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J・J・ギブソン 著 東山篤規・竹澤智美・村上嵩至 訳

視覚ワールドの知覚
――


A5判320頁

定価:本体3500円+税

発売日 11.03.25

ISBN 978-4-7885-1222-1




◆ギブソン、待望の基本文献!◆

ギブソンはアフォーダンス概念の提唱者として有名ですが、視覚の研究者とし てもたいへん高名で、心理学の教科書には必ず名前が載っています。彼は若い 頃、「なぜ物は、見えるように見えるのか」を問いかけたゲシュタルト心理学 者のコフカに出会いました。その後、第二次世界大戦中に飛行士志願者の選考 に必要な視覚情報の分析に従事し、その研究にもとづいて、ゲシュタルト心理 学とはまったく異なる立場からコフカの問いに回答を与えたのが本書です。今 日に至るも心理学に大きな影響を与えている本書ですが、これまで未邦訳でし た。まさに、待望の完訳です。

視覚ワールドの知覚 目次

視覚ワールドの知覚 まえがき

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目次
目 次
日本語版への序文 辻敬一郎
編者の序文 レオナルド・カーマイケル
はじめに
本書の図版の見方

 なぜ物は見えるように見えるのか
理論的取り組み
空間知覚における「大地理論」の初期仮説
感覚と知覚

 知覚の諸学説
感覚と知覚の区別
生得説と経験説
広がりと位置
かたちあるいは2次元的形
奥行きと距離,「手がかり」の理論
ゲシュタルト理論
知覚的恒常性の事実
要 約

 視覚フィールドと視覚ワールド
視覚フィールドの境界
明瞭性の勾配
目と頭の運動の効果
残像の位置
残像の見かけの大きさと距離
頭と体の姿勢の効果
対象の見かけの大きさと形
平行線の見かけの収束
形の「食」
観察者が運動しているときの視覚フィールド
距離の意識
要 約
視覚ワールドの問題

 網膜像の形成
視覚における事象の連鎖
視覚の刺激変数
網膜上の複写と対件
網膜像と網膜的モザイクの興奮
解剖学的パターンとしての網膜の興奮と順序的パターンとしての網膜の興奮
視覚体験と網膜の興奮のパターン

 知覚の精神物理学的理論
抽象的な空間と飛行士の世界
刺激の対件
順序刺激の仮説
刺激の変数としての網膜的勾配―きめ
刺激作用の勾配としての距離の手がかり
勾配の概念
精神物理学的対応の概念
要 約
結 論

 視覚的奥行きと距離に対する刺激―瞬間的な刺激作用
きめの密度の刺激勾配と対象の大きさ
物の奥行き形―きめの勾配と照明の等級
両眼網膜像差の刺激勾配
網膜像の鮮明性あるいは解像度
大気遠近の勾配
要 約

 視覚における奥行きと距離の刺激変数―能動的な観察者
観察者が運動中の網膜像の変形の勾配
網膜的運動の型
要約―距離と奥行きの感覚的分析
 安定していて境界のない視覚ワールドの問題
安定した視覚ワールド
境界のない視覚ワールドの問題

 物の大きさと形の恒常性
なぜ物は見えるように見えるのか
知覚された対象の恒常性―色
知覚された対象の恒常性―形
奥行きが短縮した面の知覚
知覚された対象の恒常性―大きさ
物までの距離はどのようにして見えるのか
距離の知覚と尺度の知覚
視覚的寸法の堅固性
大きさの恒常性は遠距離において壊れるのか
結論―体験の客観性

 幾何学的空間とかたち
幾何学の空間
視覚的なかたちの問題
かたちの知覚に対する精神物理学的取り組み

 意 味
意味のある知覚
知覚はどのくらい学習によって獲得されるのだろうか
空間的意味の可能性
取り外せる意義
学習によらずに得られた意味はあるのだろうか
意味による空間知覚の変更
真正的な視覚ワールドと図式的な視覚ワールド
結 論

 学 習
どのような意味において,
行動は知覚によって媒介されるのだろうか
どのような意味において,われわれは見ることを学ぶのだろうか


 空間知覚と空間行動
空間知覚の運動理論
視覚的運動感覚
視覚と筋肉運動の共変
知覚的自我
ここからそこまでの距離の印象
身体の定位

訳者あとがき
文 献
索 引


装丁=臼井新太郎


●まえがき

 

はじめに


この本の主要なテーマは,空間の視知覚である。ここで探求する基本的な問題は,われわれは自分の周りの世界をどのように見ているのか,という問いである。この問題は,理論的であるとともに事実にも関連し,応用的でもある。ここで取り上げる諸理論は,哲学と心理学の歴史に関係している。事実については,心理学,物理学,生理学から得られる。応用については,芸術,飛行,写真,山登りにまで及ぶ。しかし本書は,この問題に関する歴史的な概括ではないし,既存の事実の記録でもない。また,その応用に関する議論でもない。その意図は,この問題に対する首尾一貫した方法,すなわち,新しい事実を手に入れ,それを新しい応用に用いる方法を,明確に述べることである。理論の構築は,その理論が「批判を受けいれる余地がある」とき,すなわち,将来,実験的に反証可能ではあるが反証されないときに,もっとも役だつ。多大の努力を重ねて,本書の諸提案に曖昧さが残らないようにしたので,これらの提案は,もしかすると(将来の実験によって否定され)不適切になるかもしれない。いうまでもないが,筆者は,本書の諸提案が,事実を理解し,将来の実験の結果を予想することを望んでいる。

空間とよばれてきたものの知覚は,すべての知覚の基本的な問題であるから,理論的に取り組む必要がある。われわれが知覚する世界の基本的な変数は,空間的であり時間的である。世界は,拡張性と持続性をもつ。空間知覚(これから時間を分離することはできない)は,知覚の主題の一分野ではなく,考察すべき最初の問題なのであり,それが解決されなければ,ほかの問題は不明のままとなる。これが解決されていないことに,大方の心理学者が同意するだろう。われわれの知覚の空間的,時間的特徴を説明する既存の理論は,それほど満足できるものではない。

本書では,知覚の対件である物理的刺激について多くのことを述べているが,感覚器官や大脳(これらも知覚の対件である)についてはほとんど述べていない。筆者は心理生理学よりも精神物理学を研究することに決めた。なぜなら,われわれの知識の現状では,精神物理学の方がずっと将来性のある方法を提供すると信じるからである。これは,生理学の重要性を見くびっているのではない。たとえばバートリの著書『視覚:その基礎的研究』(6)は,生理学の全体的な過程を理解するために重要である。しかし,われわれに欠けているのは,精神物理学的方法を知覚に適用することなのである。

知覚の精神物理学は,ことばとして矛盾していると感じる読者もいるだろう。しかしこの本は,そのような科学を正当化し可能にする企てである。長年,知覚に及ぼす観察者の態度の効果,知覚に及ぼす文化の影響,過去経験の役割や知覚における感覚的体制化の役割に関して実験的証拠が蓄積されてきた。だがこのような実験のすべては,どんなに啓発的であっても,刺激と知覚の関係という単純な問題に答えていない。この問題が決着するまで,これ以外の証拠を評価することはむずかしいだろう。

最近のいくつかの心理学思想の潮流,つまりゲシュタルト心理学,アメリカの機能主義,そして次元主義とでも呼べそうなものが,この本の執筆に影響した。筆者がもっとも影響を受けた20世紀の科学者は,クルト・コフカ,レオナルド・トロランド,エドウィン・ボーリングである。筆者が採用した仮説は,第二次大戦中に,陸軍の飛行場で行なわれた研究によって大いに促進された。

どんな本も,著者と他の人々との共同作業である。本書のさまざまな箇所に分け入っていくという,もっとも困難な共同の仕事に携わったのは,私の相棒である妻エレノア・ギブソンであり,彼女の科学的良心は,私よりも厳しく,読者も彼女に感謝しなければならない。この本を,感謝と愛情を込めて彼女に捧げる。また本文は,ホートン・ミフリン社の心理学叢書の編者であり,私が若かったころの恩師の1人であるレオナルド・カーマイケルによって,深い洞察力と学識をもって,お礼の申し上げようもないくらいにまで,念入りに読み込まれている。S. ワレスは,初期段階の原稿を注意深く読んで,真の友人にしかできない,詳細を究めた透徹した意見を寄せてくれた。私はまた,原稿の大小さまざまな部分にわたって検討してくれた多くの友人や仲間にも感謝している。ロバート B. マックロード,ジョン・ヴォルクマン,T. A. ライアン,エドウィン G. ボーリング,ウォルフガング・ケーラー,ハンス・ウォーラック,アンナリーズ A. ローズ,フリッツ・ハイダー,R. T. ソレンバーガー,H. E. イスラエル,マーヴィン・ジュレス,オリヴァー W. ラーキンがその人たちである。とくに,フレデリック N. ディブルには感謝したい。彼は,何年にもわたって,本書でこれから述べる仮説を実験的に検証し,その仮説を正確に述べるという作業を手伝った。最後に,陸軍社会のなかで科学者のように行動するという偉業を成し遂げた,戦時下の研究班のロバート M. ガニエと共同研究者たちの支援に対してお礼を述べねばならない。

この本は,視覚の複雑さに畏敬の念を覚えたことのあるすべての人々に興味をもっていただけるよう願って書かれた。視覚ほど,奇妙ですばらしい発見をもたらす研究領域はない。

ジェームズ J. ギブソン