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藤澤伸介 著

言語力
――認知と意味の心理学


四六判298頁

定価:本体2400円+税

発売日 11.03.30

ISBN 978-4-7885-1230-6




◆快適な人間関係は言語力から!◆
 「言語力」といえば、普通は「言葉の多彩さ」「正しい言語表現」「論理的な思考」ということになるでしょうが、本書でいう「言語力」は、ちょっと違います。人々が対立して争っている時、悩みごとを抱えている時、その原因が言語の使い方にあるのではないかと考えると、色々なことが見えてくるのです。すなわち本書で「言語力」といっているのは、「言葉の使い方と認識の仕方の関係を知ることによって、人生を生きやすくできる力」のことなのです。このような「言語力」は万人に必要な素養ですが、学校でも教えてくれません。必要もない悩みごとを自己生産したり、人間関係で余計なトラブルを抱えたり、知らない間に余計な出費を決定してしまったりするようなことをできるだけ減らし、快適な人間関係を築くための、心理学からのメッセージです。

言語力 目次

言語力 あとがき

ためし読み

◆書評

2011年9月17日付、図書新聞、秋田喜代美氏評

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目次
目 次

目次

まえがきi

第1章 言語の特質  動物は話せるのか
動物は話せるか
言語とは何か
言語の社会的役割
言語の個人内役割
言語への関心
記号過程
コトバは物ではない
混同の利用
人間の特性の認識を
二つの世界


第2章 情報伝達の言語  うわさに尾ひれがつく時
報告の必要条件
法律や科学の言語
推論
断定
断定の影響
好悪感情表現
あなたメッセージと私メッセージ
色づけ
報告文作成練習


第3章 意味と文脈  辞書は最高権威か
辞書とは何か
文脈と意味
意味の二種類
内在的意味と個人差
内在的意味と文化
意味と辞書
感情表出の手段としてのコトバ
敬語と感化的内包
コトバの聴覚的要因
表現法と感化的内包
タブー語と感化的内包
名前の力
言語の二重の仕事


第4章 言語の前記号的用法  意味不明でもお経はありがたい
言語の前記号的用法
社会的結びつきの言語
社交的会話や儀式の言葉
社会的制御の言語
指令的言語と信頼
儀式の効用
心の健康のための言語
カタルシスの効用
芸術作品としての言語


第5章 認知過程における概念 スイカは野菜か果物か
定義について
定義の種類
抽象の過程
抽象のレベル
抽象化の意義
分類と命名について
範疇と概念
思いこみ型


第6章 抽象のレベルの混同  ぶつかった椅子にお仕置き
偏見はどのようにして生まれるか
解消困難な偏見と差別
抽象化で生ずる内在外在の混同
生理的反応における内在外在の混同
コトバの魔力
PTSD
目の前の事実が見えない
他者の行動の原因
自己概念
集団への所属とその影響力


第7章 二値的考え方と多値的考え方  ユダヤ人がガス室に送られた時
二値的考え方
二値的考え方と思考の成熟
闘争と二値的考え方
キレやすい人
残虐な行動が現れる時
ミルグラムの実験
支配―隷属関係
二値的考え方の害
自己概念と鬱病患者
多値的考え方
開かれた心と閉ざされた心


第8章 内在的考え方と外在的考え方  企業は人々を操れるか
内在的考え方
内在的考え方の特徴
内在的考え方の問題点
外在的考え方
詩と広告
広告と内在的考え方
テレビの力と大衆操作


第9章 「生きる力」としての言語力  鬱の悪循環の正体
学習性無力感の形成
反応の固定化の発生
人間における悪循環
社会における制度的惰性
行き止まりと外在的接近
「生きる力」としての外在的思考
社会への適応
自己概念の再点検
適応に不可欠な外在的思考
偉大な思想への態度
外在的思考の諸ルール


 附章 外在的思考力を強化する方法
科学的リテラシーの訓練
日本の「科学的リテラシー教育」の現状
読書の意義(学術書と文学書)
日本の教育界の問題点


あとがき
一般意味論の入門書
モード3の心理学書
新学習指導要領における言語力との関係

引用文献
各章の注
事項索引=外在的世界の事象
用語索引=内在的世界の概念


カバーデザイン=藤澤伸介


●あとがき



 あとがき

 本書は、一般の方々に向けて言語力を提案する教養書として書かれているが、同時に一般意味論の入門書であり、新しいタイプの心理学概論書にもなるし、教育現場に役立つ教育論にもなるはずである。それぞれの領域における学術書としての意義を、以下で述べておきたい。

  一般意味論の入門書

 「一般意味論」(General Semantics)は、アルフレッド・コージブスキー(Alfred Korzybski: 1879-1950)が一九三三年に創始した教育理論(educational discipline)である。言語学における意味論(Semantics)の一領域ではない。人間は、言語をはじめ様々な記号に対して意味づけをしているが、人間を取り巻く環境で発生している様々な事象すべてに対しても、記号に対してと同じように意味づけをして生きている。この意味づけこそが思考の出発点であり、人間を他の動物から特徴づける人間独自の生存のシステムであると、この理論では考えている。

 一般意味論は、意味づけという認知特性の様々な側面を研究し、人間が陥りやすい思考上の罠がどこにあるかを明らかにしていくので、心の健康法(mental hygine)とも見ることができるが、治療のための心理療法(psychotherapy)というよりは、むしろ明瞭かつ有効な思考法を人々に提供する理論とみなす方が適切である。ただ、これまで一般意味論が臨床心理学に与えた影響は大きく、たとえば理性感情行動療法(rational emotive behavioral therapy; REBT)の開発者のアルバート・エリス(Albert Ellis: 1913-2007)は、一般意味論の考え方に触発されてこの療法を開発したことを認めてい る。

 一般意味論の目標は、コージブスキーによれば「抽象化への留意」(consciousness of abstracting)である。つまり地図と現地の区別と、抽象化によってどれだけ現実が捨象されるかを常に意識化するということである。これは、ただ理屈が分かって時々思い出すなどという程度では駄目で、絶えず留意する必要があり、そうすることで初めて心の健康が維持できると考えている。なぜなら我々は、商業的、政治的、宗教的宣伝に絶えずさらされ、そこに多数紛れ込んでいる意味論的に歪んだ情報に影響されるし、また自分ではそうと気づかずに、自分から歪んだ情報を作り出してしまうこともあるからである。

 日本語で書かれた一般意味論の書籍の中で、最も広く読みつがれてきたのは、S・I・ハヤカワ著『思考と行動における言語』(原書第四版、岩波書店)であろう。これは原書の一九七八年版で、大久保忠利による訳本が日本で一九八五年に発行されて以来、現在でも絶版にならずに発行されている名著である。

 ハヤカワの『思考と行動における言語』においては、一般意味論の原理が、理論的な証明および、主として一九五〇年代のアメリカの日常生活における実例による証明によって、裏づけられている。さらに、日本語版の序文(大久保忠利訳1951)には、次のように述べられている。

 「日本にも、英語圏でと同様の、意味論の大きな必要性がある、と、感ぜられるのです。」(viiページ)

 「日本の、文学・哲学・心理学・社会学の研究家諸氏が、この書を読まれて後、日本の生活・経験・思考を照らし合わせ、この書に述べられている意味論の諸原理を、進んで拡張し、訂正し、修正して下さることを、著者は切に希望しているものであります。」(viiiページ)

 本書は、ハヤカワの前掲書における論証の枠組みが最も分かりやすいので、その論理構成をそのまま踏襲し、ハヤカワの挙げている実例の代わりに最近の日本の日常生活の例を入れると同時に、一九五〇年代以降に心理学で行われた諸研究(主として実験的検証)を紹介することで、一般意味論で主張される諸原理が真であることを証明した論文である。一般意味論の創始された年が一九三三年、ハヤカワの前掲書も初版発行が一九四九年と、かなり以前であるが、そこで提示されている仮説はそれ以降に次々と心理学の分野で証明されているし、現代日本の状況に照らしてもこの理論が全く古びていないのは、実に驚くべきことである。

 アメリカには「一般意味論協会」(Institute of General Semantics)があって、そこのサイトからのリンクをたどると、オーストラリア、フランス、イギリス、スペイン、イタリア、ポーランド、インドなどの国々には一般意味論の学会(非営利法人)があることが分かる。これに対して日本では、一般意味論は残念ながらあまり普及しておらず、「日本一般意味論学会」のような学会も存在していない。

 しかしながら、沢山の商業的宣伝、政治的宣伝、宗教的宣伝などの情報の洪水の中に人々がいるということは日本も決して例外ではなく、この中に含まれているかもしれない歪んだ情報に対して自己防衛策をとるとか、ストレス社会において鬱的悪循環に陥らないように予防策をとるとかいうことは、ますます必要な状況になってきている。そういう点から考えても、本書をお読みになった方は既にお分かりいただけたように、一般意味論はまさに現代日本人に必要とされる理論だと考えられる。そういう意味で、本書は、一般意味論の普及を目指している。


  モード3の心理学書


 「芸術のための芸術」という概念があり、「大衆のための芸術」と区別されている。前者は人類の造形芸術の流れを理解した上で、そこに新しい境地を切り開き新しい絵画、彫刻、建築などを創造していく活動を指し、後者は人々が最も愛好し要望する絵画、彫刻、建築などを人々に提供していく活動である。前者の作品に対してはわけの分からない奇をてらっただけの作品との酷評があったり、後者の作品に対しては売れることだけを狙っただけの作品との軽蔑があったりするほど、両者の隔たりは大きい。

 これと同じように学問の世界でも「学問のための学問」という概念があり、「実生活で役立つための学問(実学)」と対比して使われてきた。かつてこれらは学問分野の分類であり、商学、工学、医学などは実学、これに対して哲学、数学などは軽蔑的に虚学と言われた。しかしながら、どの実学分野も学術情報の蓄積につれて、応用のためにはすぐに役立たない基礎研究が必要であり、学問のための学問として蓄積されてきた学術情報も、総合すると実生活に貢献する理論を提供することが分かり、最近では学問自体をこのように色分けすることはあまりなされなくなってきた。

 一方、一つの学問領域内の個々の研究に関しては、学術的関心からの問題提起による研究もあれば、現実社会の必要性から生じた問題提起による研究もある。これに対しては、マイケル・ギボンズの「モード論」というのがある(Gibbons et al, 1994)。ギボンズによれば前者がモード1で後者がモード2である。モード1の場合、学問における問いが理論の中だけで設定されるため、しばしば現実社会の問題から遊離しがちである。これに対してモード2の場合は、現実社会の問題解決が研究目的であるため、研究結果が直ちに役立つものとなる。したがって、ギボンズの主張は学問がモード2を目指すべきだとしている。

 心理学においては、昭和時代はモード1の研究が主流であった。心理学の研究領域をどう区分するかについては諸説あるが、日本心理学会の設定する五領域が比較的広く承認されている。第Ⅰ部門は、知覚、生理、思考、学習などを研究対象とする、いわゆる「実験系心理学」である。第Ⅱ部門は、発達、教育など人間の成長を支援する「教育系心理学」で、第Ⅲ部門は、臨床、人格、犯罪、矯正など、問題を抱えた人に対処する「臨床系心理学」、第Ⅳ部門は、社会、産業、文化など、対人関係や社会現象を研究対象とする「社会系心理学」、第Ⅴ部門は、方法、原理、歴史、一般など、心理学自身を研究対象とする領域である。心理学をこのような五領域で見た場合、モード1的様相を最も呈していたのは、実験系心理学であり、逆にモード2を貫いてきたのは臨床系心理学である。教育系や社会系の心理学においては、両者の研究が混在していたと言えるであろう。心理学の中には色々な知見があるのだから、それらがうまく調和融合しても良さそうだが、これはなかなか達成されずにきた。

 この状態は、出版されている心理学関係の書籍を見ると非常によく分かる。いわゆる心理学の概論書、実験系、教育系、社会系心理学の専門書を見ると、それそれの領域で発見された現象やそれを説明する理論が整然と紹介されているが、日常生活への応用例は極めて限定的にしか語られていないし、執筆者は自分の専門領域の原理や法則のみにしか言及せず、複数領域の原理を同時に考慮に入れながら現実社会の問題解決の例を示すなどという記述は、稀でしかない。

 一方で、臨床系の心理学の専門書は、個別の解決事例の紹介やその解決方策の根拠となる信念などは語られていても、それを証明する基礎研究の紹介がなかったり、紹介があった場合に読者が調べようとしても基礎研究の文献リストすら示していないものが多い。これは、一般書の「~の心理学」の類のハウトゥー本も同じことで、日常生活への心理学の応用例が沢山紹介されていても、バラバラの事例がモザイクのように並べられているだけで、それを読んだからといって、心理学の理論が習得できるようにもなっていない。つまり、モード1の本を読んでもあまり応用が利かないし、モード2の本を読んでも理論的な理解ができるとは限らないのである。

 森(2004)は、新たにモード3を成立させることを提案している。モード3とは、モード2の世界で問題を発掘し、それをモード1の世界で分析・吟味・理論化し、それを再びモード2の世界に還元するという絶えざる知の循環システムのことである。森は教育心理学に関してこの主張をしているが、筆者は心理学全般に関しても、モード3は一つのあるべき姿だと考えている。

 筆者はその意味で、かねがねモード3の立場で言語に関する心理学の専門書を著したいと考えていた。本書はそれを実現しようとしたものである。頭の中に誤った地図を作り上げてしまわないとか、鬱的悪循環に陥らないとか、周囲の人々と気持ちよく協力体制がとれるとか、そういった日常の役に立つ理論を構築するために、本書では一般意味論の枠組みで我々の言語の使い方を検討し、人間の認知特性を理解した上で、絶えず抽象化を意識する必要性にまで、心理学の様々な知見をまとめ上げた。したがって、実験系、教育系、社会系、臨床系という枠にとらわれず、必要な研究はどの領域のものでも取り上げた。また、日常生活における事例や最近報道された事件も、既に報道等で公表されたものについては、あえて固有名詞を伏せたりせずに入れるようにすることで、どの出来事のことを述べているか明瞭に分かるようにした。本書の主張が「外在的思考をしましょう」ということである以上、本書自体が外在的に論を進める必要があり、内在的世界と外在的世界の対応をつけるための努力を、積極的にしようとしたためである。


  新学習指導要領における言語力との関係 


 本書の執筆企画は、二〇〇二年に立案された。出版目的は、前記の「一般意味論の入門書」および「モード3の心理学書」のような書籍を世に問うためである。本書の中には日常生活の例が沢山入れてあるが、それはその当時から集め始めたものである。執筆の開始は二〇〇七年からであるが、大学の業務が多忙化し、執筆はなかなか進まなかった。当然、企画当時は新しい学習指導要領はまだ発表されていなかった。

 したがって、本書は学習指導要領の解説のために出版されたものではない。しかしながら、驚いたことに発表された学習指導要領には「言語力」が重点内容として据えられており、しかもそこで言う言語力は、単なるコミュニケーションの道具としての言語にとどまらず、もっと包括的な概念であり、感性や情緒を豊かにし、社会に適応していけるための「言語力」であった。それはまさに本書が主張するところの言語力である。学習指導要領の作成に携わった方々と、当然同じ時代に生きているわけだから、知らないうちに問題意識を共有していたということであろう。そこで、学習指導要領から出発して言語について考察を深めたい読者の役にも立つように、本書の第9章や附章で学習指導要領のことも言及することにした。初めの企画では附章で、科学的リテラシーと読書の教育について述べるだけの予定であったが、学習指導要領のこともそこに加えることにしたのである。本書の主張は、学習指導要領が今後どのように改訂されても続けていくつもりであるが、新学習指導要領とは非常に相性が良い。

 二〇〇八年三月に改訂された幼稚園教育要領、小学校学習指導要領、中学校学習指導要領、二〇〇九年三月に改訂された高等学校学習指導要領、特別支援学校学習指導要領は、「生きる力」を育むことを目指して組み立てられている。「生きる力」(zest for living)とは、(一)知識や技能に加え、学ぶ意欲や、自分で課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力などの「確かな学力」(solid academic prowess)、(二)自らを律しつつ、他人と共に協調し、他人を思いやる心や感動する心などの「豊かな人間性」(a well-rounded character)、(三)たくましく生きるための健康や体力、すなわち「健やかな体」(a healthy body)などから構成されている概念である。

 新学習指導要領においては、教育内容の主な改善事項のトップに「言語の力をはぐくむ教育の充実」ということが挙げられている。新学習指導要領が言うところの「言語力」は、「確かな学力」の基盤であるため国語科だけでつけていけば良いというものでなく、すべての教科・領域の教育活動において育成すべきことが強調されている。その根拠は、言語が、① 論理や思考などの知的活動、② コミュニケーション、③ 感性・情緒の基盤であるからとしている。

 本書を既に読まれた方々には、この ①~③ の三つはどれも分かりやすいし、言語の様々な特性をうまく漏れなくとらえていることに納得が行くであろうと思うが、どんな人にも分かりやすいかと言われたら、そうでもないだろう。② の言語がコミュニケーションの基盤だということは誰でも理解可能であろうが、① の「論理や思考などの知的活動の基盤が言語だ」ということになると多少の説明を要するだろうし、③ の「言語が感性・情緒の基盤である」に至っては、一般の人にはピンと来ないのではなかろうか。特に、「言語を適切に使えば情緒が安定する」ことが理解できるためには、本書で述べたような鬱的悪循環のメカニズムの知識などが必要になるだろう。

 「言語力」の育成は、そもそも中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会において取り纏められた「審議経過報告」(二〇〇六年二月一三日)や、「第三期教育課程部会の審議の状況について」(二〇〇七年一月二六日)において提言されたのがきっかけである。そして、「言語力」をどのように育成すべきかについては、中央教育審議会・教育課程部会に設けられた「言語力育成協力者会議」において、詳細に検討されており、新学習指導要領はこれと一貫した考え方で作成されたものである。

 言語力育成協力者会議の議事録は、文部科学省のウェブサイトで公開されているので誰でも読むことができるが、これを読むと多角的多面的に検討されたことがよく分かる。ただ、一七名の委員が述べた意見の要点が書かれているのみで、その専門的な論拠まで詳しく書かれているわけではないので、やはり誰にでも分かりやすいとは言えないだろう。

 幸い言語力育成協力者会議の委員でもあった梶田叡一氏と甲斐睦朗氏が編著者となって、『「言語力」を育てる授業づくり』中学校編および小学校編が株式会社図書文化社から出版されている。この書には、言語力育成のためには、各教科でどういう教育をすれば良いかの例が具体的に提案されており、本書の立場から見ても、どの提案も適切かつ有効だと言える。たとえば、本書が主張する科学的リテラシーの一番目「概念の明確化」については阿部論文(中学校編三章)があり、二番目の「仮説演繹法」に関しては、角屋他の論文(中学校編一五章)があり、三番目の「現象把握」については、米田(豊)論文(中学校編一三章)で述べられている。また読解力の養成に関しては、米田(猛)論文(中学校編九章)や塚本論文(小学校編第一九章)等に提案がある。また、梶田(2008)にも「確かな学力」の詳しく体系的な解説があり、その中に「言語力」も位置づけられて、学習指導要領の理念が語られているので、教員が授業をするという目的だけのためならそれで十分かもしれない。

 しかしながら、一般意味論の体系で「言語力」を理解すると、学習指導要領をより深く理解することになり、特定の教育政策を理解し、それに基づく教育方法の適切性を評価したり、新たな教育方法を開発したりする時の助けになるのではないだろうか。というのは、実は梶田(2008)にも、一般意味論が紹介されているからである(p.112)。また、児童生徒からたとえば「人々は、母国語をうまく操って生活しているのに、今なぜ言語力が必要なのか」とか「国語だけでなく、すべての教科・領域の教育活動において育成すべきなのはなぜなのか」とか「言語はコミュニケーションの手段であって、感性や情緒とは無関係なのではないか」というような質問をされた時にも、日常生活からの例を引きながら分かりやすい回答がしやすくなるのではなかろうか。

 そういう意味で、本書は学習指導要領の解説本ではないが、新学習指導要領に準拠して教育関係の仕事に携わる方々が、今列挙したような素朴な疑問について考えたり、教育現場で独自の対応を工夫したりする時に、本書をお役立ていただけるのではないかと考えている。


 【謝辞】
 本書の出版を御快諾下さり忍耐強く支援して下さった新曜社の塩浦あきら氏、原稿の細部にまで目を通し貴重な御意見を下さった豊田江梨奈氏と丹波典子氏には、この場を借りて深く感謝の意を表したい。


著 者