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C・ダニエル・バトソン 著

菊池章夫・二宮克美 共訳

利他性の人間学
――実験社会心理学からの回答


A5判上製450頁

定価:本体4600円+税

発売日 12.11.20

978-4-7885-1312-9

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◆利己的か利他的か、それが問題だ◆

どんな美談にも、その裏には利己的な動機が隠されているのか、それとも人間は利己心なく他人に関心をもち、他人を助けようとするのか──多くの宗教や哲学がこの難問に挑んできましたが、バトソンは徹底して実証的に利他性の問題に挑んできた実験社会心理学者です。共感のような複雑で人間性の核心にある心理が、実験できるのでしょうか? 本書の醍醐味は、人間には利他性が存在するということだけでなく、利他性が人間についての出来事の重要な力であるということを、巧みな実験を行って検証していることにあります。心理学だけでなく、人間性についての哲学的な考察にとっても重要な一冊です。


利他性の人間学 目次

利他性の人間学 はじめに

ためし読み
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利他性の人間学─目次

はじめに i
証拠をどこに求めるか ii
実験を用いる iii
読 者 v
謝 辞 vi

第I部 利他的動機づけの一理論
1 共感─利他性仮説
共感的配慮 
利他的動機づけ 
共感的配慮が利他的動機づけを作り出す
共感的配慮が利他的動機づけを作り出すのはなぜか 
先行要因と結果 

2 共感的配慮の先行要因
援助を必要としている者として他者を知覚すること 
他者の福利を尊重する 
他者の福利の尊重と共感的配慮とを親の養育性と結びつける 
人間の利他性についての新しい(実際には古い)進化論的な見解 
共感的配慮の仲介役としての個人差 
7つの共感に関連した状態に戻って考える 

3 共感によって誘発された利他性の行動的帰結
利他的な動機づけによって引き起こされるコスト─利益分析
援助への利己的な動機によって刺激されたコスト─利益分析との比較 
共感─援助行動関係の証拠 
共感─利他性仮説に代わる利己的な仮説 
共感的配慮によって作り出された動機づけが利他的か利己的かを決めるのに、そこで可能な行動の独自の構成を用いる 
要約と結論 

第U部 実証的証拠
4 実験の出番
英雄的な援助の事例 
事例では十分でないのはなぜか 
より適切な証拠を求めて 
実験の長所 
共感─利他性仮説を検証する2つの実験例 
利他性についての実験的研究の限界 

5 共感─利他性仮説を検証する
嫌悪─喚起の低減 
共感─特定的な罰 
共感─特定的な報酬 
順次的な検証と多元的な利己的動機
結 論 

6 2つのさらなる挑戦
物理的な逃げは心理的な逃げとなるのか 
共感によって誘発された援助行動が生じるのは自他の融合のためか 
試みの結論 

第V部 活躍する利他性
7 共感によって誘発された利他性の利益
よりいっそう敏感で、不安定さの少ない援助 
攻撃を少なくする 
葛藤状況で協力と思いやりを増加させる 
スティグマ化された集団への態度─その集団に代わっての行動─の改善 
もっと肯定的な密接な関係 
利他的な援助者へのよりよい健康 
結 論 

8 共感によって誘発された利他性の不利益
共感によって誘発された利他性は援助を必要としている相手に害を与えられる 
共感によって誘発された利他性は自己的な関心によって覆され得る 
共感回避:利他的な動機づけを避ける利己的な動機づけ 
共感によって誘発された利他性は、ある種の必要によっては喚起されにくい 
共感によって誘発された利他性は不道徳的な行為を引き起こすことができる 
共感によって誘発された利他性は共益の脅威となることができる 
共感によって誘発された利他性は健康に害を与えられる 
結 論 

9 向社会的動機の多元性、そしてより人間的な社会に向けて
価値ある状態を入手し、あるいは維持する目標指向的な力としての動機 
なぜ他者のために:4つの回答 
向社会的動機の対立と協力
結 論 

要約と結論
その理論 
その証拠 
その意味するところ 
前を向いて 

訳者あとがき 
付録A 交差分割的独立変数、従属変数および共感─利他性仮説を利己的な代替仮説と対比させて検証できる競合する予測 
付録B 嫌悪─喚起─低減仮説の検証 
付録C 共感─特定的─罰仮説の社会的─評価バージョンの検証 
付録D 共感─特定的─罰仮説の自己─評価バージョンの検証 
付録E 一般的な共感─特定的─報酬仮説の検証
付録F 共感─特定的─報酬仮説の共感的─喜びバージョンの検証 
付録G 共感─特定的─報酬仮説の否定的─状態─緩和バージョンの検証 

文献
事項索引 
装幀=虎尾 隆






利他性の人間学 はじめに

人間の生活における利他性の役割は何だろうか。この疑問に答えるには、利他性─自分自身よりも他の誰かのために役立とうとする欲求─が、はたして人間に存在するのかどうかをまず知らねばならない。利他性の存在については、何世紀にもわたって、しばしばホットな議論がされてきた。熱心に議論された理由の第1は、もし利他性が存在するならば、それはたいへん重要な意味をもっているからである。その存在はわれわれに、自分のエネルギーをどう方向づけるべきかを教えてくれるだけでなく、人間のすることのすべては、たとえそれが高貴で無私無欲のように見えるものであっても、実際には自分の利益に向けられているのではないかという、人間性についての根本的な疑問にも答えてくれる。
 人間の条件について考察する人は、しばしば、われわれの行動すべての根底には自己利益があると結論する。博学でウイットにも富んでいたラ・ロシュフコー公爵は、「まったく私欲のない愛といえども、結局のところ一種の取引であり、何とかして、自分自身への愛が勝利者となることがもくろまれている」(『箴言集』82, 1691)といっている。彼以前にも以後にも、多くの哲学者と科学者がこれと同じ結論に達してきた。もし彼らが正しいとするならば、われわれは人間性についてのこの事実を認識することが大切である。そうすれば、利他性というとりとめもない夢によって、非生産的な感傷と社会的改革への無意味な努力に引き込まれるのを避けることができる。
 しかし、彼らが正しくないと考える理由がある。私は、人間には利他性が存在するということを示したい。こう主張することには、利他的な動機づけの理論を概観し、この理論の中心的な見解を直接に検証した証拠を検討し、これに関係する問題にかかわる証拠を見直し、概念的レベル、実際的レベルの双方でこの理論のもつ意味を考察することが含まれている。
 私は、利他性が存在すると主張するだけでなく、利他性が人間がかかわる出来事の重要な力であるという証拠も示したい。実際、証拠の示すところでは、利他性は、これまで認められてきた以上に広範囲に存在し、かつ強力なものである。この重要性を認識することに失敗したために、人びとの行動の理由や、どこにわれわれの幸福があるのかの理解が十分でなかったのである。またそれは、より良い対人関係、より思いやりのある人間的な社会を作り上げていく努力も、不十分なものにしてきた。
 多くの人びとが、とりわけ宗教的伝統のなかで、われわれは利他的であるべきだと説いてきた。私は、この論点には、少なくも直接的にはかかわらない。科学者として私の関心は、どうであるかにあって、どうあるべきかにはない。哲学者は私の目的が記述的であって、規範的ではないというであろう。もちろん、「すべき」ことと「ある」こととが完全に無関係であるということはない。われわれに期待できるのは、自分の能力の範囲内で仕事をすることだけである。

証拠をどこに求めるか
 利他性をめぐってホットな議論がなされる2番目の理由は、その存在についての明確な証拠が容易には見出せないことにある。利他性の存在を支持する者は、ヒロイズム、救助、自己犠牲のような劇的な例に訴えることが多い。こういう例は、われわれが自分自身についてだけでなく、他者にも配慮できるという可能性を浮き彫りにする。しかし、たとえ感動的な英雄的助力の例であっても、利他性の明確で信頼できる証拠とはならない。ラ・ロシュフコーが指摘したように、英雄や聖者が「何とかして」自己の利益になるように行動したという可能性は残るのである。
 ホロコーストから逃れようとしている人たちに、自分の生命を危険にさらしてまで隠れ家を提供した人、世界貿易センターが攻撃された後、他者を安全な場所に誘導している最中に命を落とした消防士、サメの群がる海中から負傷した子どもを助け上げた人、こういう人びとの動機を詳細に検討するのは、品の良くないことのように見える。しかし、人間が利他的に動機づけられるかどうかを本当に知りたいのであれば、詳細な検討が欠かせない。そしてそうした検討をしてみると、たとえ英雄や聖者であっても、他者のために善い行動をしたのは、利他的な動機づけ以外の別の理由からであったかもしれないことを認めなくてはならない。おそらくは彼らは、「何もしなかった」という気持ちを持ちつづけて生きていくことを避けるためには、そうせざるを得ないと感じたのかもしれない。自分自身を善い人間として見る─あるいはそう他者から見られる─という報酬を求めたのかもしれない。想像されるこれからの生活における報酬を求めたのかもしれない。さらには、はっきりした目的など無しに、状況の圧力に反応しただけなのかもしれない。「これ以外のことができたんだろうか?」というのは、見知らぬ人を助けるのになぜ生命と身体を危険にさらしたのかを聞かれた救助隊員の一般的な反応である。この反応には謙虚さが反映されているかもしれないが、その時、他の選択の余地などないと思われた状況への、正確な表現でもあるだろう。
 私が主張したい利他的な動機づけは、英雄や聖者だけのものではない。こうした動機づけは、例外的なものでも異常なものでもない。むしろこれから論じるように、利他性はわれわれのほぼ全員にしばしば訪れてくる動機づけの状態なのである。その起源はまだ完全にはわかっていないが、私は少なくもその一部は、人間の両親が自分たちの子どもを育てる際の養育性の衝動にあると考えている。この衝動は、われわれの進化の歴史の中で強力に選択されてきた。この衝動なしには、われわれの種はずっと昔に消滅してしまったことであろう。おそらくは、養育性に基礎づけられた利他性がわれわれの生活の織物にあまりにも完全に織り込まれているために、そしてそれがあまりにも当たり前で自然であるために、その重要性に気づかなかったのである。利他性がともかく存在するとしても、それはまれであり普通でないものだと仮定するならば、それを大いなる自己犠牲の行動という、極端な経験に求めがちになる。それを、あなたや私のような人びとの日常経験として考えそうもない。私は、人間生活で利他性が演じる役割についての明確な証拠を見出すことができるのは、日常の経験であると主張したい。しかしこのことの証拠は、単純な観察だけではとらえることはできない。

実験を用いる
 利他性の存在とその重要性とは、他者の利益のために行動する可能性のある動機を分離できるように注意深くデザインされた実験を用いて、普通の人びとの反応を観察することによって、いちばん明確にすることができると私は信じている。こうした実験は、人間の動機づけの本質についての実験室的な研究の伝統から出てきたもので、社会心理学でこれまで70年以上にわたって開発されてきた。実験室での社会心理学の研究は人工的で、実験参加者をだまして行うものであることから、利他性研究に用いるにはふさわしくないと思われるかも知れない。しかしながら、きちんと問題点を整理した上でなら、私の考えるところでは、十分に計画された一見欺瞞的な実験室実験が、利他性についての(肯定・否定双方の)証拠を発掘する理想的なやり方であることが明らかになるだろう。こうした実験は、次の二つの方法よりも、より明確な証拠を提供する可能性をもっている。(a)自然観察─人間(英雄的な人間も含めて)あるいは他の種についての観察、あるいは、(b)理論的な演繹─自然選択の理論や合理的選択の理論のような強力な理論からの演繹も含む。
 英雄的な行為の背後にある動機や理論的な可能性について、安楽椅子に座って思索するのは楽しいし、広く行われていることである。これまで数十年にわたって、こういう思索が人間の利他性についての数多くの著書と論文とを生み出してきた。しかしこうした思索は、利他性の存在と、人間生活において利他性が演じている役割についての疑問に、十分な答えを与えてはくれなかった。答えが与えられなかったのは、この問いに答えられないからである。利他性の存在と役割についての疑問は、可能性についての疑問ではなく、事実についての疑問である。それは、「こうあるはずだ」とか「こうあるべきだ」ということについての疑問ではなく、「現にどうであるか」についての疑問なのである。注意深く統制されたやり方で「現にどうである」かを見ること─人びとが他の人の利益になるようにいつ行動するのか、もっと重要なのは、なぜ行動するのか─が、満足のいく答えを手にする唯一の方法である。こうした疑問に応じるのに実験を用いるのは、決してやさしいやり方ではないし、いちばん評判の良い方法というわけでもない。しかし、もし思索や可能性を超えて答えを見出そうとするのであれば、実験はベストなやり方なのである。
 しかしながら、答えを探し求める前に、われわれが何を求めているのかをよりはっきりと理解しなければならない。この目的のために、本書の第・部では利他的な動機づけの理論について述べる。そして第・部では、利他性の存在についての実証的な証拠を要約して示す。終わりに第・部では、人間生活における利他性の役割について考察する。

読 者
 あなたが本を書いているということを同僚─あるいは出版社─が知ったときの最初の質問の一つは、「読者は誰なの?」ということである。本書が利他性についての本であることから、それを認めるのはいささかはばかられるのだが、私は基本的には自分自身のためにこの本を書いた。利他性についての本を読み、それについて考え、それを研究して30年以上になる。私は、自分の考えたことや収集した実証的な証拠が自分をどこに連れて行ってくれたのかを、年老いて訳が分からなくなる前に記録しておきたいと思った。その目的は、できるだけ完全で正確な記録を提供することである。もちろん記録を詳細なものにすれば、理想と現実とのギャップが明らかになるという、痛みを伴う利点もある。こういう点も隠したり体裁よくまとめたりせずに、すべてをそのままにして、将来の研究に委ねることにした。
 主に自分自身のために書いたとはいっても、他の方々が私の肩越しにこの本を読むことに関心をもってくださるよう、こころから望んでいる。そのために、本書を広い範囲の読者─社会心理学の同僚、大学院生、学部の上級生だけでなく、ほかの専門分野(哲学・生物学・経済学・社会学・人類学・神学、さらにはビジネス・法律・看護・医療・聖職などの応用分野)で利他性に関心をもっている人びとにも、読みやすいものになるよう努力した。もちろん、人間生活における利他性の役割に興味をもつのは、狭い専門分野の人びとに限られたことではない。そこで、専門家ではない読者をも念頭において本書を書いた。利他性はやさしいトピックではない。そこには、多くの概念的に微妙な問題、複雑極まりない推論、実証的なデータを求めての挑戦があり、過度に単純化したやり方ではこうしたことに有効に対応はできない。とは言うものの、混乱のままでも対応はできない。本書を通じて、私はできる限り明確で単刀直入であろうと努力したが、一方で複雑さを避けることもしなかった。
 自分自身のために書いたことの一つの意味は、その過程でそれが役立つと気づいた他の人びとの数多くの仕事を、自分のこころ覚えのために─そして読者に伝えるために─引用したことである。引用の大半は括弧でくくってあるので、脇道を飛ばして読んでしまいたい読者の妨げにはならないであろう。また、意見の食い違いや同意できない点がある場合には、それをはっきりさせるようにしたし、なぜ自分がこの立場をとるのかを、できるだけ明確に述べるようにもした。本書を通じて明らかになることだが、自分が賛成できない考えや研究から多くのことを教えられてきた。逆に、こうした立場の人びとにとっても、私の考えと研究の一端が役立つことを願っている。
 前著『利他性への疑問』(1991)をご存知の読者に、本書がそれとどういう関係にあるのかを説明したい。第1に、この2冊はどちらも共感─利他性仮説(共感的な配慮が利他的な動機づけを生み出すという主張)に焦点を合わせているが、そこには重要な概念的違いがある。今回は共感─利他性仮説をさらに詳細に展開し、人間の利他性についてのより包括的な理論の基礎を述べた(1─3章)。そこには共感的配慮の先行要因についての、公式化の改定が含まれている(2章)。第2に、前著のときに入手できた共感─利他性仮説を検証するためにデザインされた研究は、今回も同様に検討されているが、多くの新しい研究がつけ加えられている。仮説を検証する研究の全体は、現在では膨大なものになっているので、5章でその結果を要約して示し、付録にそれらの骨子と評価を示した。第3に、前著以降、共感─利他性仮説に対してのいくつかの重要な挑戦がなされているが、本書で初めてこれらの挑戦に関係する研究の検討がなされている(6章)。第4に、近年ではこの種の研究は共感によって誘発された利他性の存在についての問題を超えて、この存在の理論的で実際的な意味づけの考察に移ってきている。こうした研究は7─9章で検討されている。最後に、前著は、焦点を狭く共感─利他性仮説を検証するようにデザインされた実験社会心理学の研究に絞っていた。本書もこうした研究が中心であることは同じだが、本書の視点はより広く、哲学・神経科学・進化生物学・霊長類学・行動経済学・社会学・人類学などの近年の研究にも注意が向けられている。

謝 辞
 ほぼ15年にわたって本書の仕事をつづけてきたので、多くの同僚、学生、友人たちから貴重なものを得た。そのことにこころから感謝したい。ここにお名前を掲げるが、それは彼らのさまざまな貢献に正当に報いるものではない。(さらにはお名前を掲げたからといって、彼らが筆者の結論に同意しているというわけではない。)そして疑いもなく、このリストに載せるべき方々の全部を思い出すことはできなかった。この点については、お詫びしたい。こうした条件つきで、以下の方々にこころからの感謝を表する。ナディア・アーマド、モニカ・ビエルナト、ジェイムス・ブレアー、ジャック・ブレム、サラ・ブロスナン、ステファニー・ブラウン、シュー・カーター、ボブ・チャルディーニ、ナンシー・コリンズ、マーク・デイヴィス、カレン・ドーソン、ジーン・デセテイ、フランス・ドゥ・ヴァール、ナンシー・アイゼンバーグ、ジャコブ・エクランド、ニック・エプレイ、アーネスト・フェラー、ジム・フルツ、ローウェル・ガートナー、アダム・ガリンスキー、オムリ・ギラス、マリア・ギバート、エディ・ハーモン・ジョーズ、グリット・ヘイン、トム・インセル、クラウス・ラム、メル・ラーナー、デイヴィト・リシュナー、サム・マックファーランド、ヘイディ・メイボン、ジョス・メイ、マリオ・ミクリンサー、ジェーソン・ミッシェル、ルイス・オセア、ロウ・ペナー、アリシア・ペレツ・アルベニス、ジャン・ピリアヴィン、ステファン・ポスト、ダニエル・ポヴィネリ、ステファニー・プレストン、アダム・パウエル、ピータ・リチャーソン、デイヴ・シュローダー、フィル・シェイヴァー、ロウラ・ショー、ジョーン・シルク、タニア・シンガー、ウオルター・シノット・アームストロング、エリオット・ソーバー、スティーブ・スティッチ、エリック・ストックス、カーステン・スツーバー、ミシェル・トマセロ、ジョアン・タン、フェリックス・ワーネッケン、キャロライン・ザーン─ワックスラー。
 特別の感謝をジャック・ドヴィデオ、マーサ・ナスバウム、マシュー・リカードに。原稿全体について、洞察力に富んだ、きわめて有益なコメントをくださったことに。オックスフォード大学出版局のロリ・ハンデルマンとアビー・グロスにも、出版に至るまでの過程全体を通じての熱意、激励、支持に、特別の感謝を捧げる。10年にわたって、私の利他性についての研究は、国立科学財団の援助を受けた。本書への支援についていえば、ベンの助力なしには本書は完成できなかったであろう。終わりに、わが妻ジュディに、そのスタートからゴールまでの関与─何度もお酒を飲みながら利他性について話し合ってくれたこと、予備実験の参加者としての並はずれた洞察力、データ収集での注意力と献身的な助力、各章の原稿についてのコメント、編集のスキル、さらには全体的な我慢づよさ、理解力、そして援助─に、こころから感謝したい。これ以上のことを、誰が望むだろうか。