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相沢直樹 著

甦る「ゴンドラの唄」
――「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容


四六判上製336頁

定価:本体3200円+税

発売日 12.11.20

978-4-7885-1311-2

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◆流行歌のなかに「永遠」をさぐる!◆

「ゴンドラの唄」をご存じでしょうか。大正時代に一世を風靡した流行唄です。同じ頃にはやった『カチューシャの唄』に比べて、現在ではあまり知られていませんが、「いのち短し、恋せよ乙女」の歌詞を聴くと、ほとんどの人は、「ああ知っている、聞いたことがある」と反応します。本書は、この歌が、どのようにして誕生したか、作者は?など、誕生にまつわる話をさぐったあと、忘れられていたこの歌を戦後甦らせた黒澤明監督の映画『生きる』に、どういう経緯で主題歌として採用されたかなどを紹介します。さらに、この歌のことなどほとんど知らない現代の若い人たちが好むコミックや音楽にまで、「いのち短し、恋せよ乙女」のフレーズが使われている現状を紹介します。『その前夜』という新劇の劇中歌に使われたこの歌が、なぜいまなお歌い継がれているのか、その秘密をさぐる、学問的にも、読み物としても面白い一冊です。


甦る「ゴンドラの唄」 目次

甦る「ゴンドラの唄」 序

ためし読み

◆書評

2013年1月27日付、東奥日報、佐藤剛氏評

2013年2月1日付、週刊ポスト、川本三郎氏評

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甦る「ゴンドラの唄」─目次

序 『ゴンドラの唄』とは 
 第T部 『ゴンドラの唄』の誕生
第1章 芸術座と『その前夜』劇
 1 芸術座の旗揚げ
 2 第五回公演 
 3 『その前夜』劇登場の背景 
 4 楠山正雄の脚本 
 5 『その前夜』劇の舞台 

第2章 抱月の思惑、須磨子の舞台
 1 劇評 
 2 名倉生の酷評 
 3 小山内薫の注文 
 4 抱月の妥協芸術論と劇中歌戦略
 5 浅草オペラと女優髷 

第3章 失われた明日のドラマ
 1 頽唐詩人の憧憬と憂鬱 
 2 中村吉蔵の総括
 3 失われた明日 

第4章 劇中歌から流行歌へ
 1 中山晋平と『ゴンドラの唄』 
 2 六拍子のむずかしさ 
 3 ヨナ抜き音階と流行歌 
 4 三大劇中歌の命運 

 第U部 『ゴンドラの唄』の詩学
第5章 歌詠みの芸当
 1 『即興詩人』の影の下に 
 2 『ゴンドラの唄』のレトリック 
 3 詩人の屈折 

第6章 スキアヴォーニに死す
 1 ツルゲーネフと長篇小説『その前夜』 
 2 小説『その前夜』の作品世界 
 3 『その前夜』における音楽 
 4 水都の魔力 

第7章 歌をなくしたゴンドラ漕ぎ
 1 原作と脚本の齟 
 2 楠山脚本と劇中歌 
 3 アルブーゾフ脚本との比較 
 4 『ゴンドラの唄』挿入の謎 
 5 原作と翻訳・脚本の功罪 

第8章 主題と変奏
 1 『ゴンドラの唄』の詩想 
 2 ホラティウスと《カルペ・ディエム》 
 3 『バッカスの歌』 
 4 「薔薇を摘め」(1) 
 5 「薔薇を摘め」(2) 
 6 「人生の短さ」をめぐるラテン語詩句 
 7 『乾杯の歌』 
 8 「ゴンドラに乗りなさい」 
 9 『ルバイヤート』 
 10 『春夜桃李の園に宴するの序』 
 11 黒髪の少女 

 第V部 映画『生きる』
第9章 『ゴンドラの唄』の復活
 1 映画『生きる』と『ゴンドラの唄』 
 2 限界状況の物語 
 3 主題歌としての『ゴンドラの唄』 
 4 嘆きの歌から人生讃歌へ 

第10章 死と再生のバルカローラ
 1 三種の神器と開かれた物語 
 2 リメイクとドラマ化 

第11章 数奇な縁
 1 黒澤組と『ゴンドラの唄』 
 2 ロシア文学との因縁 
 3 うたのわかれ 

 第W部 『ゴンドラの唄』と現代文化
第12章 『ゴンドラの唄』を歌う人びと
 1 残照 
 2 孤独な闘い 
 3 愛唱されて 
 4 『ゴンドラの唄』の合唱 
 5 ステージ・パフォーマンス 
 6 二〇世紀のメロディー 

第13章 『ゴンドラの唄』のこだま
 1 平成文化と『ゴンドラの唄』 
 2 伝統とパロディー──大正浪漫と『ゴンドラの唄』 
 3 ブランコの呪縛 
 4 『ブギーポップは笑わない』 
 5 乱舞する「恋せよ乙女」 
 注 
 あとがき 
 略年譜 
 引用・参考文献 
 索引 
    装幀──難波園子






甦る「ゴンドラの唄」序

ゴンドラの唄』とは  本書が取り上げるのは、一般に大正時代の流行唄として知られる『ゴンドラの唄』(吉井勇詞、中山晋平曲)です。歌の冒頭に置かれた「いのち短し、恋せよ、少女」(今日ではしばしば「命短し、恋せよ乙女」などと表記されています)という一節は人口に膾炙しているように思われますが、この歌がもともと新劇の舞台から生まれたことをご存じの方は、少ないのではないでしょうか。

 『ゴンドラの唄』は、島村抱月率いる芸術座がロシアの文豪ツルゲーネフの小説『その前夜』を舞台化し、一九一五(大正四)年の帝劇公演において松井須磨子の主演で上演した際の劇中歌のひとつです。五幕構成の劇の大半はロシアのモスクワが舞台ですが、終幕で主人公たちがアドリア海を渡るべく訪れたイタリアのヴェネツィアで、須磨子演じる女主人公によって『ゴンドラの唄』が歌われるという趣向になっているのです。

 実はこの詩のテクストには完全な定本と言えるようなものがありません。現在まで伝えられている『ゴンドラの唄』のテクストには表記や句読法などに関する微妙な異同もふくめ、さまざまな混乱や誤りが見られます。そこで、ここではまず初めに、『その前夜』劇上演直後に出版された脚本(新潮社)と『ゴンドラの唄』の楽譜(セノオ音楽出版社)から原詩を復元してみます。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  朱き唇、褪せぬ間に、
  熱き血液の冷えぬ間に、
  明日の月日のないものを。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  いざ手を取りて彼の舟に、
  いざ燃ゆるを君がに、
  ここには誰も來ぬものを。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  波にたゞよひ波の樣に、
  君が柔手を我が肩に、
  ここには人目ないものを。

  いのち短し、戀せよ、少女、
  黒髪の色褪せぬ間に、
  心のほのほ消えぬ間に、
  今日はふたゝび來ぬものを。

 多くの方が無意識のうちに想定されている歌詞(現在巷に流布している歌詞)とは、表記などで細かい違いがあるのにお気づきだと思います。句読点のことは置くとしても、すぐ目につくのは原詩の「少女」が今ではたいてい「乙女」に、「朱き」が「赤き」または「紅き」に、「血液」が「血潮」とされているなど、主として漢字表記の違いでしょう。

 一方、表記の問題で済まないのは、原詩の第一連で「明日の月日のないものを」となっていたところが、現在では「明日という日のないものを」に変わっている例が見受けられることで、出回っている録音のなかにもそのように歌っているものがいくつかあります。

 文語調や旧仮名遣いに慣れていない人もいると思うので、蛇足かも知れませんが、念のため現代語に訳して見ましょう。

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
  あなたの赤く艶々とした唇が 色褪せてしまわないうちに
  あなたの肌の下を熱く流れる血潮が 冷え切ってしまわないうちに
  明日の月日など あてにならないのですから

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
  さあ、手に手をとって あちらの小舟に乗り込みましょう
  さあ、私の燃えるを あなたのに触れさせてください
  ここにはだれも 来やしませんから

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
  波の間に間にゆらゆらと 波のように揺れながら
  あなたの柔らかな手を 私の肩にかけてください
  ここには 人目はありませんから

  いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん   あなたの黒々とした髪が 色褪せてしまわないうちに   燃えたぎる心の炎が 消えてしまわないうちに   今日という日は 二度とやって来ないのですから  こうして改めて現代語にしてみると、驚かれた向きもあるかも知れません。歌の文句は要するに口説き歌で、昔風に相聞歌などといえばまだ聞こえがよいですが、今風にいえばナンパ歌、男が若い娘を恋に誘う歌です(特に二番、三番の歌詞)。けっしてPTAの推薦を受けられそうな内容ではありません。

 最近ではこの歌が「叙情歌(抒情歌)」という範疇で扱われることもありますが、きれいなソプラノの声で清く正しく美しくという感じで歌い上げられるのを聴いていると、なんだかこちらの方が気恥ずかしくなってしまいます。

 私は音楽の専門家でも、大正文学の研究者でもありません。ツルゲーネフの『その前夜』研究の一環として、この作品の日本における受容の歴史を調べているうちに、芸術座による舞台化と『ゴンドラの唄』に深い関心を抱くに至りました。
 これまで『ゴンドラの唄』については、もっぱら作曲家中山晋平の伝記であるとか黒澤明の映画について論じたもののなかで扱われてきましたが、調べていくにつれ、この歌に関して解明されていないことがまだまだたくさんあることに気づきました。

 たとえば、『ゴンドラの唄』の詩ひとつとってみても、森外の翻訳した『即興詩人』との関係が幾度も取り沙汰されてきたわりには、事実関係が曖昧なままにされている観があります。また、ツルゲーネフの原作には『ゴンドラの唄』に相当するものは出てこないのですが、それではどうしてそれが芝居に盛り込まれたのかも一考に値する問題です。
 一方、『ゴンドラの唄』を知る多くの人にとって『ゴンドラの唄』と映画『生きる』は切っても切れない関係にあるように見えるのに、映画のなかで『ゴンドラの唄』が果たしている役割が十分明らかにされているとは思えませんでした。そして、サブカルチャーも含め、現代文化のなかに『ゴンドラの唄』のこだまがさまざまに聞かれることは、ほとんど見過ごされています。
 それに、芸術座の劇中歌から生まれた流行歌のうち『カチューシャの唄』については本もあれば論文もいろいろあってよく研究されているのに対し、『ゴンドラの唄』についての本はなく、論考も数えるほどしかありませんでした。そこでこの際『ゴンドラの唄』について調べたこと、考えたことを自分なりにまとめておこうという気になったのです。その意味では、この本は『ゴンドラの唄』についての、『ゴンドラの唄』を主題にした初めての本になるはずです。

 本書は四部構成になっています。  第T部「『ゴンドラの唄』の誕生」では、まず『ゴンドラの唄』が誕生するきっかけとなった『その前夜』劇がいかなるものであったかを紹介し、島村抱月の妥協芸術論と、彼が主導した芸術座の劇中歌戦略を取り上げています。『ゴンドラの唄』の作詞者吉井勇と作曲者中山晋平の証言を数多く引いて、『ゴンドラの唄』誕生の背景と音楽的な特徴を論じてみました。  第U部「『ゴンドラの唄』の詩学」では、まず『ゴンドラの唄』と外の『即興詩人』との関係をテクストに沿って明らかにした上で、吉井勇の詩のレトリックを詳細に分析しました。また、ツルゲーネフの原作小説の作品世界の特徴、登場する音楽とヴェネツィアのトポスを論じました。そして、『その前夜』の原作(ツルゲーネフ)・翻訳(相馬御風)・脚色(楠山正雄)の三者間での比較を通して、楠山脚本に『ゴンドラの唄』が挿入された謎をめぐって推理しました。さらに、『ゴンドラの唄』に受け継がれている《カルペ・ディエム》(今日を楽しめ・いまを生きよ)という主題が、古今東西の詩文学のなかにどのような形で現われてきたかを跡づけ、それらの遺産が『ゴンドラの唄』のソースたりうる可能性についても考えてみました。

 第V部「映画『生きる』」では、この映画に『ゴンドラの唄』が現われることのいわば必然と偶然が語られます。具体的には、『ゴンドラの唄』の関係する場面の分析を通して、『生きる』におけるこの歌の役割を考察し、この映画が『ゴンドラの唄』を復活させたのみならず、「恋せよ、少女/乙女」という詩句を精神的な価値の追求の意に変容させたことを論じています。また、『生きる』に『ゴンドラの唄』が採用された背景を探り、黒澤組とこの歌をめぐる数奇な縁に触れたほか、実際にこの映画を見た中山晋平、吉井勇の感慨なども紹介しました。
<  第W部「『ゴンドラの唄』と現代文化」は、『ゴンドラの唄』が現代において今なお息づいているさまを追ったものです。第12章では、昭和から平成にかけての『ゴンドラの唄』を歌う人びとの悲喜こもごもさまざまなエピソードを拾って紹介しました。一方、最終章は現代文化、特にサブカルチャーにおける『ゴンドラの唄』の反映を論じたもので、マンガ、アニメ、ゲーム、ライトノベル、Jポップなどからさまざまな事例を挙げて分析するとともに、今日の「恋せよ乙女」の乱舞の背景について考察してみました。

 以上四つの部は相互に連関していますが、内容的にはそれぞれ独立しています。興味のあるところからお読みいただいてかまいません。