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佐藤健二著

社会調査史のリテラシー
――方法を読む社会学的想像力


A5判600頁

定価:本体5900円+税

発売日 10.01.31

ISBN 978-4-7885-1219-1

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◆フィールドワークをフィールドワークする◆

調査にもとづいて数値を示すことは、説得力ある発言には欠かせないものです が、つい百年前には「調査」そのものが目新しいことでした。本書は、黎明期 の貧民窟探訪、東京繁昌記、考現学などから、第一回国勢調査(一九二〇年) をへて、戦後の民主化との関係でブームとなった世論調査まで、社会調査の歴 史を「方法」という観点からたどったものです。たとえば国勢調査の調査員を めぐる抱腹絶倒のエピソードから、当時のひとびとの調査に対する感受性を掘 り起こしたり、観察、統計、図表化、地図、スケッチ、写真、索引など調査に 必須の道具・手法のもつ意味にも目を向けて、読ませます。一貫して、具体的 なモノとコトをめぐる考古学的志向にもとづいて、社会調査の歴史を考えるこ とが「社会学」そのものであることを説得的に明らかにした、著者会心の書と いえましょう。

社会調査史のリテラシー 目次

社会調査史のリテラシー はじめに

ためし読み
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◆社会調査史のリテラシー――目次
まえがき
 
1 日本近代における都市社会学の形成
 一 日本都市社会学の歴史意識
 二 可視化の実践とテクスト――方法史的分析の模索
 三 累積する起源の変革力――まとめに代えて

2 モノグラフィの都市認識
3 東京市社会局調査を発掘する
 一 調査研究のねらい
 二 東京市社会局の誕生
 三 基礎資料として集成する方法について
 四 調査資料集成の基本方針
 五 調査の視角――下層の可視化
 六 今後の課題

4 コミュニティ調査の方法的課題
 一 方法的課題とは何か
 二 コミュニティ研究の視座構造――方法意識のあらわれとして
 三 コミュニティ調査実践の三つの蓄積
 四 方法論的多様性の構築にむけて――表層のテクスト化

5 ライフヒストリー研究の位相
 一 『口述の生活史』の問題提起
 二 フィールドとしての個人
 三 口述の方法性

6 量的方法と質的方法が対立する地平
方法論議の意味  二項対立の大文字化  二項対立の歴史性  チェーピンの分類  二項性の浮上と集約  岩波全書版『社会調査』  相互補完による自己完結  非対称性と時代性  社会調査の流行  対立の地平の展開形態  データ批判と形式分析

7 コミュニケーションとしての調査
 一 耳の採集――ことばで知るということ
 二 聞き書きというドラマ――取り調べ・尋問から生活史まで
 三 方法としての調査票――複合的な方法性の構築にむけて
 
8 内容分析とメディア形式の分析
「身の上相談」分析の新しさ  メディア空間の変容  手法と素材を問われる

9 調査史のなかの『都市の日本人』
方法と場とを読む  日本における社会調査の展開  方法意識をしばる対立  豊かな折衷主義  調査票(質問紙)のもつ意味  調査票以前あるいは調査票以外  調査をある密度にまで押し上げる  質問するという社会行為  資料の多面性をふまえつつ  後発効果論を生かせる枠組みの必要

10 調査のなかの権力を考える
 一 関係性の解読と共生
 二 調査のなかの権力をめぐって
 三 観察と対話の位相

11 厚みのある記述をつくる
 一 モノグラフとは何か――「グラフgraph」の意味
 二 分厚さの構築――記述のなかの分析
 三 経験に学ぶ――モノグラフへの参与
 四 謎解きの物語――探偵小説というモデル

12 国勢調査「美談逸話」考
 一 『日本国勢調査記念録』と第一回国勢調査
 二 調査への動員――名誉と献身の物語
 三 奇談への逸脱――権力と主体性
 
13 社会調査データベースと書誌学的想像力
文化財としての調査資料  印刷物としての質問紙  四つの要素の複合体として  作品としての調査票とライブラリー  社会調査史の不在  社会調査論と認識の生産  エフェメラの書誌学  『都市の日本人』  「L.S.」と「K.S.」  質問紙以外  データの多次元性と読者の批判力  ぶ厚い共有に向けて  非文字資料の資源化  画像資料批判

14 テクノロジーと記録の社会性
 一 テクストをめぐるテクノロジー
 二 方法史の領域と調査実践の分析
 三 社会地図と空間記述
 四 集計を立ちあげる記述
 五 生活を書きとめる
 六 テクストとしての写真
 七 テクノロジーとしてのリテラシー
 
15 図を考える/図で考える
 一 学問の名前
 二 絵引の発想と画像データベース
 三 「網のようなもの」を編む

16 『社会調査ハンドブック』の方法史的解読
 一 素材としての技法書
 二 『社会調査ハンドブック』の内容分析
 三 結論――ハンドブック構想の原点

17 「質的データ」論 再考
疑似問題とニセの解答  「方法論的基礎づけ」を立ち上げる  「一つ」への統合をめぐって  複雑な分割線の重なりあい  社会調査論の四つの意味  「理論と調査」もしくは「理論と実践」という分割線  調査という実践の場  方法の論理学  「すれ違い」を見落とさない  「質的データ」としての実体化  データの質  社会学史と社会調査史  テクストとしての社会

18 社会調査のイデオロギーとテクノロジー
 一 「社会調査論」の再検討
 二 質問紙のテクノロジーと「統計的研究法」の構成
 三 「社会調査への信頼形成」問題――シンポジウム組織者の問いに

19 地域社会に対するリテラシー
 一 方法史的認識を戦略として立ち上げる
 二 地域社会調査史の構造を鳥瞰する
 三 地域社会学と「郷土研究」――構造を内側から認識する主体

20 都市を解読する力の構築
 一 都市カテゴリーの位相とエスノグラフィの実践
 二 都市の不可視性――壁と構造と歴史と
 三 フィールドノートを書く/エスノグラフィを編む


あとがき
文献一覧
索引


   装幀――


社会調査史のリテラシー――はじめに

 

この一冊にまとめたのは、「方法」に関する論考である。
 タイトルの『社会調査史のリテラシー』は、かなり以前から候補のひとつであった。広い意味での調査の実践を論じてきた論考を集成し編集するなかで、『読書空間の近代』の読者論や『歴史社会学の作法』のリテラシー論を引き継ぐ論点が散在している、と感じたことが基になっている。。

 

なぜ「社会調査の」ではなく「社会調査史の」としたのか。そのもっとも大きな理由は、社会学という学問の想像力はいつも、見落とされた「社会性」と忘れられた「歴史性」の厚みのなかから立ち上がるものだからだ。そして私自身の「社会調査史」は、本文中でも触れているように、もうひとつの「社会学史」である。

 

理論史・学説史のみを「社会学史」と称する日本の社会学界の慣行は、調査史・方法史という、重要なもうひとつの側面を忘れたところで成立している。たぶん近代日本の社会学が、明治初期のスペンサーのような、当時最新の社会思想と社会理論の輸入紹介に始まったことや、学部制度の上で文学部の「哲学」の教育研究に社会学が長く位置づけられてきたことなどと、無関係ではないだろう。理念に刻みこまれたそのような拘束は、後に学史を学ぶ者の視点にも特徴的な偏りを生みだした。たとえば、コントは社会学者を名乗るより前に科学史の研究者であり、その科学の理解において「社会」の存在を認識論の枠組みに導入し、「観察」という方法を主張している。その経緯の必然性を、自らの科学史において十分に深めることができなかった明治後期の学説史的な受容が、結局は実証の実践である社会調査の発展を一九三○年代近くまで遅らせることとなったのではないか。明治大正の導入期ばかりではない。第二次世界大戦の戦後に活発化する「社会調査」論が、認識論というより技法論に位置づけられ、歴史性を見失ってしまったのも、社会調査史という視点の潜在化と学史からの切り捨ての、意図せざる効果であるようにも思える。

 

であればこそ、社会調査史という主題の構築は、この本のひとつの主張である。実際にそれぞれの時期に書かれた私の論考を貫く視点のひとつでもある。

 

「リテラシー」という、片仮名表示の用語にも注釈が必要だろう。
 リテラシーを国語辞典の類で引くと、「識字率」「識字能力」の意味だとの解説に出会う。文字を使いこなすには、意味の解読すなわち「読む」だけでなく、意味を外部化し、情報を共有し、記録を蓄積する、「書く」ことも重要である。だから「読み書き能力」といったほうが正確だが、人口比率や能力尺度としてだけの理解にも微妙な偏りを感じる。能力として一般化するより前に、熟練として把握すべき具体的で身体的実践が、その歴史的・社会的存在形態を支えているからである。

 

「カルチュラル・リテラシー」という外来語を「一般教養」、「メディア・リテラシー」を「コンピュータ・ネットワークを使いこなす能力」などと要約して解説する辞典があるくらいだから、一般にはひどく知識や技能に偏った能力尺度としての理解がなされている。メディア・リテラシーを、放送された内容を批判する能力だけに光を当てて使うのは明らかな誤用だが、肯定的・実証的な知識の獲得にせよ、否定的・批判的な認識の形成にせよ、その媒体を「知る」「考える」「感じる」「伝える」方法として使いこなす身体の認識実践の総体をとらえる用意は必要だろう。つまりは能力を測ることができればそれで終わりではなく、そうした能力を生み出す経験や知識や実践の配置を、形態としてあるいは構造として明らかにする。そうした課題を含む概念として、リテラシーを設定しておきたいのである。

 

つまり、この本の題名は、社会調査の歴史を自らの探究の方法として使いこなす、そのような実践の立場を、新たに獲得すべき目標として指し示している。

 

「方法」ということばで表現しようとしていることも、むずかしいことではない。学問を志す者として、必要なものを集め、調べ、整理し、突き合わせ、見比べ、裏付け、それらの向こうに潜み動いている何かをとらえ、問い、質し、解し、明らかにする。突きはなして考えれば、それだけのようにも思える。

 

しかしながら「方法」への興味は、「方法論」についての関心と、すこし入り口が異なっている。
 

先駆者の格闘や工夫を後から学ぶものとして、私が納得したり、驚いたり、感心したりしたのはいつも、道具というか技法のレベルで役に立つ、具体的な資料の押さえかたであり、丹念な収集の実践や、経験が生みだした読みかたであった。誰もが、素材を前にあれやこれやを試み、あの手この手を考え、さまざまな方法を組み合わせ、組みたてながら進めていく。だから「方法」は決して最初から体系的なものではない。むしろ経験的なものだと感じた。「方法」のもつそれぞれの役立ちかたを組織的に整理し、理論的にあとづけて体系化したものが「方法論」であるなら、私のここでの考察は、方法論以前の領域にとどまっている。

 

もちろん、私はここでの考察を、目標達成未満のものだとは思っていない。
 あとはなぞってやってみるだけの余白しか残されていないような、閉じた論理の、完璧な形式性を備えた「方法論」の提示は目標ではないし、私が選んだ課題でもない。それよりは、偶然の賜物にせよ、熟練の達成にせよ、かつて役に立った「方法」をめぐる考察を深め、新たな発見と認識と追体験の扉を開くことのほうが、これからの社会学にとって大切だろうと思う。だから、社会学者として現実の社会的な事実と向かいあわずに、何のためにもならない後知恵の「方法論」ばかりを講じているかのように揶揄され敬遠されるのは、少なからず心外である。

 

この書物を貫いて主張しているのは、もっと素朴で単純な事実の重要性である。それは身近で現実的である、と同時に、普遍的で共同の問題である。すなわち、社会学者であるわれわれが使い慣れていると思っている「方法」もまた、社会的な事実であり、歴史的な構築物である。であればこそ、その拘束力が問われ、その構築力が測定され、より適切で望ましい使いこなしかたが構想されなければならない。そしてこの書物で主題となっているのは、つきつめれば「社会学」と呼びならわされてきた学問の、認識の生産手段あるいは生産様式という意味での「方法」である。

 

一八年前に書き始めた「方法」に焦点をあてた日本近代の分析は、私自身にとっていまだ大きすぎる野望にとどまっているが、この早すぎる拾遺の一冊が、同じ志を有する多くの研究者のあいだで分担することができる、具体的で普遍的な課題を生みだすのに役立つようなことがあるなら、望外の幸せである。



     
佐藤健二  二〇一〇年一〇月