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杉本章吾 著

岡崎京子論
――少女マンガ・都市・メディア


四六判上製384頁

定価:本体3400円+税

発売日 12.10.24

978-4-7885-1306-8

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◆少女マンガに関する本格的批評書◆

少女マンガは現在では、日本の表象文化において重要な位置を占めています。本書はそのなかでも特異な位置を占め、『ヘルタースケルター』の映画化などで今なお注目を集める岡崎京子を取り上げ、彼女が何をめざし、どのような問題提起をしてきたのかを明らかにします。とりわけ一九八〇年代から九〇年代にかけての岡崎の作品群(『pink』『リバーズ・エッジ』から『ヘルター・スケルター』まで)が、高度消費社会によって生み出され、その社会に反応していく少女・女性像をどのように提示したのかを、郊外・団地、コンビニ、美容整形、性・身体などをキイワードに、背景となる時代状況の再検討とマンガ・テキストの丁寧な分析から照らし出します。著者は筑波大学研究員。


岡崎京子論 目次

岡崎京子論 あとがき

ためし読み

◆書評
2012年12月2日付、高知・長崎・下野・山梨新聞
2012年12月23日付、日本経済新聞
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岡崎京子論─目次

序 章
一 少女と少女マンガ
二 少女と消費社会 
三 〈少女マンガ〉の拡散と多様化 
四 岡崎京子 
五 本書の構成 

第一章 〈少女マンガ〉をめぐる言説空間
一 〈少女マンガ〉言説の歴史化の試み 
二 〈少女マンガ〉言説の黎明期─石子順造の少女(マンガ)論 
三 「ぼくら」と〈少女マンガ〉─「〈わたし〉語り」世代の〈少女マンガ〉論 
四 「わたしたち」の〈少女マンガ〉─「少女」共同体の前景化 
五 〈少女マンガ〉をめぐる言説空間の〈ねじれ〉と問題 

第二章 郊外化された〈少女マンガ〉
─『ジオラマボーイ・パノラマガール』論
一 ニューウェイブとの出会い 
二 「郊外」という舞台設定 
三 内閉化する郊外家庭空間 
四 ボーイ・ミーツ・ガール≠ボーイ・ラブズ・ガール 
五 演技空間としての「郊外」 
六 「少女」という心性の肯定 

第三章 消費社会と女性─『pink』論
一 都市空間のなかの女性 
二 〈消費〉の内面化 
三 「かわいい」帝国/消去される外部 
四 「脱出」の頓挫 
五 〈消費〉への礼賛/批判 

第四章 「少女」の「繭」としての東京─『東京ガールズブラボー』論
一 八〇年代は「スカ」だったのか? 
二 「東京」≒「トーキョー」 
三 反復する物語構造 
四 「スキゾキッズ」の「逃走」と「内閉」 
五 「部屋」という「少女」の「繭」 
六 「少女」と八〇年代 

第五章 「文学性」の脱構築─『リバーズ・エッジ』論
一 「文学」的マンガとしての『リバーズ・エッジ』 
二 マンガにおける「文学性」─〈少女マンガ〉と〈内面〉性 
三 言葉にみる〈内面〉の位相 
四 「顔」にみる〈内面〉の位相 
五 「噂」として流離する〈内面〉 
六 「つながりの社会性」のなかの〈内面〉 

第六章 〈内面〉と代弁/表象のポリティクス─「チワワちゃん」論
一 代弁/表象される〈内面〉 
二 「公」と「私」の対比 
三 代弁の頓挫 
四 代弁のモンタージュ化 
五 ゆらぐ解釈 
六 問題化される若年女性─女子高生・ブルセラ・〈内面〉の欠如 

第七章 〈美〉の共同体を越えて─『ヘルタースケルター』論
一 消費社会における〈美〉 
二 〈美〉の神話的イメージ 
三 美容整形と身体の断片化 
四 〈少女マンガ〉と〈美〉 
五 感情移入の抑止 
六 「タイガー・リリィ」≒「ミニ・タイガー・リリィ」 
七 メキシコへの越境 
八 〈少女マンガ〉への両義性 

終 章
一 各章のまとめ 
二 「少女」表象の両義性 
三 喪失されたものとしての「少女」 
四 グローバリズムのなかの少女・女性 
五 おわりに 

註 
あとがき 
初出一覧 
主要参考文献 
索引 

装幀─難波園子






岡崎京子論 あとがき

 本書は、一九八〇年代から九〇年代にかけて執筆された岡崎京子のマンガを、当時の社会的機制や文化的言説、〈少女マンガ〉というジャンル、少女・女性ならびに作家の主体性の交差・節合・衝突する「場」として読み解き、そこに見出される少女・女性表象の特性と変遷を明らかにすることを目的としている。こうした目的を完遂するため、本書では、マンガ研究の蓄積を土台としつつ、カルチュラル・スタディーズ、ジェンダー論、文学理論、都市論、メディア論など、関連する文化・社会研究に接続される領域横断的な方法論を模索する必要があった。今となって振り返れば、こうした方法論上の模索は、右往左往を繰り返した自分のこれまでの歩みと切り離せないのかもしれない。

 岡崎京子先生のマンガと初めて出会ったのは、大学生の頃、インフルエンザで寝込んでいたときに、友人がヨーグルトと一緒に持ってきてくれた『リバーズ・エッジ』がきっかけだった。ページをめくると目に入ってくる、いじめ、死体、ドラッグ、放火、自殺などの陰惨な出来事の数々に、「何もインフルエンザで心細くなっているときにこんなヘビーなマンガを持ってきてくれなくても」と思いながらも、そのマンガから目を離すことができなかった。そこには、これまで読んできたどのマンガとも違う「何か」があるように感じた。その「何か」の正体を知りたくて、友人に返却後も、岡崎先生の作品を自分で買いそろえていった。ただし、昼に夜にマンガを読み漁ってはいたものの、卒業論文は遠藤周作というこてこての文学青年でもあった自分は、マンガをあくまで好きな趣味の範疇にとどめていた。

 しかし、修士課程だけと思って入学した大学院では、これがアカデミックな世界との最後の関わりということもあり、好きなマンガについて論文を書いてみたいという思いが次第に募っていった。題材はもちろん、ずっと気になっていた岡崎先生のマンガだ。その当時、熱中して読んだ『シミュレーショニズム』や『日本・現代・美術』の著者である椹木野衣氏が岡崎先生に関して評論を出版していたのも大きかった。結果、椹木氏の強い影響のもと、「引用」や「サンプリング」「ポストモダニズム」といった観点から岡崎先生のマンガに関して修士論文を書きあげるにいたった。

 ただ、修士論文を書きあげても、初めて読んだときに「何か」の正体を十分つかんだ気にはなれず、さらには無謀にも研究への欲も出てしまい、親とも相談のうえ、一年遅れで博士課程に進学することにした。進学したのは、同じ大学の他の研究科(筑波大学人文社会科学研究科文芸・言語専攻総合文学領域)で、そこは物語メディアについて学際的に研究するところだった。国籍や年齢がバラバラなら、学問的関心も多様な人々が集まったその研究室は、自分にとって知的好奇心をくすぐられる場所だった。とりわけ、全員の間でゆるやかに共有されていた、文化的テクストを社会的・文化的諸力がせめぎ合う表象空間としてとらえようとする考え方には、自分も深く感化されたように思う。

 その一方で、研究室には私以外にマンガを研究する人間は一人もおらず、マンガに関してはマンガ学会やマンガ関係のイベントに足を運び、マンガ研究関連の著作や論文に目を通して勉強していった。そのなかで気になったのは、自律的な構造をもつ表現物としてマンガをとらえる「マンガ表現論」と、社会の鏡像としてマンガをとらえようとする「社会反映論」との対立という、一九九〇年代以降しばしば言及されるマンガ批評の構図だった─内在分析と外在分析の対立自体は九〇年代以前から存在しているといえる。そもそも文学研究への興味から進学した自分にとって、こうした対立構図は、文学研究における過去の論争を反復しているように思えた。

 本書が、マンガ固有の表象システムを重視すると同時に、社会的関係のひとつの結節点としてマンガ・テクストをみなす双方向的な視点を前提としているのは、ひとつには、こうした表現論と反映論の対立を発展的に解消する端緒でも見つかればという思いがあったからであり、より個人的な動機に引きつければ、移り気な自分の学問的関心や学際的な研究環境を研究自体にフィードバックしたいという思いがあったからである。

 また、それとともに、本書がマンガ研究以外の多様な学問領域の成果を取り入れることになったのは、何をおいても岡崎先生のマンガ自体にこうした多様な問題系に接続される問題喚起力があったからにほかならない。本書が手さぐりで組み立てた領域横断的な方法論は、マンガ研究における自分なりの模索の結果であると同時に、あるいはそれ以上に、さまざまな文化的テクストや社会的事象に指向の糸を張りめぐらせる岡崎先生のマンガに内在する「何か」を明らかにするために必要な方途であったといえる。本書で浮き彫りにした「何か」がどれだけの妥当性を持っているのか。それは手に取っていただいた皆様に判断していただければ幸いである。

 もちろん、本書には、十分に論じることのできなかった作品や問題もある。とりわけ、刊行時期の関係で、蜷川実花監督の映画『ヘルタースケルター』、岡崎先生の短編やエッセイ、イラストや対談などの仕事を増渕俊之氏が編集された『岡崎京子の仕事集』(文藝春秋)、新たな論考を加えられた椹木野衣氏の『新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること─岡崎京子論』(イースト・プレス)、岡崎先生の軌跡を丹念にたどったばるぼら氏の『岡崎京子の研究』(アスペクト)、蜷川実花氏のインタビューを加えた『増補新版 文藝別冊 KAWADE夢ムック 総特集 岡崎京子』(河出書房新社)など、最新の作品や研究成果を参照できなかったことは悔やまれる。この点は、今後の課題としておきたい。  本書は、二〇一〇年度に筑波大学人文社会科学研究科に提出し、学位を授与された博士論文「〈少女マンガ〉の解体と更新─岡崎京子における現代日本少女・女性表象の研究」をもとに、その一部を改稿・修正したものである。博士論文の審査に際しては、筑波大学大学院人文社会科学研究科(現在は人文社会系)の青柳悦子先生、吉原ゆかり先生、平石典子先生、筑紫女学園大学文学部の大城房美先生に本当にお世話になった。細部にまで目を通し、適切なコメントやアドバイスをくださった先生方には、心から感謝を申し上げたい。とりわけ、飴と鞭を使い分けながら、こんな訳のわからない学生を大学時代からご指導いただいた指導教官の青柳悦子先生には改めてお礼を述べたい。本書が先生の学恩に対するいくばくかのお返しになっていれば幸いである。

 また、折に触れてご指導・ご助言をいただいた総合文学領域の先生方、寒い冬や暑い夏を夜遅くまで共にした研究室の先輩や友人たち、筑波大学図書館司書や大学事務の方々、知合いの方はもちろんのこと、論文や著作を通しても多大な刺激をいただいた、日本マンガ学会・表象文化論学会などの所属学会の皆様方にも、心よりお礼を申し上げたい。

 出版に際しては、新曜社編集部の渦岡謙一氏に大変お世話になった。渦岡氏の細やかな校正やアドバイスとともに、出版に前向きな姿勢に励まされたことを記して感謝したい。

 岡崎先生には、最大限の感謝を申し上げるとともに、先生の御復帰を心よりお待ちしております。当たり前の話ですが、先生のマンガがなければ、本書も今の自分もありませんでした。

 最後に大学院生活をサポートしてくれた家族をはじめ、これまで支えてくれたすべての人々、そしてこの本を手にしていただいた読者の皆様に感謝を。

 二〇一二年八月

杉本章吾