戻る

今津孝次郎 著

ワードマップ 学校臨床社会学
――教育問題の解明と解決のために


四六版264頁

定価:本体2500円+税

発売日 12.04.10

ISBN 978-4-7885-1280-1

◆amazon.co.jpへ
cover

◆紀伊國屋書店Books Web へ

◆7ネットショッピングへ



◆学校・教師・研究者の協働から生まれるもの◆

教育の場では、校内暴力やいじめ、不登校、学級崩壊、学力低下、携帯依存など、さまざま問題がつぎつぎと持ち上がり、その解決には、教師・生徒・地域の人々、教育研究者が協働して取り組むことが求められています。しかし教育研究者には、学校訪問ひとつとっても、さまざまな困難があります。本書は、そういう困難の背景を探り克服する方途からはじめて、学校臨床社会学の基礎となる視点や諸概念、学校に介入的に参画する臨床社会学の方法を丁寧に解説しました。後半では実際の実践的な調査研究を紹介して、基礎知識を具体的な問題に即しながら理解できるよう配慮されています。研究を志す人だけでなく、現職の学校教員、保護者にも関心をもって読んでもらえる一冊です。著者は、小社刊のロングセラー『教育言説をどう読むか』(及び同続編)の編者。


学校臨床社会学 目次

学校臨床社会学 はじめに

ためし読み
Loading

学校臨床社会学─目次


はじめに 学校訪問の魅力

T 学校の多様性と組織文化
1 学校訪問     与えられる機会と依頼する機会
2 校長のタイプ     学校経営リーダーの素顔
3 校長の新たなタイプ     中国・上海の地域と学校を通して
【コラム@】シンボリック・マネジャーとしてのスクールリーダー
4 組織文化と学校組織文化     学校ごとの相違性とは
5 学校組織文化の三つの次元     見えやすい表層と見えにくい深層
6 学校の組織学習と校内研修     学校が組織として学ぶ
7 資料としての実践記録     学校組織文化を読み解く

U 学校教育問題の臨床社会学
8 教育荒廃と教育改革     社会問題化した学校教育問題
9 校内暴力と学校組織学習     学校組織文化の改革へ
10 教育荒廃の背景     時代社会の構造変動
【コラムA】尾鷲中学校の校内暴力事件3
11 臨床的研究ブームとその背景     社会問題の解決をめざして
12 臨床の視点と方法を問い直す     苦しむ人々との対話
13 臨床と社会問題     臨床的研究の対象と方法
14 シカゴ学派社会学と臨床社会学     実証性と実践性の混在
15 デューイとシカゴ大学「実験室学校」     学校臨床社会学の源流
16 応用と臨床の社会学     臨床社会学の再興
【コラムB】社会問題を抱える大都市シカゴとシカゴ学派

V 学校臨床社会学の性格と研究目的
17 インターベンションと「介入参画」法     臨床的研究の実践的手法
18 学校臨床社会学の臨床レベル     問題の解明から問題解決へ
19 日本の学校臨床社会学と臨床レベル     未開拓の「介入参画」法
20 研究目的 学校のエンパワーメント
21 研究対象の捉え方     調査研究「倫理」の第一歩
22 学校と研究者との関係     臨床の場の形成
23 互恵性の関係     ギブ・アンド・テイクの態度
【コラムC】教師と教員という二つのアプローチ

W 学校臨床社会学の方法
24 研究手順の五段階     「介入参画」の過程
25 教育言説の視点     ことばの自明性を問い直す
26 調査公害と調査実施困難性     諸原因と克服方法
27 学校をめぐる秘匿調査     信頼関係に向かう一技法
28 実践と研究の関係の諸形態     学校改善・改革課題をめぐる協働関係
29 シェルパ役の教師     学校フィールドへの案内役
【コラムD】スクールソーシャルワークと学校臨床社会学

X 学校臨床社会学の実際
【研究事例1】外国人小学生の学力保障に向けて
《A 課題設定》
《B 対象学校と「介入参画」》
《C 事後評価》
【コラムE】多文化共生
【研究事例2】中学校のいじめ防止
《A 課題設定》
《B 対象学校と「介入参画」》
《C 事後評価》
【資料X─1】白百合の誓い(反いじめ憲章)
【研究事例3】ケータイのリスクに対する高校生のエンパワーメント
《A 課題設定》
《B 対象学校と「介入参画」》
《C 事後評価》

【資料X─2】『高校生がつくるケータイハンドブック』(第1版 2?0?0?9年3月)
【コラムF】三つのコミュニケーションとケータイ
あとがき  231
文献案内  (11)
事項索引  (2)
人名索引  (1)
装幀=加藤光太郎






学校臨床社会学 はじめに

 ■学校を訪問する面白さ
 私が1974(昭和49)年10月に大学教員になって最初に赴任したのは、教員養成を主な任務とする三重大学教育学部だった。命じられた担当授業科目は、専攻する教育社会学のほかに社会教育と同和教育である。学生時代には好んで社会学や文化人類学あるいは哲学などの文献ばかり読んでいた私にとって、これら異質な三教科を担当することは正直言ってかなりの負担だった。専攻する教育社会学は別にして、社会教育と同和教育については講義ノートの準備もなかったうえに、これら二つは地域を歩くことが不可欠であり、文献研究とは違ったフィールド研究のスタイルを急遽取り入れねばならなかったからである。

 三重県は生まれて初めて住む土地だったので、赴任早々に自分の研究室の机の前に三重県全域の地図を貼って、早く地理に慣れるように努めた。この地図は勤務した10年間、そのまま貼り続けることになった。というのも、教員養成の仕事のなかで学校訪問が大きな位置を占めており、初めて訪問する学校の地理の見当をつけるのに便利だったからであり、社会教育と同和教育に関わって施設訪問や学校訪問も日常的になっていったからである。学生時代には考えもしなかった車の運転免許も取得して、南北に長い三重県の全域をくまなく走破することになった。そして地域のなかの学校を訪問する作業は、私にとって毎回が新たな経験になっていった。

 ここで言う学校訪問とは公立・私立を問わず、主として小・中・高校へのごく短時間の一時的な訪問から、同一学校を一定期間に何度も繰り返して訪問する場合や、一校または数校を何年にもわたって恒常的に訪問調査する形態(その間、校長が何代にもわたって交代する場合もある)なども含む、広い意味である。教育実習指導をはじめ、校内研修会、公開研究発表会、授業参観、そして学校調査など、その時々の訪問目的が何であれ、学校内に足を踏み入れて児童生徒や教師、あるいは保護者や地域の人々と直接に接触する行動を指している。

 私の最初の学校訪問は教育実習の訪問指導で、義務的なものにすぎなかった。校長に挨拶し、教育実習生の研究授業を見てコメントして帰ってくるだけの形式的なもので、できれば避けたい余分な任務だと最初は感じていた。もちろん、それは教員養成学部に勤務するスタッフとしては良くない態度である。ところが、それを年間に何度も繰り返して2年余り経つうちに、訪問学校の地域環境や学校内の雰囲気、校長や教師の様子、授業の模様、子どもの姿などが学校ごとにかなり異なっていることに気づき、それらの相違に関心が向き始めた。教育実習訪問だけでなく、校内研修を含む教師の現職教育の助言者やPTA研修会での講師などの役割で学校訪問を繰り返すうちに、学校ごとの特徴的差異への関心は徐々に高まっていった。実際に学校を歩けば歩くほど、学校と言っても実に多様な姿を見せており、一口に論じられるようなものではない、と率直に思うようになった。そして最初は逃げたかった学校訪問が徐々に魅力あるものに変わってきた。その頃の私はまだ30歳そこそこの駆け出し研究者だった。

■多様な地域社会の多様な学校
 さて、学校訪問機会が増えるにしたがって、地域のなかの学校について新しい経験を得ることへの期待感が生じていった。その点では、公共交通機関を使える場合は自家用車でない方が、人々のさまざまな姿を身近に見ながら地域の暮らしを細かく観察できて好都合である。広々とした田畑のなかにある学校、小高い山奥の林に覆われた学校、前が大海原で潮の香りがする学校、離島の複式学級の学校、都会の繁華街のなかにある学校、閑静な住宅街の傍らにある学校、あるいは歴史のある土地にありPTAもまとまった伝統ある学校と、新興団地に新たに建てられてPTAのまとまりも不安定な学校、など。校舎・校庭の形や配置はそれほどの違いはなく、遠くから見て学校だとすぐに見当がつくのだが、学校を取り囲む地域環境の相違は大きい。そしてその相違は、通学する子どもたちの家庭背景の多様性に示されていることに、まもなく気づくことになった。

 家庭背景とは家族構成、保護者の職業や収入、学歴、教育意識、しつけの方法などが異なることである。もちろん、どんな家庭背景であろうとも、クラスの子どもは同じように取り扱うという教師の言い分は正論である。とはいえ、そうだから家庭背景に目を向けないでおくのか、あるいは家庭背景を十分に知ったうえで子どもを同じように扱うのか、学校や教師によって姿勢に違いがある場合がある。それに、学校訪問する側にとってまず印象を受けるのは地域環境の相違であり、家庭背景の諸特徴である。すべての子どもが地域社会のさまざまな現実を背負って通学している点に注目するなら、学校は社会の縮図そのものでもある。学校を見ることは地域社会を知ることに通じると、私にとっての学校訪問の意味と意義が広がっていった。こうして、学校を廻りながら地域社会の多様な現実について、学校を窓口にして肌で感じることが大いなる魅力になっていったのである。

 そうした私の基本認識を決定的にしたのは、三重県内で校区に同和地区をもつ学校への訪問であった。同和問題についてほとんど知識のなかった私は、同和校訪問を通じて同和教育だけでなく、学校と地域環境、さらには教職の意味、人権教育の重要性に関して実地に訓練を受けていったような気がする。教師と研究者はどのように協働関係を築くことができるのかという問題意識が生まれたのも同和校での校内研修への参加を通じてである。

 1986(昭和61)年4月に名古屋大学に転任してからも、三重県にある同和校の校内研修への参加が毎月1回ほど約2年間続いた。こちらから特に学校にお願いしてのボランティア参加で、校内研修会での助言役を買って出た。もっぱら討議の論点の整理をはじめ問題点や課題の指摘、そして同和問題の専門的研究成果の紹介といったコメント程度のことであったが、この学校がきわめて特徴的な取り組みを展開していることを肌で感じるとともに、私にとっては校内研修が現職教育のなかでどれだけ重要な位置を占めているかという、教師教育一般にとってのテーマを得ることになった。

 そこで、この校内研修についての事例研究を日本の現職教育の実態としてまとめ、1988年にタイのバンコクで開かれた「アジア太平洋『教師教育』会議」で報告した。私の発表に対しては、日本の教員の職務熱心さに世界各国の参加者から多くの感想や質問が出た。「授業を公開し、意見を交換するとは驚きである」、「校内研修は労働時間に入っているのか」、「校内研修は何らかの資格を得る手段なのか」など。日本では当然のことが海外では新鮮であることを知って、教師教育の制度の違いだけでなく、学校や教員をめぐる各国の文化に大きな相違があることに気づいた。個別の学校訪問で得た知見のなかに普遍的な課題が潜んでいて、そのまま国際会議の討議材料になることを体験した貴重な一瞬であった。そしてその一瞬の間に、日本の学校(制度)の全体像を統計などの資料を用いて検討することはもちろん必要であるが、同時に足で歩いて個別の学校の特色を体感しつつ論じることも重要ではないか、と痛感したのである。

 本書は、1970年代末からいつのまにか30年間以上にわたって私が学校訪問を繰り返すことになったフィールドワーク経験を踏まえて、具体的な諸問題を抱えた学校が日々どのように問題に対処しているのかについて実際に見聞きしたこと、そして各学校の問題対処に自分なりに少しでも参画してきたことについて、「学校臨床社会学」(clinical sociology of the school)という枠組みでまとめ上げたものである。

 私は、学校臨床社会学を「学校の臨床社会学」と捉えている。「学校臨床の社会学」だとスクールカウンセリングの社会学のようにイメージされやすいが、そうではなくてもっと広く教育研究の一分野であり、臨床社会学ないし応用社会学の一研究分野でもあると位置づけている。学校臨床社会学は最近の臨床社会学や臨床教育学ないし学校臨床学に見られるように、社会学と教育学の分野での臨床的研究の高まりが合流して成り立ったものである。それだけに、学校臨床社会学はまだ新しい分野として映るかもしれないが、T部で述べるように、その源流は約100年前のアメリカに遡ることができる。  それにしても、学校「臨床心理学」ならばスクールカウンセラーを思い浮かべるなどして身近に感じやすいが、学校「臨床社会学」ではイメージすら描きにくいと言われるかもしれない。両者はどう違うのか、なぜ学校臨床社会学が必要なのか、学校が抱えた問題の解決に学校臨床社会学はどう役立つのか、などについて具体的な研究事例もあげながら説明していきたい。

 1980年代以降、日本の学校で校内暴力やいじめ、不登校、学級崩壊、学力低下といった諸問題が立て続けに生じてクローズアップされ、学校教育問題が広く「社会問題」化してから、学校の量的(大規模アンケートなど)調査だけでなく、質的(フィールドワークなど)調査が盛んになっている。大学(院)生が学校訪問する機会も増えてきた。大学院生としての現職教師が改めて学校を調べる研究も数多くなっている。ただ、他方では学校調査が困難になっているという実情もある。なぜ困難になっているのかの背景を探りながら、困難性を克服する方途を見出すのも学校臨床社会学の任務の一端ではないかと私は考えている。

今津孝次郎