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P・コナトン 著 芦刈美紀子 訳

社会はいかに記憶するか
――個人と社会の関係


四六判240頁

定価:本体2500円+税

発売日 11.8.15

ISBN 978-4-7885-1239-9

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◆身体・記念式典・パフォーマンス◆

本書は社会の記憶をテーマに、個人と社会の関係についてしなやかで独創的な理論を展開し、読者の幅広い支持を得てきた名著の翻訳です。たとえばイギリスでは、毎年11月のリメンバランス・デーに赤いポピーの花を飾り、王室列席の戦没者追悼式典を行います。このように社会の記憶の力とは、ひとつの社会に住む人びとが記念式典を通して過去のイメージを共有することを意味します。社会の記憶は文書に記録されるものではなく、慣習として出会う身体やパフォーマンスであると著者は主張します。文学、精神分析、文化人類学を幅広く援用し、古今東西の題材を自在に駆使した、知的刺激に満ちた書です。


社会はいかに記憶するか 目次

社会はいかに記憶するか まえがき

◆書評

2011年9月11日、日本経済新聞

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社会はいかに記憶するか―目次

目 次
謝 辞

第1章 社会の記憶
1 回想の作用
2 フランス革命 王の公開処刑/フランス革命 衣服のスタイル
3 歴史の再構築/ライフ・ヒストリー
4 個人の記憶/認知の記憶/習慣の記憶
5 精神分析/実験心理学/ウィンチ 習慣と規則/サーリンズ 衣服の「言語」/社会的慣習の記憶
6 アルヴァックス 集合的記憶

第2章 記念式典
1 ヒトラーと記念式典
2 世界宗教と儀礼
3 儀礼とシンボル表象/儀礼と集合表象/儀礼と歴史
4 儀礼と神話/ギリシャ神話/儀礼の言語
5 忘却・模倣・反復/再現のレトリック 暦/言葉/身振り

第3章 身体の実践
1 具体化と表記/姿勢/アルファベット/映画
2 身体の技巧・礼儀作法・儀式/ジェスチャー/テーブルマナー/貴族
3 プルースト サン=ルーのふるまい/サドナウ ジャズピアノ/習慣とは
4 解釈学/ローマ法/聖書/パフォーマンス
原 注
訳者あとがき
事項索引・人名索引
装幀 鷺草デザイン事務所


訳者 あとがき
訳者あとがき  本書はPaul Connerton, How Societies Remember (first edition), Cambridge:Cambridge University Press 1989. の翻訳である。  現代の社会科学における焦点のひとつは社会と個人のつながりをどう解明するのか、つまり、ひとつの社会が一人ひとり異なり、それぞれに自由意志で行動する個人からなるにもかかわらず、いかにしてその集団が外から見てわかるようなまとまりをもち、ほかからひとつの集団として認識されうるようになるのか、という点にある。構造主義というパラダイムの崩壊が突きつけたこの難問に取り組むため、社会科学の研究の関心は社会のシステムから社会の構成員としての人間へと移っていった。

そのなかで、ナショナリズム、エスニシティ、アイデンティティというテーマの研究が盛んになり、有効な研究対象として、知識、記憶、身体に対する関心がたかまってきた。本書が長年に渡り広く支持されているのは、社会の記憶をテーマに、まさに社会と個人の関係について、独創的かつ明解な理論を展開させているからである。

   記憶は個人的な能力であると同時に集団が共有できる「文化」でもあるという点に、コナトンは注目した。本書は題名の通り、社会が知識、価値、常識等についての記憶をいかにして共有、維持、伝達するのかを、さまざまな分析と議論を積み重ねて解明していこうとするものである。同様の主題の研究の多くが、テキスト(文献等)を主として扱うのに対し、コナトンは身体の習慣の記憶(身振りや衣服等)に焦点をあてる。身体による記憶は慣習となるのが常であり、慣習はその社会の成員にとっては疑問をもたれることなく実行され続けるので、テキストによる記憶とは異なる持続性があるとする。それゆえに、社会には「社会構造とは何かに関する現存のいかなる正統な学説にも適切に説明されない慣性」(七頁)が存在すると説く。

 コナトンの最大の貢献は、社会の記憶における身体の役割を追求したことである。一九九〇年代以降、身体と社会の関係についての研究は急速に人気を得たが、フーコーに典型的に見られるように、身体を「刻み込む」対象としてとらえ、社会の権力やイデオロギーがいかに個々人に浸透していくかを問う研究、または、身体に刻み込まれたその社会固有の文化、価値観などを読み解こうとする研究にとどまるものが多かった。一方、コナトンは身体そのものだけではなく、身体を使ったパフォーマンスや儀礼の再現を通して、社会の記憶が伝達維持されるという点を強調する。この視点は、身体を社会に対して受け身的に取り扱ってきた従来の身体理論に新しい研究の方向性を示した。  さらに重要なのは、コナトンが記念式典に社会の記憶のメカニズムが最も明確に現れると主張した点である。身体の習慣の記憶と社会の記憶をつなぐものは記念式典である。コナトンは「記念式典はそれが遂行的である限り(のみ)、記念となりうる」(一二六頁)とする。この指摘は個人の多様性とコナトンの言う「社会の記憶」がいかに両立するのかという、一般的な疑問への回答を示唆するものと思われる。社会の記憶は普遍的でも絶対的でもない。なぜなら、それは記念式典によって、正当化され、公に認識され、維持されているにすぎないからである。

    さて、コナトンの議論はつねに、社会の記憶がいかに伝達されるかという点に集約されるので、現実の日常生活の中で社会の記憶が具体的にどのようなかたちで、どのような力をもつかについて、本書ではほとんど触れられることがない。政治的圧力や集合の無意識としての社会の記憶ではない、伝統や文化としての社会の記憶コナトンの議論をより楽しむためには、それがどのようなものであるかを理解する必要があると思われる。ここに、社会の記憶についての訳者の考えを補足しておきたい。

 伝統や文化について考える場合、自分の所属する社会以外に目を向けると、それがはっきり見えてくることが多い。たとえば、十一月に英国を訪れた人はすぐに、街が真紅のポピーの造花であふれていることに気づくに違いない。英国では十一月十一日がリメンバランス・デー(戦没者追悼記念日)になっていて、赤いポピーの花は戦没兵士追悼のシンボルなのである。毎年十一月になると、ポピーの造花で募金を呼びかける人が街に現れ、胸にポピーをつけた人が通りを行き交い、ポピーの造花で作られた花束が戦没者記念碑や教会を埋めつくす。リメンバランス・デーが近づく頃には、ニュースキャスター、タレント、政治家などの有名人のほぼ全員が公の場に姿を現す際にはポピーの造花を左の胸につけるようになるので、テレビや新聞にも盛んにこの花が登場するようになる。

 記念日には各地で戦没者を慰霊するセレモニーが行われ、午前十一時には国中で二分間の黙?が捧げられる。ロンドンの政府関係の建物が集中する地区にあるホワイトホール記念碑でのセレモニーには、女王をはじめとする王室関係者や政府要人が参加し、ポピーの花輪を捧げる。その模様はBBCで生中継される。十一月、英国人はみな愛国精神にあふれた国民であるかのようにみえる。

 しかし、実際にすべての英国民が一様に愛国者であるのは不可能である。毎年必ず募金してポピーを胸につける英国人がいる一方で、募金したことがないと言い張る英国人もいる。リメンバランス・デーに対する思いも実はさまざまである。重要なのは、それにもかかわらず、「十一月はポピーの月」と現代のイギリス社会で暦化し、この月にポピーを左の胸に飾ることが、その社会に特有の意味をもつということである。十一月に英国人が胸にポピーをつけて街を歩けば、実際に愛国者であろうとなかろうと、その当人は同じ社会に住む人々の目には自動的に、現存の社会秩序を肯定する愛国者にみえてしまうのである。しかし、ポピーによる年間行事をまったく経験したことのない者が同じ人を見た場合、瞬時にそういう解釈をすることは困難であろう。

 社会の記憶の力はまさにこの点にあると思われる。ひとつの社会に住み、同じ記念式典を遂行、または遂行を目撃する人は、記念式典の示唆する過去のイメージを(それに賛同するしないにかかわらず)理解共有できるようになる。いいかえると、記念式典を通して、多様な過去についての記憶のうちのどれが、その記念式典を遂行している社会にとって、都合のよい、公に認められるべき過去のイメージであるかが明らかにされ、その認識が共有されることになる。その記憶は文書から学ぶものではなく、慣習として出会う身体的なものである。コナトンの主張は、そういう社会の記憶を支えているのは地域的、あるいは国家的レベルで遂行される記念式典であるというのである。

    本書は、社会の記憶、記念式典、身体の実践の三章からなる。文学、歴史、心理学、精神分析学、哲学などの古典的な文献を幅広く引用し、また、テーブルマナーの発生やフランス革命時代の衣服、イスラムやユダヤのお祭りの意味など、多種多様の興味深い題材を使って具体的に解説しているので、一般教養をたかめたり、知識欲を満足させる読み物としての価値も高い。コナトン自身が言うように「学術論文というよりは、むしろ分析的な探究の書」(七頁)の形式をとるので、読み進む行程に楽しみがあり、知的なインスピレーションを与えてくれる書である。

 英国の社会学の雑誌の書評には「コナトンの文章は正確で極めて明瞭であり、社会の記憶と、身体、社会、歴史との相互関係や、儀式の解釈に関心のある多様な読者に広く支持されるであろう。随所にうかがわれる興味深い分析はまさに珠玉といえる。自分自身の専門分野の枠組みを超えようとしている社会学者、記憶を果敢に研究している生物学者に、ぜひこのやや煽動的で刺激的な本書を推薦したい」とある(Vincanne Adams [University of Keele], Sociological Review, vol.38, no.4, Nov. 1990.)。社会の記憶に関心のある人のみならず誰もが楽しめる本といえるが、結果として、読者は社会の記憶の存在、従来の社会理論で触れられることのなかったかたちの記憶の存在に目覚めるであろう。

    ポール・コナトンはケンブリッジ在住の社会理論家で、既存の学問の枠組みにとらわれない知識人として評判が高い。オックスフォード大学卒業後、ケンブリッジ大学で歴史学のPh.D.を取得、一九八九年の本書の出版により、欧米の人文社会科学系の学界で広く知られるようになった。年に数回、ケンブリッジ大学(社会人類学部、社会政治科学部、中世、現代言語学部等)で講演を行うが、毎回人気が高く、一般学生のみならず、博士課程の学生や教員も聴講に訪れ、講演に集まった人が講義室に入りきれないこともしばしばある。在野の研究者であるが、学界での評価は高く、その発言は広く関心を集めている。他の著作は次の通りである。

2011 The Spirit of Mourning:History, Memory and the Body:Cambridge University Press.

2009 How Modernity Forgets, Cambridge:Cambridge University Press.

1980 The Tragedy of Enlightenment:An Essay on the Frankfurt School, Cambridge:Cambridge University Press.

1976 Critical Sociology:Selected Readings, P. Connerton (ed.), Harmondsworth:Penguin.

 なお訳出に際しては、著者の希望により、原文の一部を省略した。原文のイタリック体は『 』および傍点に、‘ ’は「 」とした。文中の引用文は訳者が独自に訳出し、邦訳書がある場合は注のなかに記した。また、原文より改行箇所を増やし、各章に小見出しを付した。解説を要すると思われた箇所には、〔 〕で補足したり、訳注を付した。

 翻訳のあいだ、何度もコナトン先生のご自宅を訪問させていただき、細かい質問にお答えいただいたことに、心から感謝の意を表したい。膨大な蔵書に埋もれて、旧式の大きなコンピュータがまるでいかがわしいものであるかのようにつねに布で覆い隠されていたのが印象的であった。ちなみに、原稿はいまでもすべて手書きで、清書のために老婦人のタイピストを雇われている。また、本書の出版にあたってご紹介の労をおとりくださった青山学院大学の北本正章教授、校正にあたってつねに的確なアドバイスをくださった新曜社の小田亜佐子さんに厚くお礼申し上げたい。最後に、翻訳資料整理等の雑用を引き受け、労をいとわず協力してくれた家族に感謝する。

訳 者