれない。そう考えると、「ソフト・パワーとしてのメディア文化政策」の可能性や捉えるべき射程は非常に広いものであるように思われる。このテーマの積極的な面であれ、ダークサイドであれ、考察を深める出発点として本書が一つのきっかけになればと願っている。

本共同研究の企画は二〇〇八年にさかのぼる。代表者の佐藤卓己は、これまでも横断的メディア共同研究をさまざまな観点から立ち上げており、私自身の関係した一部のものを挙げてもそれは『戦後世論のメディア社会学』(柏書房、二〇〇三年)、『ラーニング・アロン』(新曜社、二〇〇八年)などの成果として結実している。今回は、日本のさまざまなメディア文化が国際的に評価されていることやソフト・パワーの関心の高まりなどを出発点とし、従来的な文化政策研究に加え、メディア、広報また地域、外交研究などに分断された成果を結びつけた包括的な「メディア文化政策」論を打ち出すことを目的として研究会が組織された。時期的には二〇世紀前半から現代までを対象とした上で、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど情報先進国における文化政策の事例、および出版、映画、放送、展覧会、インターネットなどの各メディアで展開された文化政策の特質を比較検討することによってメディア文化政策を有機的、立体的に理解することを目指したものである。これらの各国、またメディアをフィールドとする研究者チームによって提案された研究計画が科学研究費補助金の対象として採択されたことによって、二〇〇九年度より三年計画で実際の作業を開始することとなった。拡大メンバーとして京都大学大学院教育学研究科在学/出身の若手研究者を、その専門に応じて精通するメディアの担当としてさらに加えた上で、毎回の研究会においては前述の各国、また各メディアを担当する研究者によって独自の視点からの整理や当該国からの資料収集をふまえた事例の詳細な検討、また各メディアと文化政策をめぐる問題に関わる網羅的なレビューが年数回のペースで報告された。毎回密度の濃い熱心な議論が、研究会の時間を超えた懇親会の席でも引き続き、一度の例外なく深夜まで行なわれたことは当然なことであったと言えるだろう。さらに、研究会においては二度の外部専門家による講演会を行なった。二〇〇九年度にお引き受けいただいた村上浩介先生(国立国会図書館、「図書館情報学におけるデジタル化の様相」)、また二〇一一年度にお願いした長澤彰彦先生(大阪国際大学、「パブリック・ディプロマシーとしての観光政策」)には、われわれの視野をさらに広げていただき、また多くの気づきを与えてくださる機会となったことについて、ここに特筆して御礼を申し上げる。

最終的にこの研究会の成果をとりまとめたものが本書である。研究期間の中盤から、すでに研究代表者の佐藤によって報告書たる本書のフレームが提示されて、それも検討の対象となっていたが、二〇一一年度にはこれまでの報告と議論に基づいて、各参加者の視点からそれぞれの論文の執筆が開始され、二〇一二年二月に開かれた最後の研究会においては全員が完成された草稿をもちよりさらに検討が行なわれた。それをふまえて各員が年度明けから改稿に着手して編まれたのが本書である。書籍化に当たっては研究会のなかから佐藤、渡辺、柴内の三人が編者を務めたが、分担としては佐藤が本研究を貫くテーマについて提案した上で各章の構成を含め全体を統括検討し、各地域研究を扱う第一部は渡辺が、各メディア研究を扱う第二部は柴内が担当して方針の提示およびそれぞれの各章草稿についてのコメントなどを行なった。なお、本書の編集は新曜社の渦岡謙一氏にお引き受けいただいた。編者・執筆者一同、感謝を申し上げたい。

最後に、個人的なことも絡めながら書き記しておきたい。この研究会の終了と時を同じくして、私も一三年間勤務した同志社大学を離れ、現任校の東京経済大学に異動した(そのタイミングのゆえもあって、「あとがき」を書かせていただく光栄に浴したようなのだが)。本書を見わたしてみたとき、編者また執筆者一同のなかでもっとも「文化」との関わりが(業績のみならず、教養という点でも)薄いのが自分なのは傍目にも明らかのように思われる。客観的に見ても、元来は社会心理学の出身で情報行動論などを専門にしてきており、文化とは直接的な関わりは薄い。社会心理学においても、文化をめぐる問題は重要なテーマとして現在一大潮流をなしていると言ってよいのだが、個人的には敬遠しがちで、扱う時にもいわば剰余変数として切り離すような傾向があったことは告白しなければならない。ただ、京都で過ごした一三年間を振り返ってみると、第二部序論で引用した同志社赴任当初の自チームの論文は、文化の生成と変容のメカニズムを計算モデルで検討することがテーマとなっていたし、そして在任の締めくくりには、メディア文化政策をめぐる本書の編集作業を分担している。結局のところ同志社大学在任中、最初と最後は文化に関わる仕事をしていたことになる。いにしえから文化の発信、集積地であり、またその交差点であった京都という地が醸し出していたものに、「東男」なりに影響を受けていたということなのだろうか。またこの在任中は、メディア史・メディア文化論を専門とする京都大学などの大学院生・若手研究者たちが歴代、私のセミナーに領域を超えて出席し、そこから自分も計り知れないほど多くの刺激を得た。近年の出席者が本書第二部執筆の中核メンバーともなったという縁もあって同部担当の編者として関わることになったのだが、本書とは独立して、京都で長きにわたって日常的に続いたそのような学問上の刺激に対しては個人的に感謝申し上げたい。そのような若手との交流も、結果的に筆者に文化の目を開かせてくれるきっかけとなったのだろう。「文化と縁」に関連づけて記せば、本研究また本書に携わることになったのは「メディア文化政策」と社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の問題についても検討する可能性があったことも理由の一つであり、関連して、リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス/都市論」の問題なども研究会また自分のセミナーでは議論されていた。本書にそれらの視点を反映できなかったことはひとえに当方の力量不足の問題であるのだが(ただし、第二部の各メディアをめぐる論考においては、メディア文化政策と「ソーシャル」的側面について触れたものが多い)、今後の本テーマにおける宿題としてあえて最後に記しておく。自分としても、京都から東国に持ち帰った大事な視点の一つである。

* 本書は二〇〇九―一一年度科学研究費基盤B「ソフト・パワー構築に向けたメディア文化政策の国際比較研究」(研究代表者・佐藤卓己、課題番号:21330039)による成果の一部である。なお、同じく成果の一部として既発表のものに、植村和秀『日本のソフトパワー―本物の〈復興〉が世界を動かす』(創元社、二〇一二年)がある。

二〇一二年九月
柴内康文