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福間良明 著

『焦土の記憶』
――沖縄・広島・長崎に映る戦後


四六判536頁

定価:本体4800円+税

発売日 11.7.15

ISBN 978-4-7885-1243-6

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◆いまなお続く「被爆体験」の語りを
掘り起こす!◆

体験者の高齢化が進むなか、戦争体験の継承は喫緊の課題となっています。本書は、戦後日本の戦争体験論からは周辺とみられがちな、沖縄の戦争体験、広島・長崎の被爆体験を中心に、従来の戦争体験論との違いを論じます。沖縄は、激しい戦闘が住民ぐるみで行なわれて、3分の1の住民が亡くなりましたし、戦後は長い間、米軍の支配下に置かれました。広島・長崎も原爆によりそれぞれ12万人、7万人が犠牲になり、その被爆後遺症は「現在」も続く戦争体験です。そのような特異な体験を、地方のメディア(地方紙、文芸誌、ミニコミ誌など)の丹念な掘り起こしを通じて明らかにします。そこからは、従来のような戦中派・戦後派・戦無派などの体験の違いによるだけでなく、社会状況・力学の違いによる変容も明らかになります。戦争体験論のさらなる深化・継承をめざす労作であります。

焦土の記憶 目次

焦土の記憶 まえがき

ためし読み

◆書評

2011年9月23日、週刊読書人、小暮修三氏評

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焦土の記憶―目次

プロローグ――問いの設定
体験の語りの位相差  ローカルな輿論と文芸誌  体験と政治と世代  本書の構成

序章 戦後日本における「断絶」と「継承」――体験への共感と反発の力学
「わだつみ」への共感  教養への着目  庶民的教養と「わだつみ」  年長知識人の批判  戦記ブームと反「わだつみ」  第二次わだつみ会と「語り難さ」への固執  自己への問い  遺稿集の再刊  世代間の断絶  六〇年代末の戦記ブーム  跪拝の対象としての戦争体験   わだつみ像破壊事件  共感と反感の捩じれ  教養主義の没落  断絶から忘却へ

第一部 戦後沖縄と戦争体験論の変容
第一章 終戦と戦記の不振――戦後初期の沖縄戦体験言説
沖縄戦  Kレーションの恩恵と「解放感」  「おどけた明るさ」  復帰への拒否感と戦記の不振  マス・メディアの不在  本土の沖縄戦記ブーム  『鉄の暴風』の刊行  『沖縄の悲劇』  「ひめゆり」の振幅  「ひめゆり」の「わだつみ」化  意味づけへの不快感  語り難さと悔恨  基地建設の進行と戦火の余塵  『沖縄健児隊』と本土の戦記ブーム  映画『沖縄健児隊』をめぐって  帰属問題

第二章 戦中派のアンビヴァレンス――復帰以前の戦争体験論
戦中派の台頭  東亜同文書院と戦争体験  認識の相対化  アンビヴァレンスの発見  土地闘争の激化と復帰運動の低迷  復帰運動の再生  復帰運動への違和感と戦中派の情念  下の世代との軋轢  琉大事件と学生の抵抗  本土の戦中派との接点  教養体験の相違  「伝統」をめぐって

第三章 反復帰と戦記の隆盛――沖縄返還問題のインパクト
本土復帰への幻滅  反復帰論  脱沖縄と六〇年安保の衝撃  「本土経由」の体験への関心  戦史研究の隆盛  本土復帰と沖縄戦記録  沖縄の戦後派と本土の戦中派  「戦争体験」の磁場と本土―沖縄のギャップ  体験の相対化  復帰運動の「戦争責任」  ベトナム戦争のインパクト  総合雑誌の隆盛  「集団自決」「住民虐殺」のアジェンダ  二項対立への違和感  「カクテル・パーティー」への嫌悪  本土―沖縄の「断絶」

第二部 被爆体験と「広島」「長崎」の戦後史
第四章 祝祭と燔祭――占領下の被爆体験言説
「八・六」の明るさ  占領下の制約と広島  『中国文化』と中国文化連盟  創刊号「原子爆弾特集号」  責任をめぐって  地方雑誌文化の隆盛  「八・九」イベントと広島への劣等感  国際文化都市建設法公布と長崎の祝祭化  被爆の語りとカトリシズム  「永井もの」への共感  恩寵論への不快感  悔恨と屈折  天皇をめぐって  オールド・リベラリストとしての永井隆  山田かんの人生経路  教会への不信  広島への劣等感

第五章 政治と体験の距離――占領終結と原水禁運動の高揚
占領終結と第一次原爆文学論争  スティグマと「売り物」  原水禁運動の高揚  体験と政治の接合  長崎文芸誌の隆盛  永井隆批判と長崎メディア  記念日言説の変容  福田須磨子「ひとりごと」をめぐって  浦上天主堂と瓦礫のアウラ  遺構との距離感  遺壁のアウラ、巨像と虚像  原爆ドームと存廃論議  原爆ドームの保存  「保存」による「風化」

第六章 「証言」の高揚――一九六〇年代以降の体験論
「ヒロシマ」への不快感  戦中派の情念  第二次原爆文学論争  被爆体験への距離感  被害と加害  ベトナム戦争と「広島の記録」  「水俣」との接点  『長崎の証言』  ベトナムと佐世保  「沖縄問題」という回路  在韓被爆者と「加害」の問題  「原爆白書」と公害のアジェンダ  わだつみ像破壊事件の衝撃  駆動因としての「広島コンプレックス」  広島へのインパクト  「天皇の戦争責任」論  「やむを得ない」発言  正典化への違和感  「原爆文献を読む会」と断絶  「体験の現在」と「継承」  「証言」の背後の「忘却」

結 論
終章 沖縄・広島・長崎に映る戦後――「断絶」と「継承」の錯綜
戦後初期と体験記ブーム  六〇年代末の戦記の高揚  広島と長崎の差異  沖縄と体験・政治・世代  広島・長崎と世代の力学  教養の力学の差異と文芸メディアの輿論  アジェンダの消失

エピローグ

図版出典一覧
関連年表
事項索引
人名索引
装幀――難波園子


まえがき
プロローグ――問いの設定
体験の語りの位相差

 戦争の記憶や戦争体験をめぐる議論は、ここ数年、盛り上がりを見せている。体験者の高齢化が進むなか、聞き取り作業を行なう最後の機会となりつつあることも背景にあるのだろう。だが、体験の語りがどのように変容してきたのか、その背後にいかなる社会背景があったのか。そうした点については、はたして、どれほどの検証が進んでいるだろうか。

 たとえば、グラフ「沖縄戦関連書籍の刊行推移」(図1)を見ていただきたい。沖縄戦記の発刊は、一九六〇年代半ばまでは低迷しているが、一九六〇年代末を境に急激な伸びを示している。では、なぜ、沖縄戦記はこの時期から多く発刊されるようになったのか。そこには、いかなる社会背景があったのか。

 しかも、沖縄戦記の発刊推移は、戦記全般のそれとは異なっている。図2は、日中戦争・太平洋戦争関連書籍の刊行点数の変化を示したグラフだが、そこでは、一九五〇年代前半と一九六〇年代後半にピークが見られ、七〇年代以降になだらかな上昇傾向を読み取ることができる。一九六〇年代末になって一気に発刊点数が急増した沖縄戦記は、明らかにそれとは異質な推移を歩んでいる。

 戦記発刊の担い手にも相違が見られた。一九六〇年代後半は戦記全般としては発刊が盛り上がりを見せていたが、拙著『「戦争体験」の戦後史』(中公新書、二〇〇九年)でも述べたように、この時期は戦争体験をめぐる世代間の断絶も際立っていた。戦場体験を持たない若い世代は、年長者の体験の語りに「お前たち、知らないだろう」と言わんばかりの威圧を感じ、体験に固執する彼らにしばしば反感を抱いた。年長者もまた、若者の姿勢に苛立ちを覚え、そのゆえに同世代のアイデンティティや体験の共有を模索した。そのことが、戦友会創設件数の伸びにつながった。海軍飛行予備学生第十四期会編『あゝ同期の桜』(毎日新聞社、一九六六年)をはじめとした遺稿集・体験記の発刊も、同様の要因によるものであった。

 それに対し、一九六〇年代末に沖縄戦記発刊を主として担ったのは、第一部でも述べるとおり、幼児期・少年期に終戦を迎えた若い世代であった。しかも、彼らのなかには、離島や本土の山村で戦争末期を過ごし、沖縄本島の激戦を体験しなかった者も多かった。では、そのような彼らがなぜ、沖縄戦体験の掘り起こしをめざしたのか。そこに、同時代の社会状況がいかに関わっていたのか。当時の日本と沖縄の関係が、そこにどう投影されていたのか。

 戦後日本における戦争体験の語りや戦争観の系譜については、これまで一定の研究の蓄積がなされてきた。高橋三郎『「戦記もの」を読む』(アカデミア出版会、一九八八年)を先駆として、吉田裕『日本人の戦争観』(岩波書店、一九九五年)、成田龍一『「戦争経験」の戦後史』(岩波書店、二〇一〇年)などが、その代表的なものとしてあげられる。戦後思想を戦争体験の世代差・位相差に注目しながら分析した小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、二〇〇二年も、戦争体験の言説を考察したものであり、また、拙著『「戦争体験」の戦後史』(二〇〇九年)も、日本戦没学生記念会や『きけわだつみのこえ』をめぐる言説変容を跡づけながら、戦後日本の戦争体験論の変容を分析している。

 しかしながら、戦争体験の語りの時系列的な変容については、議論が積み重ねられる一方で、その語りのなかに、いかなる偏差が存在していたのかという点については、十分な検証がなされてこなかった。沖縄戦体験がどのように語られてきたのか。広島・長崎の場合であればどうであったのか。さらに、広島と長崎とでは、体験の語りにいかなる相違があったのか。そして、それらの語りを生みだす力学や構造は、戦後日本の戦記全般の場合と比べて、いかなる差異をはらんでいたのか。これらの点については、意外に検証が進められてこなかったのではないか。

 むろん、沖縄戦や広島・長崎の被爆体験に関する著作は膨大な量にのぼる。沖縄戦記を通時的に扱ったものとしては、仲程昌徳『沖縄の戦記』(朝日選書、一九八二年)があり、被爆体験記史をテーマにしたものとしては、長岡弘芳『原爆文学史』(風媒社、一九七三年)などがあげられる。しかし、そこでは体験記や戦記文学の紹介・批評に重点が置かれており、それらが書かれ、受容される社会的な力学については、扱われていない。沖縄・広島・長崎の戦争体験論の系譜を精緻に洗い出し、議論が生み出されるメカニズムを検証した研究は、じつは、ほとんど見当たらない。さらにいえば、それらの検証を欠いたまま、「記憶」が論じられてきたことも否めないのではないか。

 沖縄なり広島・長崎なりに固有の力学が不明瞭であったということは、すなわち、戦後日本の戦争の語りにおいて、何が見落とされてきたのか、その点もまた見えにくくされてきたということを意味する。戦後日本の主要言説と沖縄、広島、長崎のそれを対比させ、その力学を比較してみると、そこには戦後日本の戦争体験論のなかで欠落していたものが、浮かび上がってくるのではないだろうか。それは、戦後日本と沖縄や広島、長崎の関わりを改めて問い直すことにもつながるのではないか。

 戦後における戦争体験の語りは決して一様ではない。いかなる戦争体験を語るかによって、議論の力学はさまざまに異なっていた。では、それらの議論はいかに変容し、そこにはいかなる社会背景や議論の力学が作動していたのか。それを通して、戦後日本における戦争体験論の系譜をいかに見直すことができるのか。こうした問題意識のもと、本書では、沖縄や広島、長崎の戦争体験論の変容を検証する。

 沖縄や広島・長崎の戦争体験は、ともにその凄惨さにおいて際立っている。沖縄戦では地上戦が繰り広げられ、全戦没者は二〇万人に上った。住民も戦闘に巻き込まれ、県出身の軍人・軍属をあわせると、死者は県民の三分の一にあたる一二万人に及んだ。原爆による死者は、広島市では一二万(人口比四二パーセント)、長崎市では七万(人口比三〇パーセント)に達している。爆死を免れた者も、その後、後遺症に苛まれることが多かった。

 しかしながら、それらの体験をめぐる議論は、戦後の日本では周縁的な位置に置かれることも少なくなかった。沖縄は戦後二七年にわたり米軍統治下にあった。必然的に、戦争体験が論じられる磁場は、日本本土とはまったく異なっていた。広島・長崎の体験もまた、特殊なものであり、ときに差別の問題さえ抱えていた。そのことは、戦後日本の体験論とは異なる背景のもとで議論が展開されたことを意味する。

 だとしたら、そこにはいかなる力学が作動していたのか。議論が生成される構造は、日本の場合といかに相違していたのか。そこから逆に、戦後日本の体験論の磁場やそのポリティクスを捉え返すことが可能になるだろう。

 むろん、「周縁」的な戦争の語りは、沖縄や広島・長崎に限られるものではない。銃後の空襲体験や疎開体験は戦後の初期から多く議論されていたわけではないし、戦場体験についても、たとえば樺太・千島で「八月十五日」以後に始まった地上戦体験は、そう多く論じられてはいない。それらについては、今後の検討課題とせざるを得ない。ただ、「周縁」的な体験論のなかでも、沖縄・広島・長崎の言説は総じて議論の蓄積が厚い。にもかかわらず、そこには戦後日本の言説構造といかなる相違があったのか。逆に、戦後日本では何が見落とされてきたのか。そのことでさえ、これまで十分な検証がなされてこなかった。

 本書では、まずは、沖縄・広島・長崎の言説の共時的位相差や通時的変容を洗い出しながら、これまで見落とされがちであった戦争体験論の歪みについて、考察していきたい。 ・・・・・・・