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神子島健 著

戦場へ征く、戦場から還る
――火野葦平、石川達三、榊山潤の描いた兵士たち


    

A5判560頁

定価:本体5200円+税

発売日 12.08.15

ISBN 978-4-7885-1300-6

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◆「戦争をする」とはどういうことか◆

戦後65年、戦争待望論が若い人の間からも出るようになりました。アンチ格差社会として夢見られている面もあるようですが、現実の戦争はどのようなものだったのでしょうか。本書は一般の人間が兵士として召集され、戦場に征き、戦闘をし、負傷を負い、還ってくるまでを、小説のなかに探ったものです。『麦と兵隊』『土と兵隊』で爆発的な人気を誇った火野葦平、『生きてゐる兵 隊』で戦争の実態を描いて発禁をくらった石川達三、戦争の日常をニヒリスティックに描いた榊山潤などの、戦場から復員までの小説をたどって、「兵士であること」「一般人に戻ること」の実際と困難を根底から描きます。復員兵、傷痍軍人、戦争未亡人問題など、戦争は始めるのは簡単だが、終えるのは大変だということが痛感されます。戦争・戦場・銃後を初めてトータルに捉えた、気鋭の社会学者による力作「戦場論」です。

戦場へ征く、戦場から還る 目次

戦場へ征く、戦場から還る 序章

ためし読み

◆書評

2012年9月5日、平和新聞、小森陽一氏評

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戦場へ征く、戦場から還 目次
 
第T部 方法
序 章 本書の問いとその背景
1 背景 十五年戦争の研究
2 問題設定 

第1章 兵士たちのこと
1 戦場と戦争 
2 軍隊と戦地――日常生活から切り離された空間として
3 帰還と銃後 
4 軍隊の崩壊と復員 

第U部 戦場へ征く
第2章 戦場の小説へ
1 戦場の小説の出発点 
2 日中戦争開始前
3 日中戦争とメディアの変化 
4 文壇文学の社会化 
5 戦場の小説へ 

第3章 戦場と兵隊の小説
1 榊山潤 
2 石川達三『生きてゐる兵隊』『武漢作戦』 
3 火野葦平『土と兵隊』『麦と兵隊』 
補論 兵営を描く――火野葦平『陸軍』と『青春の岐路』 
1 『陸軍』 
2 『青春の岐路』 
3 補論のまとめ 

第V部 戦場から還る
第4章 帰還兵の時代――戦場から銃後へ
1 前提として 
2 日中戦争期の帰還兵 
3 帰還作家と書くことへの不安 
4 榊山潤の活躍と傷痍軍人の小説 
5 火野葦平――「英雄」の帰還と銃後の現実 
6 帰還兵の時代と常識の揺らぎ――石川達三「俳優」と「感情架橋」 

第5章 敗戦と復員
1 予備的考察 
2 「悲しき兵隊」をめぐって 
3 石川達三の「敗戦」と榊山潤の「終戦」 
4 復員者たち 

結 論
注 
あとがき 
基本文献一覧 
関連年表 
事項索引 
人名・書名索引 



戦場へ征く、戦場から還る 序章
序章 本書の問いとその背景

 「うちの新聞はこの戦争を?侵攻?と書いた。反戦デモは世界中で起きている。どう思うか」〔中略〕

 「この戦争にいろいろ批判があるのは知っている。だがおれたちは兵隊だ。飯を食って、銃を磨いて、敵を殺さないと家族に会えないんだ。やるべきことをやるのさ」

 兵士にとって戦争というのは、殺すか殺されるかだけなんだ。お前の質問は意味がない。そういわれたような気がした。

   ここで引用した新聞記事は、イラク戦争時の米軍部隊に同行(embed)取材をした、『朝日新聞』の野嶋剛記者の書いたものである。

出口の見えない戦争において「やるべきことをやる」としても、果たして兵士は家族に会えるのか、その保証はどこにもない。だがここには自らの戦っている戦争自体の意味は宙吊りにして、「兵隊」としての自己を受け容れ、淡々と与えられた役割をこなす人の言葉が見える。しかし一方で、彼はその役割を終え家族に会うことを心の支えとすることで、「殺すか殺されるか」の場である戦地での自己を保っているのであろう。兵士としての自己ではなく、父親として、夫として、息子としての、つまり家族とのつながりにおける自己が戦地での彼に入り込んでいる。むろん両者は一人の人間のなかで並存し得る。だがよき父やよき息子である自己が前面に出すぎると、「敵を殺」す自己との矛盾が顕在化しかねない。家族が兵士の心の支えであるとしても、彼はその矛盾を起こさない場合においてしか、家族のことを考えないようにするだろう。

彼は従軍記者の質問をはねつけている。当の記者からすると、兵士の気持はお前にはわかるまいというコミュニケーションの不可能性を宣告されているように思えたのだろう。だがこの返答は、自らが現場に放り込まれてしまっている戦争の意義に疑問を差し挾むことが、兵士としての自己を揺るがしかねないことを警戒した、兵士の側からのコミュニケーションの拒否でもあるのだ。兵士としての自己と、兵士でない自己との葛藤。これは本書全体を貫く重要なテーマの一つである。

歴史学者の加藤陽子は日本人の戦争観の特徴を、ヨーロッパの人々と比較して次のように書いている。「傀儡国家であった満州国、植民地下の朝鮮、そして沖縄など、いくつかの例外(重大かつ最も過酷な体験を人々に強いた例外ではあったが)を除けば、多くの日本人にとっての戦争とは、あくまで故国から遠く離れた場所で起こる事件と認識されていたとしても不思議はなかった」。米国にとってのイラク戦争も、日本にとっての十五年戦争の大部分も、本国から離れたところで行なわれた戦争である。現在における先進国の軍隊の活動を考えれば、アフガニスタンのISAF(国際治安支援部隊)や国連のPKOやPKFと、本国から遠く離れた場所での活動が中心となっている。本国から離れた空間で戦う兵士の多くにとって、自分が故郷でなく戦地にいることの意味は自明ではなく、兵士であることへの疑問や葛藤を呼び起こしてしまうきっかけは沢山あるはずである。十五年戦争で戦った多くの日本兵たちもそうであった。

本書は十五年戦争を題材にした日本の小説の分析を通して、(一)戦場へ征くこと、戦場から還ることの意味と、(二)そのプロセスのなかにいる兵士の内面の揺らぎや兵士の表象が作品の発表当時もった意味、とを考える研究である。出征や帰還、復員というプロセスは、兵士の置かれる環境の変化を浮き彫りにし、それによって軍隊における規範や習慣と、軍隊外におけるそれとのギャップを示す。軍隊の内部と外部とのギャップ、もしくはそのギャップに起因する日本兵の内面の揺らぎについて詳しく考察していく。