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日本記号学会 編

叢書セミオトポス7 ひとはなぜ裁きたがるのか
――判定の記号論


A5判244頁

定価:本体2800円+税

発売日 12.05.18

ISBN 978-4-7885-1294-8




◆いまや判定のスペクタクル化?!◆

裁判員制度が導入されて、法廷が市民に開放され、法廷の劇場化、死刑判定の荷の重さなどが言われ、「判定」の問題はいまや一般市民にとっても他人ごとではなくなってきました。従来から、スポーツにおけるサイボーグ化・ドーピング問題、あるいはテクノロジーの発達にともなう生死の判定などは言われていましたが、あの震災・原発事故のあとでは、放射能汚染の判定、住民退去・復帰の判断など、ひとはいたるところで判断・判定を迫られる状況になってきました。しかし、「判定」とはいったい何でしょう。人が人を裁くことは可能なのでしょうか。「判定過剰」ともいわれる現況のなかで、変容する判定を、記号論的アプローチを駆使して多面的・根源的に問う意欲的特集です。
今回から、日本記号学会の機関誌をお引き受けすることになりました。読んで面白い内容にしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。


ひとはなぜ裁きたがるのか 目次

ひとはなぜ裁きたがるのか あとがき

ためし読み

◆叢書セミオトポス 日本記号学会編

叢書セミオトポス8 ゲーム化する世界

叢書セミオトポス9 着ること/脱ぐことの記号論

叢書セミオトポス10 音楽が終わる時

叢書セミオトポス11 ハイブリッド・リーディング

叢書セミオトポス12 「美少女」の記号論

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ひとはなぜ裁きたがるのか─目次


刊行によせて 吉岡 洋
ひとはなぜ裁きたがるのか―判定過剰の現在と判定の変容 前川 修

Ⅰ 判定の思想をめぐって―?最後の審判?から生命の判定まで
判定の思想―《最後の審判》から生命の判定まで岡田温司
対論 判定の思想をめぐって 岡田温司×檜垣立哉
対論を終えて 檜垣立哉

Ⅱ 揺れる法廷?―メディア・言葉・心理
裁判員制度における判定―集団意思決定の観点から 藤田政博
「言葉」から見た裁判員制度 堀田秀吾
裁判員制度における判定の論理―メディアの観点から 山口 進
討議 裁判員制度における〈判定〉をめぐって 藤田政博×堀田秀吾×山口 進
Ⅲ スポーツにおける判定をめぐって

近代スポーツの終焉?―判定の変容、裁かれる身体の現在 稲垣正浩
対論 スポーツの危機?/判定の危機? 稲垣正浩×吉岡 洋

Ⅳ 記号論の諸相
杜鵑の聞き方─「リヒト」バッシングの分析 木戸敏郎
自然的記号と対称性─自然科学におけるシンメトリー 坂本秀人
研究論文 ミラン・クンデラの『冗談』とファウスト・モチーフの関係性
      ―数字と名前のシンボル分析 渡辺 青
研究論文 折口信夫の言語伝承考 岡安裕介
資料 日本記号学会第三〇回大会について
あとがき 前川 修
執筆者紹介
日本記号学会設立趣意書

装幀―岡澤理奈




ひとはなぜ裁きたがるのか あとがき

あとがき

二年以上前、本書のもとになった学会年次大会に「判定の記号論」というタイトルをつけ、その内容を構想していた時分には、メディアがここまで「判定」に溢れるとは予想していなかった。もちろん、裁判員制度や事業仕分け、そしてスポーツの判定など、ある意味で、判定のスペクタクルとしてメディアで消費される事象を本書の射程に入れてはいた。しかし、それとは比較にならない、これほどの規模と速度で「判定の洪水」が起きるとは、当然ながら予測不可能だった。災害後、いわゆる専門家、評論家、批評家たちがメディアに登場して過剰に言説を紡ぎ、それをもとにさらなる言説の波が押し寄せ、それらが悲惨な映像と混ざり合ってある意味での濁流となり、その流れが私たちの判断を揺るがし、私たちの感情を根こそぎ押し流していったという事態。こうした事態、あるいはその余波は現在も終息せずにつづいている。津波という洪水の映像をメディアの「洪水」はトラウマ的に際限なく反復し、私たちをそのショックに対して麻痺させもしたし、さらにその後には、災害後の「何も残っていない」という意味での不在の映像の流れが私たちを取り囲みもしたし、堰を切ったようにやり場のないひとびとの情動がそこに断続的に注ぎこまれたことも、記憶には新しい。そして、そこで何かしら言葉にしがたい抑圧や、逆に何かを抑圧のうえで言葉にしなければいけない雰囲気が醸成されているというのも、否定しがたい事実かもしれない。こうした事態を「判定の洪水」とひとまず呼んでおく。

ここに収められた三つの対論は、たとえ当初は無関係なものであったとしても、このような過程に照らし合わせて読むことができる。たとえば、判定の根源における揺れ、判定における自然とテクノロジーという問題系、判定の根底にある感情や身体、判定者と被判定者の断絶や隔たり、判定の場のそもそもの変容を促す環境という、それぞれ交差しつつ展開されたトピックは、たしかにそれだけでは十分なものではないだろうが、判定の洪水に抗うような根源的考察や想像を促すいくつかの係留点に少なくともなりうるのではないか。編集を終えた今、そのように考えている。

本書は、二〇一〇年五月に神戸大学で開催された日本記号学会第三〇回大会「判定の記号論」でのセッションをもとにして構成したものである。本来ならば、その翌年である二〇一一年に刊行されるはずであった。しかし、冒頭の「刊行によせて」で事情説明があるように、そもそもの出版社探しから作業を開始しなければならず、その結果、かれこれ一年の遅れが生じてしまった。このことはお詫びしなければならない。そして、新たな刊行をスタートさせるにあたって多大なご協力をいただけることになった新曜社の渦岡謙一氏には心からの感謝を申し上げたい。氏の申し出なくしては本書の実現はなかった。なお、これまで「新記号論叢書」と「セミオトポス」という叢書名、シリーズ名の二つが並存しておりいささか冗長であるため、この機に「叢書セミオトポス」と名を付け直したこともここでお断わりしておく―ただし、シリーズの一貫性は保つために、今号は第七号とした。次号には、二松学舎大学で開催された「ゲーム」をテーマにした特集が続く予定である。次号も、刊行の遅れを少しでも埋め合わせるべく引き続き努力をつづけていくつもりである。

最後に大会の運営、および本書編集にあたってご執筆やご協力いただいたすべての方々に感謝の意を示しておきたい。

二〇一二年四月
前川 修(編集担当)